第71話 結末ー2

翌朝。

 日の出と共に起き出した新八は、自身が経営する道場の掃除をして通いの弟子たちに稽古をつけたあと、ごそごそとあちこちを漁り始めた。

「あなた、何をお探しですか?」

 妻の言葉に適当に手を振る。

「いや……確かこの辺りに仕舞ったと思ったんだが……」

 これでしょう? と、妻が差し出すのは昔から使っている手文庫だ。

「おう、これこれ!」

 取り出したものは、何通かの文だ。いずれも重ねた年齢の分だけ変化が見られるものの、『見慣れた癖』のあるものばかりだ。

「ふふ……相変わらず字が下手だなぁ……」

「それはお前さまも同じかと……」

 妻が、くすくす笑いながら文机の上に広げてある紙を指差す。

「おきね、俺に失礼だろ……って言っても本当の事だから怒る気もしねぇな。なぜか俺は、少しも巧くならなかったんだよ」

「きっと皆さま、同じなのでしょう。筆のように小さなものより、刀やお国といった大きなものを扱う方が良いのでしょうね」

 おきねが、にこっ、と笑いながら畳の上に文を並べ始めた。これらを広げて目を通すだけで、夫・新八の心が幕末の京へと飛んでいくのを、彼女は良く知っている。

「お前さま、この藤田さま……昔は斎藤一さまでしたね。お元気なのでしょうか。こちらの島田さんはよくお手紙を下さいますね」

「ああ、良く覚えているな」

 ええ、と妻はにっこりと笑う。

「今日お見えになるのは……」

「えーっと、藤田と島田、篁さんたちだろ……ああ、こいつもだ!」

 新八が指し示した文――この中で一番新しく、短いものだ――を見たおきねは、まあ、と目を丸くした。

「みなさま、驚かれるでしょうね」

「ああ、俺もこれが届いたときは随分驚いた」

 このご時世、生き残った連中と連絡を取るのも一苦労、会うのも一苦労。ましてや――。

「お前さま、今日は腕によりをかけます。お買い物に行って参りますので、お掃除、お願いいたしますね」

「おう」

 気を付けてな、と言う新八の声がいつもより明るく弾んでいる。

(そんな声が出せる日が来て、良かった……)


 ひるを少し過ぎた頃、やけに堅苦しい声が玄関先でした。

「お邪魔致す。拙者は警視庁の藤田五郎……」

「おお、上がれ上がれ!」

「ようこそいらっしゃいました」

 新八とおきねが揃って出迎えると、きびきびとした物腰の男が、律儀に挨拶しながら玄関を潜った。

「数十年ぶりの再会だというのに遅くなって申し訳ない」

「いや、まだほとんどの奴が来てねぇよ」

 良かった、と笑った顔がすぐに引き攣った。

「……って、なんであんたがここにいるんだ!」

「ふふ、久しぶり。ぼくだって、新選組隊士だったんだから良いでしょう?」

 藤田五郎、かつて斎藤一と呼ばれていた男は、無造作にそれ――白銀の毛並みを持つ仔狐――を掴み上げた。

「……聞け。文明開化し、洋装や瓦斯ガス灯が当たり前になりつつある今の世に、妖怪ほど不釣合いなものは無い」

「なんだとぉ!」

 ぶわっ、と妖狐の尻尾が膨らんだ。

「まぁまぁ。こいつも結構大変だったらしいぜ。話を聞いてやれよ、斎藤」

 斎藤は、しぶしぶといった表情で妖狐を畳の上に戻した。

「沖田さん、あんたは大暴れして近藤さんに大迷惑をかけたあと、それでもしつこく付きまとい、とうとう江戸に監禁されていたんだろう?」

「監禁じゃなくて療養! 千駄木で篁と一緒に療養してたんだ。なんとか安定して狐の姿がとれるようになってみんなを探したんだけど……近藤先生は亡くなった後だった。みんな、みんな死んでしまって……冥界を尋ねたら知った顔がたくさん、たくさん、あったんだ。血まみれ、恨みまみれの人もいた……」

 仔狐が受けた衝撃は大きく、心配した篁が強制的に閻魔王庁の一角にある小野邸へと連れて戻った。

「それでもお前が元気で良かったよ、総司」

「ふふ、永倉さんも元気そうでなにより」

 新八の肩へ飛び乗った仔狐が、大きく尻尾を振った。

「ちっ……そのままおとなしく、冥界で暮らしてばよいものを……化け狐」

「ああ、暮らしてるよ! 閻魔王の優秀な護衛なんだから!」

「では二度と人界へ出てくるな! 逮捕するぞ」

「むっ、別にいいでしょう、いたずらするわけじゃないんだし!」

 二人の闘志に火がついたところで、のんびりとした「待った」の声と、威勢の良い「やれやれ!」の声が同時にかかった。

 ぴたり、と斎藤の手がとまった。

 ゆっくりと顔をそちらへ向けたその目に飛び込んで来たものは。

「なっ……生きていたのか……!」

 懐かしい、二人だった。

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