『確証が発見できないから恐れる』

 

 ーーー。

ーー数日前、たった一人の機械兵に捕縛された神奈斗は、軍領域内の彼を降した男の部屋に投獄されていた。

国軍所属機械、その兵団長たる『彼』は先日、帝国軍内の反乱を間者を通して察知し、その経過を視察していただけのはずであった。

“はず”というのは、無論、それ以上の情報は掴んでおらず、また掴むつもりもなかったのだ。

その日無残にも破れ解れ磨り減った黒革のロングコートを広げ、内のポケットから嗜む程度には収まらない煙草の箱を取り出し、ため息混じりの紫煙はいやに多く吐き出される。

やはり総隊長直々に出向くには、役不足であったのだと感じながらも、その動乱による帝国軍特殊兵部隊の動向は確認出来た。

机の上に乱雑にだが必要な書類に目を通し、バツと丸と線を書き込んでいく。

あの日の様な“代替わり”は少なくとも中年になった『彼』も経験が無い。

ーー無いのだが、無くはない事実なのだろうと、現に起こってしまったのだから、敵陣営の自分が何も言う事も無い。

 特にバツ印を付けたこの通り名、『ヴァルキュリア』が昨晩までは部隊のトップに居たのだ。

非道さと残虐さはもはや軍人とは呼べない程であり、誰も彼も街一つを消し炭に変えた記憶は新しい。

例えば、癇癪を起こし誰も彼も目に映る人間を全て殺し尽くしたい……そんな発想は珍しいといえばそうかもしれないが、この世界、人間社会に身を置けばその様な考えを持つ人物な一人や二人居ても自然な事だ。

序列一位がこれでは、いくら彼女が身内には甘く優しくとも、その身内は安心して寝る事すら出来ないだろう。

 ただ、その軍神。 『戦女神』をその地位から引き摺り下ろした実力者が居る事が驚きである。

敵側からは無名の異能力者であったその男が、これから隊を率いるのは、少しばかり安堵の感情を覚える。

その彼が野心家ならばともかく、ましてや『ヴァルキュリア』の後釜だ。

たった一人で大隊を容易く壊滅させた兵士……否、もはや兵器と呼べる彼女を知っていればーーまぁ、彼女を凌駕する人格欠落者を想像したくはないから、今は彼女を抑える枷と信じたい。


「で、この『灰村謙悟ハイムラケンゴ』っつーのは、お前の知り合いか?」


「知ってる奴は全部吐いたじゃないかよ」


 そして、この縄で縛られ『彼』の部屋に捕えられているのが、昨日の戦利品。

機会に乗じて脱走して来た兵。 異能力者共と同じレリーフを着けた拳銃の扱いに長けたこの青年は、何を目的かと問えば捕えられた事ではないと言い返すのだ。

異能力の発現していない、異能力の巣窟に居た彼から、確信に迫る情報を聞き出すのは困難であるし、拷問に掛けた所で何かを聞き出せるとも思えない。

ましてや、彼の吐いた情報は代替わりのただ一人、序列二位になった一人しか分からないのが現実問題。

その人物には『彼』も辛酸を舐めさせられ、部隊を一つをまるまる壊滅させられている。

それを思い出し、思い出した戦況での自陣の不甲斐無さに短い頭髪を軽く掻き毟る。

だが、元から強い事が周知の事実。 もう彼女の情報は不要だ。


「『雲林奏愛クモバヤシカナエ』と新一位の関係は聞いてない……だろうなぁ。 お前がもう少しモテる男なら良かったんだがなぁ」


 その茶化す様な言葉には呆れ、返答をする事は無い。

この青年から聞き出した情報には有益なモノが大して無い事に、それは仕方ないのだろうが少しばかり落胆を覚える。

此方が知り得る情報しか知らぬ者を捕縛した事が誤りだとは思ってはいないのだが、戦利品と思うには幾許か実が伴わない。

名は神成神奈斗。 所属は帝国所属特殊兵部隊。 少数からなる部隊の人間であるが、その少数の末端であるから知り得る情報を期待しのだが、所詮は末端はどの組織でも末端に他ならないということだろうか。

特異な事といえば、まるで死を恐れていない様な苛烈な意識で戦う性格と、歳不相応な銃と刃物の扱いに長けているという事くらいか。

加減して彼の実力を値踏みする余裕があったとはいえ、口内に銃口を入れられ首を捻り撃たせるなどと、対処としては正しいのだが、それをいざ実戦でやってのけるのは常軌を逸している。

別に電撃を放つ訳でも、炎を吐き出す訳でもなく、人間を超えてはいない彼の実力だが、同じ穴の狢とはこういうものかと『彼』はしみじみ思うのだ。

殺害した敵の数を聞けば「百には届いていない」と返し、殺害数を誇っている殺人鬼とは感じないのだが、嬉嬉として自分に戦闘を挑むあたり、彼は明確な戦闘狂である。

タバコを咥え、手を組みポキポキと指を鳴らす癖はないが、やはり拳に拳をぶつけられた事が響いているのか、違和感は一朝一夜では消えない。

思い出せば何処であの様な武術の様なモノを覚えたのかと興味が湧き、それに対しては言葉を濁す。

本能的に急所を狙い、攻めに転じれば急所を晒す……まるで獣だ。

随分と噛み合わせの良い歯が『彼』の腕の皮を捲り、形振りを構わぬ姿勢は知性が感じられるが品性は皆無。

もはや、神成神奈斗を捕縛した事は戦利品を手に入れたよりも、掘り出し物を見つけた感覚に近い。


「……俺の管轄になるが良いな?」


 ましてや、この青年が本当に『機械兵』として身を差し出すと言うのが嘘ではないならば、部隊総隊長としては見逃す訳には行かないだろう。

気性と、得る特異が融合すれば、確実に悪魔的な何が生まれるーーそんな気がしてならない。


「お前も知っている通りに『機械兵』っていうのは戦闘要員として作られる訳じゃない。

あれやこれが欠損した奴等の生存維持が目的だ。 だがーー」


 だが、しかし。 痛みを、恐怖を、過負荷を受け入れる覚悟があるのならば『母胎』は喜んで慈悲を与える。

神奈斗の目が、声が、それらの感情を孕んでいない事実が、その様な規律を破る理由になる。

同胞であった化け物を倒す真意を問うが、本質はそれではないと彼は言う。


「機械兵と強さは知っているから、俺は欲しがっているだけだ。

無手と同じ装いで、次の瞬間には武装が完成している……どれだけ同胞が殺されたのか、どれもこれも無惨で可哀想な死体だらけだ」


「ーー危険思想だな。 お前。

そういうのは個性的とは呼ばんのだ。 絵本の中でも、この世界でも……。

覚悟は有り余るが動機が足りない、所詮は戦闘狂が手に収めるには思い知恵なんだ」


 飼い慣らす事が可能ならば、おそらくこの青年は強い。

強さにも順序というものがあるが、明らかに『彼』がこれまで指揮を取り教育を行った中でも、銃と己の体術だけでここまで自分を痛めつけた人物を思い浮かべるも、その数は両手の指で足りる。

