第63話 慶応二年―2

「なに? 新八たちはまだ島原から帰ってきていないのか?」

 局長のところへ無表情の歳三がやってきたのは正月三日のことだった。

「この三日、伊東の取り巻きや、わけもわからず宴席に加わった平隊士たちは戻って来たが、肝心の伊東・斎藤・永倉が居続けて戻ってきてねぇ」

 珍しく、局長の顔が怒りで歪んだ。

「門限破りは隊規違反だ。さて首謀者は誰だ? まさか新八ではないだろうな?」

「あ? なんで新八だと思うんだ? 伊東だと考えるだろう、普通」

 実際、歳三もそう睨んでいる。伊東が永倉・斎藤両名に何事かを吹き込んで伊東派へ引き寄せようとしているに違いない、そう考えているのだが、局長は違う見解であるらしい。

 だが、局長は首を横に振った。

「どういう――ことだ?」

「トシ、良く考えろ。孝明天皇が崩御されて、喪に服すようにとお触れがでたばかりだ。そんな時期に、あの尊王派の伊東さんが宴をひらくと思うか? 悼んで飲むには日が長すぎる。これは新八あたりが言いだした、俺へのあてつけじゃないかと思うんだが……」

 歳三の目が丸くなった。きっと、口もぽかんと開いていただろう。

「どうした、トシ?」

「いや、てっきり伊東が、新八や斎藤を引き抜く策略かと」

「それもあるだろう。そうでなければ新八が提案した宴に、参加するはずがない。今頃新八は、伊東さんの熱弁に困っているだろうな」

「つまり、新八の浅知恵を伊東がまんまと利用した、ってぇわけか」

「おそらくな」

 ふーむ、と、歳三は唸った。


 はたして島原では全くその通りの事態になっていた。

(はー……めんどうなことになっちまったな……)

 ため息を吐きながら、無精ひげをぞろりと撫でる。

 正月一日から飲もうと言い出したのは、新八自身だ。何でそんな無茶苦茶なことを言い出したのか、自分でもよくわからない。ただ近頃、時折胸の内に真っ黒な靄が広がり、おさえがたい破壊衝動に駆られることがある。

 会津公の支配下にある新選組が、天皇の喪に服すべき期間に島原でどんちゃん騒ぎをしたと世間に知れたら大問題、隊規違反どころの騒ぎではない。

 下手をすれば、局長や副長が腹を切らねばならぬかもしれないし、会津へも迷惑がかかる。それをすべて承知していながら、島原へ繰り出した自分が、一番の不思議だ。

「こりゃあ……雷微に注がれた妖気の影響かもしれねぇ。大事にならねぇうちに、篁さんに相談しておかないと……」

 そんなことを考えながら一日目は、静かに酒を飲んだ。門限が近くなり、集まっていた隊士たちが腰を上げ始めたころ、新八や斎藤も腰をあげた。

 それを引き留めたのは、伊東だった。普段の新八だったら、伊東の手を振り払うなり、伊東を引きずるなりして屯所へ戻っていただろう。

(どうして、九州遊説とかいう話にのっちまったかなぁ……?)

 伊東が熱心に話をふってくるが、何を言われようと新八は近藤派を出るつもりはない。いつだったか、局長の非行五箇条を書き連ねた建白書を会津公へ提出したことがあったが、あの時も近藤勇が憎くてやったわけではない。今でも、勇本人が憎いわけではないし、困らせたいわけでもない。

 どうやって屯所へ戻ろうか思案するが、しこたま吞んだ頭で満足な答えがでるはずもなく、そのまま時ばかりが過ぎていく。

 だから、四日目にして、局長からの使いが来たときは本当に安心したものだ。

「よし、帰るか。斎藤、帰るぜ」

「承知」

「永倉くん、斎藤くん。わたしは本気で君たちを必要としているんだ。九州行きの話を検討してくれたまえ」

 ぽんぽん、と肩を叩かれたが、新八の耳にはまったく届いていない。


 当然、帰営した新八と斎藤は、ものすごい剣幕で局長に叱られた。

 冥土から戻ってきていた篁と総司、遊びに来ていた春明がが思わず動きをとめて凝視するほどの勢いだった。危うく新八はその場で切腹させられそうになった。

 それを防いだのは、歳三――ではなく。

「勝っちゃん、待て。新八のおかしな行動は……妖気のせいだ」

 篁が慌てて間に入って、素早く印を結んだ。瞬間、新八を取り巻いている空気が黒く淀んだ。新八の顔がゆがみ、胸をおさえてのた打ち回る。

「ぐうう……篁さん……どういうことだ……苦しいぜ……」

 これはどういうこと、と総司が篁の肩を掴む。

「篁! 永倉さんに何をしたの?」

「新八は、平助の中に封じた妖種子が覚醒したときに食べる、餌なんだ」

「なんだと?」

「餌が、人間のままではよろしくない。適度に妖気を満たして――食べやすくしてある」

 その言葉を証明するかのように、ゆらり、と人が局長室へ入ってきた。藤堂平助本人だ。

 ただし、その顔色はひどく悪く、目も虚ろだ。

「……おいしいにおいが……」

 平助の輪郭が、わずかに崩れかけた。

「おっと、ここで妖種子の封印を解いてもらっちゃ困るんだよね」

 篁の目線を受けて、春明が体術で平助の身体を畳みに沈める。すかさず篁が護符を投げ、剣印抜刀して部屋いっぱいに結界を張り巡らせる。

「封印を厳重に頼むよ、篁……」

「もちろんだ。新八も数日はこの中で生活して。徹底的に浄化するから」

 

 結局、妖種子の封印の儀式と、新八の浄化には七日ほどの時間が必要だとわかり、その間、永倉新八は「謹慎」ということになった。

「近藤さん、トシさん……なんかいろいろ……すまねぇな……」

 ぽり、と頬を掻いた新八の腹部に、鈍い衝撃があった。珍しく近藤が、拳を叩きこんだのだ。

「二度と、こんな騒ぎを起こしてくれるな、新八。次は本当に切腹を申し付けなきゃならん。俺は……仲間を失うのはもう嫌だ」

「ああ……伊東の九州遊説同行の話、あとできちんと断ってくる」

「心配するな、その話は、俺からきっぱりと断っておいた。今、新八や斎藤を手放すわけにはいかん。仲間を一人も失うわけにはいかんのだ。解ってくれ」

 ぐっと唇を真一文字に引き結んだ局長は、新八と平助と総司を順番に眺めた。

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