『忘れた頃に少女は産まれた』


 『少女』という存在は神奈斗にとっては軍属であるが周囲に何人か居た珍しくも無い存在であった。

自分と同じく年齢であれば、もう二十歳に近い彼女達は大人と呼べる身体の成熟具合いである。

しかし彼女達を思えば俗世間の女性よりも勝るのは狂気と物理的な強さしか持ち合わせていないのは、生まれと育ちの環境の差なのだろう。

精神的にあまりにも熟して居らず、だがそれもそうだ、彼女達が武装と神秘を振るう理由は己が犠牲者にならぬ為の単なる自衛に過ぎない。

ヴァルキュリアと言う年齢不詳ではあったが、神奈斗よりは確実に歳を重ねた彼女を大人として見た場合に、確かに彼はやはり異能力者部隊にはろくな女が居なかったと思える。

自己愛。 自己陶酔。 自己弁護。 自己満足。

同じ所属であったが、ヴァルキュリアはまだ組織筆頭としてそれらの感情は肥大させてはいなかった。

強さという事実ばかりが先行するおそらくは年齢は若いであろう不詳の人物ーーある意味では女らしさを超えて人間らしい。 彼は知っている。

現序列二位の雲林奏愛が、そして四位の“彼女”がどれほど子供じみている精神年齢なのかを。

 遍く欲をまだ実感していない生命が大体が美しく思え可愛らしく映るのは、確信的に実際にそうだからだ。

人間の子供は鬱陶しく、子犬は喧しく、子猫は汚らしいーー人それぞれの感性の中に『子供は穢れを知らない』という思い込みがあるだろうが、それは違う。

呂律の回らない不快な話声を発するまで、馬鹿に見える鳴き声を発するまで、耳障りな泣き声を発する時間が経てば、ひいては時間という概念に酸化した存在なのだ。

それこそ確実な純潔を理由に美しいと呼べる存在は、もはや目も開いてはいない赤子でしかそうとは言えない。


(産まれてもないのか)


 培養液に浸る目の前に『少女』は環境を見れば単純にそれにすら及ばない純潔な存在にしか、彼には思えない。

限りなく透明な緑色の液体は僅かな光が透け、それこそがまるで神秘的であり、逆さに浸り眠る姿は『赤子』に見える。

だが、黒い髪は長く身体は成長を続け、明らかに女性の性別なのだ。

視察及びに彼に与えられた任務は帝国軍人の迎撃が主でありーー。

だからこそ、イレギュラーな出来事はこの様な場にて存在するこの生命。

成長を続けた赤子は幾つも並ぶ縦長のカプセルの中でまだ眠りを覚まさず、計五つもの拳銃を携える神奈斗へ無防備を晒し続ける。

 殺してしまった方が良いのかもしれない。

とうの昔に同じ部屋と同じ手段で産み出された兄弟は死に絶え、もはや墓石も亡骸も残っておらず、もしもこの生命が半生を謳歌したところで待ち受けるのは地獄に他ならない。

誰かが守り続ける事が大前提の、この秘匿を覆う装置を彼は拳銃で殴りつけ、一撃でガラス張りは深刻な亀裂を走らせた。

彼が望むのは既に子宮じみた装置の中で皆と同じ様に、神から拒絶され死んでいるという倫理的な結論だ。

あまり神奈斗には学も理解も無く、ただ単純に人為的な人造人間など誰が快く思うものかーー性行為すらも行われず産まれるなど、家畜にも畜生にも劣るだろう。

もう、人間が科学を得て何千年になる? 風化したはずの叡智を磨きあげ、来訪した宇宙の血を純化させーーあまりに遅れているではないか、こんな人形遊びなど。

 銃底の打撃は当然に重く硬い。 特に神奈斗の所持しているそれはナイフ程度なら容易く殴りおれる程度には銃弾が関係無い箇所も強度を増している。

常人ならば一時間も腰から下げれば関節を痛める重量を、常に五つは下げていた彼の体幹は当然強く、何も動く人型が相手ではないのだから振りかぶり、そして鉄で覆われた一撃は培養液を外へと流し出す。

薄い緑色の培養液の匂いはやはり嗅ぎなれた類ではなく、だが別にそれを特別嫌悪するともなく、ドバドバと勢いよく液体が流れ出る容器内でその少女は水嵩に応じて位置を下げていく。

もしも生きていたらーーそんな事態が杞憂であると神奈斗は思い出し、言葉も発さず眠る少女に怖気付いた事を鼻で笑う。

彼に学は無いが、だが知識が全てゼロという無知でもない。

最低限の『人造能力者』の知識として、既に全てが死骸と化した過去を、育った人命に行うでもなく蛮行は命を生み出す理からの反逆であると。

多量の薬物投下はこの培養液が知らせる匂いが証拠であり、その実態は何重にも効能が重なるが中には『生物研究機関』が充分な可能性を確立し持ち合わせる薬品があるのだ。

始まりは子宮の中の胎児と肉眼では何ら変わりない物体だったが、それを兵士として投入するならば、平均的な栄養素で育てようが一桁の年齢ではとてもとても使い物にはならない。

帝国の間者か、それとも国軍の有識者かーー誰かの密告は発足から摘発まで僅かな数年、そこから施設襲撃、計画停止と数ヶ月で気が狂った研究者の望み泡沫へ変えさせた。

だが、なぜ一週間も経たずに最速の対処を外部が行ったかの理由こそ『急成長促進剤』という、三日で胎児を成人にまで肥大化させる薬物の範疇を超えた劇物の存在である。

もしも戦場へと投入されたとして、その内の何人が劇物を体内に蓄積したままで、生き続け戦い続ける事が可能であったというのか。

ましてやこの少女だけがそうではないという可能性はほぼゼロに等しく、現実問題、彼女は割れた『9』と『11』の番号の割り振られた培養機に挟まれている。

五十程が製造されたという『人造異能力者』の内、十番目の少女だけが劇物の投与を免れたとは彼は思えないのだ。


(まだ、まだお前は幸せだったんだな)


 任務の指示に含まれる“保護”はどう考えても無意味だ。

計画発足から今日でようやく十五年の歳月が流れ、そしてこの少女は外見、つまり身体付きでしか推測は出来ないが “誰が見ても歳相応” 。

逆にそれが死体なのだと直感させる。

仮に彼女を本当に培養液の中で丹精込めて相応の年月を掛け育てたとすればそれこそ気狂い、“真似事” というのだ、それは。

そして神奈斗はガラスを残らず割り、当然だが胎児のように足を畳んで眠った様な体制で裸を晒す秘匿に触れる。

確かに培養液に浸っていた肌は美しく、髪も長い。 手足は細すぎず太過ぎず至って自然体。 顔に触れた時に不意に気になった口元、その中を唇をずらして覗けばやはりシミがひとつも無い歯が欠けることなく生え揃っていた。