正真正銘の真人間が、『機械仕掛けの核』を文字通り受け入れる事は、適性があり成功すれば間違いなく、凡人は強者となりえ、強者は強者を超える。

しかし、強さを求める意志は自壊の可能性を常に孕むのだ。

マイナス的要素は代償として付き纏い、それを切り離したくなった時にはもう遅い。

癌細胞は根を張り、宿主を食い潰す事でしか共存を出来ないのが常識だ。

受け入れるには覚悟が必要だ……生き抜くには動機が、揺るぎない渇望が必要なのだ。


「諦めな帝国軍人。 まだ若いんだから、その辺の女と幸せになってな。

強さを、破壊性を欲しがるだけで、強くなれるなら機械仕掛けの兵士は『宇宙ナメクジ』なんかに遅れは取らないさ」


 軋む椅子から立ち上がると、『彼』は縄でかなりきつく括られ座れ込む神奈斗へと歩を進める。

戦闘要員らしく逞しい身体と、とても十代とは思えない冷めているが強靭さを覚える眼を眺める。

帝国の軍服は隠し武器を警戒され脱がさており、よくある白のワイシャツは解れ、擦れ、血の染みが消えていない。

もう抵抗する気配が感じられない事もあり、万が一、今神奈斗に襲いかかられようとも、もう一度勝てると確信する『彼』はその縄をズボンから取り出した短いナイフで切り裂く。

ほぼ半日の拘束から解けた神奈斗は、縛られ鈍っていた血流が、全身へと普段通りの流れを作るべく流れてゆくの感じている。


「得体の知れない知恵で身体に蝕むんだ。 制御する為には、もはや根性論も信じる程に支える要素になる。

ーー死を選べないというのは、この世の中で一番恐ろしいもんだ」


 老いが顔に表れ始めた『彼』の目が、神奈斗の鋭さを感じる目に向けられる。

何も、別に彼は他者の意見や忠告を無視するばかりの性格ではない。

自分自身から絞り出さない、他者を出汁にする覚悟には、呆れる感情を抱くのだが、聞いた発言に反する意見は無く同調する。

死ねぬとは恐ろしく、またみすぼらしい最悪の状態だ。

世界に生かされているという事実も、それを認めるには堕落の考えを持っていなければ到底受け入られるものではない。

生きる意思は、死に逝く覚悟と同意義だ。


「使命や、プライドが無いなら、潰れると言いたいんだな?」


 神奈斗の発言に反抗的な意識は無い。

心境の状態で、機械仕掛けの核の覚醒や、それの適性の有無が変化するなどとは思えないのだが、元から死から逃れたいが為の意識では戦う者として、それを受け入れ扱う事など出来ぬであろう。

故の分からぬ叡智など、感情を優先して行使しなければ一体どうするというのだ。


「……話が分かるな。 お前には働いてもらう。

たった一人の捕虜が暴れたところでどうなる訳でもないし、生憎と死にかけの生存者の施しは予約が埋まってるんだ」


 床に置かれた彼の拳銃を拾い、彼にその意思は無いことは目と表情を見れば分かるが、それでは自分以外には示しがつかないとの考えだろう。

何しろ軍だ。 組織だ。 ワンマンアーミーではない以上、同僚達に必要以上に彼を警戒させる訳にはいかない。

加え、彼に牙を持たせる訳にはいかない。 この神奈斗、その気になれば素手でも下手な実力の機械兵を殺害するだろう。

ーーもっとも、ただの戦闘狂の戦闘員にうってつけの役割は機械兵団の中にも存在する。


「入りますよ、総隊長」


 ドアをノックする音が鳴り、『彼』はその声を知っているからそちらには視線を振らず、神奈斗は無論の事知るはずもないからそちらに視線を振る。

機械兵団の正装は大体が黒革のロングコートであり、その内には戦闘行動の妨げにならぬ程度の武装が備えられている。

武装精製が主な戦術であるから、銃の成型が可能な者は拳銃程度しか持たず、ブレードを研ぎ出せるならば刃物の類は作り出せぬ用途のそれしか装備する必要が無い。

もっとも、一枚岩ではないのは神奈斗も敵の情報ながら知っており、例外は存在するのだろうと予想していた。

厚手の黒革のロングコートを着込み、たわむ事の無いようにベルトで締める格好はどうも、どれだけ可憐な女子だろうが様になる……ようにも思える。


「……手当てをするなんて、随分とこの捕虜に対して手厚いですね」


 解けば肩まであるであろう黒い髪は一束に後ろで纏め、厳格な態度を神奈斗へと取るあたり、彼女はそこまで若くはない。

口にしてみれば女性に対しては失礼に当たると、神奈斗の乏しい女性へと接する記憶が、彼を無言にする。

そこまで背丈の無い彼に近寄り、女性としては平均程の背丈の彼女は、彼の左の頬に貼られたガーゼを剥がした。

ーーただ、その『彼』に処置された傷が拳銃で撃ち抜かれた物だとは予想もしていなかったからか、深くまで見える傷にただただ驚く。


「うえ。 隊長、何したんですか、彼」


「こう……口に銃口入れて撃ったんだがな、首を捻って撃たせやがったんだよ」


 自らの口に銃に見立てた人差し指以外を畳んだ左手を入れ、彼女の前で再現する。

思わず傷の奥に見える歯並びに納得し、嘘ではないとい

う事に感嘆してしまっていた。

死に際のとっさの行動を褒められたところで、彼は何も嬉しがることが無く、「膿むからやめてくれ」と剥がされたガーゼをもう一度当て直す。


「着いてこい。 お前の持ち場に行こう」


「私は総隊長と同じ機械兵団の副隊長を務める者です」


 捕縛された際には、どの様な拷問を受けるのかと身構えた神奈斗だが、独房へ案内される様子も無く部屋から歩き出す彼等の後を追う。

そして、初見では気にならなかった彼女の持つ紙袋から取り出されたのは、下ろしていない白いワイシャツであった。

それを振り向き歩きながら神奈斗へ畳まれた状態で手渡すと、着替える様に促す。

流石に血の染みが目立ち、破れや解れの多いそれを着たままでは外見的によろしくはない。

言われるがまま、だが、従う事の内容には同意出来るので、着ているシャツをボタンを外して脱ぎ、口に咥え上半身の裸体を晒す。

ーー二人の何か言いたそうにしている事には気付いていた。

彼等が言いたいのは鍛え背丈の以上に威圧感を与える筋肉の量ではなく、もっと魁偉な印象を与えているのが別の身体の要素だと。

刃物による傷は縫合する事が間に合わず垂れ流しの末に痛々しい跡となり、大小に裂け目として残っておりーー。

それよりも刻まれた数は少ない弾痕は、強引に抉りとった跡が窪んで塞がり存在する。


「前を見て歩けよ」


 神奈斗の言葉に従い目を逸らすも、傷の跡が彼の無手で『彼』との戦闘を死せず生き抜いた地力の証拠である。

弱さ故の傷ならば、とうの昔に骸になっている。

手練にも勝るこれは、もはや何かに反射する度に勲章と思わなければ己に絶望する程だ。

サイズ感は丁度いい服は何の匂いもせず、それもまた心地が良いものである。


「随分と、勲章の多い身体だな」


 話が分かるではないか……気遣いなど無用であり、これは単に未熟により与えられた烙印ともとらえられる物だ。

時折、神奈斗は感じるが、この傷を羽織った様な身体だが、腕も脚もまだ使い物になるあたり自分は運が良く丈夫なのだと感じている。

もっとも、女性ならば嫁に行ける身体ではないが、彼は男だ。 真っ当な男だ。

成人ではないが、少年は大人になるよりも男である方が重要なのだ。

……その様な古臭く説教臭い考えだが、女性自身が女らしさを求め、男性が男らしさを求め、そうあるのは極自然な事だろう。


「……痛まないの?」


 どうせ身体の何処かが破壊されている彼女に、それを貴女が言うのかと心の中で切り返すのだが、からかいの意思が感じられず善意からの言葉だと理解すると会話は終わらせる意味が無い。


