第69話 戻れない道ー4

 平助に丹念な封印を施した篁は、念のため、平助の部屋に結界を張った。

 何事かを呟きながら歩く篁を目で追う平助は、どことなく楽しそうだ。

「よし、これで当分は大丈夫だ。しかし……妖は退けられるが、生きている男は退けられない……」

 平助はけらけら笑うが、伊東が憎いと思った。

「平助が妖怪と闘っている事を知っていながら、あんな無理難題を言うとは、伊東こそ鬼だな」

「別に無理難題でもないよ。土方さんは何があっても新選組を抜けることは許さないから、おれが手を回す必要はないんだよ」

 篁は、はっとしたように平助を見た。

「では平助……新選組を抜けることも許されず、高台寺党にも受け入れてもらえない中村たちは……」

「新選組が討手を出すのと、こっちが討手を出すの、どっちがはやいかな。もしかしたら、土方さんと伊東先生の間で何らかの話し合いが行われているかもしれないよ」

「あーあ。俺や春明も宮中で苦労したけど……違う種類の苦労がありそうだな……」

「一緒だよ、権力争いだもん。うまく出し抜いて、足を引っ張って、情報を集める」

 でも、と篁は瞼を閉じた。

「でも俺たちは、権力争いに負けても死ななかった。そこまで仕事に命はかけていない」

 途端に平助が大笑いし始めた。

「上司に意見して遣唐使船降りたり、島流しにあったりした人が良く言うよ!」

 知っていたのか、と篁は頬を掻いた。

「若かったんだよ、あのころは!」

「総司や新さんと、気が合うのもわかるよ」

 ちぇっ、と篁が唇を尖らせた。一瞬、部屋に笑いが起こり、次いで沈黙が落ちる。

「ねぇ、篁さん」

「ん?」

「たぶん、おれと斎藤が、中村たちの討手に選ばれると思うんだ。伊東先生、おれたちのこと、信じてないから……」

 どくん、どくん、と、平助の中の、妖怪が蠢いているのが篁には視える。

「中村たちは――生かしておけない。可哀想だけど……」

(平助の中の妖気が増した原因はこれか!)

「わかった、その時は必ず護衛につくから心配するな」

「ありがとう」

 平助は、いつもと変わらない笑顔を見せた。


 月が、屯所を照らす。その光を浴びながら、篁はとぼとぼと冥府にある自邸へ戻っていた。

「あ、おかえり、篁。どうしたの、元気がないね」

 陽だまりの気配に顔を上げると、幼馴染の春少将が箒を握っている。

「春明!? なにやってんだ……?」

「ああ、剛奇と一反木綿が大喧嘩してその後片付けをね……」

 屋内を見れば、赤い小鬼とぼろぼろの一反木綿が常葉姫に叱られている。思わず篁の頬が緩んだ。

「ここは、いつも変わらないなぁ」

「うん、どうしたのさ?」

 篁は、幼馴染の穏やかな顔を見つめた。

「なあ、春明。ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」

「うん、なに?」


 それから数刻後。

 篁と春明は、閻魔王に面会を求めていた。とある『許可』を求めるためだ。

「……篁……人ではないそなたが人界で人を斬れば、冥府の理に触れる。そのこと、解っているのか?」

「もちろん」

「……自分自身が消えてしまう恐れもある」

「もう、飽きるほど生きたから悔いはない。それに、これは無意味な人斬りではない。平助が中村五郎たちを斬ったら……妖種子は間違いなく妖力や恨みを吸って成長する。封印を破って暴れ出し、平助を飲み込む」

 一度、妖種子が覚醒した時は、大きな猿だった。あれがさらに、進化・成長しているに違いない。

「とんでもない化け物を、都に放つわけにはいかない。そうだろう?」

 言いながら、篁が愛刀を握りしめたのを、閻魔王と春明は見逃さなかった。

 篁が、拳を握りしめるときは、決意を固めたときだと、知っている。そしてその決意は、簡単にどうこう出来るほど、生易しいものではない。

 長い長い沈黙が、その場に落ちた。

「……わかった。許す。人を斬ることを許す」

「ありがとうございます。もし……もし俺が二度とここへ戻れなかったら……」

「……わかっている。姫、だな」

 一つ頷いた篁は、閻魔王に最敬礼をとったあと謁見の間を飛び出し、ほの暗い回廊を走る。そのすぐ隣に、春明が無言で従う。

「春明、お前は来なくていいのに……」

「戻らないよ。いつも一緒にいろいろ乗り越えてきた仲だろ、篁」

「それも、そうか」

 二人の青年は、一気に人界を目指した。冥界と人界の時の流れは若干違っている。『事』が起こっていない確証がない。


 篁と春明が駆けつけた先――会津藩邸――では、武士が一か所に集っていた。その場には近藤勇も呼ばれていて熱心に話し合ってはいるが、お世辞にも和やかな雰囲気とは言い難い。

「篁!」

 春明が鋭い声をあげた。長年の習慣で、篁は護符を取り出しながら春明の目線を負う。

「あの馬鹿、何でここに来てるんだ……! 局長の護衛が出来るほど元気じゃないだろう!」

 妖気が膨れ上がった、白銀の妖狐がいる。いや、沖田総司だったものが、熱気と妖気に中てられて、たちまちその本性を剥き出しにしてしまったのだ。当然、中村五郎たちは驚いている。

「う、あ、化け物……」

 妖狐が、くわっ、と口を開けた。火の玉が吐き出され、腰を抜かしていた隊士数人を瞬時に灰にした。

「だめだ、止めるんだ!」

 慌てた近藤勇が両腕を広げて妖狐の前に立ちはだかるが、狐は前足を振りぬいてその体を弾き飛ばしてしまった。篁が駆け寄って局長に手当てをし、素早く結界を張る。

「師匠であるおれの声まで……聞こえなくなったか……総司……」

 再び、火の玉が吐かれる。先ほどのものより、大きい。それに飲まれて十人ほどいた「脱退嘆願者」たちは、あっという間に四人ほどになってしまった。

「な、なんだよ……なんなんだよ!」

 中村五郎が、果敢にも刀を抜いて妖狐に向かっていく。だが、鋭い爪に引っかかれ、血を吹いて横倒しになる。

 深手だが死にきれずに呻く中村の傍に、春明がふわりと近寄って首を落とした。それを見た残りの隊士は、狐に向かって行く者と腹に刀を突き刺す者とにわかれた。

 しかし狐など端から勝てる相手ではない。奮闘むなしく血を吹く。そして、腹に刀を刺したものの死にきれず呻くものがいる。いずれも春明が首を落とした。

 一瞬にして静まり返った大広間に、血の匂いが立ち込める。

「……総司! この、大馬鹿者が!」

 沈黙を破ったのは、近藤勇の大喝だった。

 血と妖気を纏った「愛弟子」にそっと近寄った師匠は、その白銀の首筋をいつまでも撫で続けていた。

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