物言わぬ肉の塊……彼は極力死んだ敵や味方に対してそんな不謹慎ではあるが、そう思うようにしていた。

要らぬ同情の類を抱かない様にする為にあえてそう思う事によって、彼は兵士であり続けられた要因とも言えない事も無い。

しかしながら果たしてこの少女を持ち帰ったとして、おそらくは先は国軍の研究機関か奪取されたならば帝国の同じ様な機関になるだろう。

人体を弄り回す専門家に讓渡する事は、ここまで原型を留め美しいままの少女に対しの仕打ちには苛烈だ。

寝そべった状態の彼女に視線を彼は再び向けると、邪な感情ではなくただ思うのは、この施設内の何処か更に目の届かない場所へと再び隠す選択だ。

例え培養液から取り出され、人目につかずに腐っていくですら仕打ちとしては、まだまともな結末だと、もはや生きてはいないならばそう感じる。

 ーーそしてやはり、神奈斗の耳へと確かに聞こえた建造物全体に響いた地鳴り音は、辺境の小さく秘密の破られた研究機関での開戦を意味するのだ。

先ず一発。 同行し今は別に行動するレーナが放ったとすれば、人一人に対してだと思えば過剰な火力であるそれの対象は、恐らくは威嚇の類ではない。

だが、彼女の本領はそれではないと何度か彼女とは敵対する組織に在籍していた神奈斗は知っていた。

ならばーー。 ならば? 否、初めから分かっていた事は彼女の強さであり、何も驕る身の程を弁えない事とは彼は無縁である。

太刀打ちの出来ない強敵に挑むは無謀であれど傲慢ではない。

同胞の足を引く行為こそが紛れもなく傲慢であり、特に機械兵は強者であるが程その破壊性は周囲を巻き混む。

「貴方は無理をしなくて良いよ」と施設へ足を踏み入れる直前に言われたレーナからの優しさのセリフは、ただ単純に巻き込まれないようにしろとの上司としての守るべき指示でしかない。

銃弾ではなくおそらくは榴弾の直撃音と衝撃が微かになってきた時に、彼の携えた手渡された無線機からレーナの声が鮮明に届き、一度その少女から視線を外し応答を行う。


『おそらく異能力者。 こちらで追うから、貴方は引き続き探して』


「ーー了解」


 発見出来たのは秘匿され忘れられた一人の少女の美しいままの死体。

それはとうの昔に秘密を暴かれたどうでもいい存在。

だが、賢い者達が生命活動を停止した少女の形をしたその身体を刻み開くならば、情が湧いたとは自分では感じないのだが、ただただ憐れむ。

始めから生き残る人造人間が居るとは誰もが思っておらず、だがらこそたった二人の少人数で赴き、おそらくこちらと同数程度の相手側もそれは承知しているだろう。

死んでいる。 だが放置して置くとは思えないから、神奈斗は通信が切れた事を確認して少女へと近づく。

 ーー死んだ人間は生き返らない。

当然の理であり世の常であり、また人々が焦がれる浅はかな希望。

もしも地球全土、地層や深海の深部、はたまた成層圏に、そんなこれまでの生物史からは逸脱した生物が存在するのかもしれないが、少なくとも神成神奈斗はその様な生命体を知らず、またいくら学を蓄えた者であっても知らない。

所詮は地球の限界、ひいては神の限界はその程度であった。

人類史何千何万の叡智も、無限の過去から零れ落ちた宇宙ソラから落し子も死からの脱却には至らず世界は止まらない。

脈の止まった少女を腕に抱えた時に彼は全身全ての血が凍り付く感覚と、全身全てが総毛立つ様な焦燥感にも似た感情を覚えた。

分かっている。 分かっていた。 これは『人間』ではない事は分かっている。

張りのある肌。 艷めく長い黒髪。 相対的に腹部が締まって見えるのは胸も臀部も同じ様に発育したからだ。

死んでいたはずであったが、腕を回した少女の膝の裏と脇から熱を、そして見た目の相応に発育した胸が微かに上下し始める。


(ーー違う。 まさか、こいつ)


 蘇生など有り得ない事は、過去既に死に絶えた人造異能力者達の存在がそう思わせーー合点のゆく結論は “仮死” だ。

彼の厚い手の皮へと微熱な体温が伝わった時、少女の抱いた足から素早く右手を抜き変わりに膝で支え持ち替えた拳銃を突き付ける。

銃口を向けた後に、少女が仮死状態から覚醒し、彼が触れてもいないのに瞼を開けた現実は直ぐであった。

何もこの少女は敵ではない。 危害を与える目ではなく、何年、いや十何年の仮死から醒めた寝ぼけ眼は、神奈斗の引き金を引く行為を遅らせるに充分な光景であり、それは躊躇というものだ。

不意に伸びる少女の血色の良い爪が着く細い指が、何十何百の他人と自分の血を浴び僅かな金属の光沢も無くした神奈斗の銃へと触れる。

戦闘を目的として人為的に産み出された存在が拳銃も知らない?

ーーこれでまるで。

交戦意欲及びにそもそも少女の意識は彼女を抱く神奈斗にだけ向けられて、瞼を開けばくりくりとした愛らしい瞳が覗く。

不意に視界に入り自身の身体に触れる男の存在に、だが何も驚きはせず恐れも知らない様にしか思えない。


「……話せるのか?」


 彼の問い掛けに対しの返答出来るかどうかが問題になる程に、その知性の量を彼は疑ったのだ。

そして、少女の口が形だけ言葉を発する真似をした時に彼女は息を詰まらせ、呼吸を、いやまだ呼吸には至っておらず、口から酸素を取り込んだだけであろう事を感付く。

少女の鳩尾を軽く小突くと咳き込み、拍子にようやく少女は呼吸を始める。


「分かるか? お前、話せるか?」


 客観的に第三者が思う程は彼は焦ってはいなかった。

優先事項はこの少女が知り得る情報を得る為でもあるのだが、もはやこの有様ーーこれでは聞き分けの悪き餓鬼を嗜める方が数段くたびれない。

仮死状態からの覚醒の僅かな五分に満たない時間で、彼は言葉を知っているかを尋ね、そして呼吸の手助けを行った。


「……っ……は……」


「ゆっくりでいい。 分かる事を」


「へっ……くし!」


 少女に目を合わせたままで、不意打ちで顔に彼女の唾液を浴びせられた神奈斗は確かにそれもそうだと、今の季節を鑑みて感じた。

唖然とした一瞬だが、暖房も暖寒の備えも無いこの場所で文字通り一糸まとわぬ姿で置いておくにはあまりにも寒いだろう。

立たせる場所に瓦礫が、またガラス片等が散らばっていないかを確認し、少女を自立させる。

だが、いや、やはり、下手をすれば創り出されてから此処に住み続け逆さで眠ってきた少女に自分の足で自立しろというのも無理な話だろう。

まるで赤子ーー。 だが、全裸で見た目相応の身体付き

の少女が自身にしがみついた時に、相方が異能力者と交戦に入ったというのに状況に似つかわしくない感覚を抱いてしまう。

しがみつく力はか弱いが、それは鍛錬と負傷を積み重ねた屈強な身体からすればの話で、赤子が加減を知らずに玩具を壊す様に、姿からは想像するよりも強い力で彼の袖を掴んだ。

