第45話 新たなる一歩―2
なんだかんだといっても親しくなっていた新選組の連中が居なくなって寂しくなったと嘆く壬生村の人々とは対照的に、西本願寺の人々は、
「やかましくてかなわない……」
と大いに嘆いていた。
竹矢来できっちり区切られているし、新選組が意味もなく襲ってくることはないと解っているものの、『勤王派に同情的な西本願寺』の敷地の一角に、『勤王派を斬るのが仕事』である人斬り集団・新選組が牽制と言わんばかりにやってきたのだ。
生きた心地がしないに違いない。
それを抜きにしても、困ったことしかない、というのが現状だ。たとえば、
「きえーっ!」
だの
「えーい!」
だの
「おおーっ」
だのと、西本願寺の人々にしてみれば奇声としか思われない声が、昼夜を問わず四六時中響いている。
いや、それも日が高いうちは、まだ良い。夜陰に紛れての訓練だとか暗殺の練習だとかで、夜中に突然、叫び声と剣を交える音がするのは本当に勘弁してほしい。
想像を超えた騒がしさに慌てふためき、寺侍を派遣して苦情を言えば、これに耐えるのも試練でしょう、と、あっさり言われ、すごすごと引き下がるしかなかった。
「大変な連中が来たものだ、この先どうなるのだ……」
そう思って唸る西本願寺の門主にすっと寄って行ったのは、元々「勤王派」である伊東甲子太郎一派だった。
「御心配には及びませんよ」
穏やかな顔をした伊東を先頭に、一派がせっせと西本願寺側と交わっていく。
表向きは親睦を深めるための訪問、だが、どうみても密儀である。
「土方さんよ、あれを放っておいていいのか?」
と、新八や左之助が心配するが、歳三は、
「構わん。放っておけ」
というばかりだ。
「何か考えがあってのことではあるとおもうが、副長はいったい何を考えているのやら……」
と、日頃は不平不満を口にすることのない源さんこと井上源三郎がつぶやく。
「源さん、話を聞いてきてくれよ。俺たちにゃ言わなくても、源さんには……」
「いや、さて……どうだろうか」
己の内に芽生えた不信感を拭うのはなかなか難しいのだ。
「こういうとき、山南さんだったらどうしたかねぇ……」
源さんの呟きに、新八たちが一斉に頷いた。
そんなある日。
「土方君、近頃少し稽古を激しくやりすぎではないか? ここは神聖な場所だ」
と、伊東が副長室へやってきて苦言を呈した。だが歳三は、にやり、と笑うばかりだ。
「こんなのはまだ序の口です。本領発揮はこれから」
「いったい何をするつもり……」
と、言い終らないうちに、どぉん、と大気を震わせる轟音が響いた。
ぎゃーっと其所此所で叫び声が上がり、思わず伊東も腰を浮かせる。再びの「どぉん!」に目を白黒させる伊東に向かって、歳三は滅多に見せない柔らかい笑顔を向けた。
「これからは大砲も使えねばなりません」
「そ、それはそうだが……」
どうやら大砲の調練をしているのは、左之助と新八らしい。
「なんだ、なんだ、坊さん、んなことで腰抜かしてんじゃねぇぞー」
「そんなんじゃ、いざって時に何も出来ねぇぞー!」
「一緒に鍛錬すっか?」
盛大な、伊東にしてみればいささか品位に欠ける、笑い声がする。
「ひ、土方くん、ここは……」
「ここは広くていいですな。大砲も銃も存分に訓練が出来る」
「……ああ、山南総長が生きていたらこんなことには……。惜しい人材を君たちは殺したことをわかっているのか……」
思わずそう漏らしたのは、伊東の実弟・三樹三郎だ。途端に、歳三の顔つきが変わった。
「ひとつ勘違いをしているみたいだから教えておきましょう」
ぎりぎりまで感情を抑えた顔は限りなく無表情に近く、しかしその瞳は鋭く獰猛に光っている。
伊東は、びくりと己の肩が勝手に波打つのを感じた。
「いいか、サンナンさんが死んだのは俺たちだけのせいじゃねぇ。あんたらのせいでもあるんだぜ?」
「そっ、それはどういう意味かな……?」
