第10話 道程
おはなは、もう一日、神社での祭礼で店を出して、そこの親方衆にいとまの挨拶をして場を離れた。
源蔵は、もう一日、この祭りにいるらしい。親方からは、引き止めにあったが丁重にお断りした。銭は、すでに潤沢にある。それに、銭を稼ぐのは二の次だ。おはなの目的は、別にある。
本町通りを抜けて、今日中に別の宿場町へ向かうつもりであった。
すでに日は陰り始めていた。着けるのか不安であったが、向かうしかない。仕事が終われば同じ場にいるのはいろいろと危険がある。それは、女の身であるおはながこれまでの経験から学んだこことのひとつであった。妬み嫉みは、どこの世界にもあるが、女、しかも独り身となればその感情は、様々な行動となり受けやすくなってしまう。いざとなれば、大方は対処できるが、役人沙汰になるのだけは回避したかった。そういう無駄な危険を回避するためには、迅速に行動する、ということが必要なのだ。
歩く速度を速める。
これまでの修行で、歩く速さは自在に調整できる。飛脚と競争こそしたことはないが、幾度か見かけた彼らの走りを見るとさほどそん色ないとおはなは思っている。
人形と双六が入った大きな柳行李を背負い、おはなは道を急いだ。目的地は、次の宿場町日野だ。今のままいけば何とか日が完全に暮れる前に到着はできるだろう。足を速める。しかし、あまりに急ぎすぎても目立ってしまう。人の有無を意識しつつ、速度を調整していた。
おはなの足が止まった。
前方に見どこか見覚えのある背中の二人組がいた。すぐに消えた。曲がったのだ。
「あの男たちだ」
声が出ていた。昨日の宿屋でおはなが気になっていた手代風の男二人組だ。おはなの足は無意識にそちらのほうへ向かっていく。
いけない、とどこかで思いつつ、しかし、抗うことができなかった。
気配を殺しつつ、消えた場所まで来る。男たちは、どうやらわき道に逸れていったらしい。細い道が、一直線に小高い丘へと続いている。お社でもあるのだろうか。すでに男たちの姿はない。逡巡したのはつかの間、おはなは、何気ない風を装って細い道を上っていった。周りは、雑木林だ。日もかなり暮れかかっている。危険なのは重々承知なのだが、どうしてもあの男たちを見てみたかった。感じた違和感を確かめてみたかったのだ。
細い道を上りきると平らに開けた場所に出た。小さなお堂がある。男たちはいた。お堂の前で、さも休憩中という風情だ。
「おや?あなたも休憩ですか」
おはなの存在に気がついたひとりの男が笑顔を向けてきた。すでに日は傾いてきて薄暗い。男の張り付いた笑顔が妙に作り物めいて見える。
「あっ、いえ。お堂があると思って旅路の無事を祈ろうかと寄っただけです」
おはなは考えていた言い訳を言った。
そうですか、と言って男たちは少し脇に寄った。
おはなは、お堂の正面まで来ると、柏手を打って頭を下げた。
「では」
おはなは、男たちに頭の下げて踵を返した。鼻歌を唄いながら来た道を戻ろうとしたその時、
「もし。あんたどこかで見た顔だな」
最初の男とは別の声―おそらく、もうひとり居たほうであろう男が言った。声色に険が混じっていた。
おはなは、考えた。このまま逃げることもありだが、おそらく捕まる可能性が高い。であるならば、
「よくある顔ですよ」
とおはなは、顔だけ向けて言った。足は止まらない。
「いや……どこかで会ってるな。ちょっと待ちな」
男たちが立ち上がる気配がした。おはなは、袖に隠しているあるモノを指先で触った。いざとなれば、充分に引き付けてからこれをばらまいて逃げる。目潰しの薬だ。
男たちが動いた気配がした。おはなの心臓の鼓動が早まる。その時、
「ああ。ここにいましたか。向で親方が待ってますよ。早く行きましょう」
前方に人影と聞き覚えのある声がした。両の瞳が閉じられている。捨松であった。