「痛いさ。 でも、もう薬は要らない。 自分の身体は死ぬまで手放せないから、お前達も機械仕掛けの何処かを持っているんだろうに」


 生き長らえるとは真っ当な生物的思考。

人智を越えた破壊性を持つ相手に神奈斗がそれでも牙を向けるのは、死からは未だに脱却出来ていない存在だと確信しているからである。

恐れる事を忘れ去る事はしなくとも良い。 だが、恐れるよりも惨めで、同情にも値しないのが、怯えの感情に支配される事だ。

彼の傷は未熟であれど、怯えを覚えていない事の証明の勲章なのだろう。


「そうだな。 戦う男が傷一つ無いのも、それはそれで不格好な話だ。

存分に、これからも血を流せよ神奈斗君」


 ーー。

 ーー焼け野原が全ての戦場の開戦地ならば、おそらくは可哀想な部外の人間は現れない。

犠牲者が常に墓穴に入るに至るまで、全ての巻き込まれた者達が凄惨な末路を辿る事は、確実でない。

特に、大人はこの様な場合には優遇される社会なのである。

働き先が全くもって一つも無いなどと、そんな余りにもこの世の終わりに近しい世界ではなく、住処を焼かれ様とも野垂れ死にという結果から逃げるならば、逃げる事は可能だ。

 ーー一応は、いくら戦闘員、傭兵という職業柄に染まった神奈斗と言えども、存在は認知している。

この時代に至るまでの道程に、大規模戦争は何度もあっただろう。

死ぬ事が救済であるーーなどとは、無論、何の宗教的思想を持たない彼にとってはあまりにも遠く、距離を感じる能書きだ。

自分の様な人間が、ありふれた戦闘狂が生きる限り膨大とも言えないが、それでも目に映る存在は緩やかにだが確実に増えていくのだろう。


「子供は好きか?」


 軍事領域の中にあるこの小さな施設には子供が居た。

数は少ないが、十人程の戦災孤児を多いと見るかそうではないと感じるかは、神奈斗にとっては悩みどころである。

好んで銃を持ち剣を携えた自身の過去を鑑みれば、人間味の無い思考が巡るのだが、それを忘れて口に出す程には彼の人間性は崩れてはいなかった。

副隊長。 子供達に呼ばれた『先生』の先にあった『レーナ』が彼女の名の前なのだろう。

駆け寄ってくる孤児に笑顔を振り撒き、その振り撒かれた笑顔を無視して神奈斗を見詰める二桁に届くかどうかの歳程に見える女児は、どう考えても子供の相手をする様な顔をしていない彼を警戒していた。

子供が好きかとの問い。 好き嫌い以前に、それ以前の問題。 銃を持たせぬという反撃の牙を引き抜く善意に、神奈斗は言葉が出なかった。


「一緒にあやとりなりお絵描きをしろとは言わんが、同じ兵士以外はどうせ殺せないんだろう?

お前には丁度いい牢獄だな」


 表向きも裏の顔も人間によって何通りかの見方に変わる。

慈善事業の本質はどちらにせよ文字通りに、慈悲深い善行ーー慈悲による束縛、善意による拘束。

神奈斗の戦闘時以外では特段危険思想に至らない温い人間性にとって、ある意味では児童のお守りは効果を発揮するという事だ。

解放するつもりは毛頭無い。 処刑などはしないが、飼い殺しは行うという意思に彼はこの時感ずく。


「お前、血が好きなわりにわりと賢いだろう。

ガキ共に刃を向けた所で、あいつはお前よりも強く……生憎と俺はあの部屋が寝床だ。

ここの職員に降格された兵士も、血を見れば卒倒する様な素人じゃないーー」


 あぁ、何と手厚い待遇。 どの道どちらの側であろうとも、戦いの中で骨を埋める所存である彼は、ここを牢獄だと思うと同時に、確信するのだ。

腹が減れば飯があり。 血が流れれば包帯もあるだろう。 ならばやはり、こんな慈善に溢れた場所に閉じ込めるなどと、その了見の目的は一つしかない。


「今更、子供に感情移入する人間じゃないぞ。

ーー必要なら呼べ。 呼ばれれば、応えて着いていく……今の俺は少年兵じゃなく、敵国に捕まったただの“傭兵”だ」


 明らかに警戒をしていた十程の年齢の女児が、ぬいぐるみを抱きながら神奈斗へ歩み寄ってきたところで、『彼』は踵を返しその場から立ち去る。

戦闘力を値踏みし吟味し、強いと判断出来る基準には達している神奈斗から監視の目は自身が外す。

その意味、それが可能な事を意味するのは『彼』がトップの役職に位置する番号の機械兵団の、次の序列の人物が居るからである。

国軍所属機械兵団第三部隊副隊長『レーナ・グレイス』に、大凡の軍事領域内で在中する兵士がするとは思えない柔らかい表情を向けられた時に、神奈斗は改め己の情報を認識する。

もう無理だ。 もう後へ引くことは許されない。

彼の人格が、経歴が、自らを許し更生される慈悲を否定しなければと、もはや片意地にならなくては……これまでの屠ってきた魂達に示しがつかない。

背負わなければならぬ業と、消えぬ罪こそが、神成神奈斗を今の今まで立たせる確固たる記憶なのだ。


(何の、笑みだ)


 更生に値する人間という値踏みは誤りだ。

齢十九。 もはや殺した命は両手では数えられなくなった人間など、同じ価値観の世界でも疎まれなくてはならない。

自ら牙を手に取った事実は、刻まれた傷は、獣の様な攻撃的感情は、可哀想な少年兵を通り越している。

だからこそ思うのだ。 遺物の叡智を得た機械仕掛けの兵士が、どうして故が未だ明かせない未知のナメクジに負けるのかーー。

生きる上で優しさは無くしてはならない。 しかし、優しいだけでは生きるの事は不可能なのだ。

足りぬのはどちらだーー。 戦う理由だけではなく、生き残る為の純度が脆弱なのはどちらだーー。

 だが、幼い女児にはどうでも良い。

解れた大きい兎のぬいぐるみを差し出すのは、彼に直せと促している事の表れであり、ここが牢獄というならばそれは義務ともいえる。


「縫えるの? だったらお願いするわ」


 自らの傷を縫合する男にとって、そんな頼みは手間でもない。

ガラス玉の様な瞳で彼を見る女児の顔が、ほんの少しだけ機嫌が良くなり表情に表れた時に、捕縛された事には

観念する。

余程この褪せて傷んだ兎を直して欲しかったのか、無言のままで針と糸を差し出し、器用に行われるぬいぐるみの縫合手術を見つめていた。


「……女の子なんだから、このくらいの縫い物は出来なきゃダメだぞ」


 焦げた右手、破れた背中、目の黒いフェルト、染みと解ればかりの兎のぬいぐるみはもうゴミとして処分されても可笑しくはない程だが、白いそれと同じ物はただ一つとして存在しないだろう。

