四章
第44話 新たなる一歩―1
山南敬介の死を察知して、屯所付近に姿を現した人物がいた。片腕を失くした雷延を従えた雷微真君である。
「山南敬介、思いのほか短い命であったな」
「雷微! 何をしにきた!」
屯所の屋根にのった篁が喚く。纏う気が、陰でも陽でもない「怒り」になっているのが珍しい。
「おや、篁。怒りに歪んだそなたの顔は美しい。もっとよく見せておくれ」
怒気と闘気を纏った篁が、弓を引く。あれをまともに喰らってはたまらないので、雷微も素早く障壁を築く。
「お前が! お前のせいで!」
「その通り。だがそれを防げなんだそなたらも、迂闊よ。我から見たらそなたらは隙だらけ。学習能力も乏しいとみえる」
例の如く雷微の赤い唇がにたりと歪み、篁を怒らせる言葉を次々と紡ぐ。
「雷微、今日こそお前を退治してやる。覚悟しろ!」
「悲しみなどという下らぬ感情に支配されたそなたに消されるほど落ちぶれてはおらぬ。我が、下らぬ想いをすべて消してやろう。それ!」
雷微が懐から取り出した緋色の扇。魔性を帯びた扇だ。
それを一振りすると、数匹の鬼が飛び出してきた。二振り、三振り、舞い散るように鬼が現れる。
弓を置いて剣を抜いた篁が、鬼を祓う。すぱん、すぱん、と問答無用で斬って捨てる。次から次へと降ってくる鬼に気付いた新八も、屋根に上ってきた。
「篁さん、助太刀致す」
「頼む」
新八も明らかに憤怒の視線を雷微に向ける。
「ほ、心地よい負の感情……」
怒りを露にする篁たちを楽しそうに見下ろす雷微が屯所に雷撃を用意して左手を掲げた。風になびく袖口から、鬼たちが次々と飛び出してくる。
「さて、これが留め。さきほどの奴の魂と、そなたらの魂、頂戴する」
だが、その雷微の身体と無数の鬼を、青白い光が直撃した。
鬼たちは瞬く間に一掃され、雷微の身体は宙で大きく傾いた。咄嗟に支えた雷延が、
「雷微さま、しっかり!」
と叫んだ。
「く……ぐふっ……不覚!」
雷微の身体に大きな穴があき、しゅうしゅうと耳障りな音を立てて妖気が抜けていく。
驚く一同の目の前で、ふいに空間に穴があいて一人の厳つい顔の中年男性が顔を出した。
あ、と篁が小さく声をあげた。
「こうやって会うのは久しぶりだな、雷信……いや、雷微」
「お……その声は……閻魔王か」
「……ひとつ、そなたに言うことがあってな、わざわざ人界へ出てきたのだ」
「な、なん、だ?」
「山南敬介の魂は私が預かった」
なに? と雷微と篁が同時に声をあげる。
「迷いそうになっていた故、我が私邸に導いた。これより魂を浄化し妖怪と切り離す作業に入ろうと思う。雷微、そなたの好きにはさせぬ。篁、新八、何も心配はいらない」
先ほど、空に飛び上がった山南敬介の魂は、地上へ留まるか異界へ行くか迷っていた。それを、閻魔王が誘導し、冥府へと運んだのだ。
「おのれ閻魔! また邪魔をするか! 良い妖怪に育ったであろうものを!」
「……当然だ。人界を乱す輩を放置できない」
憤怒に顔を歪ませた雷微だが、反撃できるほどに力は無い。閻魔王が、雷微を捕まえようと手を伸ばすが、その手を扇で弾き飛ばす。
「閻魔、良いのか? 人界にこれ以上職分を越えて干渉すると他の王が黙っておらぬぞ」
「たしかに、その通りであるな」
新選組に肩入れし過ぎた自覚のある閻魔王は、苦笑して大人しく手をひっこめ、そのまま姿を消した。
「雷微さま、ここは退きましょう。妖気が流れすぎました」
だが、ここぞとばかりに篁と新八が揃って雷微に攻撃を仕掛ける。雷延が雷微を庇って立ちあがった。瘴気と妖気を放つ不気味な刀を召喚し、正眼に構える。
「北辰一刀流、雷延」
ゆらりと、誘うように揺れる切っ先に新八が飛びかかる。
「神道無念流、永倉新八」
剣と剣がぶつかり合い、霊力と妖力がぶつかり合う。実力はほぼ互角、隙を見せた瞬間、命を奪われる。文字通り命懸けの本気の戦いだ。
「すごいな……」
思わず篁がため息を漏らした。本気で立ち合う新八を見るのは、実はこれが初めてなのだ。
その真剣勝負に終止符を打ったのは、雷微だった。
「雷延、もう良い。長居は無用、行くぞ!」
いつもの雲を呼びだした雷微は、雷延を強引に雲に引きずり込んで、そのまま何処かへと飛び去っていった。
ごろごろと雷が鳴り、雨も降ってきた。
「新八、屯所に戻ろう。風邪をひくよ」
項垂れたままの新八を、篁は屯所内に誘った。
総長と死別した衝撃から立ち直れない隊士と壬生の人々に、二つ目の『わかれ』の時が迫っていた。
土方歳三と山南敬介の『不仲説』が流れる原因となった、屯所の移転だ。
「予定通りに西本願寺へ移る」
と、歳三が宣言したのだ。真正面から反対したのは、当然、伊東甲子太郎とその一派だった。
「山南君の遺志を尊重したまえ! 西本願寺への移転には断固反対する。君は隊規というもので彼を殺した挙げ句、遺志まで踏みにじる気か!」
取り巻きと共に歳三の部屋に押し掛けてきた伊東は、細面の白い顔を興奮で赤く染めていた。
それに対して歳三は淡々としたもの、手にしていた小さな帳面を懐にしまうと、冷めた視線を一同に向けた。
「伊東さん、ここ、新選組はそういう所です。それが嫌なら辞めればいい。ただし……局を脱するを許さず、という規則がある。これは総長にさえ適用されたものだということをお忘れなく」
伊東はぐっと言葉を飲み込んだ。
「なにも、切腹でなくとも良いだろう? 謹慎や罰金など、罰はいくらもある。恐怖で人心が掌握できるとでも思っているのかい?」
「何を仰るやら。武家が不始末の末に腹を切るのは、今に始まったことではありません。それが嫌なら腰の二本は捨てた方が良い。武士ならばその程度の覚悟はもっているはず。何の罪科もない者をいきなり切腹させるわけでもなし、どのあたりが恐怖なのか教えていただきたい」
「でっでは、君は局長や沖田君が脱走しても腹を切らせるのか?」
「当然。隊規は新選組に属する全ての者が守るべきものですから。他にご質問は? ないのなら、荷物を纏めたいのですがよろしいですか?」
剣の達人であり弁も立つ伊東が、歳三の凄みのある冷笑に気圧された。
「兄上! どうして言い返さないのですか!」
「三樹三郎、お前には見えなかったのか? 土方歳三の殺気が……」
そんな中、移転の準備がどんどん進められていく。壬生村は、連日上を下への大騒ぎである。
「痛みと悲しみに浸る間もない……なんという慌ただしさだ」
滅多に己の感情を口にしない斎藤一がそう嘆くほどに、新しい屯所へと新選組は引っ越した。
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