「もうお参りすんだからすぐ行くよ」
おはなは、驚きを隠して応えつつ、捨松のほうへ歩み寄った。捨松も何気なくむきを変えて坂道を下りはじめる。男たちが追ってくる気配はない。
「あまりひとりで行動されると親方の機嫌が悪くなるからやめてください」
捨松が大きな声で言った。
「すまないねぇ。でも、お堂があれば誰だって無視はできないだろ?」
おはなが笑い声交じりに応えた。
ふたりは、ゆっくりと坂道を下っていく。後ろは振り返らない。他愛もない会話を続けていく。そのまま、街道筋に出て、しばらく歩いて行く。充分に離れてから、捨松が声をかけた。
「ここまで来れば大丈夫でしょう」
おはなは後ろを振り返ると、男たちが追ってきていないのを確認して、身体の力を抜いた。
「助かりました。礼を言うわ」
「とんでもない。この前のさしこみの丸薬のお礼です」
「でも、よくわたしが居るってわかったわね」
「目は見えませんが、気配はわかります。おはなさんの気配が道をそれて行ったので、失礼かとは思ったのですが後をついて行きました」
「それで助かったのだから文句は言えないわ」
すまなそうな表情をしている捨松におはなは笑って言った。
「これから何処まで?」
「日野まで行くつもりです」
「わたしもよ。どうせなら一緒に行きましょう」
おはなと捨松は、夕闇が急速に広がっていく中、足を速めて街道を急いだ。
ふたりとも完全に日が暮れるまでには、日野の宿場町に着いた。途中、捨松がついて来れるのかおはなは危惧をしていたが、杞憂であった。むしろ、おはなと同じかそれ以上の脚力を見せた。しかも、目が見えないという障害を感じさせない足取りであった。
「旅から旅の身。自然と鍛えられました」
と捨松は笑った。おはなもそれ以上詮索はしなかった。お互い様だ。
捨松とは、日野の宿場町に入ったところで別れた。これから、按摩の上客のところへ行くという。おはなは再度礼を言って離れた。
宿屋は、どこも閉まっているかと思いきや飛び込んだ宿屋で泊まれることになった。いつものように大部屋だ。すでに大勢の人々が思い思いのくつろいだ恰好でいる。おはなは、空いている場所を見つけて、手早く荷物を下ろした。
一息つくと先ほどの光景を思い出していた。
――奴等だ
そう思うと身体が小刻みに震えはじめた。
捨松に助けられたが、あのお堂の前にいた男二人組。間違いなく、おはなが探している連中に連なる者達だ。おはなはそう確信していた。
体の動き、雰囲気、全てが堅気などではなかった。加えて、おはなが鎌をかけたことに見事に反応していた。これは、おはなが探している連中にだけ通ずる罠なのだ。
――奴等だ。とうとう見つけたんだ
興奮なのか恐怖なのかいいようのない感情が込みあがってくる。震えを押さえることができない。
「おや?あんた震えてるね。具合悪いのかい?」
隣にいた中年の女性が声をかけてきた。小柄で丸顔がどことなく愛嬌がある。小さな目が心配そうに見ていた。
「いえ。今日は歩き通しで身体が疲れてしまっただけですよ」
おはなは、無理やり笑顔を見せていった。
「そうかい。それなら早く休んだほうがいいね。なんかあれば声かけてちょうだい。できることならするよ」
ありがとうございます、とおはなは頭を下げた。同時に大部屋に誰かが入ってきた気配がした。目を向けると、入ってきたのは、大きな風呂敷包みを背負い、がたいの大きな男であった。頭巾をかぶっているがそこから除く瞳は鋭かった。着ているものは商家のそれだが、おはなは一目見て身を固くした。
――奴らだ
驚く気配を察知したのか大柄な男がおはなを見た。微かに笑った気がした。おはなの全身に鳥肌が立つ。
――追ってきた?正体がばれた?
頭の中に冷たい思考が暴れまわる。
――どうすれば?