加虐を受けた末に、悪魔的な性格の変貌を行う時点で、その人間は良くない素質に溢れている。

そして傷んでいる事を加味しても、えらく雑な仕上がりのこれは、きっと既製品ではないーー。

この子がどの様な境遇と経緯でこの場に居るのかを、本人に聞くなどと、そんな物分りの悪い頭の神奈斗ではなかった。


「兎の他に好きな動物はいるか?」


 子供の目からも屈強に映る彼が、手慣れた手つきで縫い物をする姿は少年少女には物珍しいのだろうか。

ならば、随分と保育係の役をするには力不足であると彼は感じる。

こんなものは自らの傷を縫い合わせる事を考えればあまりにも容易く痛みも無く、衛生兵や医療従事者に頼らなければ傷を縫う事も出来ないのかと思えば、彼等の脆弱な軍勢にも納得がゆく。

自身が所属した組織、あの日を境に失脚したが部隊長ヴァルキュリアが完全に兵器として認識されるまでに攻撃的な意思を持ち合わせていたならば、もはや戦局すらも変わり、変えられてしまう。

ーーその彼女が作り出した存在がこの子供達だとしても、自分が変わって贖罪するつもりなど神奈斗には毛頭無いのだが、行き場のないやるせなさに似た感情は埃の様に僅かだが、無碍に出来ない程度には積もっていた。


「直して欲しいものがあったら、持って来い。 お兄ちゃん、裁縫と縫合は得意なんだ」


 神奈斗がそう言うと子供達の中から数人が、やはり女子が各々の破れや解れの目立つぬいぐるみや服飾品を持ち出してくる。

その時に気付いたのだが、一番初め、この大きな兎を持った来た彼女がどうやら一番の年少者の様だ。

流石に十を超えるかどうかの子供に、ましてや女の子に針は持たせられないという彼の女性に対する論が、逆に十を超えていそうな彼女等に釘を刺す。


「お前はダメだ。 お前もダメだ」


 妙な返答に疑問を覚えた彼女等に、彼は裁縫道具を持ってくるように言い付ける。

針と糸を準備してお膳立てをしろと言うのではなく、ただ単純にもう裁縫くらいは出来るようにするのが、彼の思う面倒を見るという事なのだろう。

神成神奈斗に学は無い。 最低限以上の一般常識も危ういのを自身が知っており、遊び相手には彼は大きくなり過ぎている。

だったら、自分の知恵を分けてやる事でしか、施しの手は思い浮かばない。


「まぁ、針で指を突くのも勉強だ。 お前達くらいの歳になったら、何でもは大人に頼っちゃダメだぞ」


 打ち解けるつもりは無いのだが、結果的に教えを与える立場には寄り付くというのが子供だ。

知らぬ事、出来ぬ事が例え大した代物ではなくとも、彼の教えられる事はいずれその内に役立つ時が来るだろう。

そのくらいの知識しか無いといえば、その通りなのだが。

 そして、何時の間にか数人の子供の中にレーナは混じる。

無言で混じってきた彼女は今の時期に丁度いい、毛糸の厚いセーターが畳まれて持っており、準備良く同じ色の毛糸と明らかに使っていないであろうと思わせる新しい棒針を携えている。

しかし無言。 彼は彼女が言わんとする発言を予想し、だが何も言わない。

これは良くない。 特に教師でもないが子供の前に立つ盾がこの様な行いをする事はよろしくない。

目力を込めて糸を通す者や、ゴミの塊の様な留めを作り出す者が居る中で、機械兵団副隊長はその守るべき存在を尻目に恥を承知で彼に命令する。


「……これも縫ってくれる?」


 男だからどうのこうの、女ならばどうのこうのを言う程に彼が歳を重ねている訳はないが、ましてや銃と刃物と拳の扱いしか長けたものが無いならば、そんな彼自身が可能ならば、当然の様に言い返す。


「自分で直せよ先生」


 

 ーーーー。

 開戦の狼煙を上げて、その後で一線を交えるというのは何年も前の風習である。

大規模な抗争の代償は、人的資源の枯渇を招くが、同時にもっと重大な資源を枯渇させてしまう。

人間は雄と雌が存在する限り尽きる事は無いのだが、それこそ『彼』の生まれるずっとずっと昔から兵器は存在し、使われ、そして造られてきた。

それは国軍だけの問題に留まらず、帝国も同じ無視出来ぬ甚大な問題だ。

機械兵及びに異能力者は、所属する母体が敵対していてもその中での立場は似たような存在である。

兵器が最低限でしか使用出来ない戦況下にて、先陣を切り先陣に連なり戦いを行うなど、愚策を通り越した思考停止の極地に至る蛮行である。

蛮勇が嘲りの対象になって久しい時代、予め予知し備え迎え撃つ作戦は、当然な戦術なのだ。

 国軍所属第三機械兵団隊長及び機械兵団総隊長の役職に着く『彼』は次の戦闘が小規模な事を、この会議室に居る自分と似た年齢の男と察しており、対する行動を取り決める。

機械兵団の黒革の長い軍用コートと対に見える白い軍服は、隊も階級も違う証だ。

円卓を囲むのは彼等二人、極少人数で行うのは規模の大きな戦場とは別に、極小規模の任務であるからだ。

現に卓上の情報の資料は筆記者が居なくとも纏められる程度しか存在しない。


「ーーで。 内紛が殺し合いだとしても、みすみす主戦力を潰す訳にはいかないだろう、とは思うが。

ヴァルキュリアの指揮下を外れているのは確かなのだろうな?」


 マイベルグ・オーライン指揮官の発言には『彼』は賛同している。

一に障害となる一人の異能力者。 その彼女がトップの座から引き摺り降ろされた事実は大量の情報員と間者のもたらした情報から確定されていた。

敵対組織側からも無視出来ぬヴァルキュリアの所在は、不幸な事に単なる一兵卒の扱いに留まり、まだ、あの死神が部隊で力を振るう事には変わりない。

だが、何一つ素性が分からぬ彼女の後釜が何を動機として成り上がったのかも故が分からない。


「あぁ。 それは帝国軍内にも大々的に知らされている。

かつての小国を吹き飛ばす戦力を持つ女の失脚だ、末端にも伝わっているだろう」


 ただ一つ言える事は、ヴァルキュリアの方針へ異を唱えた人物だからこそ内紛を引き起こし、結果的に特殊兵部隊『アザー』を掌握するに至ったのだ。

自らが指揮を取り、自らが先陣を切り、自らが、自らがーーそういう異能力者であったヴァルキュリアとは思う戦術が違う人物ならば、迎撃に全力を注ぐだけでは裏を掛かれてしまう事は想像には容易い。

 卓上の地図に示されたチェスの駒の位置を見つめ『彼』はオーライン指揮官へと発言を行う。

その位置にあるのは機械兵の母体……いや、『母胎』と呼ぶに相応であるモノが存在している。

国軍営軍事病棟。 個々の地下には自軍の上層部の限られた人間程しか知らされていない『機械仕掛けの子宮』が埋蔵されていた。

湧き所を断つという発想は、嬉嬉として戦うヴァルキュリアには毛頭無く、恐怖と畏怖で相手の戦闘意志を捩じ伏せる思考がそこには至らせなかった。

生粋の戦闘狂、純粋な兵士であるが故の彼等からすれば慈悲深い彼女の思想は客観的にはあまりにも可笑しく逸脱している。

ならば極常識的な論を、不確定ながらも停滞組織に痛手を与える攻略を求めた際に、それは単体の蟻ではなく蟻の巣を駆除する至極真っ当な一手を考えた場合、否定する理由は無い。

