5-7 霧中の逃走劇

 **********



 太陽が西に傾き始めた。

 町の真ん中を通る、わりあい広くてまっすぐな坂道を、ポル、ルズア、スティンの三人は急ぎ足で下っていた。

 ほどなく進むと、正面に遠く町の門が見えてくる。門扉は大きく開け放たれて、まるで濃い緑の内臓をした化物が、ぽっかりと口を開けているようだ。

 その口へ勢いよく飛び込むように、三人は黙々と森を目指す。西向きの陽光に照らされた道は、白茶けて少し眩しい。


 森の入り口には、すぐにたどり着いた。

 ポルはそこで足を止める。

 石で補強した土台に、巨大な丸太を組んだ簡素な門は、スティンがちょっと跳び上がれば届きそうな低さだ。濡れたり乾いたりを繰り返したせいか、黒ずんでひび割れている。

 門の向こうには、緑に沈む細い獣道。少し向こうでぐにゃりとうねって、その先はほとんど見えなかった。

 ポルは手に握った小さな紙切れを開いて伸ばす。

 ペンで書かれた矢印が、ひとりでにふるふると回っていた。この門を出た先――南の少し南東寄りを矢印は指している。少し眺めていると、徐々に東へ動いていくようだった。

 どこかへ行く時、道に迷わないように道しるべとして方位魔術を使うことはよくあったが、人探しに使ったのは初めてだ。

 場所ではなく人にきちんと魔術が反応するのか不安だったが、どうやら成功しているらしい。いや、成功していると思いたい。

 そして仮に、この矢印が本当にシェンの居所を指しているのなら――ポルの読みはドンピシャで当たっていたわけだ。シェンはおそらく、ドレッドフェールに向かって町の南方にある谷沿いを下っている。

 ポルはもう一度、紙切れを握り直して道の先を見つめた。

 この先にシェンがいる。

 両隣にいるルズアとスティンをちらりちらりと振り返って、ゾクゾクと悪寒に似た、気持ちの悪い緊張を吞み下す。

 ポルは迷いなく、大股で町の外へと踏み出した。



 **********



 歩き回ること、数時間。

 真昼間に街で感じた小暑さはどこへやら、陽の当たらない森の底は、体の中から冷えてくるように薄ら寒い。

 片手でルズアの袖を掴んで進んでいたポルは、思わず空いた方の手で自分の肩をさすっていた。そういえば、リネンの寝巻きで歩いているのだから余計に寒いわけだ。

 がざがざがざ、ぱきぱき、と一歩進むごとに脛くらいまである草の根をかき分け、落ちた小枝を踏みくだく。

 足元にはもう、とっくに道はなかった。先に見えるのは、真っ黒な蜘蛛の巣のように行く手を阻む木の幹や枝と、視界の全面を塗り固める濃緑のドーム。そして、木の葉の間から差してくるオレンジの夕日が木漏れ日となって、満天の星のようにきらめいている。

 足を止めて、ルズアの袖を離す。袖と一緒に握りこんでいた紙切れを伸ばしてみると、乾いた黒インクの矢印が、やはりふるふると揺れていた。

 矢印の先は、ポルたちの進行方向まっすぐを指している。さっきと違って、揺れはするもののずっと一方向を示していた。

 ようは、シェンの進行方向とポルたちの進行方向がぴったり重なって、ちょうど直線状にポルたちがシェンを後ろから追いかけているというわけだ。この調子で単純にシェンより速く進むことができさえすれば、追いつける。

