『畏れを薪として再度起動せよ。君は屁理屈と、そしてイカサマで立ち上がれ。』
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ーーー。
肯定したのだから、ベルギットは彼に与えた。
それは過去に強者として名を連ねた機械兵の残り香である。
『蟲喰いハロルド』は雲林奏愛の刃に倒れ、その生涯を終えさせられた。
思えばハロルドにも大した野心も大義も無かったが故に、甘んじて敗北の末の死を受け入れたのだろう。
禁術ではないにしろ、常軌は逸している施術とは『核』を複数投与する事である。
彼の核は貫かれ、そして穿たれたが、砕かれてはいなかったからこそ、ベルギットはレジェーラに何度も行った様に修復をしたのだ。
しかし改修に耐えられる程の純度も強度もその核には無く、最低限の状態でソレは捨て置かれていた。
そこに現れたのが帝国軍からの離反者であり、空論の存在であった『ブラッディ・メカニカル』に最も間近に迫っていた彼、神成神奈斗であった。
得体の知れぬ智慧を受け入れる覚悟とは、決して孵らぬ外殻からの逃避と表裏一体の精神論。
ーーベルギットの知人の医師であり、過去に機械兵にはならなかったガエリオと共に、ベルギットは神奈斗自身に発芽した核以外に新たにもう一つを与えた。
恐ろしい執念を持つ青年の、覇気と邪気に脅されたかの様に。
神奈斗へ埋め込んだそれこそが、『蟲喰いハロルド』の特殊兵装『メカニカル・バイオ』だ。
ガリー・ゲルドハルドよりもずっと効果的な毒素を創り出す兵装を持って尚も、一人の異能力者に敗北を喫した理由は単純に、それ以外の地力の欠如である。
「ハロルド・レアニアル少尉。 君の遺産は相応の者に継がれたよ。
ーーだから、既に力を貸しているのかもしれないが、君の核が果てるまで、その子を護ってやってくれ」
継承と呼べば聞こえの良い。 だが、こんなもの、こんなものは唯の呪いに過ぎない。
しかし、善いではないか。 ましてや人的資源で食い合うばかりの戦場で、何が善く、何が愚かなど、誰が決め付けられようか。
神奈斗の意志の中に、レアニアル少尉の人格が宿る訳でも無い。
故に切り札が表れるタイミングは彼自身が決めるのだ。
「私が知る限り、直ぐに君に与えられる中では最上級の『JOKER』だ。
神成神奈斗三等兵。 君は一体何に成る?!》》」
レアニアル少尉は過去に雲林奏愛が交戦した中でも指折りの特異さを持っていた。
その毒素の正体は不確定であり、使用者があの世に逝ったから、解毒の術を帝国軍は知り得ない……知れる筈もない。
ーー。
「神奈斗、貴方は……」
切り札を最後まで隠し持つに値する程に雲林奏愛は弱くない。
異能力者、彼等『宇宙ナメクジ』の特異の源が、その体を流れる血であればーーなどと、ハロルド・レアニアルは浅はかな推測を棄て、根本の要因を根絶しようとしたのだ。
しかし根絶には至らず、その効力は阻害に留まった。
奏愛の心音は今はもう響かない。
鎮静剤に近しい効力は確実に異能力者の破壊性能の根幹、その心臓の常識外れの脈動を阻害する事に重点を置いた毒物。
常人に打ち込めば衰弱死してしまう程の、安楽死を誘う劇薬は既に、一番初めに神奈斗が撃ち込んだ銃弾に含まれていた。
「感謝するよ。
利用した手向けを貴方に送る事は出来ないが、無念は晴らすーー」
奏愛は動揺している。 明らかに動揺し、息を荒げ滝の様に汗を流している。
この感情は危機感であり、これを感じる事は久しい。
そして久しいからこそ、記憶の奥底からあの人物の姿と声と、その兵装を思い起こすのだ。
神奈斗からすればずっと身近にあった感覚が、奏愛の意識に近付いて来ている、否、もう既に体内に存在する。
『死』の予感が彼女の手に異能の電撃を握らせ、そして指を立てて放つのは機械兵を貫く貫手だ。
そして、その瞬間に奏愛は気付いたのだ。
ノイズを孕んでいた神奈斗の声は既に正常に戻り、破壊した身体の部位は急所となる箇所は修復を終え、背面から展開されている機構は影を潜めていた。
