第60話 それからー2
妖狐が、ぶるりと尻尾を大きく振った。白い龍が数匹、空へと次々駆けのぼる。
仰天した歳三が、口をぱくぱくさせる。
「なっ、なんだ、何したんだ……?」
「トシさん落ち着いて、篁にぼくの居場所を知らせただけだから!」
それを聞いて慌てたのは、猿だ。妖狐を跳ね飛ばして身体を起こし、逃走をはかる。
「あ、こら待て!」
猿に、妖狐が飛びかかって地面に引き摺り倒す。二頭の妖怪が転げまわり、噛み付き合って闘う。
どうしたものかと右往左往する歳三の頭上から黒い塊が降ってきて、歳三は今度こそぎゃああ、と悲鳴をあげた。
「もう、もう……何なんだ……」
さすがに許容量をこえたのだろう、地面に膝をついて吐きそうになっている歳三の耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。
「総司、退け!」
妖狐が飛び退くと同時に、のた打ち回る猿に護符がたたきつけられた。流れるような動作で剣印抜刀し印を結ぶ篁に、妖狐が慌てて声を掛けた。
「篁! 退治しちゃ駄目、それ平助!」
「なに!? ……くっ、雷微め、妖種子を無理やり起こしたのか……」
困ったと呟く篁の傍に、狩衣姿の青年が姿を現した。
「間に合った、私が変わりましょう」
「晴明! 助かった……」
呪符が撒かれ、聞きなれない呪が唱えられる。
呆然とする歳三の目の前で、たちまち猿の妖怪は平助の体内に押し戻され、念入りに封印が施された。
地面に横たわる平助に、歳三がにじり寄る。
「平助……?」
そっと額に手を伸ばせば、ずいぶん熱い。
「うお、熱!? ってことは生きてる……」
良かった、と呟きかけた歳三だが、「雷微退治の失敗」を悟った。
そして、平助の体内の妖種子は、新選組を憎むよう命令を受けていることにも、気がついた。
「篁さん……。平助を助けてやりたい。どうしたらいいんだ?」
「平助の苦しみを減らすためには……まず、新選組から引き離すこと。妖種子は、間違いなく新選組を何度でも襲う。平助は、自分の身体が仲間を襲うことに耐えられるような男ではない。だったら……平助と新選組を接触させないのが一番だ」
この篁の言葉で、歳三の『珠』に、大きな亀裂が入った。呆けたように地面に座り込んだ歳三の横に妖狐が座り込む。
「トシさん……」
「ああ、総司……お前、迎えに来るのが遅いぞ……」
黙って立っていた晴明が、すっと妖狐の頭を撫でた。
「珍しい。式でも僕でもなんでもない純粋な妖怪が、好んで人の傍に居るのか」
「……うん。でももう、ぼくは篁の傍にもトシさんの傍にもいられない。ぼくはとても狂暴になってしまったから、いつかみんなを、傷つけてしまうかもしれない」
どこが狂暴なのだろう。人のことを想い項垂れる妖怪など、晴明も篁も、知らない。
「ならば――お前の妖力に、制限をかけてあげよう。大丈夫、首輪をつけるだけだ」
「首輪?」
「玄奘三蔵が、孫悟空につけたものと似たようなものだよ」
晴明が、袂から取り出した細い金の鎖を妖狐の首に巻きつけ、呪を唱えた。
たちまち妖狐は『成獣』の姿へと戻り、恐ろしいまでの妖気もすっと消えた。同時に、ぽん、と小さな音がして、沖田総司が出現した。
「トシさん、屯所へ帰りましょう。晴明、篁、ありがとう」
「ああ、新入隊士たちが心配だ……」
げっそりとやつれた歳三が、つぶやいた。
一行が屯所に戻って数日。
歳三は、鬼のようになっていた。尊攘派志士が潜伏しているとの情報があれば直ちに隊士を派遣し、捕縛する。
「容赦するな、斬れ!」
が、歳三の口から発せられない日はない。
明らかに、苛立っている。その苛立ちを隠そうともしない歳三は、どこか不気味である。
結局、雷微真君の肉体は砕け散り消滅したようだ、というのが閻魔王の見解らしい。
それでも、いつ何がきっかけで復活するとも知れないのが、雷微である。閻魔王配下の鬼や、晴明の式たちが地上へ出張してきて、雷微が再生しないか、常に見張っている。
「欠片一つ、血の一滴でもあれば、道行く人に憑りついて復活できてしまう」
それくらいの力を、雷微は備えていた。
しかし問題は、別のところに出てきた。屋根から転落した新八は全身打撲で、監察の山崎が付き添って療養中だ。
「憎い」
譫言のように新八が言うのを、篁はとても気にしている。人の心に巣食った『恨み』は簡単に消えないことを、篁は承知している。
その一方、雷微の精神は、魂と怨念と瘴気とにわかれ、京の町に飛び散ってしまった。魂の方は、咄嗟に追いかけた妖狐と大乱闘を演じた。少し遅れて駆けつけた白虎と青龍が両者を引き剥がし、魂を結界で幾重にも包んで神界で保管している。結界に包まれてなお大暴れ、十二神将たちが苦労している。
近いうちに、冥界の底か天界の頂かそのどちらかに封印しようと言っているのだが、冥界も天界も、そんな厄介なものは引き受けたくないのが本音、「人界に戻して適当に封印しておけ」という者まで出る始末だ。
それではまた悲劇が繰り返される。
許せないと閻魔王が怒り狂っているが、冥界や天界の上層部は人界に無頓着である――。
近藤や歳三たちを前にした篁は、ここまで一気に喋った。ぐるっと部屋を見回すと、痛いほど真剣な顔が並んでいる。
「皆が懸念している平助については……正直、あまり状況は良くない。俺が、責任をもって定期的に封印を施しにくるが……。酷な話だが、新選組を出ることを俺は薦める」
部屋の片隅で膝を抱えて座っている平助がぷいっと横を向いた。その頑なな横顔は、何があってもここを出ない、と語っている。これは説得に時間がかかるだろう。
歳三は、伊東と密談する必要があることを感じていた。
(伊東に頭を下げるのは癪だが……)
なにより、平助のためだ。
「篁さん、都に飛び散った怨念と瘴気はどうなったのか、そこも気になるんだが……」
近藤が身を乗り出して尋ねる。
「いや、篁さんたちを疑っているわけではない。しかし……何の罪もない民や隊士に何か害があっては困る」
「うん、それはそうだね。多少体調や気分が優れない者が出たり、瘴気に当てられておかしくなる者がでるかもしれない。あとは、妖怪が増えるが……これは俺と閻魔王の部下が責任を持って狩るから安心して欲しい」
「まって篁、俺も狩るよ」
歳三の膝の上で丸くなっていた仔狐が一飛びで篁の肩に飛び乗った。
「お前はもう俺の部下でいる必要はないんだよ。俺の仕事を手伝う必要もないんだ」
「あるよ。雷微の残骸が近藤先生やトシさん、皆を襲う可能性があるんだよ? 妖怪を狩れるのは、ぼくと篁と、永倉さんだけだよ!」
それはその通りなのだ。だがここで、首を縦に振るわけにはいかない事情がある。
「……駄目だ。これ以上、お前を消耗させる訳にはいかないんだ……わかるだろう?」
しょんぼりと項垂れて畳に降りた仔狐を、歳三が驚いたように抱き上げた。
「おい総司? どういうことだ? ちゃんと説明しろ」
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