 その時。

 ポォーン……ホーン……ホォン……

 遠くからかすかに、やさしい角笛の音が耳に届いた。

 ポルは来た道を振り返る。ベスペンツァの木こりたちの合図だ。

『……町の門が閉まるわ』

 ポルはルズアの手に綴った。角笛の音が、やわらかい木の葉の天井に吸い込まれて消えていく。

 ルズアがぶっきらぼうに返した。

「今のはなんだ」

『ベスペンツァの木こりが吹く笛。たぶん、〝町に帰るぞ〟の合図よ……』

 ポルはルズアの顔を見る。ルズアはちょっと眉根を寄せて、どこでもない森を向いていた。

 スティンを振り返ると、彼はポルと同じように角笛の音のした方を見ている。

『木こりたちが町に帰ったら、門が閉まるわ。今すぐここから戻っても、たぶん門が閉まるまでに町には入れない』

「……これで野宿、かよ」

 ルズアが小声でぼやく。スティンが不安そうな顔で、ゆっくりこっちに向き直った。

『ランタン』

 ポルはそう綴って、スティンの方へ手を差し出す。

 スティンは戸惑い顔になると、慌てて白衣のポケットの中をまさぐった。腰のポケットから昼間ポルが創った紙を取り出し、ポルの手に押しつける。

 ポルはその紙を片手で広げると、反対の手で握っていた、矢印の書かれた紙切れを裏返す。そこには、細かく魔法陣が書かれていた。

 魔法陣を上にして、二枚の紙の端を重ねる。パッと金光が散った。

 紙をずらしてみると、上に重ねた紙切れの魔法陣が、下の紙に寸分たがわずコピーされている。

 ポルは下の紙に写った魔法陣をビリビリと破りとって、残った紙を顔も見ずにスティンへ返した。魔法陣をくるくる小さく筒状に巻くと、ランタンの持ち手を掲げるように握って、目を閉じる。

 指の間から、神々しい光が薄い膜のように漏れて、暗くなり始めた森の木々の間を白く照らした。握った拳の両側から、太い針金がにょろにょろと、黒くつやめきながら流線型に伸びていく。

 やがて針金の先は複雑にからみあい、形を変え、色を変え、瞬きする間に硝子筒の粗末なランタンを形づくった。魔法陣の光がぼっ! と音を立ててフラッシュしたかと思うと、その光はまあるくきれいに硝子筒の中へと収まって、煌々と燃えるろうそくになった。

 ポルはふう、とため息をつく。

 体が数倍重くなったかのように、鈍い疲労が襲ってくる。無意識に浅くなる呼吸を、軽快なため息と深呼吸でごまかした。気を引き締めるようにわざとらしく両拳を握ってみせ、こっそり震える足に力を入れる。

 ちょっとした疲れくらい、歩いて慣れさえすれば大丈夫だ。

 ポルはもう一度、紙切れに書いた矢印を確かめる。針路は少し東にずれていた。

 二人の顔を振り返りもせず、ルズアの袖をむんずと掴む。下生えが濃くなってきた木々の間を勢いよく踏み分けて、少し東へと再出発した。



 **********



 ヒィー……ヒィーョ……ヒィ……

 甲高くてか細い、横笛のおばけが嘆いてでもいるような音が、真っ暗闇の向こうから聞こえてくる。

 背筋が凍るくらい静かな、森の夜。

 ヒィ……ヒィヨォ……と、何かわからない不気味な声だけが、どこからともなくやってくるのみ。まるで底なしの暗がりが、ポルたちを誘おうと囁いているみたいだ。

 ほぼ無音の暗がりへ対抗するように、ポルはいつのまにか足を速めていた。ザク、ザク、バキバキ、と下草をかき分ける音が、森の幹や無数の枝の網目に反響する。

 鼻をツンとつく、青臭い植物のにおい。それに加えて、妙に湿っぽくて籠もった匂いがしてきた。ポルはしばらくそれに気がつかないふりをしていたが、やがて一瞬足を止めるとルズアの手に綴った。

『……ねえ、もしかして……やっぱり降る、わよね』

「もう近い」

 ルズアは鼻をひくつかせながら言った。

 ポルは後ろのスティンを振り返る。ポルの影越しに届くか細いランタンの光で、スティンの白い顔がぼんやり闇に浮かんでいた。

 小さく手招きすると、スティンは体を捻って木の幹や枝を避けながら、ポルのすぐ後ろに寄ってくる。

 ポルはランタンをスティンに渡して、足を動かしながら彼の空いた手に綴った。

『もうすぐ雨が来るって』

「……そうか。そんな気はしていたが」

 スティンはちらりと頭上を見る。とたんに足下の草に躓きかけた。

「きき、昨日一昨日みたいな大雨がきたらた、たまらないな。おい、追いかけ続けるにしても、あんなのじゃろくに進めない……」

『そうね、それはシェンも同じはずだわ。降ってからが勝負よ。降り出したらすぐに対策するわね。灯りは雨じゃ消えないようにつくったから大丈夫だし……』

「対策って……」

『うーん……大したことはできないかもしれないけど。簡易的な雨よけのかぶり物をつくるとか、体力が保ちそうなら雨よけの結界魔術を使ってみても――』

「あ、」

 突然スティンが立ち止まった。

「ポル嬢、」

 ポルも足を止める。ルズアもポルに引っ張られて、躓くように止まった。

「森が終わってる……」

 スティンの視線を追う。

 ポルたちの右手ずっと先の方――無数に生い茂る木の幹のわずかな隙間に、森の中の闇より明るい、濃灰色に曇った夜空が覗いていた。

 森の外から吹き込む風が、ほんのかすかに頬をなでていくような錯覚がした。咽せるように息苦しい、湿気った森の臭いが、届いてすらこないはずの風で少し薄まったようにも――