ーーだが、巣は一つではないのも確かな事実。


「人造異能力者」


 『彼』の口にした言葉は、もう古くオーライン指揮官も耳にしていなかった。

『人造』の文字が示すその存在が、もしも産み落とす事が出来ていたならば機械仕掛けの兵士の一人当たりの負担は確実に減り、戦力の増強は容易い。

それが可能であったかどうかは、現状を見れば火を見るよりも明らかである。

頓挫した計画は立て直しの価値も無い忘れられた神への反逆行為。

神秘を侮辱する叡智は所詮は人の浅知恵であり、賢き人の知恵はその境界を超えられなかったのだ。

しかし、時代の流れは何れ秘匿を外部へと押し流し、帝国側もその様な行為は周知しているが、知り得た時にはもう遅い。

病棟よりも帝国領域側に近い印の施設には、既に人は居らず腐った肉の人形ばかりが失敗作として置き去りのままであった。

機械兵よりも世に知られてはならぬ禁忌ではあるが、もはや大きくとも人民にとっては選択肢が二択の二大大国に世論の評価は必要は無く、ならば国軍が隠蔽を図り続ける限り、帝国は事実を明らかにするつもりも無い。

秘匿を破る事が常に望まれているとは限らず、とうの昔に破棄された計画書には何も価値は無い。


「此処へ数人でもいい。 向かわせる」


「……意味が分からないな。 もう隠すには遅く、冒涜された亡骸しか存在しないのは帝国も知り尽くしているのだろう?

現に、今の今まで、異能力者どころか全ての部隊が触る価値無しとした廃墟をどうする」


 オーライン指揮官の言葉には、おそらく近い内に発生する軍営病棟への制圧に対する備えを求める本心が垣間見える。

あの場には『母胎』だけではなく、表向きには負傷者を収容する目的を公表しており、所謂手負いの兵士ばかりが床に伏せている。

潰すべき前哨基地や堕とすべき本丸とはそもそも違い、現にヴァルキュリアはその様な場所には手を付けなかった。

だが、それと同じだと『彼』は言う。

派遣する人数が違えども、攻め落とすに値しないとしても、“もしも仮に、過度な不安因子の排除を求める堅実派”が後釜に座ったならば、過去の情報と今の現状を見て決定を下すならば、特殊兵部隊『アザー』主戦力の病棟への侵攻は確実であり、ヴァルキュリアをそこへと投入するならば人員を現状が分からぬ施設へ赴く事に割くのは容易いのだ。

『腐った蛹の中で蠢く何か』の存在するという極僅かな可能性に怯えるならばーー。


「まだ……孵っていない命が悪魔かどうか分からぬ以上、俺なら研究施設を狙う。

人数は多少の強者が多少の数だけで済むだろう。 それに、ヴァルキュリアは部隊の方向性をとやかく言うような女ではない。

奴は戦えればそれで満足する“戦乙女”だ」


 無言は『彼』の発言を無碍に出来ない心境の表れか。

だが、その要請を呑むには此方も相応の戦力しか其方へと流せないという縛られた通達をする他無い。

守るべきモノが無いと双方が認知した以上、本当に阻止すべき箇所を手薄にする事は看過できないのだ。


「俺と副隊長で其方にーー」


「バカを言うな総隊長。 君が前線を離れ、やる事ではないだろう」


 苦虫を噛み潰したような感覚を覚える事を、どちらもが理解はしている。

だが、今は一人でも多くの戦力が必要であり、兵器の数が戦局の決定打にならない現状では、『彼』という総隊長の肩書きの人間ならば余計に外せないのだ。

だが自分とレーナの第三機械兵団の双璧が、最も戦場の苛烈な場から離れるという希望を押し通す要素はある。

それは先日に一人の異能力者から壊滅的被害を被った部隊の存在であり、機械兵への人為的改造行為が負傷者が再び再起出来る様に行われ、また彼等もその尖兵となる。

 ーーオーライン指揮官は相手の言わんとする事は分かるが、分かるのだが何しろ負傷者の数が数だ。

一人や二人ではない事を告げると、聞かされた事実には『彼』も驚きの感情を隠せず、そして浮かび上がるその異能力者の狂った戦闘力。

第二十五歩兵部隊の調整は終わっておらず、未だに半数以下の約十名しか辛うじて実践へと投入出来る数はいない。

まるでバッタやトンボの羽をもぐ子供の様に苛烈さを持ちながらも、殺すまでには至らない事は、果たして慈悲深いと言えるのかどうかーー。


「……調整に手間を取らせるなどと回りくどい真似は、おそらくヴァルキュリアの指示ではない。

ーー君の言う通りなのかもな、ヴァルキュリアの後釜の人格は。 雲林と交戦した以上、一人も死者が出なかったのは、彼女がわざと生かしている様にも思えるが」


 もしも、これがヴァルキュリアの後釜に座る人物の指示ならば人道を大きく逸脱している。

生き残りを機械兵へと変貌させる事を先読みしてでの、この人為的に犠牲者ではなく負傷者を増やすという行為は戦術的には正しく、『母胎』が何も広大な面積と多大な人員を一度に格納し叡智を授ける実態の裏を突かれたのだ。

戦場へと間に合わせるには無理にでも負傷者を、誰も彼も辛うじて死からは免れている欠損ばかりの負傷者をそこへと詰め込むしかない。

数人の強者が作り出される結果よりも、その人物は『母胎』の容量的な負荷による不出来に転生する多数の雑魚が生み出される事の選択を国軍へと強いてきた。


「どうせ死なずに生き長らえるには、もはや詰め込むしか選択は無い。

そのギリギリの定員を突かれたのは、誰も責められる問題ではないのだよ」


 阿鼻叫喚という言葉が、実情を目撃してオーライン指揮官の脳裏に現れた。

本来ならば死に際の負傷者が助かるはずであったのだが、雲林奏愛の行った慈悲的な仕打ちは生き残る為に生き地獄を味合わせるというものだった。

呻く、呻く、呻くーー。 養豚場の食われる豚でさえ可愛らしく思える程に、あれが人間の絶望の声であるというのか、それは毎夜に夢の中でさえ響くかもしれない程に鮮烈だったのだ。

あのゴミの様に詰め込まれた三十人程の中で、一体何人が加虐を受けた末に牙を持つ悪魔になれるのかーー。


「そうか。 第二十五歩兵部隊が間に合わないならば、彼等は俺の穴埋めには使えないんだな」


 目立つ人数を派遣する事は善ではない。 それは他に優先すべき戦場があるからだ。

だが、『人造能力者』をかつて研究し生み出そうとしたその研究所へと現れる敵兵が、それこそ自然発生した天然の異能力者ならば戦わねばならない。

あの場にもしも孵ってはいけない命があるのならば、それこそ秘匿すべき何かである。

死骸に埋もれた中、もしも仮にヴァルキュリアの後釜がそこをもう一度掘り返すとは、確信が無くとも想像する事は無駄ではない。


「ーー蛹の中で死んだ命。 急速な成長剤を投与された彼等は極小数だった。

頓挫した計画から辛うじて生まれた彼等が、純血の『使者』に対抗出来ずにまた死んだ。

君も知っているだろう? 使い物にならなかった、言いたくはないがゴミの中にまだ『何か』が居るとは思えない」


 だが『彼』の四十数年の人生経験が、そのありえない程に低い確率を危機感として感情を煽るのだ。

危惧する危機感と焦る焦燥感が果たして杞憂に済んだ試しは、一体何度あったのだろうかと、そんな風に思うのはそれもまた杞憂というものが大して経験したことの無い幸せな状況と結果であったのだろう。

