第64話 慶応二年―3
時というものは、残酷なほどにすぎていく。九州遊説を終えて屯所へ戻ってきた伊東は、
「新選組から、分離させていただきたい」
近藤・土方両名にそう正式に申し出た。
なんと彼らは、既に朝廷に手を回して『御陵衛士』という資格を得ていた。
「御領衛士……考えたな、伊東さん」
歳三が、苦虫を噛み潰したような顔になったが、対する伊東はどこまでも真面目な顔だ。当然だ。「命懸けの交渉」なのだから。
朝廷からの命令で先達て亡くなった孝明天皇の「御陵衛士」として活動するために新選組から分離するのであれば、法度にある「局を脱するを許さず」という文言に触れることなく、新選組を出ることが出来る。
つまり、新選組を出ていながら、腹を切らずにすむのだ。
「そう来たか……」
苦々しく呟く歳三だが、その脳味噌はぐるぐると、実に目まぐるしく回転している。
このまま、一方的に伊東にしてやられたままでは、彼の腹の虫がおさまらないのだ。
伊東は伊東で、歳三に考える時間を与えては恐ろしいことになることを充分知っているので、すかさず次の問いを放った。
「友好的な離脱の証として、わたしの仲間を一部、新選組に残して行きたい。どうだろうか?」
「は? あんた、自分が何を言っているか、わかっているのか?」
もちろんだ、と伊東が頷く。
「新選組隊士と御陵衛士、近藤派と伊東派が一つ屋根の下にいる。傍から見たら、とても友好的だと思うんだ。どうだろうか?」
最後の部分を、伊東はわざと局長の方を向いて言った。
この、人の好い局長なら、うん、とすぐに言うだろうと思ったのだ。とっさに歳三も局長を見てしまった。
だが、意外にも局長は渋った。
「だがなぁ……俺は賛成しかねる。残された伊東派の隊士の胸の内を想うとなぁ……連れて行ってもらえなかったとがっかりするのではないだろうか?」
は、と伊東の目が丸くなった。想定外だったらしい。数拍呼吸を置いた後に、歳三が身を乗り出した。
「では、伊東さん。友好の証として、こちらからも数名、貸し出しましょう。御領衛士の方にも新選組隊士が応援にかけつける。なんと友好的なことか」
歳三の挑発的な瞳をみた伊東の瞳は、その挑戦受けて立つ、と、語っている。
静かに火花を散らす二人の横で、唯一、腕を組んで唸っていた局長が口を開いた。
「その……なんだ。互いに間者として疑われてしまう。そんなのは、疑われるのも疑うのも、どちらも気の毒じゃないか?」
思わず、伊東と歳三は顔を見合わせた。
間者として疑われる、のではなく、彼らは間違いなく間者なのだ。歳三と伊東は、堂々と、そちらに間者を送り込むから、と、言い合っているのだ。
なのに。
「……やっぱり、よくないな。伊東さん、出来る限り全員を連れて行ってあげてください。その上で、今後、隊士のやりとりは一切禁止。こうしておけば、誰も疑われることがない。トシ、伊東さん、これでどうだ!」
妙な迫力と妙な優しさに、二人とも、諾、と言うしかなかった。
局長は解決したと思っているようだが、それでも二人は水面下で、それなりの攻防を繰り広げていた。
伊東が新選組の戦力を削る為、また、結束の弱体化を図る為、幹部を何人か引き抜いていくだろうと読んでいた歳三は、ある日、副長室に三人の幹部を呼んだ。
「あのな、もし伊東から誘いがあったら断るなよ。ついていけ」
その言葉に、呼ばれた三人が目を丸くした。
歳三は懐から小さな帳面を出し、さらさらと何かを書き付け、彼らの方へ差し出した。
「わかった」
三人が異口同音に答えたのを確認すると、その箇所を破り、火にくべて燃やしてしまった。
全員が、黙りこくったまま焼けていく紙を見つめる。
「……でもな、死なせはしねえ。なにせ、江戸からずっと一緒にやってきたんだ。助け出す。そうだ、斎藤、お前は念のため会津の殿様にお伺いをたてておけ。平助、お前が行くときは篁さんに一緒に行ってもらう。それから新八、何も心配はいらない。己が信じるように動け」
このときの歳三は、ぎらぎらした瞳で三人を見つめたかと思うと、がばっと頭を下げた。
「伊東の暗躍を知っていながら止められなかったのは俺の責任だ。お前等に、辛い思いをさせることになって、すまない」
数日後、屯所にはりだされた紙には、伊東派が分離することが事細かに書かれていた。
だがそれを読んだ隊士のほとんどが、驚いた。
「藤堂先生と斎藤先生も行くのか!」
「じゃあ、やっぱり分隊みたいなもんか? 帰ってくること前提みたいだな」
「いや、土方副長が許すと思うか? 俺は皆殺しだと思うね」
「ああ、脱走したのちに切腹した、山南総長の件もあったしな」
そんな中、伊東たちは少々混乱していた。
意外にも同行を快諾した斎藤一がいる。これこそが新選組の間者だと睨んで警戒しているが、まったくそのような素振りは見せず淡々としている。
その上、新選組に残すことになった同志数名が、
「連れて行ってください。おれたちを斬り捨てるんですか?」
と、最後の最後まで泣きついてきているのだ。
「君たちは、わざとここへ残していくんだ。新選組との友好の証であり間者であり……非常に難しい役割だ。やってくれるね?」
そういって一人一人の肩を叩いてまわれば、先ほどまで泣いたり怒ったりしていた連中も神妙な顔つきになる。
「けっ……いちいち、芝居がかってやがる……」
「そういう野郎なのさ、俺たちとは肌があわねぇよ」
遠くから伊東一派の様子を見ていた左之助と新八が、吐き捨てた。
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