『出ましょう』

 ポルはルズアにそう言うと、森の出口の方へと踏み出した。

 しかし、ルズアは動かない。見ると、険しい顔であたりに耳をそばだてている。

「いや」

 ルズアがつぶやくように言った。

「中から行った方がいい。森の外から行ったら、こっちに気付かれた時森の中のほうへ逃げられる」

『それもそうね』

 ポルは再び矢印の書かれた紙片を取り出して、スティンの持つランタンにかざした。

 さっきまで痙攣するようにぴくぴく回っていた矢印は、今や震えるのをやめて、なめらかに揺れ動いていた。

 ゆらりと右へ触れ、ふらりと左に戻りを繰り返しながら、時計の長針が動くようにゆっくり南南東の方へ。

『動きが変わった』

 ポルはスティンに言った。スティンも矢印をのぞき込む。

「振れ幅が大きくなった……近づいてるのか」

 スティンがつぶやくと、わずかにルズアが頷いたような気がした。

『行くわよ』

 ポルは言うと、ルズアの袖を引っ張って南南東の方へ進み出した。

 念のため、できるだけ音を立てないように気をつけながら下草を踏む。

 しかしすぐに、今度はルズアが突然立ち止まった。

 ポルとスティンも慌てて足を止める。スティンがあたりを見回して、落ち着きなく言った。

「ど、どうし――」

「静かにしろ」

 ぴしゃりとルズアが遮る。

 静寂。


 ヒィーョ……ヒィ……

 再び、正体不明のもの悲しい声が、遠くから三人を呼ぶ。

 ポルは今さら寒心に耐えなくなって、ぞわりと鳥肌が立った。

 スティンもきょろきょろしながら、息を潜めているようだ。

 ヒィー……ヒィーョォ……

「見つけたぞ、クソチビ 」

 地の底から響くようにおどろおどろしい声で、ルズアがささやいた。

 びきびきと音がしそうなほど、満面でにんまりと笑う。

 ルズアはそのまま、今度はポルを引っ張らんばかりに下生えをかき分け始めた。

「逃げられると思うなよ……」

 狂気すら孕んだルズアの眼光に、ポルは夜の森へ感じていた不気味さが全部どうでも良くなってしまった。

 底なし闇のつかみ所ない恐怖より、目と鼻の先で牙を剥いている猛獣のほうが、はるかに危険なのは当然だ。ポルは神経に直接突き刺さる危機感にあらがえず、黙ってルズアの進むままについていった。


 草木をかきわけ、森の中がわへと大きく円弧を描くように歩く。

 ちらりちらりと目の端で紙切れの矢印を確かめながら、ポルは必死でルズアに合わせて足を動かした。

 さっきまでポル達の行く手を指していた矢印が、突然ぐいんと回って、ゆっくりと森の終わりの方を指し示す。進行方向の右九十度近くを指したところで、ルズアが足を止めた。

 ポルとスティンも、つんのめるように止まる。

『もしかして、すれ違ったの?』

「いや……」

 ルズアが言い澱み、静かになる。彼の視線は、まっすぐ森の外の方向をみていた。

 ポルも息を潜めて、同じ方に目をやる。


 ヒィー……ヒィヨォ……ヒィ……


 冷たい森の叫びに、耳を研ぎ澄ます。

 その時。

 わずかに、カサ……ガザリ……と視線の先から音がした。

「追え!」

 突如、ルズアが叫んだ。

 ポルは跳ね上がる。足がもつれて、下草に足首が絡まった。

「ポル、走れ!」

 同時に、ガサガサガサ! と激しい葉ずれの音が、さっきまで見ていた方から聞こえてきた。ポルはとにかく足の力で絡みついた草を引きちぎり、転がるように闇の中へ駆け出した。

