第59話 それから―1
篁が相棒の行方を探っている頃、平助と新入隊士を引き連れた一行は、京の都へと足を踏み入れていた。
ぬらりとした薄い膜――都を守る守護結界だ――を通過したことに気が付いたのは、藤堂平助の中に封じられている妖種子だ。彼は、京へ戻ってすぐに雷微の危機を察知した。
「イソガナキャ……」
大急ぎで雷微を助けに行かねばならない。
『親』のもとへ行こうとして力の限り暴れた。これでもか、というほどに暴れた。その動きは、当然平助にも伝わっている。
もちろん平助は、京が近づけば近づくほど、胸の奥で眠っている妖種子が騒ぎ出すのを感じていた。だからといって、自分でどうこうできるものではないのがもどかしい。
(君の好きにはさせないからね、絶対!)
療養中、江戸にふらりと姿を現した篁が置いて行ったお守りや新八がこっそり送ってくれたお守りが、懐におさまっている。それを指先で確認する。
「だい……じょうぶ……」
「藤堂くん? 急にどうしたんだ? 顔色が良くない……」
いつの間にか立ち止まっていたらしい。心配そうな伊東がいる。
「伊東先生……土方さん……都の空気が悪いよ……」
思わず伊東と歳三が顔を見合わせる。何かといがみ合っている二人だが、平助を心配する気持ちは同じだ。
二人が平助の視線を追って空を眺める。
「俺の目では特に異変は認められねぇが……伊東さんはどうだ?」
「何も……」
平助には、都全体に重苦しい雷微の瘴気が圧し掛かっているのがわかる。
(異常事態だよ、これは! 大変だ……篁さんは? 総司は……)
「うっ……」
がくり、と急に膝を突いた平助に、慌てて歳三が駆け寄る。
「平助? どうした?」
「う、あああ、トシさん、来ちゃだめだぁっ」
ごぼり、と妙な音がして、平助の小柄な体が伸縮し始めた。
「な、なんだこれは……どうしたというんだ?」
「わ、わからねぇ……」
驚く伊東と歳三の目の前で平助の身体が掻き消え、代わりに三つ目の巨大な赤猿が立っていた。
背後に控えている新入隊士たちも、道行く人たちも、呆然としている。
毛むくじゃらの身体からは湯気が立ち、黄色い目がぎょろぎょろと動く。妖種子が、はじめてその姿を現したのだ。
「ひぃぃ……ひじ、かたくん……ど、どうしたら……」
巨大な赤猿は、鋭い鍵爪のついた前足を振り回し、歳三を掴みにかかる。
「うお!?」
歳三は混乱していたが、ごろりと転がって爪を避けて猿を見上げる。
「おいおい、でけぇな……」
「ひ、土方くん、こっちへ来たまえっ」
赤猿が、鋭い牙がびっしり並んだ口を開けて咆哮をあげた。声ではない不快な音が歳三や伊東の耳を打つ。だがその音の間に、聞きなれた声がある。
「ひ……さん逃げっ……こいつ……を狙う……令されてっ……!」
「平助! 平助!」
「下がりたまえ! 今のあれは平助ではない!」
「平助だ、平助に決まってんだろ、話せばわかるかもしれねぇんだ!」
「だめだ、下がるんだ」
駆け寄ろうとする歳三を、伊東が引き摺って大猿から引き離す。
「ヒジカタトシゾウ、ミツケタゾ」
「なっ……」
「カクゴセヨ!」
高々と、己の背丈の三倍は跳躍した猿が、歳三目掛けて飛び降りてくる。
歳三の目を狙った一撃目は難なくかわせたが、二度、三度と繰り出される鋭い鍵爪はどこを狙っているのか見当がつかず、ぎりぎりでかわす。
「ちっ……」
その大きな体躯に似合わず、俊敏な動きをし、隙が無い。伊東も歳三も、咄嗟に刀を抜いたものの、勝ち目があるとは思えない。
いや、それ以前に……。
(平助を攻撃できるか!)
歳三がぎりっと奥歯を噛んだ瞬間、目の前が、白とも銀ともつかぬ色で一杯になった。
「ぐぎゃあああ!」
先ほどまで圧倒的有利だった猿が地面に転がり、牙を剥いて恨めしげに白銀の塊を見る。その白銀の塊は、見慣れたもの――妖狐だ。
ただし、いつも見ていた姿よりもはるかに大きく、恐ろしい気配をまとわりつかせている。
「お、お前……」
「トシさん、遅くなってごめん。怪我はない?」
濡れた鼻先を、歳三に押し付ける。いつもの仕草だ。それで歳三は、ようやく安堵の息を吐いた。
「助かった……」
「なんだい、この大きな狐は!」
新たな敵かと、伊東が刀を向ける。
「いや、我々を助けてくれたようです。伊東さん、今のうちに隊士をつれて屯所へ戻ってください。彼らに何かあってはいけない」
「あ、ああ、了解した。君は?」
「狙われたのは私、後から様子を見ながら戻ります。さあ、早く今のうちに……」
動揺する新入隊士を一喝し鎮めた歳三は新入隊士を伊東に託し、ひとつ深呼吸をしてからくるりと踵を返し、大猿の傍へと駆け寄った。
化け猿と化け狐と思えば恐ろしいが、これは平助と総司――。
(まずい。まずいことになっているに違いねぇ……)
平助が化け物になり、総司が巨大化している。ただ事ではないのだ。
「総司、篁さんはどうした? 雷微はどうなった?」
狐の傍に駆け寄った歳三は、その首筋にそっと触れ、いつもしていたようにその頭を優しく撫でた。
歳三に反応した猿が噛み付こうとする。それを前足で押さえつけ、狐は甘えたように歳三に顔を摺り寄せた。
「おかえりなさい、トシさん」
「ただいま」
「あ、手甲が切れてる。怪我しちゃったんだ……手当てしなきゃ」
「大丈夫だ、このくらいどうってことない」
本当に、手の怪我くらいどうということはない。
「お前らを人に戻すにはどうしたらいいんだ……? その姿じゃ、屯所に連れてかえれねぇよ……」
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