第9話 記憶のかけら

  特別あつらえの長行李に人形二体と双六を慎重に終い、風呂敷でぐるりと括ると背負った。

「おはなさん、もう終いかい?」

 通りを挟んで向かいの店、べっこう飴を売っている源蔵が言った。

「ええ。そろそろ宿を探さないといけないから」

「なんだい。宿探してなかったのかい?」

 源蔵は、驚いたように言った。

「だったら、ここからすぐの本通り沿いに『大阪屋』っていう宿屋がある。その周りにも数件、同じような宿屋があるから、どこかは空いてるとおもうよ」

「それはご親切に」

 頭を下げたおはなに、源蔵は破顔した。

「なぁに。ワシは何度もここへは来てるから、ここいらのことはよく知っている。おはなさんは初めてだろ?この神社の祭りに店出すのは」

「ええ。そうです」

「元締めが言ってたよ。えらい客を呼べる子だってね」

 おはなは、謙遜するように小さく首を振った。

「確かに、女子どもが皆笑顔で帰って行く。長年、露店出してるがこんな店は今まで見たこともない。あんた大したもんだよ」

「ありがとう存じます」

 頭を下げるおはなに、源蔵はばつが悪そうに頭を掻いていった。

「おっと。年寄りは話しが長くなっていけない。あんたはこれから宿屋探さなきゃいけないのにな。呼び止めてすまなかったね」

 おはなは源蔵に宿を紹介してくれた礼を言って離れた。

 すでに境内から見える空は茜色になりかかっている。境内へとあがる階段から吹き上げてくる風が身に応えた。

 おはなは、身を縮めながら階段を降りた。途中すれ違うお客はまだいるが、あと半時ほどもすれば、かなり少なくなるだろう。早めに切り上げて正解だ。

 参道を右に折れ、通りに出る。人通りはまだある。しばらく歩くと左に折れる。その通りが本通りだ。なんでも、江戸へ向かう旅人たちが必ず通る道だからそう呼ばれているという。

 なるほど、通りの先に旅籠の幟らしき物が出ている。あれが源蔵の言う大坂屋だろう。出入り口を何気なく通り過ぎる。女中だろうか、上がりがまちのところで所在なげに座っていた。大坂屋をいったん通り過ぎて、他の旅籠を探した。大坂屋の二件隣に別の旅籠があった。大坂屋よりやや小さく、薄暗い印象だ。その旅籠の脇に一本奥へ行く道がある。おはなは、そこへ行った。表の旅籠よりもさらに小さい宿屋が二軒横並びにあった。おはなは、しばしそのうちの一軒を眺めて、ここへ決めた。理由は判然としないが、強いて言うなら直感だ。それに、表通りに面している旅籠は、値段が高いと相場が決まっている。

 案内された部屋は、二階の大広間だ。いつも通り、大勢での相部屋だ。値段も安く、時々、有益なうわさ話や情報を仕入れることができる。

 部屋の中は、まだ人は多くはない。ちょうど空いている端に荷物を置いて座る。一息つきながら、部屋の様子をそれとなく眺める。二十畳ぐらいの大きさの部屋にはおはなを入れて、五、六人がいるだけだ。これから日が落ちればもっと多くなるのだろう。ふと、はす向かいに座っているどこか商家の手代みたいな風貌の男二人組に目をとめた。着ているものは悪くない。むしろ上等な部類の着物だろう。身だしなみもきちんとしている。顔もにこやかだ。二人で談笑している、といったところだ。しかし、何か違和感があった。どこがと言われてもおはなはわからなかったが、何かが引っ掛かった。