異能力封じの薬物『致死性鎮静毒クワイエット』の効力は既に発揮されーー次はその即死級の殺傷力の貫手を掴み止めた。
ドっと噴き出した冷や汗と、湧き上がる悪寒。
対象に追い付く為の自己強化が、それだけが対象を斃す手段ではないだろう。
対象の地力を引き摺り落とす。
猛禽類の翼を脚を引き千切り、そして猛獣の牙も爪もへし折る事こそ、言わば兵法、言わば正攻法。
だから、雲林奏愛が強制させられたのは、その人ならざる心臓による発電の鈍化であった。
ーーそうだ。 身構えなくてはならない……しかしもう遅いのだ。
奏愛は神奈斗からすれば遥かに格上の存在であり、元より彼の想定する相手は常に自身よりも強力な人外達。
だが、だがしかし、しかし、故に彼は知っている。
機械兵ではない異能力者達は、源の
奏愛の手首を掴んだ瞬間であった。 それと同時に敢行するのは、彼女に仕込まれた徒手空拳の初歩。
腰を落とし、足で踏み締め、臀部から背筋を伝い先端の掌底へと一瞬で力を込める超近距離の打撃が、やはり正攻法として彼女の鳩尾へと突き刺さった。
結局の所はコレだ。 コレに行き着くのだ。
だから少年期の神成神奈斗を拾った、同じく少女期の雲林奏愛は覚え込ませた。
銃も刃物も、使えるありとあらゆる凶器と成り果てる得物が使えなくとも、そして機械兵でなくとも異能力者でなくとも。
人の枠を超えた人と人の殻を棄てた人が殺し合わなければならないのならば、拳という最弱の武器を人は持たねばならないのだ。
だが、帝国軍異能力者部隊、特殊兵団アザーにて上位に名を連ねる奏愛には、その毒は致死に至らず。
けれども彼女の記憶の中にて、その毒は彼女の過去の対峙者を思い出させる。
ーー忘れもしない。 その男は自信が討滅するまでに異能力者を二桁殺害したのだ。
機械兵団にて、隊長でも副隊長でも、名を轟かせた上位者でもないその男が。
「蟲喰いハロルド……っ!」
殺人機構も対物兵装も持たなかったハロルド・レアニアルの得物は、神成神奈斗と同じ様に既製品の拳銃であり、特異な兵装の本質は装填する弾丸にあった。
『良いか、貴様は舐め過ぎているのだ。 機械兵を討つならば確実に『核』を砕け』
レアニアルの覇気の無かったくたびれた顔付きと同時に、自身の親代わりであった前ランク1、ヴァルキュリアの言葉を思い出した。
ーーだが、少し位は言い訳をしても良いだろう。
ましてや彼女も物心を理解した時に、既に刃物を持つ程度には戦場で生きてきたが、こんなケースは稀なのだ。
あの時も砕く事をしなかったレアニアルの『核』を、目の前の『ブラッディ・メカニカル』が持っていたなど、誰も想像出来るものではない。
神成神奈斗に得ることの出来る中での最大限の『JOKER』。
当然の如く、切り札は既に切ってる。
そして雲林奏愛はもう一つの刃物を抜いた。
得物の長さは短刀であり、だが刃幅は厚く、それこそこれを抜いた前回というのは『蟲喰いハロルド』と交戦した時以来であった。
地に落ちた神奈斗の血と油に塗れた『八ツ裂キ』を拾い上げる為に、その為だけに抜刀され、自身の手を握り止める彼の腕を切り落とす為だけにーー。
「見えてるし、今はもう、見なくとも構わんッ」
奏愛は焦っていたのだ。 己の行動の制限を解除するのではなく、はなっから対象の急所を突けば良いだけの話であったのに。
機械仕掛けの兵装精製も、異能力の使用も今は必要無い。
心中に波を起こしてやれば必然として、容易く付け入る隙も表れるものだ。
今や心臓の超稼働による音速の体躯の稼働も、人外の剛力も封じ、鈍痛と苦悶の責め苦は彼女へと叩き込める。
ハロルドにはその技量は無かったのだが、神奈斗は違う。
機械仕掛けの核は武装の精製に対するキャパシティが底を尽き、宇宙ナメクジの血は彼の傷を塞いで鼓動を弱めた。
第三機械兵団所属の神成神奈斗三等兵は、日が変わるまでは過去のままの幼気な存在に落ちぶれたのだ。
ーーしかし、それでも、何体もの機械兵を屠ってきたのだ。
一つは破壊され、二つは弾を切らし、二つは引き抜く隙を見いだせず。