歳三がぐぐっと前のめりになり、伊東一派が圧されて思わず仰け反る。
「自分で考えるんだな。お西さんに肩入れしてばかりいると、足元をすくわれますよ。ここは、総長ですら切腹する血も涙もない非情なところですからな」
一瞬悔しそうな色を瞳に浮かべたものの、伊東はすぐにいつもの表情に戻った。
「やれやれ、土方君はいつになったら私を信用してくれるのかな? 私は新選組の参謀だよ」
歳三はその問いに曖昧な微笑を浮かべることで答えた。
「あの笑顔が曲者なんだよね、トシは。
縁側でひどく暢気な声がしている。神野というのは、かつての篁の上司、嵯峨天皇のことである。
「篁が宮中で身につけた『にっこり』も怖いけど、トシさんのあれはもっと得体が知れないよ……」
「お前、それをトシの前で言える?」
「ふふ、ふふふふふ……怖いこと言わないでよ、ぼく、毛皮を毟られちゃう」
伊東を追い払った歳三は、眉間に深い縦皺を刻みつけたまま、仔狐と篁を部屋に招きいれた。
「篁さん、近頃ずっと屯所に居てくれるが、冥界の仕事はいいのか?」
「俺の今の仕事は鬼を狩ることと雷微を倒すこと。こっちに居た方がやりやすいんだ。何せ、毎日毎日どこかの誰かさんたちが人を殺すから忙しいことこの上ないんだよ」
清浄であるはずの西本願寺の敷地内があっという間に穢れて大変だよ、と、呆れた風に篁が言う。
「それはすまない。で、総司。お前はまた子供の姿に戻ってんのか?」
「うん、実はこの方が楽なんだよね」
篁の懐におさまっていた仔狐がぴょんと飛び出して歳三の肩に飛びついた。
どうもここ最近、この妖狐は暇さえあれば本性や仔狐の姿に戻っている。
体の具合がいまひとつ良くないようだ。
篁が言うには、山南敬介の体内から引きずり出した『妖怪』と『怨念』が、思った以上にしぶとく、妖狐の体内で激しく暴れているらしい。それらを退治する事に妖力を使うため、人型でいるのがつらいらしいのだ。
「ねえ、トシさん。伊東さんとも仲良くしなくちゃ駄目だよ。近藤先生が困ってたよ。参謀と副長の足並みが揃わない、って」
困らせるつもりは毛頭無いんだが、と歳三はため息をついて眉間の皺を揉み解す。
「それとね、最近、隊内が真っ二つに割れてるの、知ってる?」
「真っ二つ?」
「うん。土方派と伊東派。伊東さんたち、色んな隊士を派閥に組み込もうと奔走してるよ。ま、ぼくはどんなことがあっても、土方派だからね。安心してね」
歳三の動きがぴたりと止まった。切れ長の瞳がぐっと細くなり宙を睨みつける。
「……野郎、そうはさせねぇ。総司、これ燃やせ!」
文机においてあった紙を掴み、細かく破いて仔狐の方に突き出す。
仔狐は小さな炎を召喚し灰も残さず一瞬にして燃やす。たまに生じる機密文書の書き損じは、こうやって処理するのが最近の歳三の習慣になっている。
「トシさん、どうしたの?」
「ああ、江戸で平助が引き続き隊士を募っているのはお前も知ってるだろう。その入隊審査に行かせてくれと伊東が言ってきた。目障りな奴を屯所から追い払ういい口実だと思っていたんだが……どうも油断ならねぇな」
篁がうんうん、と頷く。
「江戸で平助があいつを御せるとは思えねぇし、新八や左之助は貴重な戦力だからこっちへ残しておきたい。近藤さんを今屯所から動かすわけにはいかねぇしなぁ……」
お前が江戸に行けたらいいんだけどなぁ、と歳三が仔狐の頭をゆっくりと撫でる。
「ごめんね、トシさん」
「気にするな。近藤さんの傍に居りゃいいんだ」
「……ありがとう」
よせやい、と照れる歳三の首筋に、仔狐が顔を擦りつけた。妖狐族が見せる、最上級の親愛の情だ。
その毛が痩せてしまったことに歳三は気付いた。ちらりと篁に目線を投げれば微かに頷く。
「……総司、早く元気になれよ」
「え? うん」
妖狐の黒い瞳が、歳三と篁の上をゆっくり行き来した。
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