第70話 結末ー1

 どんなに過酷でも、どんなに辛くとも、月日は流れていく。

「ああ、疲れたな」

 ことん、と筆を置き、肩を上げ下げして凝りを解す。開け放ってある障子の向こうには、赤く色づいた柿が見え、虫の音が聞こえてくる。

 暑さが鳴りを潜めた今日は、随分と筆を進めたような気がする。だが、あの激動の日々の表面をなぞった程度でしかないのは、自分が一番よくわかっている。

 傍らの半紙には、箇条書きで重大な出来事が記され、至る所に走り書きがある。思い出したことを急いで書き加えているので、書いた本人しか解読できない代物だ。

「この年は近藤さんが長州へ立て続けに出張して……その間に伊東の野郎が暗躍しやがって……ああ、勘定方の河合が切腹になったのもこの頃だったなぁ……。いい奴だったが、ちっとばかし往生際が悪かったっけ……」

 なぜ切腹になったのかを思い出したので筆を取り上げてさらさらと書き加え、再び筆を置く。

 こうやって新選組での日々を記すようになって半年近くが経つが、何度思い出しても涙が零れる出来事がある。

「サンナンさんの切腹、油小路の変……忘れられねぇ」

 新選組を離脱した高台寺党の「粛清」は、情け容赦なく行われた。

 まず伊東甲子太郎が襲われ、その遺体は無情にも路上に放置された。それを引き取りに来た伊東派の連中を一網打尽にするためだ。もちろん、伊東派の連中も新選組が待ち伏せていると解っていて、遺体を引き取りに来る。

 当然、阿鼻叫喚の死闘が繰り広げられ、気がついたら――平助を逃がすことは不可能になっていた。

「助けても、お前は喜ばなかっただろうけどな……」


 太く長い溜息を落とし、思考を「鳥羽伏見」へと持っていく。

 戦死した源さんの首と愛刀を、一生懸命多摩へ連れて帰ろうとしていたのは、源さんの甥っ子だった。小さな体に源さんの首は重たすぎる荷物だったらしく、故郷へ連れて帰ることは出来なかったと聞いている。

 優秀な監察方だった山崎烝を失ったのも、この頃だ。山崎は顔に大けがを負い、江戸へ戻る船の中で静かに息を引取った。そのまま連れて行くわけにはいかず、海へと埋葬した。

 次々と、仲間が死んでいった。いつも誰かが傷つき血を流し、気がついたら知っている顔が欠けている。それが当たり前だった。

 だが、当時は泣く間もなく、故人を悼むゆとりすらなく、毎日毎日任務に追い立てられていた。

 なにせ、新選組や幕府は『負けた』のだ。敗者に吹く風は冷たく厳しい。


 ちっ、と舌打ちを一つ零し、ごろりと横になる。手近なところにある座布団を引き寄せ、折りたたんで枕にする。

 妻に見つかりでもしたら喧しいだろうが、幸い彼女はいま、出かけていて留守だ。

(そういや、明日だったな、篁さんたちがうちに遊びに来るって言ってたのは……)

 目を閉じれば、脳裏にかつての仲間の笑顔が浮かぶ。

「近藤さん……あんたの首をすぐに取り戻せなくて悪かったなぁ……」

 武士であるのに切腹が許されず、斬首だったと聞く。その上、首が罪人の如く曝されたと聞いて、やり場のない怒りを覚えた。

「土方さん戦死の報も辛かった」

 あの二人は……ことに、鬼副長・土方歳三は殺しても死なないだろう、くらいに思っていた。だが、転戦を重ねて函館まで行き、そこで腹部を撃たれて落馬したという。

「トシさん、あんたは何故函館まで行ったんだよ? あんたは生き残って明治政府に入りゃよかったんだ。近藤さんは……そんな器用な真似はできそうにねえなぁ。俺ぁ……生き残っちまったよ……。残されたほうも、辛いもんだぜ」

 

 『甲陽鎮撫隊』が敗走した後の事は、思い出して気分の良いものではない。別れや怪我、そんなものばかりな気がする。

(俺と左之は、あの時近藤さんたちと別れたっきりだもんな……)

「お、そうだよ、なぜ袂を分かつことになったのか、そこも書かなきゃな……」

 あのご時世、生きてまた会えるだなどと信じていたわけではないが、それでも、どこかですぐに再会できるような気もしていた。

「天狗になったあんたが気に入らなかったが……俺らが傍にいたらあんな死に方はさせなかったと思うぜ……」

 間違っても彼らは罪人などではない。だから、彼らのことを少しでも書き記しておこうと思い立ったのだが――。

「俺は筆より剣がいい……」

 筆は、ちっとも進まない。

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