 男たちは立ち上がった。部屋から出ていくみたいだ。ちょっとそこまで飲みに行く、といった風情だ。

 おはなも立ち上がろうとした。後をつけるつもりであった。

「すみません」

 突如、横から声がした。

 見ると若い男がいた。おはなは、一瞬、身を固くした。

「さしこみの薬をお持ちではありませんか?」

 男の顔は、青白く脂汗まで浮かんでいた。

「え?さしこみ?」

 おはなは驚いて聞き返した。

「ええ、そうです。急に…」

「あるわ。ちょっと待ってて」

 おはなは、手荷物から、薬箱を取り出した。旅の必需品として数種類の薬は常に持ち歩いている。丸薬を取り出して、若い男に渡す。

 男は、軽く会釈をすると口に入れて飲み込んだ。

「少し横になっていたほうがいいわ」

 おはなの言葉に男は頷いて横になった。

「ありがとうございます」

 横になる男を眺めながら、おはなは、慎重に言葉を選びながら言った。

「違ってたら申し訳ないけれど、あなた、もしかして……」

「ええ。そうです。目が見えません」

 みなまで言わずに男はあっさりと認めた。聞かれ慣れているのだろう。

「生まれたときからでして、別に不自由は感じません」

 男は、青白い顔のしたからチラリと笑顔を見せた。

 おはなは「そう」としか言えなかった。次の言葉を探しあぐねていると男から話しかけてきた。

「わたしの名前は捨松と言います」

「わたしは、はなよ。おはな、と呼んでくれたらいいわ」

「では、おはなさん、わたしは失礼して少し眠ります」

 男――捨松は、そう言うと口をつぐんだ。

 おはなは、小さく「そのほうがいいわ」というと男二人組が出て行った廊下を見つめた。

 男二人組は、夜になっても戻ってこなかった。

 すでに皆が寝る時間となり、行灯の光も消え、おはなは相部屋の人々と一緒に雑魚寝をした。

 あの捨松は、あれきり、場所を変えて寝入っていた。体調が芳しくないと言うことで、相部屋の皆が、隙間風が少ない真ん中に場所を譲ってくれたのだ。

 おはなは、窓際で隙間風はあるが、それでも寒さには強いのか、さほど苦にならなかった。

――あの修業時代に比べれば、極楽だわ

 横になって、目をつぶりながら考えた。おはなは、今一度、あの男二人組が戻ってくるところを見てみたかった。あの男たちを見た時に感じた違和感は、一体何なのか、もう一度確認してみたかったのだ。

――もしかしたら今夜はもう戻ってこないかもしれない

 そう考えると、力んでいた体が緩む気がした。いつの間にか目の前に見覚えのある景色が広がっていた。

 おはなは眠りに落ちていった。


 川霧が低く垂れ込めていた。

 水面が見えないぐらいだ。聞こえるのは、川が流れる音だけだ。ガラガラと大きな音をたてて流れるその音は神社の大きな鈴を思い出した。

「おはなさん、身体が止まってますよ」

 不意に声をかけられて、おはなは、我に返った。老爺がこちらを見ていた。

「はい」

 短く答えて、意識を集中する。教えられた型を行う。

「痛っ」

 思わず声が出た。足元を見る。川のしぶきが素足にかかっていた。足は、水の冷たさで感覚はなく、あかぎれで真っ赤になっていた。血もにじんでいる。その個所に水しぶきが容赦なくかかる。そのたびに痛さが走る。

「もう一度だけ、型をやりましょう。そしたら少し休憩をとりましょう」

「はい。ですが、休憩はいりません」

 おはなは、言った。いち早く身につけなければならない。

 しかし、足は動かなかった。感覚はもうない。ずるりと滑った。そのまま、川のほうへ倒れ込んだ。半身が水に浸かった。幾千の針で刺されているような冷たさであった。それでも、おはなは自力で立ち上がり、型を続けた。