努めて冷静に自分に問いかける。
〝人形を遣う〟
「え?」
〝我ら傀儡師は、人形を遣うんじゃよ〟
老婆の声が頭の中に響いてきた。突然、脳裏に過去の風景が幾重にも重なって甦る。暗闇。蝋燭の明かり。しわだらけの手。滑らかに動く手指。それに反応する生きているような人形。人形。人形。
――そうだ。わたしは傀儡師だ
腹を決めた。おはなは、そっと後ろの荷物に手を回した。荷物から手に馴染んだ棒状のものを取り出す。小さいそれは、緊急時に使用するものだ。
男は、荷物を空いている場所に置いてその前にどかりと座り、おはなを見ていた。粘着性のある視線を隠そうともしていない。おはなもその視線を受けて逸らさない。そして、老婆に教えられた通りのやり方で手指を動かす。おはなの横から小さい人型が現れた。それは、自力で、ゆっくりとだが歩いているように見える。薄暗い中に座っているおはなの腰よりも小さい人が歩いている。周りの人が見れば悲鳴を上げてもおかしくはない。それだけ奇妙な光景だ。それなのに誰ひとり悲鳴を上げるどころか見向きもしない。その小さい人は、おはなの正面まで来るとピタリと止まった。それは、のっぺらぼうの人形であった。その人形は、ゆっくりと座りはじめた。まるで、おはなを真似しているように足の角度や身体の傾き加減までうり二つである。
「では、消灯といたしましょう」
大部屋に声が響く。廊下から宿屋の使用人が現れて、行灯の火を消す。大部屋の人々は、すでに各々寝そべっている。急に暗闇が部屋を覆った。目が利かなくなる。
どこかで短く太い吐息に似た音がした。
頭上でジャラリと聞いたことがある音がした。
このふたつの音は、ほぼ同時であった。
おはなは、身を固くしてまんじりとも動かなかった。
音はそれきりであった。
白々と夜が明け始めた。
大部屋の中の人々が動き始める。これから、様々な場所へ旅経つために夜が明けると同時に宿を出る人は多い。おはなは横になって動かなかった。
強い視線が、一度だけおはなのほうをむいた気がした。しかしすぐ、その視線を送った人物の気配は遠ざかった。
「ちょっと、あんた。これあんたのモノかい?足下に落ちてるよ」
隣で昨日声をかけてくれた女の声がした。
おはなは、ゆっくりと起き上がった。足下に落ちている人形を見る。人形の足の裏に光るモノがはえていた。
「ありがとうございます」
おはなは、人形を手に取った。
人形の足の裏を見る。刺さっているモノは、紛れもなく針であった。十中八九、毒針だろう。あの短く太い吐息は、毒針を発射した音だったのだ。
サッと辺りに視線を散らす。れいのがたいの大きな男はいなくなっていた。まぎれもなくおはなを追ってきた暗殺者だったのだ。しかし、なぜ暗殺者がおはなでなく人形の足の裏に毒針を刺したのか。しかも、なんの疑問も持たず去っていったのか。その答えは、おはな自身が知っていた。
――
おはなは、心の中で呟いた。
これまで酔漢や素人相手には試したことはあったが、実際に武芸者や暗殺者相手に術を施したのはこれが初めてであった。〝空蝉〟は、人形を己の代わりにする術だ。この術にかかれば、人形をその当人と思い込むのだ。
当たり前だが通用した。おはなは、改めて老爺や老婆に感謝した。だが、グズグズしているわけにはいかなかった。暗殺が失敗していた、とバレれば今度は、直接的に襲ってくるだろう。早めにここを旅立たなければならなかった。
「では、お先に失礼するよ」
隣の丸顔の女が声をかけてきた。旅装はすっかり整っている。背中の風呂敷ずつみは大きい。
「御達者で」
声をかけかえしたおはなに、女はにっこりと笑い踵を返した。背中の荷物から使い込まれているすだれが見えた。
――まさか
昨日のジャラリとした音が耳に甦る。毒針と同時になった音だ。暗殺者の仲間か。しかし、殺気も何も感じられなかった。
おはなの想いを知ってか知らずか女は、振り返らずに部屋を出て行った。
しばし、身を固くしていたおはなであったが、我に返る。いずれにしてもここに居るのはまずい。手早く荷物をまとめると宿屋を後にした。
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