五つの拳銃は今は当てにはならず、ならば、ならばと立ち返るのは、奢れば死に腐るあの時の己。
すぐ様に断ち切る剣戟の軌道から腕を引き抜き、本命の太刀を拾いに向かう奏愛に彼は食ってかかる。
手負いの戦闘者程侮れないのは彼も良く知り、故に銃を抜かずに『八ツ裂キ』の一閃は、その柄を踏み抜き静止させた。
「ーーいいね」
右脚で止め、そして左脚は強烈に奏愛の延髄を蹴り込んだ。
武装精製が打ち止めになる直前に、皮膚の下に仕込まれた一枚の硬く薄い合金でさえ、彼は利用する為に……こうなる事を初めから仮定していたのだ。
だが、どうだ。 やはり雲林奏愛も、源である心臓に薬品を受けて尚も、常人以上には動くのだからまだまだケリはつかない。
わざと衝撃を逃す為に派手に蹴り飛ばされ、その後はぬるりと無機質に立ち上がって二刀を握る手は既に力を込めており、一刀にて両断するのだ。
脳天直下の斬撃は、彼女の技量もそうではあるが大業物が故に、食い込めばその刃は肉と骨を割いて地まで届くのだ。
(相も変わらずとんでもない)
剣聖。 銃と兵器のばかりの中で、雲林奏愛は刃で生き延び戦い続けている。
だが足りない。 神成神奈斗は隊列に連なる一兵ではなく、
ーー僅かに、ほんの僅かに神奈斗は上体を逸らせば人体をカチ割る一閃は空を斬り、空の中で跳ね上がった。
誰が呼び、誰が名付けたか、地表を抉る兜割りはカチ上げる軌道へと急激に変速させる『燕返し』は、神奈斗の胴体を逆袈裟に引き裂こうとするが、彼はソレを異能も使わずに読んでいた。
見えているのだ、着実に焦燥感を蓄えたその視線がーー。
だから付け入る隙が存在する。
ハロルドでは成しえなかった、何故ならば彼は神奈斗程に命を賭す事に執着を持たなかったからだ。
止まらない。 剣が止まらない。 既に足は死の領域、何時しか、何時からか、心地良さすら片隅に感じる神奈斗とは裏腹に奏愛は不意に訪れた感覚に均衡を崩されている。
「ようやく降りてきたかよ」
奏愛は引き裂き切り裂く為に目を見開き、歯を食い締めた。
ただそれだけを考え、それ以外を棄てたのだろう。
一閃を見切り、突き刺しを掻い潜り、僅かに彼女の身体の動きと剣捌きが大きくなった瞬間に、彼は銃ではなく拳を握った。
斬撃の軌道とその速度、そして対象の位置関係ーー斬り裂けると判断し、ならばと奏愛は彼の腹部を切り離すべく放った。
「ーー遅い」
「遅くはーーないッ!」
何も神奈斗も人の枠を超えた挙動を今行ってなどいなかった。
けれども、これこそ彼の経験則が可能とする踏み込んで自らの身体で止めるという事だ。
多少の裂傷など気に止めぬ、肉を切らせて骨を断つという諺を地力で往く攻勢が、凛とした雰囲気ばかりを醸し出す奏愛の頬に突き刺さった。
二十歳にも満たない少女である事は周知の事実だが、しかしそれ以上に、彼女は悪魔だ。 悪魔を超えた悪魔なのだ。
類稀なる強力な毒素を撃ち込んで、そしてそれが浸透してようやく常人以上程度に堕ちた今で、ようやく唯の強者となった。
「ーー遅い」
歯が折れ口内が裂け、ようやく体内から血が流れたが未だ倒れる事は無い。
業突く張りにアレもコレも差し出し与えられた神成神奈斗。
同胞の盾として一度は立ち上がったハロルド・レアニアル。
何度も何度も破壊されては修復され弄び尽くされたレジェーラ・クリオファール。
そして先刻、二度目の生きるチャンスを自ら棄て斬り捨てられ死に絶えたレオン・グリード。
何度か、何度も、何度でも立ち上がった機械兵達が立ち上がる不屈なのであれば、彼女は、雲林奏愛は倒れぬ不屈なのだ。
倒れぬ、中々に倒れないが確実に効いている。
奏愛の軍服に隠れた華奢な見た目の脚は確実に震え、膝も落ち始めた。
右の頬を殴り、左側からは顎を揺らされ、だが反撃として彼の腹部に当たったままの刃を全力で引く。
臓器に届かないのであれば神奈斗は怯えず、決してひるまないが故に止まらず追撃を掛けた。
顎を叩き脳を揺らし、そして追撃はこめかみを中指第二関節を曲げた中高一本拳を刺す。
