第43話 わかれー4

 藤堂平助に妖種子が埋め込まれた一件以来、屯所内のわずかな妖気も逃がさないよう気を配ってきたつもりだった。

 しかしまさか、山南敬介が体内でひっそりと妖怪を育成しているなど、想像すらしなかった。

 翌日も、そのまた翌日も、篁は総長の枕元に居た。

「うん、妖怪は大人しくしているみたいだ……」

 一日に何度も、結界を張り直す。そうしないと、妖怪が動き出してしまう。

「篁さん……少しいいかな?」

 いつのまにか、新八が傍に座っていた。のろのろと首肯すれば、新八がにっ、と笑った。

「何でサンナンさんの体内の妖怪は、妖気が感じられない上にサンナンさんと瓜二つなんだ? 平助も体内に妖を埋められたろ、あれとは違うのか?」

「平助の場合は、小さな妖怪そのものを体に埋められたわけだけど、今回は、怨念の塊が最初に体内に入ったみたいだね。ここからは総司から当時の話を聞いた俺の推測でしかないんだけど、トシや勝ちゃんに向けられた怨念を、無意識に回収したんだろうね、敬介は」

「ああ、そのくらいのこと、やってのけるだろうなぁ……」

 本当に優しい人だから、と新八が呟く。

「新八、俺はこんな仕事をながくやってるから知ってるんだけど、人に巣食った『怨念』はね、宿主が殺した相手の『怨念』を吸収するんだ。今は斬ることが多い時代だから、あっという間に育ってしまう。それでも……敬介が池田屋にも蛤御門にも出ていなかったから、ここまで生き延びたと言えるよ」