「お前は進む方向から回れ!」

 後ろで、ルズアがスティンに指図しているのが聞こえた。どうやら、三手に分かれて挟み撃ちするつもりらしい。

 どさ、と少し先で大きなものが木の上から降りてきた音。ポルは思い切り地面を蹴って距離を詰める。木が邪魔でまっすぐ走れない。鬱陶しい。

 小さな二つの足音が、葉ずれとともに遠ざかっていく。

 相手の足は速かった。気を抜いたら引き離される。邪魔な枝が頰を切り、足を切った。

 木の根に躓いて、目の前に地面が迫る。とっさに片手をついて、足を大きく踏み出すと体勢を整える。

 顔を上げた瞬間、森の終わりから差し込んでくる薄灰色の夜空の光に、長い髪をくるりくるりと翻す、小さなシルエットが浮かんで見えた。


 シェンだ――

 そう思った瞬間、小さなシルエットが木の隙間から灰色の光の中へ飛び出した。

 青い服と黒い髪が、夜空の明るさでぼんやりわかる。

 ポルはラストスパートをかけるように、スピードを上げて森の終わりを目指す。小さな姿は一瞬迷って、左へ方向転換した。

 ポルも左へ針路を変える。森の外からの風が、頰に滲む汗をさらっていった。

 木と木の隙間が広がってきて、さっきより走りやすい――と思った矢先。

 パッと森がなくなった。

 とっさに足を止める。


 正面には、うぅうぅ……と風が吹き抜ける、深い谷。

 下を見ると、ポルの足があるところから細い道一本分くらいで、地面がなくなっていた。

 森を抜けた先は谷だったのだ。闇の向こうにかろうじて、こちらと同じくらいの高さにある谷の対岸が見えた。

 はるか下から吹き上げてくる氷のような風に、ポルは身震いした。

 しかしそれも束の間、むき出しの土を蹴って左へ駆け出す。

 落ちないよう無意識で慎重になるせいか、森の中を走るより足が遅くなる。

 シェンの姿は随分先にいた。行く手に続く谷の縁は、少し下り坂になっている。シェンの頭が、ポルより頭一つ分も下にみえた。


 その瞬間。

 先を行くシェンのさらに前へ、白いかげが躍り出た。

 ランタンの灯りにゆらりと照らされた白――白衣の色。スティンだ。

 シェンは驚いたのか、一瞬たたらを踏んだ。

 ポルはその隙に、ガザッ! とあえて音を立てて森の中へ飛び込む。

 木の隙間からシェンの姿を透かし見て、走りながら少しずつ回り込む。曲線を描くようにシェンへじりじりと近づいていく。

 シェンは森の中へ逃げ込めないことを察したのか、スティンの目の前で一歩、二歩、と後ずさりする。

 いまだ! とばかり、足を止めているシェンのかげへポルは一直線に突っ込んだ。

 ぱん、と視界が開ける。


 灰色に塗りつぶされた背景の真ん中に、こちらを振り返ったシェンの顔。

 青白い肌の上で、真っ赤に上気した頰と唇がぼんやりと浮かび上がる。

 シェンは谷に背を向けて、ざり……と崖っぷちぎりぎりまで後ずさった。

「お許しくださイ」

 ささやくような声が震えていた。

 怯えたハツカネズミの鳴き声みたいだ。

 草の根のように蒼白な指で、シェンは肩からかけたポルのカバンの紐をぎゅっと握った。

「行かなければならなかったんでス。どうしてモ……我の身一つでは、だめだと思っテ」

 影に沈んだシェンの瞳に、みるみる涙が溜まっていく。ランタンの明かりに点々と照らされた雫が、ぽつりぽつり光りながらシェンの頰を伝った。

 ポルはうろたえて、スティンに目をやった。

 スティンの顔は困惑しきっている。ポルとシェンの顔を交互に見ながら突っ立っていた。

 ポルはスティンと視線を合わせると、シェンの方へ軽く顎をしゃくった。

 スティンはぴくりと震えて、

「シェン嬢――行かなければならなかった、とは」

「母国に……」

 シェンは涙の向こうから、突き刺すようにポルを見た。

「お読みになったんではないのですカ、ポルさン」

 ポルはもう一度、スティンに目配せする。スティンは慌てて喋った。

「ああ、し、新聞なら、僕たちは読んだ。だから来たんだ」

「荷物を取り返すためでは、ないト?」

 シェンの涙声が大きくなる。スティンは少し身を乗り出して、

「シェン嬢は、本気でエン国に帰るつもりなのか」

「对」

 シェンは顔を隠すようにうつむく。その拍子に、またぞろぼとぼとと雫が落ちた。

「まさか、それを聞くために……じゃないです、よ、ネ」

「ああ、それだけ……じゃない。し、シェン嬢……行きたいのはいいが、今は行くべき時では――」

「そんなこと言ったって、い、いつ、行けって言うんで、すカ」