 だから駒として派遣する考えは結局譲れず、ならばとほんの少し策を巡らせた時に、思い出した存在が居る。


「……どうした?」


 オーライン指揮官は不意に左の腹部を軽く押え撫でる姿に疑問を覚える。

戦闘時に痛めたにしては随分とその顔は余裕があり、明らかに大事に至る傷を負っているとは思えないのだ。

服を脱げば『機械信号』による度重なる機械化と修復の人形の様な身体へと成り果てたが、あぁ、痛み摩った此処はまだ人間のままであったのだ。

これは新しい痛みであり、充分に戦いの無い数日でも仮に濃厚な激戦の中でも処置しなくとも耐えられるのだがーー。

思い出す。 何も充分な会議や打ち合わせもせずとも、機械兵団の正規軍人を無理矢理に派遣しなくとも、今、管轄下に入っている利用価値のある男を。

任務は容易くその彼には少々つまらないものだろうが、自身が本気を出さなかった一戦混じえての戦闘力を値踏みした感想は、彼は充分に強者である。


「何でもない。 だが、まぁ、うちの副隊長は研究所の警備に回らせる。

あの子自体の戦闘力は知れているだろうし、何より俺一人が少し頑張って無理をすれば穴埋めは出来る」


「ーー副隊長一人ならば構わない、彼女一人が無駄に死ぬとは私も考えにくい……が、一人の派遣ならばそれこそ主戦力への補強に当ててもらいたいがな」


「いや、一人だけ空いてる男がいる」


 だからこその副隊長レーナの派遣だ。

例え彼が間者だとして、やはりどれだけ兵士としての純度が高く強いと言っても、彼女はその上を行くという確信がある。

確かに彼は強く苛烈であるが、国軍内の戦力凡そ何百の機械兵の中で指折りに入る彼女が裏切られたとて負けるはずがないのだと。

『彼』の言う“男”という人物が、察しの良いオーライン指揮官はどの様な人物かを既に認知しており、だとしたらもはや指揮官という役の指揮下ではない。

管轄下に置く『彼』は、神奈斗をレーナの護衛として同行させると言い、最善ではないだろうがとても最悪手と断言出来る判断でもないのは言うまでもない。

使える者は使う。 ましてや失脚したヴァルキュリアは既に一兵卒として戦力へと加わり、確実に此方へと人智を超えた神秘的な暴虐の意志を向けるだろう。


「ーー過保護な事だ。 そう私が感じた所でやはり君は役職に応じた報酬を渡したい。

だが、もしもの時には子供達の怒りと憎しみは、君と元帝国軍の彼に向くのだよ。

あの羽根をもがれた戦闘機部隊の彼女は、もう兵士としては死んでいて、もはや単なる母親の真似事のつもりで生きている」


 「恐れたまえよ」 そう呟いたオーライン指揮官は『彼』の発案に対し、より深部に存在する『何か』の存在をただただ危惧するばかりであった。

 ーーその心の何処かで感じる疑惧が、彼の傍らに置かれた通信電話機からの着信音に掻き消えた瞬間に、緊張感がここに居る二人を縛り付ける。

滞りなく自軍の計画が進むならば、こんな小さな少数でしか使えぬ会議室には何の用は無く、必然的にこの一報はもれなく悲報である。

戦術指揮官と機械兵団総隊長の二人しか居ない部屋では、もはや個別のやりとりなど必要無いのだというオーライン指揮官の考えは、直ぐに一つのボタンを押して聴き渡る音声として機器に内蔵された小型のスピーカーから発せられた。

時期尚早……予見していた進軍の動向は国軍の想定よりも数日早く敢行されたのだという一瞬の思考は二人にはあった。

だが、年季の入った経験と予想を覆すのがいつも僅かな可能性による不和ではない。

この世界に既に第三勢力などという存在は確認されておらず、帝国側の策謀は実態を予想するには困難な善意であったのだ。


『帝国軍の撤退信号を確認。 繰り返す。 帝国軍の撤退信号を確認』


 一報を聞いた『彼』は眉を顰め、敵側の真意が表面的なフェイクではないと結論付ける。

いや、結論に至る道標は短絡すぎて僅かばかりの賢さも自身でも感じる事は出来ないのだが、危惧するならば撤退の指令はおそらくは帝国軍上層部の決定ではない。

これまで行われてきた帝国軍の戦力拠点の陥落作戦はどれもこれも物量に物を言わせてきた。

その為に限りある資源と人命を投入し、それらは制圧射撃を成功させたとしても自壊の損害を出しており、これまでの帝国軍の行った計画から推察すれば、この攻め入るに相応しいポイントの制圧からの計画的撤退はこれまでとは違う。

そこで顕になるのが、各部隊各所属へと新たに地位を築いたであろう人物に他ならない。

ヴァルキュリアの時代ならば、彼女は先陣を切り、そして異能力者部隊以外の者達も従え戦闘を敢行してきたが、それとは明らかに流れが変わってしまっている。


「ーー了解した。 だが引き続き、防衛線の警戒は怠る事は無く、司令室からの指令待て」


 撤退司令の信号弾は軍事的な規定に基き、それらは常に白であり、おそらくは目視で確認した前衛の部隊から報告は確かである。

何も野蛮人共が食料と女を奪い合う時代が今も続いている訳ではなく、それらはもはや残る文献でも不確かであるが遠い過去の話だろう。

だからまだこの世界には法律と条約がある。

白旗に見えない事はない白煙の狼煙は撤退の報せであり証明、不意に影から兵の団と機動兵器の編隊が迫るという事はそれに反している。

帝国軍に対し安堵を浮かべるなどと、無論二人は出来ずに、既にどれ程かは関係なく進軍を成功させられた事実は、現状は攻勢からの防衛を待つ事へ集約する。


「その場に居る国軍部隊全てに伝える。 許可が降りるまでは決して攻撃態勢を崩さずに、銃口と砲身を構え続けろ。

ーーそして、毒々しい色をした閃光を確認した場合……いや、現場の指揮に任せる」


 オーライン指揮官ただ一人の権限では、幾つもの部隊を集合させた大隊の指揮は下せない事は無論であり、組織とは常に何時の時代もそういうものだ。

そして戦場ではなくこの会議室にて、おそらくは目の前で撤退信号を目撃していた上層部及び他の司令官達と同じ様な発言をした事は、正しく茶を濁すという例えが合致する。

過去、大部隊を指揮し率いた大佐という階級の面影は無く、先刻に失脚したヴァルキュリアと同じ様に、彼もまた失態という切っ掛けは左遷という傷を築いたのだ。

今や指揮下に置く事が出来たのは、同胞、同年、同郷、同属の『彼』を筆頭とする機械仕掛けの兵士の部隊だけ。

異能力者部隊に辛酸を浴びせられたが、やはり軍人、戦果は結果であり、オーライン自身の心中は昇格が名誉に結び付かない。


「マイベルグ・オーライン指揮官。 ーー指示を」


 ならば、過去にヴァルキュリアとその他の精鋭少数に大部隊の大半を撃破された経緯を持つ彼には、もう己の戦術予報を押し通すだけの熱も力もないのだ。

撤退信号を掲げた帝国軍。 果たして此方側、国軍の戦力を痛み分けの様な形で削る事だけが目的であったのか。

結果は未だ出ず、だが想定は崩された。

ーーオーライン指揮官の現時点で至る結論は、帝国軍の持つ異能力者の部隊を警戒するのだ。

強靭でただ単純に人よりも強り戦車や、数少ない武装したヘリ、隊列を銃と防弾服で武装した組み進軍する歩兵の軍団……国軍と同じくその様な “隊” が目立つのは帝国といえども相違は無い。

