第34話 藤堂平助の旅立ち―2

 ふっと口を噤んだ二人の脳裏には、一人の青年の顔が浮かんでいる。屯所でサンナンさんこと山南敬介と一緒に待機している、藤堂平助だ。

 自分も戦に参加したい、小荷駄係でも雑用係でも何でもいいから連れて行ってくれと泣いて縋る平助に、屯所で待機せよと、告げなければならなかった局長も辛かったに違いない。

 サンナンさんと八木家のおかみさんが、屯所の片隅でしょげている平助を慰めている姿も、見かけた。

 そんな平助のことを考えるたびに、二人のはらわたは煮えくり返りそうになる。平助を狙った雷微への怒り、平助を守れなかった自分への怒り。

「何が何でも、雷微を倒す! どんなに詫びても、許しゃしねぇからな」

 新八が、刀をぐさりと地面に突き立て、吼えた。

「ねぇ、永倉さん。平助、苦しんでないといいな……。これだけ、怨念が町に充満してるから……」

「ああ。篁さんに妖種子を封印してもらったとはいえ……つらいかもしれねぇな……」

「念のため、万が一の対策はとっておきました。どう、偉い?」

 ほう、と新八が意外そうな眼差しを総司に向けた。

「それは、どんな対策だ?」

「サンナンさんには妖怪を調伏する、妖狐一族に伝わる秘術を伝えておいんだ。だから、万が一の時も大丈夫」

「調伏の秘術? いいのか、そんな大事なもんを教えて」

 いいんです、平助のためだから、と総司は淡く笑った。

「それにぼくは……妖狐族とは縁が切れて久しいので、ぼくを叱る狐はいない……かな」

 思えば新八は、どうして妖狐が篁と一緒にいるのか聞いたことがない。他の妖怪たちのように篁に使役されているわけではなく、妖狐が自ら進んで……好きで篁の傍にいるのだとは、聞いている。

 しかも、妖怪としての格も相当高いと聞いている。

 だが、付き合いの長い篁も、妖狐の『まことの名』を知らない。そのことを思い出した新八は、少し首を傾げた。

「なあ、総司。妖怪には真名まなってのを持ってるんだろ? 誰にでもあるのか?」

「うん、小さいのから大きいのまで、全員必ず持ってるよ」

「なら……雷微はともかく……妖種子の真名がわかれば、平助の魂から引き剥がして調伏できるんじゃねぇの? 調べ方とかねぇのか?」

 総司の目がまん丸になった。

「それは考えたことがなかったな……。そんな方法、陰陽師なら知っていることかもしれないけれど、この時代の陰陽師にそれが出来るのかなぁ……?」

 総司が腕を組んで考え込んだ瞬間、微かに大気が揺れた。ぴりぴりと肌を刺す感覚だが、敵意ではなく神気だと気付いて、新八が慌てる。

「……そ、総司、この気配は……」

「大丈夫。十二神将の一人、朱雀だよ」

「十二神将ってぇと……一条戻り橋の下に居たと言う……?」

「うん、それそれ。晴明の妻が怖がりな人だったんだってさ」

 総司の傍に、緋色の気配を纏った青年が姿を現した。仰天した新八が立ちあがって周囲を見回す。それを見た朱雀が、

「永倉新八、大丈夫。他の人には私の姿は見えない。座りなさい、二番隊の隊士が何事かと心配そうにみている」

 と、穏やかに声をかけた。

「お、おお、そうなのか……」

 二番隊の隊士たちに「何でもない」と手を振って応えてから、腰を下ろす。

「新八が言っていた、妖怪の真名の件だけれども。晴明ならそのやり方をしっているだろう。晴明を連れて来よう」

「あ、ならぼくが移動する。晴明も……っていうか、冥界も忙しいだろうから、ぼくがいく。妖力も足りないから冥土の霊穴に座りたい」

 だが、総司が立ち上がって数歩歩くと、近くにいた一番隊の隊士が数人かけてきた。

「沖田先生、どこへ行かれるのですか? 我々もお供します」

「え……ちょっと見回りに行ってこようかと」

「先生がそう仰るような気がしたので、一番隊と二番隊の有志で巡察に出ました。どうぞ、お休み下さい」

「え!」

 総司がきょとんとする。朱雀が、「お前の体が心配なのと、お前が傍にいないと不安なのだよ、皆は」と素早く解説する。

「先生! お休みください、ここで!」

 ここまで言われては、仕方がない。

「じゃあ、ここでゆっくり休ませてもらうよ」

「はい、ごゆっくり!」

 しぶしぶ腰を下ろした総司の背後で、朱雀が笑っている。朱雀だけではない。姿は見えないが、神将が何人かいて笑っている。

「良い部下を持ったな、妖狐。妖力補充のための宝玉を閻魔王から借りて来てやろう。待っているといい」

 微かな笑い声を残して、朱雀の気配が遠ざかった。


 そのころ屯所では、新八が心配したとおり藤堂平助が体調不良に苦しんでいた。額の傷が治りきらず、熱が下がらないのだ。

 その上、時折、伝令の隊士が屯所を出入りするのだが、その度に「陰の気」と「怨念」が屯所に持ち込まれる。それが平助を、より一層苦しめる。

「平助、水飲むかい?」

「ん、ありがとう……サンナンさんは、体、大丈夫?」

「ああ。私は大丈夫だよ。今日は落ち着いている」

「そっか」

 少々やせた平助の傍で看病をしながら、ここ数日、山南敬介はあることを考えていた。


 平助を、京の都から離した方がいいのではないか、と。


 不慣れな京の土地へいるよりも、慣れ親しんだ江戸へ帰った方が、傷の治りも早いのではないか、そう思えるのだ。

 ただそうなると、総司や新八といった『守護者』の手から離れることになる。単独行動をすれば、雷微の標的にされやすくなるのではないか。それが、心配だ。

「どうしたものかな……戦が終わってから、みんなに相談してみるか」

 とにかく、弟のように可愛がっている平助を一刻も早く楽にしてやりたい、願うのはそれだけだ。


 この頃、誰も――本人も、雷微すらも気が付いていない――『悲劇』が進行しつつあった。

 ここしばらく体調不良を訴えている山南敬介、彼の体調不良の原因も……実は悪鬼怨霊の所為なのである。

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