 ついにシェンはしゃくり上げ始めた。

 スティンはますます眉尻を下げて、助けを求めるようにポルを見る。

 ポルは再びスティンと視線を合わせると、小さくうなずいた。

「と、とにかく今は得策じゃない。危険すぎる……シェン嬢もそう思ってるんじゃないのか? 向こうに着いて、神国軍に見つかったら――」

「それでもでス!」

 シェンが叫んだ。こっちへ詰め寄って来んばかりの勢いで、前のめりにポルとスティンを睨め付ける。

 ここで怯むわけにはいかない。ポルはもう一度腹を決めなおして、シェンを睨め返した。


「だったらよぉ」

 突然、右から底冷えするような声。

 全員がそちらを振り向く。

 真っ暗で先の見えない崖っぷちの小道から、ゆらり、ゆらり、と揺れる人影が近づいてくる。

「俺らの荷物は置いてってもらわねえとなァ」

 人影の手元で、何かがぎらりと光った。

 目を凝らして見る。それは、ランタンの灯りを反射する鋼色の刃だった。

「置いていくなら、どこに行くなり勝手にしろ。持っていくつもりなら、そうだな……てめぇは今ここで首だけ崖から真っ逆さまだ」

 ランタンの光の輪の中に、ゆらぁり……とルズアの姿が現れた。

 血肉を前にした獣のような狂気じみた目つきに、口の端で微笑を浮かべ、抜いた剣を構えもせずにぷらぷら片手で引っさげている。

「どうする?」

 ルズアはシェンの横で足を止めた。

 崖を背にしてポル達に囲まれる格好になったシェンは、さらに顔をくしゃくしゃにして、ルズアを見上げた。

「……あんまりでス」

 ずず、と洟をすする。

「よからぬことをしたことはわかっていまス……でも、お願いですから……我は祖国まで無事で辿り着かなければ――」

「うるせえなあ」

 ルズアが大儀そうに言った。

「言い方を変えてやる。てめぇはどこまでヤる気なんだ? あ?」

「ルズア殿……そんな」

 見兼ねたスティンが、ついに口を挟んだ。

 ルズアは彼には目もくれず、シェンをずいっと見下した。

「答えろ、クソチビ。どうやってケジメをつける気だ? 裏切ったんならてめえでケリをつけるこったな」

「ケリ?」

 震える声でシェンが答える。

「そうだ。俺らの荷物を置いて逃げるか、それともそれを持ってここでシメられるか――」

 ルズアはゆっくりと口の端を持ち上げた。

「――それともてめえだけで俺たちを全員倒していくか? できるもんならな」

 シェンは押し黙る。

 スティンが耐えられなくなったように口を開いた。

「ル、ルズア殿。それくらいにしてくれないか……僕たちの目的はそういうことじゃ――」

「半端なことしてんじゃねえっつってんだろ!」

 突然の怒鳴り声に、ポルもシェンもスティンも飛び上がった。

 ルズアは一層声を低めて、

「見えてんだよ、クソチビ。ちんたらベソなんぞかいて、こいつらの腰が引けてる間に隙を見てトンズラするつもりなのがよォ……声も姿勢も喋り方も足音もそうだ、てめえが胡散臭え笑いを貼っつけて、都合が悪くなったらずらかるときの臭いと同じだ。クソチビ……俺はこいつらのようにはいかねえぞ」

 ルズアはす、と剣を構えて、切っ先をシェンに向けた。

「残念だったな」


 シェンは一秒、二秒、信じられないものを見るような目でルズアの剣を柄から切っ先へと目でなぞった。

 そして次の瞬間、勢いよく涙を服の袖で拭い、チッ……とこれ見よがしに舌打ちした。

「ほんっとうに面倒臭い方ですネ」

 シェンの顔には、怒りと不愉快がありありと表れていた。さっきまでの悲壮感に溺れた表情は影も形もない。

「はん、そう言うならいいぜ。可哀想なおチビちゃんのためにちったぁ譲歩してやろうじゃねえか。ポル」

 ポルは突然呼ばれて、ぎくりと身を震わせる。

 ルズアはシェンを睨んだまま、

「こいつが荷物を返したら、涙金くらいくれてやれ。これで俺たちもあの世で地獄に落ちずに済むかもなァ」

 いくらなんでも言い過ぎだ、とポルはとっさに思った。スティンはそれどころじゃないとばかりに口をパクパクしているし、なんとか取り繕う手立てを頭の中で瞬時に考える。

 しかしそれより速く、シェンが懐から双節棍を抜き放っていた。ポルは反射的に双節棍へ手を伸ばす。

 今から本気でやりあうつもりにしたって、こんな場所じゃ――

 瞬間。

 シェンはポルの手を避けるように仰け反ると、

「再見!」

 ひゅ、という音とともに、消えた。

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