だが、今ここで少女のよちよち歩きの練習をさせる訳にはいかない。

しがみつく少女はゆっくりと腰を下ろす神奈斗に習い、自分も同じ様に体勢を下げ、膝を下ろす。

そしてまだ変わらない何かに対する興味であろう感情と、それが何なのかを観察する表情を彼へと向け続ける。


「生きてるなら仕方ない。 待ってろ」


 赤子同然の少女には伝わるとは思えない。

機械兵団の正装となる黒革のロングコートを彼は羽織らせると、少しでも寒さも和らぐだろうなどという老婆心がそうさせた。

レーナが遭遇した異能力者は副隊長の座に着く彼女に任せるとして、考えれば無論、その一人だけが果たして単独で此処へ訪れるのかーー。

勿論、否。 居る。 軍人歴は十年を超えて十四年目に入り、その月日の期間は産声を上げたばかりの赤子をまた新しく赤子を作る事が可能な身体へと成長させる程に長いのだ。

自らの心臓に刃物を向け続ける……その様な例える事も出来る人生を生き抜いた彼は故に感が働き、その感は全てが生存へと向かう。

生きる為に戦う。 逃げる為に殺す。 そこに他者の存在も介入も必要は無い。

そんな彼の来歴による危機察知能力と経験による最悪の場合の対処は、言葉を通して背後の人物に向けられた。


「ーーこの子は何の力も無いから俺を狙え」


 少女が死体であったならば神奈斗は慣れぬ心労に苛まれなくとも済んだのだが、現状そうとも言っていられない。

彼女を見捨てて戦う事も出来るが、それは最後の最後に敢行する彼の生存本能の仕業なのだ。

レーナの放った爆撃による遠い場所からの衝撃音よりも多少は大きく聞こえ、彼の間近で潜んでいた相手の足音は近い。

距離は神奈斗から発せられた小さな声量の言葉が、それこそ緩やかに接近する人物に向けた方向ではないのに聞こえ立ち止まる程に。

この研究所へと踏み入った目的は帝国側もおそらくは秘匿をもう一度暴く為であり、それを神奈斗自身そう直感していたからこそ、自分ともう一人の存在を知らせる。

特に神への反逆の末に産まれた存在はむしろ国軍が保護する重要性よりも、帝国側が奪取する方が重要性が高い。

純血の異能力者を従えながらも、それを創り出す術を知らずに先を越されたならば余計に欲しがり、少なくとも解剖くらいはしなくては技術は常に敵側に遅れを取り続けるのだ。

分厚い黒革のロングコートは神奈斗の膝上まで丈があり、中に織り込まれた特殊繊維は粗末な並の銃弾を衝撃だけしか通す事を許さない。

そして頑丈で無骨な一つ一つが大きい中央のファスナーを閉めれば、この少女程度の体格ならすっぽりと頭部以外の急所は覆える。

仮死状態から起きた、いや、産まれ、初の衣服の煩わしさにそれを脱ぎ、結果怪我をしない様に予め既に閉めてある。

膝立ちの少女を右腕に抱いて背後への急旋回を行い、人質でも取った体勢で既に左手にはこれまた無骨な拳銃が握られている。

弾装回転式。 ただ銃弾を吐き出す銃身と銃口は一般的なリボルバーを遥かに超えて大きく、三発分しか装填出来ない弾倉は比例して長く片手で扱う銃弾の範疇を超えている。

見れば誰もが理解し予見する馬鹿げた威力の拳銃ーー。

現時点での装填数は最大の三つ。 威嚇射撃など不可能な弾数であり、脅しに有効なのはそれこそ見た目だけの話だ。

 ーーだが、神奈斗は思わず拳銃を握り込む握力がほんの少し落とさない緩ませてしまい、少女は瞼を開けた第一に目撃した神奈斗とは全く姿の事なる誰かに、また興味を惹かれる。

帝国所属特殊兵部隊の正規軍服に身を包み、銃も刃物も持たない異能力者はただ立ち尽くしていた。

神奈斗の記憶の中、おそらく最後に言葉を交わした人物は彼が自分の顔をきちんと認識したと感じた上で歩み寄る。

見知った仲である二人とは違い蚊帳の外である少女はただただ現れた彼とは特に外見が違う相手を観察する。

背はぱっと見で分かる程度に自分よりも低く、性別の概念を知らず神奈斗とは似ても似つかない華奢な身体で、目を引く外に跳ねた金髪は自身のものとも違い、ただ人型であるという外見的共通点しか感じ取ることが出来ない。

弱い。 確実に自分よりも弱い。 赤子である少女がただ単に自分よりも五センチ程度背丈が高いだけで、弱いと思えるのは先に神奈斗という死線を潜り抜け地獄で戦う男を見た事が理由であるからかーー。