機械兵団総隊長の予見は確実な杞憂で終わるという保証が、オーライン指揮官の考えの中でも、その一報により消え去った。


「第三機械兵団グレイス副隊長に伝えておくれ。

戦闘は必要最低限度に留めーー自らの人命は捨てる必要は無い」


 第一、第二、第三、第四の階級上位に位置する彼女だが、分散した帝国軍の兵士相手に無駄に死なせるというのは情も何も無くとも、あまりにも不利益を被ると感じる。

『彼等を人間だと思うな』 そんな過去の軍師が言った言葉がどれ程昔なのか、少なくともこの耳で聞いていないにしろ、どの様なタイミングで一中隊に匹敵する破壊性を持つ異能力者が日の目の現すかは分からない。


「了解。 では、指揮通りにレーナ・グレイス第三機械兵団副隊長と、捕虜の神成神奈斗の二人に指定箇所の防衛及びに視察を行わせます」


 何がそこに居るかは分からず、だが何かがまだ蠢いているならばそれは秘匿である。

見捨てられ、見落とされ、それこそ異能力者と呼ばれる『星の使者』の模造品の死骸の中で、腐った蛹が生きているのならば保護し、また隠すべきだ。

もしも本当に恐るべき秘匿が存在するならば、特筆すべき此方にも名の知れた異能力者達が、ほぼ残骸と化した機械仕掛けの子宮に惹かれる事だけを祈らなければならないだろう。


