第2話 祭り囃子と露店
横笛の音が高く舞い上がり、太鼓の音が低く地を這って、鉦鼓がそれらを絡めて調子を整える。
祭り囃子が響き渡っていた。
子どもたちの叫声と大人たちの楽しげな表情。露店を彩る様々な物と威勢のいい呼び込みの声。
南町奉行所同心、鞍家新右衛門小典は、
小高い丘に築かれたこの神社は、創建は千年を超え、神代の時代に遡るという。本殿に行くまでに、二百三十段を超える石段を登らないといけない、ということから、〝
創建の古い寺社仏閣というものは、その分、氏子が多い。近隣の信仰も篤く、将軍家をはじめ、大名家、有力旗本などの寄進も多く、季節ごとの祭りとなれば、盛大に盛り上がる。大都之輪坐神社もまさにそれだ。
自分の管轄地区にある、この由緒正しい神社の祭りには、半分は、ひやかしだが、半分は見廻りのために必ず来ている。なぜなら、こういった、祭の場では、スリや喧嘩が日常茶飯事に起こる。時には、犯罪のつなぎの場としても利用される。なので、同心としては、担当の地区の祭りに顔を出すのは当然だ。与力同心の黒い羽織を見るだけでも、犯罪の抑制にはなるからだ。また、氏子総代や地区の有力者との顔合わせも重要な仕事のひとつだ。地区の情報を一挙に知ることができるし、普段、なかなか顔を合わさない人物も、祭りという場の気にあてられてか口も滑らかになる。
小典は、すでに氏子総代に挨拶して、今は、広い境内の中を所狭しと占めている露店の間を歩いていた。
紙風船、細工飴、お面を売る店、天ぷら、鮨、蕎麦、饅頭、見世物小屋、などなどそれこそ千差万別、様々な店が並んでいた。
先ほど挨拶をしたとき、氏子総代をはじめ、関係者の表情も明るかった。この地区は、今のところ、とくに問題はないのだろう。そう考えると、小典の足取りも軽くなる。人々の波を縫って、ぐるりと店を冷やかしていると、気になる露店があった。
ちょうど、本殿の右側、露店が並ぶ一番奥、隠れるようにその店はあった。周りには子どもをはじめ女たちが取り囲んで楽しそうに笑っていた。
気になって小典も近づいてみる。
「チントンシャンで賽をふれ チントンシャンで賽をふれ」
豊かな声量で唱っている声が聞こえてくる。
「出た目のぶんだけ進むがよい」
こぎ見よい拍子で唱うのは、女の声だ。
見ている子どもたちは、皆、お腹を抱えて笑っている。つられて、周りの女たちも笑う。楽しげな雰囲気は、どの露店よりも顕著だ。その陽気に誘われてか、一人またひとりと見物客が増えていく。
「進めばそこは極楽か はたまたそこは地獄かえ」
そこに見物人の手拍子が加わる。
「賽の目だけが知っている」
その声が合図であったかのように手拍子も笑い声もピタリと止まる。皆、何かをのぞき込んで見ているようだ。小典も人々の一番後ろから覗いてみた。
――
目の前に、二体の人形が糸につられて立っていた。操っているのは、若い女だ。その女が、細長いへらのような板を流れるように動かすと、人形たちがまるで生きているように動いていく。
人形が、左右を見るように頭を振る。そして、下を向く。
「〝嗚呼!無情!獄卒に捕まり地獄へ戻る〟」
女は、しゃがれた声でそう叫んだ。まるで老爺の声のようであった。
ドッと観衆たちの笑い声が起こる。子どもたちはお腹を抱えて笑っている子も多い。小典は、人形の足下を見た。大きな丸で囲っていて、その中に獄卒たちとともに字が書いてある。女はそれを声色を変えて読んだらしい。
「じゃあ、今度はあたしの番だね」
女はそう言うと朗々と唱い出した。
「チントンシャンで賽をふれ チントンシャンで賽をふれ」
女は手拍子を促す。
「出た目のぶんだけ進むがよい」
手拍子は、唄を盛り上げる。
「進めばそこは極楽か はたまたそこは地獄かえ」