 場面が変わる。


 暗闇の中で、おはなは手元を意識していた。

 何も見えない。一寸どころか目の前すら見えない。それでも手元を意識する。手指に全てを注ぎ込む。何かを感じた。勢いを手元に伝えた。その先の何かがそれに応える。

 ドン、と鈍い衝撃が響いてきた。

「あっ」

 おはなは思わず声が漏れた。

 暗闇に灯りがともった。

 橙色の炎がぼんやりと辺りを照らし出す。蝋燭を持っているのは、老婆だ。

「人形をごらん」

 老婆は言った。

 おはなは、手元を眺める。

 手元には、×の木組みとそこから無数の糸が垂れ下がり、その先に、不格好だが人形があった。

 人形の胸に何かが突き刺さっていた。棒手裏剣だ。

「いつの間に……」

 おはなの呟きに老婆は応えた。

「傀儡師が、傀儡を壊されたら終いじゃ」

「も、もう一度お願いします!」

 おはなは、頭を下げた。

 老婆は、蝋燭の炎を吹き消した。


 場面が変わる。


 轟々と風の音が耳を覆っていた。

 風圧が激しく、座っているのにもかかわらず、時折、身体が持って行かれそうになるほどだ。おはなのすぐ横は、断崖だ。身体を傾け、重心を失えば、谷まで真っ逆さまに落ちていく。命はないだろう。

「さあ。もう一度唱えてごらん」

 同じように断崖のそばに座りながら、老爺の声は、大声でないのにもかかわらず、おはなの耳に滑るようにはっきりと届いた。

 おはなは頷き、集中する。

 風がおはなに容赦なく吹きつける。崖のほうへ重心を崩しそうになる。恐怖心で全身に冷気が走る。それでも堪えて意識を集中する。

「……」

 教えられた節がついた文言を口に出す。意味をなさない呪文のようなものだ。

 老爺を見る。老爺は首を振る。

「……」

 再度、挑戦する。また老爺は首を振った。

「……」

「えっ」

 おはなは驚いた。老爺の口元が微かに動いたかと思ったその刹那、おはなの耳にその節のついた文言が届いていた。その途端、おはなの身体は動かなくなった。金縛りであった。

グラリと風に煽られた。身体が動かない。ゆっくりと崖のほうへ倒れ込む。

 落ちる、と思った瞬間、力強い手がおはなを支えた。老爺であった。その瞳は、優しく自愛に溢れていた。礼を言おうとした瞬間、後ろから何者かが腕を掴んだ。後ろは、崖だ。恐る恐る後ろを振り返る。

「……!」

 見覚えのある顔があった。崖から手と顔を出していた。目が合うと口を大きく開けて笑った。

「赤子の手をひねるより簡単であったわ。貴様の夫は、今わの際に『助けてくれ』と懇願しておったぞ。ひひひ」

 恐怖心とともに灼熱の怒りが体中を駆け巡る。

「おのれ!よくもよくも…片地帯刀かたぢたてわき!」

 叫んだ。己のどこからこのような声が出るのかと思うぐらいの怨嗟の声であった。

「もし…もし」

 どこか遠慮気で、気遣う声がした。おはなは目を開けた。起き上がる。目の前に見知った部屋と若い男の顔があった。

「もし。大丈夫ですか?うなされていたようでしたので、迷いましたが声を掛けました」

 一瞬、ここがどこなのか迷ったが、すぐに思い出した。

「ああ。ごめんなさい。ちょっと夢を見ていたようで…」

 部屋の中には、ほとんど昨夜の旅人たちはいない。数人、いる人たちも皆、旅支度の最中だ。

「そろそろ部屋を空けないといけない時間になりますよ」

 若い男は言った。当然ながら、宿屋の部屋は刻限で空けなければいけない。その時刻を過ぎるともう一泊の料金を請求されてしまう。

「えっと捨松さんでしたね。わざわざお気遣いいただいてありがとうございました」

 おはなは、頭を下げて手早く身支度を整えるべく、荷物のほうを向いた。

 捨松が離れる気配がした。

 なるべく、人と関わり合いになるのは避けなければならかった。

 おはなは、腕をさすった。鳥肌がたっていた。先ほどまで見ていた夢の残滓がおはなの感覚をまだ狂わせているようだ。

 「…最近、昔の夢をよく見るわ。これは、奴らに近づいているからなの」

 思わず声に出していた。

 ちらりと、後ろを振り返りつつ、昨日の男二人組のいる場所を見る。すでに荷物はなかった。あれから戻ってきて、すでに去ってしまったのだろう。

 小さくため息をつくと、おはなは、宿を出る準備に集中した。



 


 




 


 




 


 


 


 


 

 

 




 

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