第58話 願いは罅割れてー4

――雷微を封印したい。

――近藤先生たちの新選組を伊東先生の手から護りたい。

――平助を、伊東派に渡したくない。

 それぞれが、それぞれに願いを持っている。それらは、実現可能なようでいて、実現はかなり難しい。

 彼らの願いは、繊細な『珠』のようなものだと言える。繊細なそれは、少しのことで簡単に罅が入り、そしてそれは少しずつゆっくりと広がって、ついには『珠』を破壊してしまう。

 そのことを、篁は良く知っている。長く生きているぶん、守れなかった球も数多くある。

(誰の珠も、壊れないように守りたい……)


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その頃、歳三たちは順調に京を目指していた。

 屯所からの伝令――監察方の連絡網・通信手段はたいしたものである――を披くたびに、がっかりしていた。

「雷微を倒したという文はねぇなぁ……。平助、お前数日遅れて戻るか?」

「うーん、本当におれが都へ戻っちゃいけないんだったら、そう伝えて来るよね。何も書いてないってことは、大丈夫なんじゃないかなぁ……?」

 だが、ここで平助に行列を抜けられては困るのだ。

 伊東は、新入隊士にめぼしい人材がいないと解ると、歳三を懐柔しにかかっている。どうしても、新選組の方針を『自分好み』にかえたいらしい。

(くそっ……参謀って肩書がなけりゃ、一発殴ってるんだがな……)


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 長い髪を振り乱す雷微の周囲を、妖力をまったく抑制していない妖狐がうろうろと歩き回る。

 時折、威嚇するように白虎や青龍を襲うが、傷を負わせるつもりはないらしい。

「あいつ……どういうつもりで雷微の傍にいるんだろう……? 琉歌、もう少しあいつに近寄れないかな?」

 承知、と答えた琉歌が滑るように近寄ると、途端に妖狐が牙を剥いた。妖狐が篁に牙を剥いたのはこれが初めてである。篁は、ひどく衝撃をうけた。

「そ、そんな……!」

 琉歌の背から転げ落ちそうになるのをどうにか堪えて呼吸を整える篁を、雷微が見逃すはずがない。

「ほれ、見舞いじゃ」

 鋭く先端が尖った氷が篁めがけて降り注ぐ。篁も結界を張り琉歌も身を捩って避けるが、結界を突き破ってしまった。腕や胴に氷が突き刺さり、妖気がしゅうしゅうと音を立てて篁の衣を焼いて肉体を蝕む。

「う、うああ……」

 悶絶する篁のすぐそばに緋色の神気が現れ、あっという間に新八の傍、つまり、玄武の結界の中へと運ばれた。だが篁は、すでにぐったりとしている。

「篁さん!? どうしたんだよ!」

 顕現した朱雀が、てきぱきと手当てをする。

「毒と妖気を注がれた。新八、お前は雑魚を狩れ。このあたりの妖気が障る」

「お、おお……」

 あとから追いかけて来た琉歌が、

「妖狐が少しここから離れろと言っています! 急ぎましょう」

 と告げ、新八を背に掬い上げた。一瞬躊躇った後、篁を担ぎ上げた朱雀が続く。

 近くの民家の屋根に移動した瞬間、妖狐が、雷微の首筋をくわえて地面へ向かって一直線に飛び降りた。

「妖狐、なにをするか!」

「今だ、ぼくが押さえているから、封印を! はやく!」

 その声で、朱雀と玄武が素早く結界を織り上げ、勾玉を握りしめる篁を、琉歌が近くまで運ぶ。

 妖狐に四肢を押さえつけられて地面に転がった雷微が憤怒の形相で篁を睨みつける。

「妖狐め、我を裏切るとは……」

「……裏切るも何も、こいつは元々こっちの仲間だ。俺の相棒だ」

 雷微が結界を破ろう、妖狐を倒そう、必死で術を放つが、結界に触れた瞬間相殺されてしまうし妖狐もびくともしない。それどころか、妖術で縛り上げられてしまう。

「おのれ、篁!」

 雷微が怒りに任せて身を捩ると、それでも結界自体が揺れる。長くはもちそうにない。青龍が「篁、急げ」と鋭く叫ぶ。

 渾身の力で妖狐が地面に縫い付けた雷微の額の上に勾玉が置かれる。五芒星を描きそのまま九字を切る。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

 絶叫と共に雷微の肉体が弾けた。妖力が爆発し、地面が揺れる。それでも尚逃げようとした雷微の魂にむかって篁が呪を唱えると、魂がずるずると勾玉に吸い込まれていった。

「や、やった……のか? 封印、できた……?」

 妖狐が、恐る恐る勾玉を咥えて拾い上げ、篁に渡した。その瞬間。

 勾玉が、一瞬にして砕けて飛んだ。

「しまった……」

 結界が大きく撓み、様子を伺っていた青龍と白虎が後方にもんどりうって倒れた。

「新八、離れろ! 結界が破れるぞ!」

 ぱりん、と不釣り合いなほど涼やかな音を立てて結界が破れ、魂が飛び去り、瘴気がどくどくと溢れ出す。

 強く噛みしめた篁の唇と、欠片で傷ついた手のひらから、血がしたたり落ちた。

「くそっ……なんて強さだ……」

 雷微の怨念と、禍々しい瘴気があたりに充満する。生身の人間に耐えられる濃さではなく、新八が激しく咳き込み、屋根から転がり落ちた。慌てた玄武が新八のそばに駆け寄る。

「篁! しっかりしろ、雷微の魂は!」

 白虎が、呆然として地面に座り込んだ篁に詰め寄った。

「魂……」

 焦点の合わない瞳がゆるゆると動き、白虎を通り過ごして虚空を見つめる。

「……わからない」

 その傍らで朱雀がゆっくりと辺りを見回し、顔色を失くした。

「白銀の妖狐がいない……?」

「……白銀の……なに……?」

「沖田総司とも呼ばれている、相棒!」

 そうじ、そうじ、と呟いた篁の瞳に生気が戻った。

「総司を探す! 新八は無事か? 白虎、このあたりの調査を頼む。万が一、妖の大群が出没したら容赦なく叩け!」

 わかった、と白虎が宙へ飛び出し、篁自身はその場に腰を下ろし精神を集中させる。

「総司……どこだ、無事か?」

 妖怪とはいえ、大人の姿をとっているとはいえ、強い瘴気と悪意の塊に晒されて、無事である保証は無い。

 たとえ肉体が無事でも、心の方が「妖」に染まってしまう可能性だってある。

「お前に何かあったら……俺はどうやってトシたちに詫びたらいいんだ?」

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