「久しぶりですね。 その私の頭くらいは木っ端微塵に出来る銃を下ろしてください」


 だがその様な言葉を聞かず彼は銃口を向け続ける。

戦闘意思も彼には既に無く、その感情は彼の目を見れば明らかだ。

焦り、怒り、驕り、恐れに至る戦闘における感情ではなく、ただただ心地が悪い感覚を感じている。

そして歩み寄る事を止めずに綺麗な金髪が目を引く彼女は、自身が弱者である事を熟知し、それが神奈斗の戦闘意欲を撤回させた。

彼の腕が届く距離まで近付いた場合、もはやこの異能力者部隊の少女は彼のなすがままにされる。

抵抗する為の身体能力、及びに特異はとても人体に傷を負わせられるそれではない。


「ーーこの子は、何も知りません」


 少女の無知を読み取った異能力は俗世間に生きる人間ならば、おそらく欲しがり得たいと思う神秘である。

文字も知らぬ、言葉も知らぬ、記憶と感情も今は知らぬーー。

赤子と呼べる少女を感情や記憶の見透かす透視に、彼は合点を覚え肯定するのだ。

目に見えぬが確かに概念的には存在するそれを覗き見て読み散らかすその異能力は神秘である。

ただ心を覗き見て対応する能力を彼女はもっておらず、『心読信号レコードコード』は所詮逃げに逃げる為の逃避の力。

帝国所属特殊兵部隊アザー随一の臆病者であり臆病でなければいの一番に死んでしまう弱者。

『セレナ・シェヴァツァー』。 歳は神奈斗と同じ。 ただ弱く、戦闘部隊に所属し続けるのはそこが彼女の住処であるからだ。


「構いませんよ。 だって、私が銃を抜けば神奈斗さんはそれ以上の速さで発砲する前に私の首を折る。

……優しい人。 殺意を向けられないなら、人を傷つけない優しい人」


 神奈斗の戦闘意欲、及びに敵として屠る殺意と戦う為の熱意ーー彼女には向けられず、性根が戦闘員に染まりきるならば、こういう人間になってしまった。

無駄。 特に初遭遇した得体の知れない異能力者ではなく、同じ場所で飯を食い寝た間柄の経緯は弱者である事を知っていたのだ。

放っておいてもいずれ死ぬ、そう思える程度の弱者のセレナをわざわざ三発の装填弾によって殺すつもりにはなれなず、故に無駄、殺す価値無し。

その彼の思考など、異能力を使わずともセレナは読み違える事は無く、だが、それでも脳内と心中を読む事は辞められない。

安堵の裏付け、過剰な確認作業、他者から向けられる感情が気になる乙女的な脆弱な精神。

分かっている。 分かっていた。 そして “分かった” 。

元よりセレナがこの場にて、敵対組織である国軍の人間とは事を構える気は無かっただろう。

お互いにお互いが、この様な秘匿を破られ捨て置かれた研究所へ最後の偵察へと赴くとは、極僅かな今回のケースに至る確率は低いはずであった。

おそらくは、セレナではなくレーナが遭遇した異能力者こそが帝国側二人のほぼ全ての戦力である。

彼女が、破られた秘匿として発見したが、既に神奈斗が少女を確保した現実はもはや彼女ではどうしようもない。

ーーだが、セレナは名残惜しく言葉を待つ。

逃げるべきで退くべき。 神奈斗が疎ましく感じれば容易く死んでしまう脆弱な異能力者という化け物なのだ。


「……今は、今はこの子も、パートナーも居る」


 何回言い聞かせたのかと思い返せば、既に何週間か前の出来事であり、特に精神力も強いとは言えども屈強ではなく比較的常人と比べての話。

あの夜決行された特殊兵部隊の一人がヴァルキュリアを失脚させた反逆……気に乗じて神奈斗は機械仕掛けの核を求めあの場所から離脱した。

その時の彼は一人ではなく、目の前で今も弱々しい姿を隠さないセレナと共に居て、だが単純にセレナは彼も自分を気に掛けてくれると、気に掛け続けてくれると信じて疑わなかったのだ。


「私に貴方は遠い」


 だから置いていかれた。 国軍機械兵団の長に挑み血を流す行為は、死に近づく現実は言うなれば神成神奈斗にすればセックス以上の快感だ。

今更異性にときめく事は無い男であると、セレナは知っていた。

だが、知っている事実と目の当たりにする現実は違う。

だから逃げた。 手を引いてくれた彼から逃げて、方や拳銃と徒手空拳を使う獣と化し、総隊長などと大層な肩書きを持つ人物もこと戦闘となれば神奈斗と違いなく獣であった。

もう……自分がどれだけ可哀想で情けなくて弱い姿を晒しても、彼は既に手を離し、そして自分は離れたのだから「帰ってきて」も「連れて行って」もセレナは言う程の度胸は無い。

ましてや偶然の再開、しかし目に見えた秘匿は単なる赤子であり、少女の記憶は神奈斗が拳銃という未知の何かを突き付ける記憶が最も古いのだ。

これがもし、特殊兵部隊元序列一位のヴァルキュリアに並ぶ破壊性を秘めていたならば、彼女に匹敵しなくとも現状の上位ランカーに並ぶならば、臆病者が故にセレナは命を賭ける可能性は有り余ったはずだったのだが。


「もう私に向かって着いてこい、なんて言わないんですね」


 違いなく単なる少女に彼女は嫉妬しているのが自分自身冷静に判断出来た。

神奈斗がこの短時間でただ見てくれだけが美しい言葉も何もかも分からぬ少女に惚れるはずはないが、ただ腕に抱くという行為に対して、セレナとっては見ていて気分が良いものではなかった。

 思考を巡らせるだけで返答を寄越すセレナには、もう話すという行為も意味が無くなる。

僅かな沈黙。 だが、やり取りにおける間ではなく確かな沈黙を、静かに建造物が軋む音が破る。

発射音は大して轟かずに着弾による砲撃の類いに、少女はまた興味を引かれ、怯えていないのだ。

まず目の前の見知った弱い異能力者よりも、今回のパートナーであるレーナの現状を知りたいのが兵士として生きてきた神奈斗の考えだ。


「ーーきっとあの人は戦います。 神奈斗さんと同じ様に、若い事が強いと信じてる」


「そいつは……誰だ?」


「神奈斗さんより優しくて、怖くはなくて。 でも」


 レーナに対し通信を行うはずだった神奈斗が向こうの彼女の声よりも先に聞いたのは、続けて鳴り響くのはコンクリートの破裂音であった。

本当に異能力者一人が相手なのかと疑いたくなる過剰な破壊力を行使している機械兵団副隊長レーナ・グレイス。

段々と破壊力を増してゆくのを離れた箇所からの音と振動で確かに感じ、そして相手の地力の想像は容易いーー思った以上にしぶとい事は間違いない。

多少なりとも名が敵側に知れた兵ならば、戦闘狂には堕ちていない彼女は加減を決して行わない。

十の力で倒せると踏んだ相手を、果たして百の力で捩じ伏せるか……極一般的な話をすれば決して否である。

それを常識的に抜かりない、徹底しているとは言い難いく、それは無策というものだ。


『応答、出来る? もう撤退して構わないよ。 こちらで後の始末はする』


 直ぐ様神奈斗は無線機を手に取り、少女はそのただ単に黒い塊としか見えないモノから何か音ではなく声が聞こえる事に目を光らせる。

少女の顔を太い指と硬い掌で遮り、瓦礫と粉塵によるノイズの中の声に聞き耳を立てた。

確かに耳に入るのはガラガラと崩れ去る瓦礫と大きな塊ばかりの石畳を練り歩く様な耳障りな音。

そしてーー明らかに男性の低い声がむせ返り、嘔吐に近しい咳は吐血の声だ。

押している。 完全に機械兵の括りの中で両手の指の中に入るレーナ・グレイスが圧倒している光景しか脳裏に浮かばない。


『そこに異能力者は居るね? ちょっと、抑えられないかもしれない……その子を連れて、もう、逃がしてもいいから逃げて』


 『機械兵』

機械仕掛けの兵士は得体の知れぬ叡智の権化として死の淵から這い上がる。

だが負傷した箇所を修復する為だけが、その恐ろしさではない。

武器へと故も分からぬ物質を変換し精製する。

武器、否、機械仕掛けの得物はもはや凶器を通り過ぎ武装と化す。

身体の変質した一部から、虚空に向けて軋む様な擦り合わす様な、無機質な異音を響かせ形成す。

それらを相手に生き延びてきた神成神奈斗、得物として表れる武装の相手を捻り潰す大きさと、げに恐ろしい特徴を持つ複雑な仕掛けの度合いは、その音が示すのだと経験と知識として身に染み付いている。


 『……イイ? 私じゃなくて、私の目の前で血を吐いてる男の子のお願いが命乞いじゃなく、もう一人を逃がしてくれーー。

どうせ私と貴方しか居ないんだから気にする事はない。

ーーじゃあ、切るね』


 上司命令ではある。 目の前、既におそらく異能力により彼の直前の記憶を読み取ったであろうセレナは、何も言わない。

崩壊は始まり、そして今も本日最大の衝撃は二人を揺らし、足腰も体幹も当然の様に強靭な彼は一時的だとしても大地震よりも酷い揺れにビクともしないが、たんに生活する為に軍属であるセレナは違う。

平均的な女子程度はあるこの少女より、大きくは差はないが目に見えては低い体格のセレナは、強い衝撃と振動を受け手を付き倒れ込む。

身体は小さく力も無く、鍛えたとして現実に平均的な少年兵程度の鍛錬も虚弱の気ある彼女には大した効果も現れない。


「待たないと……。 あの人を……」


 得た神秘は強さとは無縁。 活用の糸口は逃げる為。

まるで軍属と異能力者という化け物の要素が噛み合いながらも獣には程遠い小動物が希望も無く呟く。

そう、神奈斗には心地が悪い。 

所詮は彼がセレナの手を取ったあの日も、好意や愛熱の類の感情ではなく、間違いなく抱いたのは哀憐の感情だった。

あの反逆の夜、セレナ・シェヴァイツァーという何も出来ない常に何かから逃げ惑う少女を籠檻から出せば、彼女は変わると思っていたが、現実は変革に恐れてまた住処へと帰る。