ドロドロと溶けた視界に加え、腕は痺れ、足元からは大量の蟻が這い上がる感覚ーー四方八方塞がりの窮地と呼べる窮地にて、相対するは死線で戦い続けてきたこの男なのだ。
そして、連撃の締め括りとして掌底が奏愛の顎を突き上げた。
「……倒れろよ」
「ーー倒れないよ」
異能も核も打ち止めとなった神奈斗ではあるが、いや、だからこそ彼は己の強化に留まらずに、言わば卑劣と呼ばれる策を敢行したのだ。
互いに現状、切れる手札は凶器の仕様と肉体の行使のみ。
同じなのだ。 今、二人は確実に『人』の域で闘うしかない。
「私は、私よりも弱い奴に」
故にどちらも退く事を選ばない。
初めから何もかもを持って産まれた奏愛も、後から何もかもを奪い与えられた神奈斗も、ようやく同じ土俵に立ったのだ。
そして奏愛は宣言する。 戦術兵器並に人を殺す事が可能である本調子でなくともーー。
「私よりも弱い奴に、私は負けてはあげない……ッ!!」
産まれた時から強者であるが故に。 生存し続けた強者であるが故に。
故に故に、『ブラッディ・メカニカル』が空論から飛び出したとしても、幾度となく陥った窮地の内の一回に変わりはないのならば、決して彼女は倒れず、決して彼女は負けるつもりは無い。
ーーだが、相対する男は最強格に鎮座する成り上がりなのだ。
凡夫として産まれ、結果戦い続けたが為に強者と成り果てる。 その執念は恐ろしいものだ。 とてもとても、神奈斗の執念は恐ろしいものなのだ。
苦痛に己の全てを歪ませ、そして歪みすら正常であると信じ込んだならば、後で生える身体など幾らでもくれてやる。
「……なんで」
あくまでも銃を抜かない。 あれだけ生きる上で戦う上で頼ってきた武器を神奈斗は抜かずに、フェイクとして動作だけを見せた。
「くれてやる」
八ツ裂キによる縦一刀両断の剣戟を迎えるのは真っ当な肉と骨の腕だ。
血も輝かず、鉄もなりを潜め、身体と得物での闘争の最中にて、神奈斗は右腕を差し出した。
鎖と変形する塊を創り出していたレオン・グリードの核は砕いた。
毒薬を精製したハロルド・レアニアルの核も使い潰させた。
彼の元の血を瀉血した宇宙ナメクジの少女の血でも、切断の傷痕は直ぐ様に回復など出来ない。
「最後のJOKERだーー!」
切り離された自らの右腕に彼は一瞥もくれずに、その切り口から血と共に吐き出した。
雲林奏恵が感知する人のものでは無い何かの電気信号を唯一掻い潜る手段とは、隠し通す事に他ならない。
トランプで遊ぶのではないのだ。 遊戯とはルールが有るからこそ遊びとして成り立ち、しかし今は無法地帯で無法者達が殺し合う戦場だ。
『突射近接破壊杭パイルバンカー』は慣れ親しんだ得物が拳銃である神奈斗が、近距離の破壊性能を補う為に創り出した他愛も無い消去法の兵器。
「ーー全部、アレもコレもくれてやる」
対装甲車、対機甲兵、そして想定する対象とは人の身に非ず。
だからこそ効くだろう。
「遅い」
しかし、奏恵のその得物はきっと折れぬのだろう。
宇宙ナメクジ達に、その異能力を帯びさせる事を前提として創り出され与えられた武装は、やはりやはり強固なモノだろう。
ましてや、その銘は『八ツ裂キ』。
機械兵達の硬質の身体を斬り捨て、機動兵器を引き裂き、そしてその刀は過去に戦艦すらも制圧した。
強く産まれた者が、俗世に存在していけない武装を持つなどとーーいや、だからこそ、立ち塞がる意義があるのだ。
何度でも立ち上がるのだ。 何度も立ち上がり、そして何度も戦うのだ。
強くありたまえ、強くあり続けたまえ。 そうであれば、きっと君は死ぬ迄折れる事は無いのだから。
「遅くても、構わないッ!!」
最強の剣は最強の盾である。 だが構わない。
悪魔的に己よりも強い者に、その全てを壊される事を受け入れる程に彼は強くはない。
強者の前に立った。 強者は人智を超えた神秘を振るい、そして度を越した凶器を翳した。
怪物め。 外界から来た化物め。 星界から零れた悪鬼め。
けれども逃げる選択などありはしない。 差し出すなどありえない。
ずっと、ずっとずっと、神成神奈斗は自ら望んで死の門の前で立ち続け、立ち続ける。
闇から逃れて何処へ行く?