合いの手まで挟む者まで現れた。
「賽の目だけが知っている」
その唄の文句で、皆の手拍子も笑い声も合いの手も止まる。なぜなら、賽を振るからだ。
誰が。
人形が、である。
女は、先ほどの人形とは別の人形を器用に操り、人形が床に置いてある賽を持ち上げ、放るのである。
その動きの滑らかなことと見事に賽を放るのを皆、固唾を飲んで見守るのである。
確かに見事と言うほかない動きだ。小典もついつい魅入ってしまう。
賽が転がり、ゆっくりと止まる。出た目は、〝五〟であった。
「おお!」
と観衆が声を上げる。
「一つ、二つ、三つ……」
賽を振った人形が、五つ数えながら床に置いてある枡を移動していく。まるで、ほんとうに生きて歩いているようだ。
「五つ」
人形が下を見る。
「〝如来様のお迎えありて三マス進む〟」
今度は、幼子のような声色で女が言った。
その場が色めき立つ。人形が歩いて枡を移動する。
人形が三マス進んだ先は、『極楽浄土』と書かれてあった。
「はい。わたしの上がり」
女はニコリと笑った。
観衆から拍手や歓声が上がる。
「では、次の方」
女が言うと、いっせいに手が上がる。口々に自分だと言い募る。女は、その様子を見て微笑みながら、ふと小典の方に目をとめた。大きな瞳の中に警戒の色が流れたような気がした。
「そこの旦那さん」
女は、小典を呼んだ。見物人の視線がいっせいに小典を見る。
「どうです。一度なさいますか」
小典は改めて女の足下を眺める。
見物客に見やすいようにするためか、少し斜めになった板の上に様々な絵と文字が描かれたマスが幾つもならんでいびつな円を形作っていた。
「双六か」
小典は言った。
双六の歴史は古い。正確な起源は諸説あるらしいが、すでに遠く、王朝時代には貴族の遊びの一つとして広く知られていた。あまりに人々が夢中になることから、お上によって禁止令が出されたこともしばしばだ。今も賭博性のある双六は、公には禁止されている。
「銭を賭けている、わけではなさそうだ」
小典は、双六の前に置いてある漆器の入れ物の中をのぞき込んだ。色とりどりのあめ玉らしきものが入っている。
「ええ。銭ではなくて、あめ玉を賭けております」
女は妖艶に笑って言った。
「お代を頂戴し、わたしにひとマス差で勝てば、あめ玉二つ。二マス差で勝てばあめ玉三つ。三マス差で勝てば、あめ玉四つ。それ以上差があれば、入れ物ごと差し上げる、という次第です」
なるほどと、小典は頷いた。これだけ観衆が女、子どもが多いのも頷ける。
「負ければあめ玉はなしか」
「いいえ。とんでもない」
女は、大仰に笑う。
「負けたらあめ玉、ひとつ差し上げます」
「ほう。それは剛毅だな」
小典の言葉に女は快活に笑った。ひとしきり笑った後、
「これは失礼致しました」
と目尻の涙を拭きながら言った。
「何か面白いことを言ったか」
戸惑いつつもそれを面に表さないように小典は聞いた。
「いえ、今まで様々な土地で商売をやらせて頂きましたが、あめ玉をあげることに剛毅などとお褒め頂いたのは初めてでしたので」
女は、思い出したのかフフフと笑いを堪えながら言った。
「そ、そうか」
少し気恥ずかしくなってきた。
「それで、どうです。ひと勝負なさいますか」
周りの視線が小典に釘付けだ。
「いや。遠慮しておこう」
戸惑いを顔に出さずに言えたか自信はなかった。
そそくさとその場を離れる。
再び人混みに紛れ込んだ小典の耳に、「チントンシャンで賽を振れ チントンシャンで賽を振れ」と三度、女の唄が聞こえてきた。
その声色は、なぜだか耳の中に残った。
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