何を言えると言うのだ。 何を思えと言うのだ。

今更ーー。 何も関係の無い第三者が手を握り抱き締めて守ってやれと今更ほざくのか。

 神奈斗は何も言わない。 だが、言葉を知らぬ少女は生きている限り逃れられない概念、芽生えていた感情は自分よりも一見弱く脆く見えたセレナへと向けられた。

神奈斗の軍用コートの下の白のワイシャツを掴むのは自分もまだよちよち歩きという事を知らずだが、転けるのは本能的に痛みを伴うと知っているからだろう。

獣だ。 動物と同じだ。 弱者と見れば庇護欲を覚える単純な思考に至る少女の当然の様に短絡的な脳細胞は、しかしまだ短絡的で単純な考えに至るのは当然で、むしろ賢さを覚える方が正しい。

セレナが強さとは別の特異である立場だろうと、この少女は知らず、もしも知る機会を得るまでに成長したとしても、もしも優しさばかりで心が溢れていたとしたならば同じ様に手を差し伸べる。

戦闘の為に造られたはず、生み出されたはずの生命は何も知らずただ神奈斗が自分を抱えた様に、誰かの手を取ろうとしていた。


 ーー。

ーー通称『異能力者』。 異界の生物の様な神秘的とも見える異質な能力は、そもそも人間には備わっていない代物。

例えば戦いに置いて役に立たず、短い刃物にも劣る異能力の種別や出力の彼等など山の様に居る。

だが、彼等の血は見た目ならば常人の身体を逸脱させるのだ。

血がまさしく人間の括りを超えさせたと言って過言ではなく、その耐久性は致死の出血ですら生き長らえる事を可能とするーー特に、軍に属し何度も傷付き血を流した過去は、死からの抗体として自らを純化させる。

死なぬ、死なぬのだ。 目の前で血を吐き傷を抑え、生きる事からも逃避しだすのが何も不思議では無い負傷を負いながらも、この異能力者は決して逃げようとはしない。

血は骨から作り出される……その量、血溜まりを作り続ける彼等のそれは明らかに多量。

レーナ・グレイスはいざこの生命体を追い詰め、血溜まりの中で傷付き、だが蠢き続け、やがて回復し全開至るのを目の当たりにする度に、だから呼び名はあんな不気味な蔑称なのだと感じざるを得ない。

『異能力者』の血の由縁は空から飛来した生命体というのは、過去の文献や記録によって明らかとなっており、それはもはや秘匿され隠され続ける真実ではなく、遅かれ早かれ日の下に現れただろう。

地球外生命体。 当時の帝国も連合国軍も皆が口を揃えて呼んだ名称は、誰が呼びだしたか『宇宙怪獣』。

空から落ちてきた落とし子のその血はいずれ人体に染み渡り、だが、血溜まりを作りながらも戦う目の前の青年はまさしく粘液を吐き出し蠢くナメクジ。

『宇宙ナメクジ』などと、ふざけた蔑称も的を的確に得ていた。


「望み通りにこっちの相方に伝えた。 まぁ、そっちも足でまといを連れてきたとは思わなかったよ」


 この外的な特徴では赤髪が目を引く異能力者の青年の要求を飲んだ理由は、さして自身に不利な要素ではないのが確実であるからである。

仮に神奈斗の地力を実感せずとも、特に攻撃範囲を狭めての戦闘が得手ではないレーナだが、単身単騎が時に大多数で陣形を組むよりも適した場合がある。

現実問題、自身含めの合計二人では最適解な蹂躙など、敵対者の人数……いや、敵対者がたった一人であり過剰な戦力の増加は互いの足を引き合う。

それが第三機械兵団副隊長レーナ・グレイスの神成神奈斗への、所詮は腕が立つだけの傭兵という評価である。

彼からの聞き出したこれまでの来歴と戦績から、どの様な戦い方で生き抜いたのかと、鑑みれば自ずと浮き出るのは、他者を当てにしない闘争は役割の分担を行う戦術を行うには困難であるという事だ。


「殺す必要が無ければ殺すなーーそんな私の命令くらいしか聞けない子だとは思うし、まぁ、ちょうどよかったね、貴方」


 むしろ彼女にとって異能力者の青年の交渉は利害が一致したのだ。

どちらも戦闘に発展したならば、どちらも状況は一対一の決闘が望ましい。

得体の知れない血と同様に持ち合わせていた神秘が、そしてその本当の破壊性をまだ引き出すに至っていないレーナは値踏みする為に、特に青年はセレナを庇いながら肩書きで既に強さが確定している機械兵の女性と、イカれた捨て身で生還を繰り返してきた純粋なる傭兵を相手

にセレナ共々無事に帰還出来るとは思わない。

 セレナからは神成神奈斗の発見を通信端末の文字通信を既に受け取っていた。

異能力者の掃き溜めに在籍したその存在ではない人間は、神奈斗は赤髪の青年を覚えてはいないかもしれない。

だがしかし、この異能力者の青年は神成神奈斗という自身と同じ年齢の男の異常性を、近くではないが遠くでもない距離から見てきたからこそ、まず牙に掛からぬ弱者であるセレナと共に離脱させる様な交渉をレーナに持ち掛けたのだ。


「死体が残らなくても、構わないよね?」


 来る。 今この瞬間、守るべき味方が居なくなった好機は荒野を想定する過度な破壊力を創造するのだ。

精製されていた機械仕掛けの翼は、建造物内を縦横無尽に飛翔をする程度の、ちょうど端から端までは『機械信号メカニカルコード』使用者レーナの背丈の全長。

肩甲骨が変形した様な位置から直接痛々しく生える機械仕掛けの翼と、縦に今は畳まれた背骨に沿って生えるのはおそらくは彼女の中では戦闘機の尾翼を想定しているのか。

計三つの翼状の加速装置は倍速で昆虫の脱皮を再生している映像を思わせ、まだ現実味を帯びていた見た目の翼は内側から崩れる。

崩したのは中から新たに生え変わり大きさを増設する様に現れたレーナ・グレイスの正真正銘の真実の翼。

金属片が外へ外へと構築されていき、やがて瞬く間に内壁にぶち当たる。

尾翼を思わせた中央の翼は展開し、轟くエンジンの始動音及びに吸気音と排気音は、車は車でも、バイクはバイクでも最上級の出力を誇るであろう “そういう音” 。

動力は何処だ? 知れた事ーー!


「……あぁ。 あんた、空でも飛ぶのか?」


 既に精製されて装備されていた右腕の片腕一本が入る口径の砲身は既に同じ物が三連装と強化され、何も無かったはずの左腕には、コの字型に長く伸びる両刃で分厚いブレードが巻き付く様に既にある。

右には遠距離武器を、左には接近戦武器を。 そして巨大な一対の起動ウイングは、いよいよ戦闘準備を完了する。

それら全ての精々及びに展開が十秒未満。

 対抗する赤髪の異能力者は、赤い髪という見た目的な印象に沿った普遍的な神秘を着火した。

何度も何度も掻き消された炎の異能力。 名こそ何も捻りも言葉の遊びも無く、大多数の常人を集め『魔法』を連想させれば思い浮かべる物質は『炎』を思うのではないか?