血の匂いを染み着かせ何処へ行く?
朽ちた道徳。 腐った魂。 血は穢れ、肉は犯され、骨は歪んだ。
討つべきと信じた悪魔達と肩を並べる程に、遂に狂っている……業突く張りは外法でしか人を超える術を知らぬのだ。
その姿は語られるべき英霊とは程遠く、寧ろその対局に位置する討たれるべき化物としか見えない。
「……最高だね」
何処までもクソったれの人面獣心の
大義も無く、仁義も無く、主義も無く、名義も無く、律儀も無く、忠義も無く、道義も無くーー正義などありはしない。
しかし、ソレで良い。 存分に闘い、過剰に殺し、無価値に情け容赦無く殺されて朽ち果てたまえ。
「神奈斗。 惚 れ そ う だ よ 」
そして相対する悪魔はその殺意を好意とし、自らにこれから与えられる最高の一撃を良しとする。
大業物の人斬り包丁の防御を解き、パイルバンカーの切っ先を、奏恵は自らの左胸に添えた。
彼の2つ目の切り
しかし神奈斗にとって例外の一手。 しかし決行を揺るがす程の想定外ではないし、彼は信じるのだーーこの女が白旗を上げるつもりなど毛頭無いと言う事を。
(何を見せてくれる!?)
持てるもの全てを注ぎ込んだ今、神奈斗は盲信していた。
現時点での現世界にて最強格の一人にここまで血を流させた事実は、真偽は分からないがきっとあと一歩のところまで追い込んでいるのだと。
やれる事は全てやった。 持ったモノを全て使い、使えるモノは全て使った。
これで勝利に届かぬのであれば、待ち受けるのは絶望なのだろうが、馬鹿な彼には降参の二文字は存在しない。
「来なよ」
ーーそして起爆装置は起動する。
拳銃の機構とは程遠い頑強で巨大な撃鉄は作動し、起爆の火薬は多量であり爆音を立てる。
僅か数十センチ突出させる為だけに自壊する程の発破力によって、奏恵は吹き飛んだ。
ーー小さな人形が大柄な男に蹴られた様に、面白い程に華奢な彼女は吹き飛ぶ。
異能も展開させずに封じられ、多少厚手の軍服と下に着た白いシャツしか防御する物もない左胸に、神奈斗は持ちうる限りの最大出力で対装甲車兵装の一撃を叩き込んだ。
一体何メートル宙に浮き、そこから一体何メートル弾んだのか。
瓦礫を吹き飛ばし粉塵を舞い上がらせて、奏恵は神奈斗の視界から消えた。
彼の右腕は自壊する程の火薬量により傷口を焼き、僥倖にもそれは止血の役割を果たしたが、もはや流石に次発の一撃は放てない。
切断面とそれの焼却による激痛を感じながらも、神奈斗はゆっくりと確かに歩を進める。
まだだ、まだ恐らく、まだきっと絶対に奏恵は死んでなどいないーー。
「……はぁッ! ……はぁッ! 生きてるんだろ……ッ!?」
言うなれば第六感が神奈斗の脳髄を走る。
相対するは悪魔。 悪魔を超えた悪魔だ。
手足を千切る程度であの女は死なない、頭を吹き飛ばす位で丁度いい。
二つの眼球と二つの耳を潰した上で、一方的に弾丸を撃つくらいが対等に渡り合える。
「ーーお前、一体どこまで!」
だからせめて、確実に奏愛の左胸の肉を貫き骨を砕いたのだから、地に伏せる程度には致命傷を負わせたと浅はかに思ったのだ。
トドメは、今引き抜いた何の変哲も無いただ強いだけの拳銃。
炸裂焼夷弾頭弾を専用とした、未だ下ろしたての銀色の大口径大型自動式拳銃だ。
怪異と異質の神秘ごと破砕し焼き払う為の、連合軍に身を移した神奈斗が初めて支給された特注の銃。
臨戦態勢はまだ崩れておらず、荘厳で無骨な縦二連の銃口から弾丸を吐き出す為に、その重厚なスライド部を噛み付き引いた。
