第7話 おはな

 祭り囃子は、いつ聴いても心が浮き立つ。小典は、探索の最中だというのにそういった心の動きになることに驚くとともにどこか申し訳ない気持ちになった。こんな時に賊と遭遇すれば、たちまち遅れをとることになりかねない。小典は自戒をこめてグッと気を引き締めた。

 小さな神社のお祭りだ。先ほどのお堂からちょうど反対側の位置している。

 近隣の村々から人が集まっているのだろうか、人の数は多い。大半は、農民だろう。その中に、突如、編み笠に黒い羽織をまとった侍二人が、現れたら驚くのはわかる。すぐに、年配の男二人に話しかけられた。

「もし。お侍さま。なにかお探しでしょうか」

 話しかけた老年に近い男は、髪に白いものが目立つ。皺が深く刻まれた顔は笑顔だが、黒い瞳の奥に警戒感がありありと読み取れた。後ろにいる壮年の男は、頭は下げているが、真顔で強ばっている。

「あなたたちは」

「この村の庄屋をしております、田山杢左衛門にございます。後ろに控えておるのがこの祭りの差配役の庄右衛門にございます」

「これは失礼。わたしたちは、南町奉行所与力の黒葛桃鳥と」

「南町奉行所同心、鞍家新右衛門小典と申す」

 桃鳥と小典の自己紹介に田山杢右衛門は南町奉行所、と聞いて驚いたようだ。

「み、南町奉行所のお役人方がなぜこのような田舎の祭りへ?」

「ふふん。お役目の途中で、子どもたちに聞いてね。なんでも屋台まで出ているから楽しそうだと思って」

 桃鳥の柔らかな物言いに、強ばっていた庄屋の田山杢右衛門と庄右衛門は一瞬驚いたように互いの顔を見合ってから、ホッとした様子を見せた。

「そうでしたか。てっきり手前どもに何か問題があったのかと」

「驚かせてすまなかったわ」

 にこやかに答える桃鳥に田山杢右衛門は、相好を崩した。

「それでしたら、田舎の粗末な祭りではありますが、どうぞごゆるりとご覧下さい」

 そう言うと頭を下げて離れていった。

 田山杢右衛門と庄右衛門が充分離れてから、

「小典が気になっている屋台というのはどこ」

 と聞いた。

 小典はすでに見つけていた。

 小さな境内である。屋台といっても両方の手で足りるほどしか出ていない。その屋台は、境内の左奥に隠れるように建っていた。

 小典は、編み笠をといて、ゆっくりと近づいた。

 

 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 出た目のぶんだけ進むがよい

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ


 女のこぎみよい唄声が聞こえる。


 足下書いてる文言に

 全ての運を委ねっしょ


 すでに屋台の廻りには女子どもであふれていた。


 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 出た目のぶんだけ進むがよい

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ

 賽の目だけが知っている


 人の膝丈ほどもある人形が流れるように賽を振った。

 廻りの観衆の頭がぐぐっと前に傾く。次の瞬間、わっと笑い声が響く。

「はい。出た目の数は六」

 透きとおる声がそう告げると、賽を振った人形が、一歩二歩と歩き進んでいく。

 そのまま、あるところまで行くと止まる。

「〝肥だめにはまり一回お休み〟」

 おどけた調子で言うと周りにいた客がいっせいに大笑いしはじめた。

「さぁ。次はあたいの番だよ」

 まだまだ笑いの渦が納まらないうちに人形をぶら下げている女は言った。

 今度は、先ほどとは別の人形が賽をひょいと拾い器用に投げた。

 観衆は、打って変わって静まりかえり賽の目に皆、注目している。

 転がった賽がゆっくりと止まる。

「二と三で五だ」

 子どもの声がそう叫んだ。

 女は満面の笑みで頷いた。

「坊や。お利口だね」

 叫んだ子にそう言うと、女の操る人形が、ひとつ、ふたつ、と声にあわせて動いていく。ちょうど、五つといったところで止まる。

 子どもの声がいっせいに大笑いしはじめた。手を叩いたり、飛び跳ねている子もいる。

「〝地獄の獄卒に捕まり三つ戻る〟」

 声色を変えてそういうとさらに子どもたちは喜んだ。女は、柔らかな笑顔でそれを眺めていた。ふと、小典の方を向いた。目が合う。大きな瞳が驚いてさらに見開かれた気がした。軽く会釈をする。小典も返した。女は再度、観衆に目を向けると、唱いだした。