そんな温かい神秘の軍事転用は生半可な出力と破壊力では不可能。

敵対象者を見据えながらも彼のその目は危機を感じておらず、蓄えた炎は爆炎と表すには勢いは無いが、篝火と表すならその火はあまりにも強い。

主に文字通りの火力は人体に対し用いるならば、確かに身を焦がす火傷も悪影響となり度合いが重度ならば充分に生命に届く毒と成り、この系統の神秘を持つ異能力者は大半がそれを武器とする。

ましてや屋内。 機械兵の中でも特にレーナ・グレイスの先方と武装の特徴は広範囲を掌握するものだ。

鳥は籠の中では満足に羽ばたけないーー彼女の強さは敵方にも把握されており異能力者の彼はそれが不得手である判断を下し、己の戦闘力で相手取る蛮勇を行う。

強力であるが故に、過剰であるが故に生じる確実な付け入る隙は、先程の様に出回る刀剣と拳銃と、対人の武装では比較にならないのだ。


「まるで怪物だよ副隊長さん」


「良いね、その響き。 今からの私は怪物だからーー負けても仕方ないって思えばいい……!」


 異能力者の神秘と機械兵の叡智を互いに牽制を超えた領域で発動し、開戦の第三ラウンドは機械兵がただ前へ標的へと爆速で接近する。

ジェットエンジンじみた高い排気音と、壁が起動ウイングと擦れ引き裂かれる音が開始音として響く。

そして三連装カノン砲が、端の二門が外へと凡そ四十五度に展開し、その時に異能力者は燃え盛る炎を更に焚べる。


(やっぱり、隠れてたんだ)


 中央の一門から発射された榴弾の爆撃予定地点は紛れもなく異能力者本体であったが、陽炎の如く歪んだ彼の目の前で着弾した様に爆風と衝撃を巻き起こした。

炎による障壁? そんな現実味を全く感じさせない手法を取るには彼は強度が足りないのだ。

熱。 灼熱。 発火に伴う熱も消えぬ限り上がり続ける熱も、結局は火炎の付随価値。

触れる事が出来ぬが、確かにそこに存在し、確実なダメージを返す防御壁。

防戦への異能力の転用は、現序列三位に繰り上がった異能力者『叢雲天地』の『凍結信号(フローズンコード)』を思わせるが、おそらくはそれよりも柔らかいだろう。

ましてや透明度が全く無い濁った氷壁は密度の仕業で、故に硬く重く、厚さがメートル単位なら銃弾はまず通らない。


(突破する程阿呆だとは思えない)


 不可視の防御壁。 だが確かに確認した揺らいだあの風景と、炎を得手とする異能力者であるという事実は、レーナに容易に正体を示す要素となり、だが戦術は隠し通せる訳が無い。

残りの二門が床と天井を爆撃し、充分な瓦礫と粉塵による目眩しが爆発を伴い、これが粉塵爆発。

炎による防御への対抗策ではなく、結果として視認という感覚の中で比重の重いそれをお互いに潰し合う。

正面が死角となる状況下、だからレーナの翼は百八十度付け根が反転し直線的だが縦横無尽の起動を、次は距離を離す事へ使う。

それに伴う空気の流動は異能力者の彼の視界を塞ぐ不純物を彼の後方へと押しやり、そして目に写る機械兵は更に武装を増築させ、確認した後の数秒で精製を完了し、武装を行使した。

一点突破に重きを置いた超兵器ーー否、背部の頑強なジョイントから左肩へ全貌を現した砲身は確かに大きく特に口径は通常の戦車に匹敵し、明らかな対人兵器とは一線を画す。

巨大さだけで既におどろおどろしいとはこの事だ。

普遍的、思い浮かべる対物兵器の括りからは逸脱してはいないが、人型の対象へ向けるにはやはり過剰の一言。


「遠くないかい?」


 異能力者と言えど彼には弾道も目に追えず、それがわざわざ手を交差させて、弾丸すら焼き切る灼熱の壁を過度な出力で発生させる理由となった。

だが手応え。 熱線の壁にめり込み火薬に引火し弾ける衝撃の手応えは、吐き出した砲身の大きさに比べあまりにも小さい。

もはや声も届かぬ程の距離から打ち出されたのは散弾であると、それも炸裂した位置が彼女の真近であると容易に想像がつく程の広範囲に及ぶ。


「おいーー」


 そんな前方広範囲にばら撒き続けるのが可能な散弾銃砲の音が止まない。

発射感覚はもはや一撃一撃ではなく、断続的に吐き出され続ける機関銃。

自分に向けて撃っているのではないと、彼は判断しならば何に向けて、答えは明白であり、背部から爆炎を吐き出し機械仕掛けには及ばぬ速度で一気に接近した時に、確かに声を聞いた。

レーナ・グレイスの敵対者は確かにこの赤髪の異能力者であるが、現時点で標的としたのは違う。

壁に、床に、天井にーー断続的に打ち続け、彼が接近戦を仕掛けた時には充分に自身が優位に立つ布石を打っていた。

広範囲に及ぶ濃密度の散弾の横殴りの雨は、何も戦闘拠点として建造された訳では無いこの研究所を充分に痛め耐久性を減らすのだ。

白蟻の軍団が現れた木造建築よりも穴だらけ。 セメント、アスベスト、断熱材、硝子、そして塗られ乾燥した塗料の破片というあれもこれもが飛散し粉塵となり、それらを巻き込む異能力者の炎は更に弾ける様に加熱し勢いを増していた。


「堪らない殺意だよ。 副隊長殿……ッ!」


 敵対者の戦術に対する対応力が全て泡沫に変わる瞬間。

反撃を想定し、それを掻い潜る苛烈な攻勢。

戦いとはそういうものだとレーナ・グレイスは常々感じており、その敵を常に殺す為に戦闘意識を研ぎ続ける事が異能力者と機械兵に置ける生存本能であると。

止めに入られる戦術が作戦? 敵が常に此方が最善と把握でいる行動を取る? 何の為の叡智で、何の為に彼等の血は人間を止めさせた?

不利な状況、不得手な環境。 生き恥を晒し続けたエースパイロットは、故に一人で決行する。

三連装のカノン砲が天井を、否、空に向けて放たれ曇り空の太陽光が陰気なこの場へと差し込む。


「降参しろとはもう言わない」


 炎の赤い灯りが差し込む日光をすぐ様上書きしたが、そう呟いたレーナの両方の瞳は既に変質していた。

硝子玉の様に透明で美しく、そしてこの赤に彩られた破砕の世界で埋もれぬ紅い発光のシグナルを繰り返す。

崩れた内壁を穿つ熱線の一閃を腕を振るい打ち出す異能力者も、これから何が行われるかを容易に想像し、脱兎よりも速く空へ空へと抜け穴から飛び出した彼女を目で追う事しか叶わない。

何より、彼の異能力はそこまでの速度を生み出す事も、そして空を駆ける事も出来ないのだ。

ならば手を組み、ただただ祈るばかりの弱者の心も理解出来るというものだろう。

轟々と不純物が燃え続ける音ばかりが流れた僅か数秒、何かが風を切る音は、何が着弾するよりも速く彼の耳に届いた。

 元戦闘機乗りである彼女は脱却するつもりもなく過去の栄光に縋り続ける。

純粋なる軍人。 純粋なるパイロット。 奪われてなおも輝く誇りと威信は、一夜で両手で足りぬ量の敵兵を駆逐した誉れから来る。

一度ボタンを押せば何十を殺し、三度押した時にはもはや彼女は英雄である。

だってそうだろう? 皆がそうだろう? 仲間を守るならば悪魔である事も忘れ、受け入れるだろう?

