終章

第66話 戻れない道―1

 新選組に残った伊東一派は、やはり騒動を起こした。

 残された「伊東一派」にとって新選組が心地よい場所であろうはずがない。間者であることに耐えられなかった者、盟主と慕っていた相手がいなくなって我が身の振り方に迷いが出た者、思想の異なる組にいられない者……さまざまである。


 そんなある日、新選組に残された残党の一部が、

「伊東先生の一派に、おれたちも入れてください」

 と、新選組の屯所から抜け出して伊東に直談判したのだ。このことは当然すぐに監察から副長の耳に入れられたが、鬼の副長は唇を少し持ち上げて「そうか、暫く奴らの好きにさせておけ」と告げた。その顔は実に楽しそうである。

 一方の伊東は、色白の顔をさらに蒼ざめさせて困惑していた。

 目の前には、必死の形相の『同志』がずらりと並んでいる。怒鳴りつけたいところを、必死に抑えて

「いずれ君たちをこちらへ呼び寄せるつもりだが、今ではないんだ。もう少し新選組の動きが知りたいし、新選組の戦力も削りたいから、そちらの内部で同志を集めてくれると嬉しいんだが……」

 と、告げた。

 何より「新選組と御陵衛士の間で隊士のやりとりはしない」という約定がある。これを破る度胸は伊東にはない。あの土方歳三が、新選組脱退を認めるわけがない。山南総長ですら切腹させた鬼のような男が、伊東一派の隊士を間者とわかっていながら新選組に残したのは、体の良い人質にするためだ。

「近藤さんや隊士を狙ってみろ、お前の同志を一人残らず始末するぞ」

 と、暗に、いや、はっきりと牽制しているのだ。それがわかっているので伊東も、

「同志にもしものことがあったならば、その時はこちらも、藤堂・斎藤両名を始末するまで」

 と脅してみたが、歳三の返事は実に素っ気ないものだった。

「隊の方針に意義を唱え、伊東さんに与して脱した者の末路は知らぬ。好きになされよ」

 歳三が本気でそう思っているのか。それとも、御領衛士にとって貴重な戦力である藤堂・斎藤両名を伊東が簡単に斬るはずがない――そう読んでのことなのだろうか。

(土方歳三、弱体化する幕府側に残しておくには惜しい人材かもしれない……)

 どうにかして仲間に引き入れたいと常々思っているのだが、武士への執着、近藤勇や仲間との絆、徳川家への忠誠心――いずれも簡単に切り離せるものではないため、諦めた。

 古風で堅物な歳三を引き抜いている間に、世の中の情勢が変わってしまう。

「土方くんに気付かれる前に、屯所へ戻りなさい。そして、二度とここへ来てはいけないよ。必ず迎えに行くからそれまでの辛抱だ」

 そういって『同志』を送り出した伊東だが、一抹の不安を抱えていた。

 追い詰められた獣のような様子をした彼らが、伊東が狙っている『計画』を先走って行うのではないかと思えて仕方がない。

 迂闊に『計画』――近藤勇暗殺計画――を喋るのではなかったと今更ながらに悔やまれる。

(いっそ、あいつらを全員始末するか――?)

 そんな考えが過り、慌てて頭をふる。

「いけないな。土方くんの考え方に似てしまったようだ」


 自室へ戻る道すがら、縁側で談笑する平助と斎藤の姿が目に入った。

 襟を寛げて団扇で風を送りながら笑うあの二人は間者なのだろうが、どうしてもそうは思えない。

 時には本当に自分たちの考えに賛同して、ついてきてくれたのではないかと思えることすらある。

「もし本当に間者などではなく、私の考えに賛同してくれたのだとしたら……或いは他の幹部たちも引き抜けるのかもしれない……」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  

「君たちを受け入れることはできないんだよ。新選組に戻りなさい」

 と、丁重だがきっぱり拒否された彼ら伊東一派の残党は、すっかり絶望していた。

「俺ら……これからどうすりゃいいんだ……?」

「わからん……」

 御陵衛士にいれてももらえず、かといって新選組にはもう戻れない。あの日以来、何度も伊東の元へ行っているのだが、毎度断られ、その都度屯所へ戻って毎日仕事もこなしている。

 だが、御領衛士に会いに行っていることがばれているのではないかと、幹部の目が怖い。

 いつ副長に呼ばれて切腹と言われるか、落ち着かない。

「そんな暮らしに、耐えられないんだ、俺は……!」

 今日も伊東に断られ、屯所へ戻る道すがら、誰かが吐き捨てた。

 その足元で黒い影が伸びあがったと同時に、何処からか矢が降ってきた。あっ、と思った時には足元に矢が何本も突き刺さっている。

「ぎゃっ、ぎゃああ!」

「ひゃあ、なんだぁ!?」

「おいおい、みっともねぇ声だしてんじゃねぇぞ、おめぇら、新選組隊士だろ」

 慌てて前をむけば、仏頂面の永倉新八が立ちふさがっていて、新八の背後、民家の屋根には黒尽くめの長身の男がいる。彼が矢を放ったらしい。

「あの、永倉先生、どうしてここに……?」

「俺の休息所がすぐそこなんだ。お前らの足元に、何か妙な物がいたように見えたんだが、逃しちまったらしい。驚かせて悪かったな」

 片手を挙げて立ち去る新八だが、くるりと振り返った。何か言われる――そう覚悟したのだが、新八は思わぬ事を口にした。

「お前ら、そんな穢れを纏ったまま屯所へ戻るな。身を清めてから戻れ。総司の具合が悪くなる」

 悠々と立ち去る新八の背中を見送り、一同は太い溜息を洩らした。

「永倉先生、すげぇ迫力。こえぇ……」

 近頃、永倉新八の凄みが増した。うっかりちかよれやしないと嘆いたのは、局長だったか、原田左之助だったか――。

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