右腕が無いのだ。 しかし、瞬間に修復出来なくともいずれはーー。
「化物。 化物め! 悪魔ッ!! 『八つ裂き雲林』ッ!! お前は一体何処まで、底を見せないッ?!」
粉塵の内部から迸る稲妻と、そして聞こえるのは心臓の鼓動の音。
『致死性鎮静毒クワイエット』によって、異能の源である心臓を止められたはずの雲林奏愛は、並の戦士を戦々恐々させる魑魅魍魎の一手により異能力者として帰還を果たした。
彼女は歩く。 自らが現在進行形で垂れ流す血溜まりの道を。
右手は自らの血でズブ濡れ、左胸の傷口からも滝の様に、身体に収まらない程の血を流している。
短絡的思考回路の持ち主であるからこそ、雲林奏恵は直ぐに気付いて真っ先に治療と言うには外法を行った。
蟲喰いハロルドとの一度目の交戦時には対処法を発想するに至らずに、同胞である異能力者に助けられ、そして二度目には彼女は真っ向から逃げとして叩き潰した。
三度目の正直とはこの事、起死回生の電撃は人を死に至らしめる程ではなかったのだろうが、彼女の心臓を再び再動させるには充分だったのだろう。
「バケモノ」
距離にしてーー凡そ50メートル。
ゆっくりと身体の何処も引き摺らない健常な歩き姿で奏恵は歩を進める。
「バケモノ」
きっと、彼の持つ人型を想定するには余りにも仰々しいまでの見てくれの新型の銃を見て尚も、彼女は止まらない。
寄って、そして、斬る。 離れて、そして、斬る。
見て、聞いて、嗅いで、触れて、そして、斬る。
ーーけれどもまだ心臓の鼓動は、もっともっと強くなれるはずであると思うと、奏愛は自らの左胸の傷に再び手を入れた。
「バケモノ」
自らを焼き切らんとばかりに、自らの内で電撃を回す回生行為により、正しく剥き出しの
だが、これこそが人の枠を超えた存在であり、そうでなくてはならない。
こんなモノと対峙すれば人はきっと自らの全てを投げ棄てて戦おうとする。
「ーーでも、神奈斗?」
『宇宙ナメクジ』の本懐とは破壊性だけに在らず、彼等彼女等は生き延びる。
帝国の異能力者部隊にて上位の実力者は、殺人兵器である機械兵共と戦い、そして今日までシラフで存在し続ける。
衝動は彼の血を沸かせ、激情が彼の肉を昂らせた。
勝てない、勝てない、勝てない、勝てないーー。
それでも絶望しないのは、もはやとっくの昔に彼も狂ってしまっている事の証明なのだ。
彼は笑みで引き攣った。
「楽しそうだね、楽しいだろうねーー負け戦は楽しいらしいもんね?」
ーー地を蹴った奏愛は既にそこには居ない。
思考を読む『心読信号』も、動作を察知する触覚機構も既に停止しており、残るは死ぬ迄使い物になる彼の予見のみ。
きっと死の間際。 ずっと死の淵。 故に越えなければならないと欠損した身体と破壊された核に鞭を打つのだ。
破綻しても破壊されない
『覚醒せよ。 逸脱せよ。 君が君で在り続ける為だけに、今、君は何もかもを再び棄てよ。
悪魔の契約を多重に結び、必然として君は更に奈落へと堕ちるのだ。
死の門は開いている。 だが繋がるのは地獄。 黄泉の国へと、未だ返りたくないのならば戦いたまえ。
立って戦いたまえ。 決して五体投地せずに、立ち上がる事無く、戦い続けたまえ。
ーー慟哭を上げよ。 屍の列に並び、ただただ、痛みに呻きながら熱く哭きたまえ。
死の門は開いているのだから逸脱せよ。 地獄へと続くのだから覚醒せよ。
