第6話 探索
「はぁ、はぁ……と、桃鳥さま」
「何よ、だらしがないわね。肩が上がっているわよ」
「そ、そろそろ、休憩しましょう」
小典は、両膝に手を置いてあえいだ。
木漏れ日からさす陽光が額にあたる。冬なのに陽光の温かさがわずらわしい。小典は、顔を横に傾けた。何かが眼に入った。汗だ。慌てて懐から手ぬぐいを取りだして、拭う。
「本当にこの先にあるのですか」
慣れないことをさせられている不満から、声が尖る。
「ふふん。もう少し先に清水が湧き出ているところがあるわ。そこで休憩しましょう」
桃鳥は余裕綽綽だ。見たところ汗のひとつもかいていない。皮肉のひとつでも言ってやろうかと思ったが、逆に己の情けなさを嫌というほど突きつけられるだけだと思ってやめた。
澄んだ鳥の声が聞こえる。風が吹いた。火照った体に心地いい。体を真っ直ぐに起こし、顔だけ右側を向く。
眼下に田園地帯と雑木林、遠くに山並みが見える。自然と深呼吸をしていた。木々の醸し出す匂いというか気のようなものが体の隅々にまで行き渡るようだ。もう一度己を鼓舞するように丹田に意識を集中する。自分の手のひらで顔をバンと叩くと、「行きましょう」と言って、一歩踏み出した。
小典と桃鳥は、王子村の先にある飛鳥山近辺の小高い丘を登っていた。これで幾つ目の丘を登ったのだろう。覚えていなかった。
なぜこんなことをしているのかと言えば、例の大広間での話し合いの結果である。
もちろん、言い出しっぺは前を歩いている桃鳥だ。
場が紛糾したあの時、新たに桃鳥が提案したのがこの事であったのだ。それは何かと言えば、
御府内より外れた場所もしくは、その近辺にある人のいない神社仏閣を探せ
であった。
人のいない荒れた寺社は、賊の盗っ人宿になるのはわかるが、なぜ、御府内より外れた場所なのか。その理由については、いまだに桃鳥は、はっきりとは言わないままだ。ただ、それだけで、あの場の荒れた雰囲気が収まるはずはない。理由を言えと鼻息が荒い山野彦次郎たちに桃鳥は、今回の坂屋弥五郎宅、巻川屋佐平治宅などを襲った賊たちは、虚無僧や歩き巫女、などの僧侶の恰好をしているはずだと言ったのだ。
「桃鳥さま。ひとつ伺ってもいいですか」
桃鳥は振り返る。
「なぜ、賊たちが虚無僧や歩き巫女の恰好しているのでしょう。しかも、皆、それを聞いておののいたように見えました」
そうなのだ。あの声高に言い募っていた山野彦次郎はもちろん、浜永孫三郎までもが顔色が明らかに変わった。むろん、全てではないが、与力同心として長く勤めている者たちの多くが驚いているようであった。
浜永孫三郎にいたっては、
「黒葛どの。御自分が何を言っておられるのかおわかりか」
と睨みつけて念押しするように言ったのだ。
桃鳥はというと、あくまで涼しい顔を崩さず、
「充分に心得ております」
と言った。そして、北矢勘解由左衛門の方を向いて座りなおした。
「北矢様。いかがでしょう」
北矢勘解由左衛門は、しばし、じっと桃鳥を見てから口を開いた。
「黒葛どのの作戦の通りにしよう。しかし、万が一何かあれば、全責任はこの北矢勘解由左衛門がとる。各々方もゆめゆめそのことを忘れぬように」
と重ねて言った。
そうして、その場で、組み分けが話し合われた。桃鳥は、一番遠くを探索することを自ら希望した。当然、小典も付き従うことになったのだ。
水が流れる音が聞こえてきた。桃鳥が言っていた清水が湧き出すところが近いのだろう。ほどなく、岩の間から湧水が出ている場所に着いた。
小典は、竹筒を取り出して、清水を汲んで喉を潤した。ついでに、顔や手足も洗った。
「ふう。生き返るようですね」
清水の冷たさが心地よかった。
桃鳥も竹筒で清水を汲んで喉を潤した。
桃鳥も近くにある手頃な石に腰を落とした。
「この事件は、わたしたちが思っているよりもとても根が深いわ」
唐突に話し始めた桃鳥をじっと見る。
「ただの盗み働きではない、と」
小典の言葉に桃鳥は頷いた。
「先ほどのあなたの質問、なぜ賊の恰好を聞いて皆がおののいたのか……」
突如、蜘蛛の糸のようなわずかな何かが小典の皮膚をなでた。