味わった誇りと栄光。 空から覗く正義の爆撃。

もう一度! あの栄光をもう一度! 羽ばたく事が出来たからもう一度! 忘れる事の出来ない “アレ” をもう一度!

彼女を戦闘狂と呼ぶ連中は何も分かっていない。 ただ戦うだけで敵を屠る事には悦びを感じておらず、ならば特に異能力者を倒した場合に生存出来る味方の数を思うだけ。

ほら、ならばどうだ。 たった一人に対する空襲も過剰な殺意ではないだろう。


『ーー謙悟さん! 早く逃げてください!!』


 通信機から聞こえたセレナの悲痛な声は、おそらく彼女も小規模とは思えない戦闘の音を聞き、そして屋内から何か飛び出したのが見えたのだろう。

いや、「逃げろ」と伝えてきた以上、もう既に上空の機械兵は次の行動に移行している。

だが、それこそ何故に逃げねばならない?

自分達が無害な存在だと決して国軍は認定しておらず、現にレーナ・グレイスという機械兵団副隊長の座に着く人物は、セレナを逃がしても自分を逃がすつもりは無かっただろう。

弱者に対する慈悲は敵であっても持っているだろうが、彼女には強者と認識した敵に対する看過の意志は感じられない。

ーー好都合。 灰村謙悟ハイムラケンゴの口角は釣り上がり、いよいよ持ってある化け物を下した地力が “生き残れ” “打ち勝て” と己の内で慟哭を上げた。


「全く、お前も「逃げろ」だの「降参しろ」だの言うんだな?

神奈斗で懲りただろう? お前の周りの男は皆、戦う為に此処に居る」


『ですが……っ! まだ『ヴァルキュリア』大隊長との戦いの傷も治ってないのに……謙悟さんまで死んだら……私っ!』


 全くもって話の分からない女だ。 常人の括りを超えたとは言えども、謙悟もレーナも軍人同士であり、生き死にで逃避するなどあまりにも有り得ない。

戦局を見ろ、一体何人がその一人に殺されねばならない。

通信を一方的に掛けられた彼は仕返しに一方的に切ってやり、もう帝国軍から抜けた人物の名を出した事を悪いは思いながらも、空を見上げ一発目の投下された炸裂弾が間近に迫るのを見て自虐的に呟いた。


「降参なんて、バカはそんな言葉は知らないんだ」


 灰村謙悟の異能力はあまりにも普遍的に存在する希少価値の少ない神秘である。

その強度はとても上位の序列に並べられる程ではなく、こと戦闘となればおそらく弱くもないが強過ぎるという破壊性でもない。

異能力者の軍勢の中で埋もれる異能力者。 不死鳥を思わせる纏う炎も結局は自己防衛を主軸に置く高熱の鎧。

守るだけならば、もっともっと頑強でなくてはならず現状の三位には遠く及ばぬ防御力。

攻めるならばーーそうだ “もっと熱く、もっと激しく、もっと轟かせなければ” と硝煙の爆炎の中で漠然と思う。

焼夷弾による燃焼を浴びる事は毒を持つ生物が同じ性質のそれで死なぬ理由と同じだろうが、やはり数発で既に着弾点周囲が吹き飛んでいる炸裂弾頭の衝撃は完全に熱では防ぐ事は出来ない。

ならば、射程も足りない。 迎撃を熱で行うという仮定は、実行しなければ確実に身を滅ぼされてしまうのだ。

 蹲りまた血を流す。

赤い血が、青くも白くもない血がまた滴る。

血も蒸発してしまう灼熱の時間で彼は『成長』を行うのだ。

異能力者。 これまでの人類ではない、血も骨も違う別の生物。

進化とは生き延びる為に、戦い生き残る為に、そして何より死なぬ為に行われる神秘である。

肺を作り陸に上がる生物。 羽を生やし空を飛んだ生物。 草を食む、微生物を食む、死体を食むーー。

そして二足に進化した人間と四足のまま生き延びる獣。

遍く全ては種の存続として気の遠くなる時間を掛け変化する訳だが、何も自分の代で変わる事もそれは進化と呼べるのではないか?

例えば今、空から蹂躙の限りを尽くす機械兵。

初めからあの様な過度な武装、過剰な起動装置を作り出せた訳はなく、初めは誰もただの刃程度しか作れぬはずだ。

慣れない叡智の核に適応し、ようやく兵士を超え兵器と成る。


「怖いなぁ。 どっちが怪物なんだろうな?」


 死を身近に感じた時に、恐れの感情よりも恐れるべきは怯えの感情であるというのは、誰に聞いた言葉だと思い出せばセレナから聞かされ、また彼女もある一介の兵士から聞かされたと言った。


「ーー怪物であれ。 獣であれ。 殺す側であれ」


 怯えるなかれ。 恐れよ、だが怯えるなかれ。

怯えは身を凍り付かせ死を待つ傀儡へと誇り高き心を腐らせる。

停滞するからか? だから腐り果て、そして崩れ去るのか?

死を待つなどと、老人でなくては辿り着けない諦めの極地であり、無論この男ーー死ぬ気は毛頭無い。

 ーー標的周囲の屋根が全て崩れ、レーナの機械仕掛けの目が確認するのはまだ燃え盛る炎の中で、小さくなった異能力者の姿であった。

生きているか、そうではないかを確認する為に降り立つ……それをやるのは馬鹿の所業。

何の為の武器であり、それで何人が死んだと思い近づき殺されていったのだろう。

滞空しながら連装砲はカノン砲でなく同砲門数の機関銃へと精製され、刀身が二つ延びたブレードは刃と刃の空間に稲光が走り出す。

死亡の確認。 もしくは徹底的な追い討ち。

滞空からの急加速は常に標的を捉え、牽制ではなくブレードと一体化した超兵器を確実に命中させる為に行う旋回の最中にも膨大な数の弾を浴びせる。

居る。 そこに居る。 レーナ・グレイスの最終最強兵器である必殺の超科学兵器レーザーキャノンの充電は既に開始され、その破壊力はそれ以外の特出した武装を精製しない彼女を副隊長の座まで押し上げた。

 ガトリング掃射の銃弾を超高熱の防御壁で防ぎ続けるもダメなのだ。 これでは勝てない倒せない。

闇雲に行使する異能力は閉所であったままならば、相手を焼き殺すに十分であったが、今はそうではない。

ましてや空、屋内。 そして嵐の様な徹底的な掃射は、全てが焼き切れずに幾つかの破片が、もしくはそのままで彼の身体に届いた。

その度にまた血が流れ、流れた血を補うべく心臓が、骨髄が脈動を行う。

“脈動する血液” とは覚醒の予兆だと、異能力者の特性を知らぬレーナ・グレイスではないが、その予兆はこれまで見てきた中では予兆のままに終わった者ばかり。

死の淵で変革を望むのはもう遅いのだ。 それこそーー死の門に足を踏み入れながらも、形と過程がどうであれ生を渇望する貪欲さを持たねば、死の誘惑には敗北必至。


「捕捉」


「良いな。 そのビーム砲……?」


 変革を。 だが望むならば一体何を?