純粋で矮小な君の歯車は、君は歯車なのだから何も考えずに、生きたい様に生き、行きたい所へ行き、したい事をして、死にたい様に死にたまえ。
ーー嗚呼、小さく弱い君よ。 ーー嗚呼、酷く傷付いた君よ。
その瞳の内で、執念という名の灼熱の魂を燃やすのだ……』
何度か見た走馬灯は、いつだって次元が異なるかの様に、常として世界を置き去りにする。
だが、しかし、彼は、神奈斗は遂に己の記憶を見る事は叶わない。
だからこそ、死から逃げ続けた弱者は俯瞰的に己の最期を決して認めない。
此処に来て、此処迄来て、ようやく芽生えた感情が『拒絶』とは、これ迄に何もかもを投げ捨ててきた彼にとっては、なんと皮肉な事か。
『アレだけ他者を殺し、ソレだけ自らを削り、血塗れの走馬灯しか見る事は叶わない、しかし君は言うのだろう。
嗚呼、やはり人の子である限り、血溜まりの底であろうと、銃弾の雨の中であろうとも、ずっとずっと手に握るのは希望の光なのか』
「ーー来いッ」
(ーー来いッ)
『身を焦がす羨望の代償は、君は既に払っている。
理解に及ばないのかもしれないが、ずっとずっと奪われたモノを探してしまうのは、未だ手に握る光を、その手が隠している事の証明なのだ。
人殺し《ゴミ》が生きるこの世界。
そんな御都合主義が罷り通る宇宙に君は生きているのだから、絶えず戦い絶えず死に、耐えられずに闘いたまえ』
意志が枢として『機械仕掛けの核ブラックボックス』を紐解き、そして顕現する力はまたもや意志が捩じ伏せ従えるのだ。
押し並べて、そうだ。 機械兵団隊長副隊長格、そしてそれ以下であろうとも名を響かせた雑兵達も、何かしらの武装以外の
『ーーならば問おう。 再度、そして問おう。 業突く張りの君へ問おう!』
しかし神成神奈斗は待ってなどいられない。
異能力者の血を得て『宇宙ナメクジ』と成っただけならば、機械仕掛けの核を埋め込み『機械兵』と成っただけならば、大器が熟すまで待ちぼうける事も、それもまた有りであったろうに。
生き急ぐべき運命とは死に急ぐべく輪廻を駆け回る、たった一つの唯一単純な修羅の道筋。
「ーー俺はマ゛αだっ4Nゥつ゛もrR1゛は無イッ!!」
死を受け入れる程に、神奈斗は強くなどない。
きっと必ず訪れる清算の時までに、彼は戦い、もはや戦う他に逃げる術を知らず、そしてこの世界にてそれだけが唯一無二で有るべきなのだ。
だから死ぬつもりは無い。
『よくぞーー宣言した』
「トぅU゛に、Hァを決m゛eていル、だカラ゛喰らイ゛尽くkS゛ェ゛。 ーーだから、来いッ!!」
何と決別するのか。 全てと決別するつもりか。
きっと昨日を忘れ、ずっと明日を見ずに、腹を決めたのだから喰らい尽くせと彼は言う。
元より『機械仕掛けの核』は、名目上の存在意義とは異議を唱えられようとも治療。
生かせる為に治し、そして生きる為に、生き続ける為に闘う力と生命を与える。
そして神奈斗の内に潜んでいたナニかに彼女は気付いた。
「何を見せてくれるの? 何をシテくれるの? 何に触れさせてもらえるの? 何なら壊していいの?
ねぇ、 貴 方 の 中 に は 誰 が 居 る の ?」
人智を超え、生物の常識という枠を支離滅裂に八つ裂いた雲林奏愛を前にして、僅かな時間で彼は戦意の炎を容易く再度、点火した。
『
再動ーEINSATZ・VITAー』
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