「桃鳥さま」
「ふふん」
小典は、そっと刀の柄に手をかけた。
辺りを探る。さわさわと頭上で枝が風に揺れる。風がながれる。小典の鼻孔を微かに嗅いだことがある匂いがした。
「これは……」
記憶を探っているうちに、前方にザッと何かが動いた気配がした。
桃鳥さま、と小典が呼びかける前にすでに桃鳥は気配がしたほうへ動いていた。
半分壊れた石段を登ると平らに開けた場所が現れた。
こんな場所に、と思えるほど意外に広い。正面奥に切妻作りのお堂がひとつ建っていた。荒れているといっても今日、これまで見てきた寺社に比べれば、それほどでもないように思えた。瓦は明らかに屋根から落ちて、そこから植物がはえている。お堂の扉も半分は、傾いているが落ちきってはいない。小典たちのいる場所からだとお堂の中は、暗くて見えなかった。
小典は、すでにいつでも抜刀出来るように身構えていた。
桃鳥はというと両手をぶらりと下げて突っ立っているだけのように見える。
「桃鳥さま、この気配、猪かなにかですかね」
ささやく小典の言葉には答えず、桃鳥は、興味深そうに顎に手を添えてお堂を眺めている。
「あっ、と、桃鳥さま……」
驚く小典を尻目に、桃鳥は、無防備にお堂へ向かって歩き出した。いくら、明確な殺気がないとはいえ、得体のしれない気配があることは事実だ。それなのに、身構えもせずに近づいていく。小典も慌ててついて行く。
お堂の正面に堂々と立つ。
「ふむ」と頷くと
「隠れてないで出ておいで」
と声をかけた。
ほどなくして、気配がした。ひょっこりと子どもの顔がお堂の扉からふたつ出た。年の頃、五、六歳だろうか。怯えた眼が桃鳥と小典を行ったり来たりしている。
「子どもであったか」
小典は、力が抜けた。
「怖くはないわ。出ておいで」
桃鳥の言葉に一瞬躊躇したが、おずおずと子どもらは出てきた。
「どこから来たの」
桃鳥は屈んで目線を子らに合わせて聞いた。単衣の着物は、所々ほころびてはいるが、その上から綿入れを着ている。恰好から農家の子らだろうか。
桃鳥の問いに答えた子は、村の名を答えた。しかし、小典は、別のところが気になっていた。答えた子の口から甘い匂いがしているのだ。どこかで嗅いだことのある匂いだ。おそらく先ほどの風に乗ってきた甘い匂いはこの匂いであることは確実なのだが、もっと前にこの匂いを嗅いでいたはずだ。しかし、それが思い出せなかった。
「このお堂は、遊び場なの」
「うん。そうだよ」
「誰もいないお堂なのね」
「ずっといないよ」
「わたしたちも入ってみてもいい」
桃鳥の言葉に子らはお互いの顔を少し見つめあってから元気に「いいよ」と言った。
「なにぼーっとしてるの小典。行くわよ」
すでにお堂に半身を入れた桃鳥が振り返って言った。
考えに沈んでいた己を断って、桃鳥の後に続いた。
お堂の中は、埃と木の腐った臭いが充満していた。十畳ほどの床は、所々、抜けている。腐って抜け落ちたのであろう。桃鳥と小典は、注意しながら、一番奥まで進んだ。階段状の棚には、御神体であろうか、古い石と曇ったままの鏡のようなものが置かれていた。
上を見上げると、むき出しの梁が見える。屋根が一部分壊れて、そこから空が見えた。
桃鳥は、しゃがむと顔を床に近づけた。
いぶかる小典を尻目に、桃鳥は、視線をゆっくりと左右に走らせた。
足跡でも探しているのだろうか、と考えた小典を読んでいたかのように、
「わたしたちが探している賊たちは、特殊な足跡を残していく場合があるの。それを探しているのよ。でも、どうやらここにも来た形跡はないわね」
と答えた。そして、桃鳥はさっと扉にむかった。小典も慌てて続いた。
子どもたちはまだそこに居た。
「なんか見つかったの」
瞳を輝かせて聞いてくる。
「人を探してるのだけど、ここには来てなかったみたいだわ」
桃鳥と話している子どもの口が動いた。コンと何かが口の中で動いた音がした。赤い物が右から左へ移動した。
「あめ玉……」
小典の中で、記憶が繋がった。
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