 ふうっ、とため息をつく篁が纏っている気が、陰に傾いている。篁の纏う気配が陰に傾くと、霊力が暴走してしまう。

 そのことは、総司からも聞いている。

 気付いた新八は、手のひらに意識を集中させて高らかに柏手を打った。

 室内が見る見るうちに清清しいもので満たされていく。

「お、新八……いつの間に……?」

「総司と、特訓したんだ。俺は霊力が高いわけじゃねぇから、一日に三回くらいが限度だが、それでもサンナンさんや篁さんを助けられるかもしれねぇだろ」

 新八が徐に廊下に声を掛けた。

「おう総司、何か用か?」

「篁に、聞きたいことがある」

 総司の声が苦しげなのは、この部屋に張ってある結界が強すぎて、妖怪の本能的な部分が近寄るのを嫌がるからだ。

 襖を開けると、本性に戻った妖狐がいる。

「……ぼくが、山南さんの中の妖怪を少し引き受けようと思うんだ」

 篁がぎゅっと目を閉じ、両手で顔を覆った。相棒が、こう言って来ることは充分に予想がついていた。

「魂が乗っ取られてしまったから妖怪であることはもう変えられないけど……生身の人間にかかる負担は半減し、そのぶん長生きできる……これで間違いない?」

 長い長い沈黙が落ちた。

 訳がわからず目をぱちぱちさせる新八の横で、篁が今にも泣きそうな沈痛な表情で、声を絞り出した。

「……その通りだ」

「承知。篁、ぼくが接近できる程度に結界を弱めて。で、永倉さんも、篁も、廊下で待機して。一刻も早くやったほうがいい」

「ま、まてよ、何するんだよ?」

 篁の只ならぬ雰囲気に、新八が慌てふためき腰を上げる。

「おい、総司? 篁さん?」

「大丈夫。この体の中から出て行きなさい、って交渉してみるんだよ。ちょっとだけ強引なやりかたなんだけどね」

 本当か、と視線で篁に問うが、肯定とも否定ともつかない曖昧な反応しか返さない。すっかり血の気の失せた顔は人形のように固くなり、青い唇が小刻みに震えている。

「篁、早く結界を緩めて」

「だ、だめだ、篁さん!」

「篁! 妖怪に乗っ取られた人がどれだけ苦しむか、知ってるでしょう? 早く!」

「おい、待てよ。どうにもならないって閻魔王も……」

「妖怪にしか出来ないやり方だもん、閻魔王だって知らないよ。早く、篁」

 篁が、ぎりぎりと音がしそうなほど拳を握り締めた。爪が掌に刺さっている。

「……新八、何があってもこの先ずっと、総司を支えてやってくれるか?」

「あ? 当然だろ?」

「すまない、ありがとう」

 小刻みに震える長い指が印を結んでいく。からからに乾いた唇を必死に動かし紡ぎだされた篁の声は、ひどく掠れていた。

 ぱりん、と結界が破れる音がしたと同時に妖狐が室内を飛び回る。

「篁、暴れたら援護よろしく」

「わかった」

 その言葉が終わらないうちに、目を開いた山南敬介がむくりと起き上がった。

 だが、目は吊り上り、唇が朱色だ。ゆらり、ゆらり、と上体が揺れる。まだ妖怪としての姿かたちが安定しないのだろう。

 その動きを封じるように、篁が妖怪の額に指を突きつけ呪文を唱える。

「篁、その調子!」

 刀を抜こうとする『妖怪の意思』と抜くまいとする『山南敬介の意思』がひとつの肉体の中で争っているのが総司には見える。

「頼む、眠ってくれ」

 篁が右手の人差し指と中指をそろえて、素早く宙に陣を描く。

「雷微……絶対許さない……」

 そう呟いた白銀の体が、突如青白い炎に包まれた。火の玉がいくつも部屋中を飛び交う。

 妖狐が聞きなれない呪文を唱えた途端、山南の身体が暴れはじめる。妖狐が鎖や炎を飛ばせて鎮める。

 それを何度か繰り返すうちに、火の玉に誘われるように山南の体からゆらゆらと黒い靄が立ち上り、すうっと妖狐の体に吸い込まれていった。

 瞬間、妖狐の目元が赤くなるが、すぐにそれも消えた。

「総司! お前……!」

「あはは、永倉さんが驚いてる! 一時凌ぎでしかないんだけど、これが妖怪を引き受るってことだよ。妖怪はね、強いものが弱いものを食べるように出来てるから、ぼくが引き受けても困らないんだよ」

 その言葉に愕然としたのは新八だけではなかった。篁が妖狐の傍に駆け寄ってその体に顔を埋めた。

「馬鹿、お前、ほんの少し引き受けるんじゃなかったのか?」

「馬鹿だね、篁。少しだけ引き受けたってしょうがないでしょ、ごっそり引き受けなきゃ。それに、妖怪が妖怪を食べてどこが悪いのさ」

「……俺が知らないとでも?」

「ま、大丈夫だって。ぼくだって大妖怪って呼ばれるくらい、高位の妖怪なんだよ。さて、栄養補給したら使わないとね。篁、永倉さん、一緒に巡察へ行こう! あ、その前にトシさんにこれ渡してくれる?」

 ぽん、と宙に文が出現し、新八の目の前でふよふよと漂った。

「なんだぁ、こりゃ」

「さぁ? 門前でうろうろしている坊さんに渡されたんだ」

 文を矯めつ眇めつしていた新八がああ、と手を打った。

「西本願寺、か。こりゃ……移転も本決まり、だろうなぁ」

「山南さんの病状が落ち着くまで待ってくれてもいいのにね。って、篁、そろそろ仔狐姿に戻りたいんだけど……」

 きちんと抱きかかえてやると、仔狐はするりと篁の懐へ自ら納まって、そこから顔だけを突き出した。

「さあ、副長室へ行って、報告だ!」

「ああ……とその前に……」

 昏々と、何事もなかったかのように眠る山南のまわりに篁が強力な結界を張り巡らせる。

 人も、妖怪も、誰も近寄れないものを張った。

「しばらく眠って、ゆっくり回復してくれ」


 篁と総司の奮闘の甲斐があって、山南啓介は正気を取り戻した。

 布団の上に体を起こし、時には屯所の周りをゆっくり散歩するほどに、なっていた。

「このまま、回復してくれるといい――」

 誰もがそう、願った。


 だが。

 悲劇は、突然降りかかってくるものである、と歳三たちが思い知らされることになったのは、ある日のことだった。

「勝っちゃん、トシ! 敬介がいない! 探して! まだ屯所から出られるほど回復してないんだ!」

 篁の悲痛な声が屯所に響く。そして間もなく、総司の「書置きがあった!」との叫び声がし、屯所がしんと静まり返った。


 総長・山南敬介は、書置きを一つ残して屯所から姿を消したのだ。


「近藤先生、篁、ぼくが山南さんを追いかけます。連れ戻すために、どんな手を使っても良いですよね?」

 局長と篁が同時に頷き、総司が馬に飛び乗った。

「行先はわかるんだな?」

「ぼくたち繋がってるから追いかけるのは簡単です。行ってきます」

「気を付けろ!」

 口の中で小さく術を唱え、馬の足を助けるのも忘れない。

(山南さん……無事でいて下さい)


 翌日、総司に支えられて戻ってきた総長は、すっかりやつれた顔に大量の脂汗を浮かべて訴えた。

 どうやら、自分が妖怪になってしまったこと、そしていつかまた仲間を襲ってしまう可能性が残っていることを察して、正気でいられるうちに遠くへ逃げようと思ったらしい。

 もちろん、総司もそれを助けようとしたが、途中で本人の気がかわったのだという。

「人で居られるうちに……妖怪に全てを喰われてしまう前に、武士として死なせてほしい。私はもう、仲間を襲いたくないんだ」

 

 元治二年二月二十三日、総長山南敬介隊規違反により切腹。享年三十二歳。


 総長の、その余りに見事な切腹は多くの人々の涙を誘った。

 介錯は沖田総司。敬介の背後でずっと、妖怪が暴れださないように押さえ込んでいた。

 篁と十二神将は、妖怪の残滓が周囲に飛び散らないよう結界を幾重にも張りめぐらせ、敬介の最期を目に焼き付けるように見ていた。

 そして新八は、大好きな山南敬介の首が落ちたのを見届けると、妖怪の発する悲鳴に吸い寄せられてくる「悪しき物」を片っ端から斬って行った。


 誰もが生かしたいと願った人物の突然の死は、新選組に大きな黒い影を落とした。

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