第65話 慶応二年ー4

 屯所から、伊東一派が出て行く。見送る者も見送られる者も、心中穏やかであろうはずがないが、誰もが必死で取り繕っている。

 ざわめく人の群れから離れたところでそれを眺めている新八のとなりに、すっと人が立った。

「新八、なぜ行かなかった? 誘われたんだろう?」

 ああ、と新八は低く返事をした。

「夕べ平助が俺の部屋に来て、間者は長く生きられないことがわかっているからおれがやる、会津の殿様から命令が出たある人物がおれの護衛を兼ねて来てくれるから新さんは近藤先生のそばから離れないで、って言うんだぜ」

 精悍だが果敢なげな顔つきでそう告げる平助の様子は、歳三の脳裏にはっきり思い浮かぶ。

 新八が顔をくしゃっと歪める。

 どうせもうすぐ死ぬなら、妖怪に内側から喰われて死ぬより新選組のために一働きして、武士らしく斬り合って死にたい――平助は、そうきっぱりと言った。

「サンナンさんも、それを願った。そして、本当にさっさと死んじまった。平助もきっと、同じだ。死ぬことはねぇ奴が、死に急ぐ。それがわかっていながら俺は……」

 新八は、近くの壁に背を預けてずるずると座り込んだ。だが、視線は伊東に注いだままだ。

 ふいに周囲のざわめきが遠くなり、新八の目の前が見慣れた手拭いの柄で一杯になった。

「なっ、何事……」

 言い終わらないうちに、平助の笑いを含んだ声が降ってきた。

「なに泣いてるのさ、新さん。ほら、涙を拭いて」

「永倉さん、幹部がへたりこんでみっともないぞ」

「ちっ、俺だって泣きたいぜ……なぁ、土方さん?」

 新八の左側に斎藤が腰を下ろし、右側には左之助が突っ立っている。若干鼻声なのは、涙を堪えているからだろう。

 真正面の平助は、新八の頭に被せた手拭いが風で飛ばないよう、押さえている。副長はきっといつもの無表情で自分たちを見つめているのだろう。

 ずいぶんと太く逞しくなった平助の手首を、新八はぎゅっと握って力任せに引き寄せた。

「わっ、なに?」

「死なせてたまるか、たまるかよ……」

 平助の肩をしっかりと掴んだ新八の腕が細かく震える。

「平助、斎藤、お前ら、絶対生きて戻って来い! 死ぬなよ……助けてやるからな」

 左之助が絞り出すように言うと、背後から歳三の低く小さな声が漏れた。

「死なせるものか。お前らは江戸からずっといっしょにやってきたんだ。絶対に助け出す。だから、それまで死ぬな」

 行かないでくれ、とは、口が裂けてもいえない。

 そのうち新選組が討伐に行くがその時は真っ先に逃げてくれ、とも言えない。

(辛い、な……) 

 局長はそんな光景を直視できず、思わず視線をそらした。その視線の先には、青白くやつれた沖田総司と、総司に寄り添うように小野篁が立っている。

 篁の視線は、平助に注がれている。平助に常につきまとう死の影が、篁や総司にははっきり見えているのだろう。

(それが、どうか杞憂でありますように……平助が、我々のもとへ戻ってきますように)

 しかし、平助が二度と新選組に戻ってこないのだと、誰もが知っている。平助自身も。


 そして、幹部達が心を痛めている人物がもう一人いる。沖田総司――いや、妖狐だ。

「……篁、もう人型限界。部屋へ戻る」

「わかった」

 平助と斎藤が屯所の門を潜ったのを確認し、総司は部屋へと引っ込んでしまった。

 それを見る新八が、眉を寄せた。

「総司のやつ、ちっとも良くならねぇな……黒い妖気がまとわりついてやがる……」

 妖気に惹かれて近寄ってくる妖は、雷微が居なくなった今も、ひっきりなしだ。それを新八は狩っている。時折、篁も春明も一緒に狩る。

 狩らなくても良いのだが、狩った方が、総司が早く元気になる気がするのだ。


 沖田総司は、ここしばらくまともに隊務ができていない。調子が良い時は平隊士に稽古をつけることもあるが、それもきわめて短い時間だ。隊士には知らせていないが、完全に病んでしまっている。

 かつて山南敬介を助けようとして体内に取り込んだ妖怪が、妖狐を内側から苦しめている。それに加え、瘴気の塊である雷微に近寄りすぎた。

 妖狐族の里へ戻れば、或いは、異界へ行き養生すれば治せるらしいのだが、妖狐自身がそれを拒んだ。

 彼の「病」は徐々に進行し、今では、人型をとることも減り、人語がほとんど話せなくなってしまった。

 朝も晩も、白銀の体をぎゅっと丸めて、ひたすら篁の張った結界の内側で眠っている。

 妖狐が丸くなって寝ている傍へ行き、そっと声を掛けることが許されているのは、試衛館からの同志たちだけだ。

「総司、入るぜ」

 妖狐が濡れたような大きな黒い瞳が開いて入室者を見上げる。

「原田……さん……巡察……」

「おう、一番隊は全員無事に戻って来たぜ。不審者もいなかった」

 こくん、と白銀の頭が揺れる。その頭を撫でて、左之助は一方的に町の様子、屯所の様子を語って聞かせる。妖狐は、尻尾を振ったり頷いたり驚いたり……なんとなく会話が出来る。

「おっと、副長への報告がまだだった。ゆっくりやすめ。篁さんは今、外回りに出ているが、もうすぐもどってくるからな」

 左之助が出て行ったあと、妖狐はまた丸くなった。


 左之助は左之助で、数歩歩いたところで足を止めていた。

(サンナンさんはもういねぇし、総司が病に倒れて、平助と斎藤が伊東と一緒に行っちまった……)

 新八もなんだか穏やかではない。

「なぁ、新選組は――俺たちはこれからどうなっちまうんだ? 誰か教えてくれよ……」

 答える者は、もう、なかった。

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