灰村謙悟は遠距離で煌めく光を見て、特にあの機械兵の最終兵器を知っていたので容易に予想が着いた。

アレは強力な事を知っており、一点に照射し続ければ分厚い鉄を紙の様に容易く貫通し、薙げば歩兵を虫けらの殺す様に殲滅する破壊の光だ。

その瞬間。 血液の脈動は遠くのレーナが視認出来る程の煌めきを帯びた。

赤い血が更に赤く光り、ドクンドクンと脈を打つ。

謙悟の右の掌を突き破り放熱された灼熱の火炎放射と、彼の傷口は溶岩じみたあの赤い明かりを讃えながら黒煙を吹き出した。

排熱しているのだ。 より苛烈な火炎攻撃を、『火炎信号フレイムコード』を吐き出す為にはこれ程でなくては排熱が追い付かない。


「まだ、まだ……俺よりも強い奴と戦わないといけない」


 機械兵の超科学兵器を異能力者の超高温の熱線が迎え撃つ。

理屈はバーナーと同じだ。 酸素を取り込み含ませ火力を跳ね上げる。

背中は軍服が既に焼け焦げて、不死鳥の様な不定形な黒煙と爆炎の交じるモノを吐き出し続ける為に翼の様に見え、そこから、皮膚が消し飛んで覗く生の肉から彼は呼吸している。

化け物、怪物、人間ではない。 傷口から多量の酸素を取り入れ、掌から放出する超高温の熱線へと転用するーー人智の理屈だが、決行する時点で人間とはやはり違うのだと、既にレーナは充填した電磁エネルギーが尽きて超高速で接近してきた。


「貴様ッ!! 今まで、何処に、居たッ!!」


 明らかに激昂する口振りも無理は無い。

想定したいたよりも遥か上に彼は居る。

ここまで強力な異能力者を確認出来なかった事への精神的な不和は、普段は孤児達から慕われる彼女を鬼神へと変えるに十分な要素であった。


「ずっと居たさ。 ずっとお前達に怯えてきて、恐れてたさ!

俺は腕一本貰うだけじゃ逃げないぜ、元エースパイロットさんよぉ!!」


「名を、名、乗れ、宇、宙ナメ、クジッ!! こ、こで殺して、やるッ!! 私がァ!!」


 より狂気に染まった存在となった機械兵に対しては、だが彼は嬉しくもあった。

 そうだ……思い出すのは、それこそ勇気と無謀を履き違えた同じ歳の少年を終えた青年だった。

昔から仲が良かった異性が彼に惚れるのも分かる気がするのは、無謀の末に重傷を負いながらも生きて帰ってきた姿は確かに格好が良いと思えたからだ。

幼少期より好きだった少女の好意を奪われ、まだ彼女は諦めたふりでいるのは癪だがそれも仕方ない。

だから証明しなければならない。 強さを求める男が好かれる訳でない事は理解しているが、ましてや兵士。

ましてや異能力者。

最強にならなくとも良いと自分に言い聞かせ、そして時に篝火であった炎は灼熱に燃やさなければならない瞬間が訪れた。

守る為に戦うならば、もしかしたら自分も強くなれるのではないかーーあぁ、何と不純なのだろう。


「帝国軍所属特殊兵部隊アザー隊長……ッ!! 現序列一位の灰村謙悟ッ!!」


 名乗りを上げた異能力者部隊の長に対し、機械兵はノイズの交じる声で叫んだ。

不可視の高熱の一閃で翼を抉られても、推進力はまだ健在であり、空域戦闘で彼女の右に出る実力者など一体どれ程の数か。

片方の翼を加速させて振り回し、翼の物量で殴り飛ばすと神速で追い、機械仕掛けと化した拳が、甲から生えた金属片の尖った塊が彼の腹部を突き刺す。

そしてそのまま加速して振い落し離陸開始。 ダメージを受けた謙悟が再び視界に捉えた時には、彼も覚悟を決めていた。

第二のレーザーキャノンへの電力充填は既に開始され、当然危機感と恐怖感を感じる彼も背中から噴き出し続けるそれが黒煙からもう一度爆炎に変わり、その推進力は地面を蹴るよりも力強く速い。

レーナは後退する。 だが、電力の充填は止めず逃げた訳では無い。

ただ、それよりも彼の灼熱の翼が後退よりも速いのだ。

迷いを無くした攻めの一歩が、決定打を求めるあまり欲張った末の後退よりも遅いはずがないーー。


「私は……ッ。 私は国軍の……ッ。 エースパイロットだァッ!!!」


 迸る電撃が駆けるブレードを掴み、それは蒼白い灼熱により融解させると組み付いて直ぐに起動ウイングへと手を伸ばした。

一撃を放つ事に意識を持っていかれた機械兵は翼を溶かされ、いよいよ地に落ちる時が来た。

彼女は強い。 確かに強い。 そして残酷にもなれる。

だからこそ謙悟は恐れ、熱線を纏った貫手を躊躇無くレーナの生身の身体へと突き入れた。

腹部を貫いた灼熱の貫手が肉の焼ける匂いと血の沸騰する音を彼女に感じさせ、その恐怖感は間違いなく死へのそれだ。

熱い灼熱の殺意に見えるこの男の確固たる勝利への熱量。

ただ生きる。 ただ守る。 その住処を守るというプリミティブな情熱は、己の身を燃料へ変えても構わないのだ。

 お互い死ぬ訳にはいかない。

重大な戦局ではないが、お互いにお互いを殺す価値は、どちらにせよ仲魔を守る事へと繋がる。

腹部への一撃が引き抜かれ、密着された状態でレーナは高度を落としながらも、崩壊の始まる武装の代わりに機械仕掛けの左手には厚い刃のナイフを握る。

その執念に反応出来ない彼ではなく、身を剥がした瞬間に、次は人体すら融解させる貫手は心臓を貫く。


「眠ってくれ。 頼む……奏愛にまた蹂躙される前にッ!!」


 ーー落下した時には既に生命活動の停止寸前であった彼女は、機械仕掛けと化した目のままで涙を流していた。

もはや恐怖に染まったのか。 それとも悔やんだのか。

ただ謙悟に分かるのは、復讐が果たせずに死に絶える事への言葉に出来ない無念だけが、彼女の死に際に広がったのだろうという事だった。

ただ今は今日の勝利を喜ばなければならない。 つい数日前まで一兵士の異能力者が敵軍の幹部とも言える機械兵一人を倒した事実。

秘匿された存在が何も知らずに産まれた赤子であったが、それ以外この勝利は帝国軍と犠牲を少しでも減らす要因となるだろう。

目を開いたままの、機械兵ではなく元エースパイロットのレーナ・グレイスとして死んだ彼女の瞼を下ろして、彼は好敵手であったと信じて敬礼を行う。

だがその無念を晴らす相手は自分を遥かに超える化け物である事を考えると、もはや死んでしまった方が良かったのではないかと、そう感じざるを得ないのだ。

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