 『生物研究機関医療研究所』 暴かれるべき秘匿が無くなったと見過ごされていた場で、やがて羽化を終えた秘匿は羽ばたきたがるだろう。

猛毒の羽根なのか、慈愛の翼なのか、はたまたーーそれは飛び立つ為ではなく戦う為の、神を業を超えた人の叡智なのだろうか。

だが、どうでもいい。 神奈斗は己の意思などどうでもよく、それにより少しでも機械仕掛けの核を授かれる可能性になるならば、喜んで銃を手にするのだ。  


 ーーー。

ーー自身は兵士である、だから神奈斗牙を研ぐ事を忘れる事は出来ない。

齢二十に届かぬ未成年だろうとも、意識は一端の人殺しを済ませた単なる兵士であると実感して生きている。

確かに、その手に残った己の血も他者の血も等しく生暖かく、銃弾で受ける傷は彼等も同じ様に生命の呆気なさを感じただろう。

猫科の獣が爪を研ぐ事と、戦う兵士が身体を鍛える事は同じ様な意味だろう。

彼の自己防衛とは、そもそも戦う事を前提とした生き残りの選択肢であり、彼はそれ以外で自分自身を守る事を知っているが選ばなかった。

孤児達が寝静まった深夜の施設内の厨房は、一室も与えられなかった神奈斗の寝床でありそこで今、手に掴む拾った数個の石を彼は擦り合わせ続ける。


「何度も言うけど、別に子供達と同じ部屋で寝れば良いのに」


 ここに囚われ既に三日が経ち、総隊長は役職故に無論この場を開ける時間が多く、『彼』と副隊長のレーナが持ち回りで彼の様子を観察しに来る。

特に深夜帯は彼女が神奈斗を見張るのだ。 勿論、彼は何も誰にも危害を与える様子は無く、その様なつもりも毛頭無い。

ただ、一杯のコーヒーを入れに来る程度、メンタルケアのつもりなのかどうでも良い事を話す程度。

神奈斗よりもレーナは十は変わらなない二十六の年齢であるが、たった三日で彼が心を開く事は無い。

分かるだろう? 女に飢えれば何時しか次は人に飢え、それは彼のこの様な生き様の中では弱さにしかならない。

殺した数には決して届かないが、見捨てた生命は少なくはない。

取捨選択をし生き残ってきた、言わば外道、言わば冷徹。

兵士の長生きには常に臆病者の称号が付きまとい、臆病者を受け入れるのはもはや彼にとってはどうでも良い事だ。


「昨日は私は話したっけ……ね?」


「俺の昔話」


「そっか。 ーー私もね、何時でも昔の事を思い出すよ」


 そう。 過去は消えずに、生きる限り忘れる事は不可能に近い。

彼は聞くつもりもなくどうせ機械兵、その話はどうせ碌でもない内容に違いない。

普段は黒革の薄い動きに障害が無い手袋を嵌めるレーナが、休息中に脱いだ時に現れる、金属で覆われるではなく構築された左手はそういう事だ。

彼女の裸姿がどれ程に可哀想なものなのかは彼には想像はつかないが、負傷者からの転生、生き残りからの復帰者である事には変わりない。

目を伏せ、カップのコーヒーの水面に映る自分の顔を見ながら、ぽつりぽつりと彼女は話し出す。


「ただ、ただね。 私も結構努力してこんな風になる前は頑張ってたんだけどね。

戦闘機乗りだった頃が忘れられないんだよ……」


 現実問題なのだが、貧しい資源は必然的に軍備への影響は計り知れなく大きい事は言うまでもないだろう。

特に人員というものは放置していれば、この情勢ならばたとえ緩やかといえども増え続けるものである。

だが、一人の軍人が相手一人を殺し続けるなどとう、その様な手練は果たして何十人存在し、その何十人が何人生き残り続けるのか。

だから、兵器と呼ばれる物は自軍の防衛線となり、その中でも空からの一方的な攻撃を行う事が可能なのが戦闘機だ。

壊滅的な打撃を与えるその兵器が、一つの拠点基地に両手の指で足りぬ程配備されていたのはもう何年前なのか、何十年前なのかーー。

学だけでは成り上がれない戦闘機乗りというエリート。

ただ、一方的な攻撃、馬鹿げた速度、質量を伴う鉄の鳥の撃墜を行った人物を彼は知っている。


「ーー何時でも、あれは夢だったんだって思うんだよ。

そうだ、あの時の高度や速度や……計器類の数字を私は全部覚えている」


 神奈斗は無言でただ聞き耳を立て続けた。

あぁ、彼女もまさか転送した爆撃弾を投下した後、撤退中に追撃を行う存在が、地表何百の高度へと攻撃を可能とする存在が意識に居なかったのだろう。

戦闘機の速度を示すマッハ。 音速を超える速度、それよりも更に速く動く光速の兵器は、何もレーザー光線の類だけではなく、それを帝国軍は所持している。


「コックピットから見えたんだよね。 こう、短い黒い髪の女の子が。

まだ、あの時はあんな機械仕掛けの大きな刀なんて持ってなかったけど、マッハ3の戦闘機の頭で立てるんだもんねーー異能力者っていうのは」


 おもむろに、ついつい寝巻きの長袖を捲り彼にも見えるように翳して感傷に浸る。

途方も無いマッハの世界とは、生身で実感出来る領域の話ではなく、速度領域に加え高度が四桁に届く世界は極限られた人間しか機会の中でしか感じる事は人生において無い。

だが、所詮戦闘機といえどもそのキャノピーの耐久性などたかが知れている。

レーナは確かに覚えている。 極寒の高度とマッハ3強

の戦闘機に乗りながら、その異能力者は彼女の左腕を正真正銘ただ単純に鉄を叩いただけの刀で貫き計器に串刺された事を。


「国軍空軍攻撃部隊のエリートパイロット……そのパイロット人生の終わりは、私だってまさかと思った。

今の私の隊長が、失速して落ちるだけの私の機体に空で追い付くまでパニック状態で、結局私はあの人に抱かれて痛みでのたうち回ったよ」


 刃物が貫通した傷など、神奈斗にも与えられた勲章であるが、それを皆が経験すべきだとは彼は思えない程に、あれは見た目と同じ程に痛いのだ。

痛みは人を強くするなど迷信だ。 度を越した激痛は確実に心を砕き、砕けた心は大多数の人間を弱気者へと恐怖心により変えてしまう。

だから、彼女は不屈だ。 それは分かる。 分かるからこそ、神奈斗はただ彼女に伝える


「貴女は強い。 それだけしか、俺は感じる事は出来ないんだ」


「ーー皆、そう言う。 確かに、私は腕を無くすだけで済んでた。

何もこんな身体にならなくても、生きる事は出来てそれは幸せなんだろうって、私にも分かるよ。

でも、それでも、新しく作った機械仕掛けの左腕が、また痒い」


 手甲は厚く大きいが、特に彼女の左腕はそうではなく布で巻けばもうそれは単なる一般的で健康的な常人の形のままである。

生身の右指が、疼き痒いと言い、掻き毟れば右の爪は剥がれ皮膚は傷付く機械仕掛けの左腕。

ーーそうだ。 皆、大多数の生き残り達は皆がそう言っている。

電撃を含む斬撃は高電圧を放ち、あまりにも常識から逸脱した稲妻は電圧が低下するまでに多大な時間を要する。

加えて刀の峰は鋸状で致命傷を与えられなかったとしても、傷口を文字通りに引き斬る。

異次元的な電気と野性的な凶器、それが引き起こすのは癒えぬ傷と消えぬ不快感。

傷跡が痛みを思い出させ、痛みは痛みを超える不快な痒みを負傷者に与える。


「雲林か……」


「そう。 あの子の名前が国軍に知れ渡る切っ掛けは私だった。

今ではヴァルキュリアに次ぐ、もしかしたら超える強さの『宇宙ナメクジ』」


 単騎での戦闘機撃墜という偉業は、怪物としてその異能力者の名を馳せる要因となった。

その時、確かに神奈斗は彼女が空へ駆け登り、戦闘機を追い掛け、そして落としてみせた行為を味方として見たのだ。

だがその栄光的な暴れ具合いの代償は、まだ異能力者ではなく『宇宙ナメクジ』として成熟していなかった雲林奏愛の身体に負荷として重くのしかかった。

曰く『屍数え』、曰く『八つ裂き嬢』、曰く『電光石火』、曰くーー。

『戦闘機落とし』の名は一度きりであり、それが余計にレーナの自尊心を容易く踏み砕き、路肩の石の様に蹴り飛ばした雲林への感情は、恐怖よりも遥かに憎さが勝ってしまったのだ。


「あの子を倒そうと思った時、私は恋した。 近付かなくちゃ、そう成らなければって。

憎いけど憧れる、許せないけど忘れる事は出来ず、どうしたいかなんてどうでも良くてーー」


 だがそれが、それこそが戦う意思となり、そのレーナの心中は高純度の戦闘意識に満ち溢れる。

動いたはずの左腕を自身で完全に潰し、その決意を感じる神奈斗は、結果がこの片腕だけでないと本能と経験が察する。

まだ嫁に行ける歳だ。 誰かに充分に愛されるであろう容姿だ。 子供を産み、普遍的な幸せを容易く噛む事が出来るはずだったレーナ・グレイスの実力は、彼女の意思と来歴と感情を鑑みれば容易く強者であると断言出来る。

そしてレーナの瞳が神奈斗の瞳に “照準を合わせる” 。


「貴方は、あの子の事、好きだった、 ? 」


 そんなくだらぬ質問など、返答するに値せず。 無論、レーナは例え神奈斗がそれに対し「そうだ」と答えようが答えまいが、次の交戦する場合の戦場にて悪魔となり修羅と化す。

保護された孤児達が慕う『先生』とやらも、皮を一つ、たった一つだけ向けば地獄の業火の様な殺意と悪意を孕み続ける機械仕掛けの兵士であった。

かくも『機械兵』とはそういうものだ。 機械仕掛けの殺人兵器を作り出し、心もそうなるべきカラクリと化している。

孤児達の母になれないなど当然の結果であり、血に汚れた手を隠す罪悪感は、更に機械仕掛けの手を血で染める事でしか払拭出来ない。


「貴方も、あの子の事、あの子達みたいな、気色悪い生き物を、倒したい、 ? 」


「ーー俺の事はどうでもいい。 でも貴女が死ねば機械兵団合計の戦力は少なくとも低下する。

それに、俺は貴女が死んだ後にあの子達と合わせる顔が無い」


 確かにもう彼女は母親にはなれない。 なる事は自身が許さない。

だが神奈斗は意地悪く言う、その機械兵としての戦闘純度を下げる存在達の事を。


「生きる為に戦わないと満足して死ねはしない。

死ぬ為、殺す為に戦うのは強さになるが、目的を達成した時にそれこそ情けない死に方になるぞ」


「ーーごめんね」


 瞳の照準が解かれるとレーナは既に普段の子供達に向けるのと同じ目をしている。

目先にいる歳下の異性は強靭であり、落ち着きの源は道徳倫理的には褒められたものではないが、ほんの数日と言えどもレーナは神成神奈斗に対して嫌な負の感情は持ってはいない。

ただ彼の言う言動は人殺し故に達観しており、まさか自分が彼に嗜められる様な事を言われるとは微塵にも思ってはいなかった。

その身長に対して相応な大きさの手の中なら角の取れた石をその辺に置いた彼は、厨房の机に置かれ自分が一人の孤児に作るように頼まれた茶色い猫の縫いぐるみを雑に両手で掴む。


「死ぬのが望みなら戦わなくても構わないだろう?

貴女には役目があるーー」


 秘匿が産声を上げたならば、誰かがまた隠さなねばならない。

そして彼にはそれは守るべきモノだと、隠さねばならない命だと思う慈悲は無く、心底どうでもいいのだと意志は決している。

 だが気を付けろ。 帝国軍所属特殊兵部隊序列一位『ヴァルキュリア』の失脚によって、日の目を浴びるという修羅の道を宿命としてしまった人物がいる。

一つの生命あたり、不確定多数だが確実に死の儲けを出す異能力者達以外、国軍に知れる強者以外が戦力として参戦するのだと神奈斗はただそれを恐れる。

ヴァルキュリアの影に隠れ、雲林の牙に守られ、『イクサ』と『竜巻セル』と『十字架パニッシャー』が組織から散った今、ようやく現れるだろう。

国軍の非道が産みだした、産まれたのかどうかも確定出来ないその秘匿よりも、先ずはそちらを恐れなければならないのだ。


「きっと奴等は少数で来る。 俺が仕留められる可能性は低いし、だったらーー強いんだろう? レーナ・グレイス副隊長?」


「空から機械に乗って引き金で何百を殺した私が、弱い訳が無いでしょ?」


 望むべくとは言えないが、ペアを組む事となったならばこれ程に心強く互いに案じる必要が無いというのは強みだ。

方や母性の真似事をやりたい、おままごとが好きな元女性軍人現機械兵。

もう片方は強さを欲求し、目的も理想も無く遂に故郷を置いてきた青年。

ーーだが、レーナの心細さが見えてしまった神奈斗が、果たして仲間に対して今のままの冷徹さを貫くのを躊躇うこと無く、彼女もまた、守られたいという来歴と事実を鑑みれば性根的に腐った救いを求めないならばの話だ。

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