 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 出た目のぶんだけ進むがよい

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ


 楽しそうに観衆までも唄い、手を叩いている。そこだけ周りとは別みたいに盛り上がっている。小典は、その様子を一歩下がって見ていた。

「お久しぶりでございます。確か、江戸の祭りで……」

 ひっきりなしに客が来ていたが、一段落したところで女のほうから話しかけた。

「覚えておいででしたか。大都之輪坐神社の祭りで一度だけお目にかかった」

 小典が見廻りの最中に立ち寄った江戸での祭りではじめて会ったのだった。

「こちらへは、お勤めか何かで」

「所用で近くまで来たところ、子どもらにこの祭りのことを聞いてな」

 黒く大きな瞳が真っ直ぐに小典を見上げていた。思わず目をそらした。

「見事な人形捌きだ」

 女の傍らに丁寧に置いてある二体の人形にわざと目をやった。しかし、目鼻口、髪の毛にいたるまできちんと作り込まれている。使い込まれているが、ひとめで腕のいい職人の作だろうと思わせる物だ。

「ありがとうございます」

 女は優雅に頭を下げた。

「さぞかし腕のいい職人が作ったのであろうな」

 思ったことをそのまま言った。

「はい。なんでも京の有名な人形師の作だとか」

「ほう。知らないのか」

「この人形は、師から譲り受けた物ですので」

 なるほど、と頷いた。

「この双六も手が込んでいる」

 客や観衆に見やすいようにだろう。女が座っている側がやや高くなって客側に向かって斜めになっている。そこに双六の紙が置いてある。双六には、極彩色の鬼や仏の姿が見事な筆で書かれている。他にも鳥や像、虎、鷹、はたまた龍までもが書かれている。そして、それぞれの画の下には様々な文言が書かれている。

「これも師から譲り受けた物なのか」

 いいえ、と首を振った。

「これは、私が職人に作らせた物です」

 女は、にこやかに言う。

「傀儡の術は、師にはかないません。ですから、私なりの何かをと考えての苦肉の策です」

 確かに、傀儡師で双六をする者は、見たことはもちろん聞いたことすらない。

「しかし、そのおかげで盛況ではないか」

 小典が初めて見た江戸での祭りでもこの祭りでも同じくらい人がいた。女は、おかげさまで、と笑った。

「この祭りが終われば、またどこぞの祭りへと移動するのか」

「はい。根無し草ゆえの宿命にございます」

 小典は、そうか、と頷いた。

「つかぬ事を聞くが、近ごろ、怪しげな虚無僧や歩き巫女を見なかったか」

「いいえ。見ませんでした」

 ちょうど、子どもたちが少しずつ集まってきていた。

 小典は、

「小さなお客がお待ちかねのようだ。邪魔をした」

 といって離れた。

「ああ。失礼だが、名を聞かせて頂いてもいいか」

 離れ際、小典は言った。

「おはな、と申します」

 女――おはなは、言った。

「拙者は、南町奉行所同心、鞍家新右衛門小典だ」

「鞍家さま。以後お見知りおきを」

 そうして、会釈をしてた。小典も離れた。

 桃鳥は、本堂の影にいた。

「大当たりのようね、小典」

 桃鳥の言葉に小典の心の奥がなぜかチクリと痛んだ。


 チントンシャンで賽を振れ

 チントンシャンで賽を振れ

 出た目のぶんだけ進むがよい

 進めばそこは極楽か

 はたまたそこは地獄かえ


 女の歌声が子どもたちの声に交じって聞こえてきた。



 


 


 

 


 

 

 



 

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