三章

第33話 藤堂平助の旅立ち―1

 常葉姫が冥界で暮らすようになって、かなりの年月が流れた。

 篁はといえば、昼は人界で有能な官吏として過ごし、夜になれば姫のところへやってくる、という忙しない日々だ。

 それもこれも、篁の『人界での寿命』が尽きるまでの話。

「その後は常時、閻魔王宮に居られるから二人でゆっくり過ごそう」

「はい。楽しみにしております」


 ……と語り合ったのも束の間。


 人界での寿命が尽きた後は、冥官としての仕事が一気に増えて忙しくなってしまった。人界が争いや諍いで乱れるたび、悪鬼妖怪が跋扈する。それを狩り、封印するのが、彼の役目だ。

「ああ、嫌だ嫌だ……。こんなに忙しいとは聞いてないよ」

 若いころの姿のままの篁が、嘆く。すると、こちらも十五、十六のころの姿のままの姫が、くすくすと笑う。

「篁さま、お忙しいときこそ、いかがですか?」

 姫がそっと差し出すのは、かつて宴席で篁が演奏した横笛だ。この笛の演奏のお陰で、嘉智子皇后が褒美を下さる気になったのだと後から聞いた。

 そして、姫が用意している琴は、彼女が山奥にいた頃から愛用している琴。不思議と弦が切れることもないその音は、騒乱のたびに『陰の気』に傾きそうになる篁を正気に引き戻している。

 今回も、雷微真君が復活するほどの瘴気と妖気が渦巻く都に身を置いている篁の気や霊力は、まったく安定していない。

「新選組の屯所では笛を吹く間もないとお嘆きでしたでしょう?」

「ああ、あいつらの中で歌舞音曲に通じた奴なんていないんじゃないかと思う」

「ならば尚の事、ここで楽しんでいってくださいな」

「よし、では少しだけ……」


 二人の演奏は風に乗り、閻魔王の元まで届く。

 戸を少し大きく開けてその音色に聞き入るのが、閻魔王のささやかな寛ぎの時間だ。

 きっと、常葉姫が消えたとき、篁も消えるだろう。その逆もまた、同様だ。

「一日でも長く、共に居られるといいな」

 彼はそう呟き、巻物を脇に置いた。その巻物は、ひっきりなしに届く篁への『特別任務命令書』だが、少し遅れたって構わないだろう。

「まったく……人界の騒がしさはなんとかならぬのか……」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「さてもさても……どうしたら良いものかな……篁、なんぞ知恵を出せ」

「名案が浮かんでいたらとっくに進言してます」

「……そうであろうな……」

 篁と閻魔王は、朝から二つ並べた水鏡を見て頭を悩ませていた。

 大きな鏡には、戦の真っ只中である人界の様子が、小さな鏡には、新選組の屯所が映し出されている。屯所に異変は見られない。

 篁は溜め息をつきながら大きな鏡を指先で弾いた。鏡面がゆらゆらと揺らいで視点が切り替わる。

 粉塵が巻きあがり怒声と悲鳴が交錯するなか、誠の旗が風にたなびいている。その旗の元で勇ましく戦っている新選組の姿がある。

「藤堂平助を屯所に置いていったやつらの判断は正解だったな。トシの判断か、敬介の判断かな……」

「うむ、戦場へ出た瞬間に体内の妖種子が暴れたであろうな」

 戦場と言うのは陰の気が満ちて、瞬く間に妖怪たちが寄り集う場所だ。篁が施した封印など、容易く破られてしまう。戦になれば、町は焼けて民が苦しみ、人が多く死んで誰もが悲しむ。それらは、悪鬼怨霊を増やす。そんなものが増えて喜ぶのは雷微しかいないのだが、それでも戦うのが「権力を持つものの性」らしい。

 今まで見てきた人界に思いを馳せていた篁はふと有ることに気が付いて閻魔王を見た。

「ところで閻魔王、雷微はどこですか?」

「わからぬのだ……。新選組の近くにいると思うのだが……」

 閻魔王が、水鏡の場面を切り替える。誠の旗が、翻っている。


 後に「蛤御門の変」と呼ばれるようになる事件で、長州勢を迎え撃つため出陣した新選組は、銭取橋付近に陣を張っていた。

 その陣の一角で、厳しい顔をした沖田総司と永倉新八が腰を下ろして向かい合っている。二人とも、愛剣のほかに閻魔王に贈られた剣を携えている。

「ちくしょう、雷微の野郎が一枚噛んでやがる」

「目が極端に吊りあがって瘴気を撒き散らしている男から順番に倒してはいるものの……永倉さんと二人だけでは……」

 総司は、はぁ、とため息をついて視線を地面へと向けた。自分の影が少し薄くなっているのを見て知らず苦笑が洩れた。

 妖力が足りなくなってきているのだ。ここらで一度本性に戻って休息をとらないと、闘っている最中に変化が解けてしまう恐れがある。

 だが、そんな余裕は無い。いや、長州勢そのものは間もなく撤退するだろうが、問題なのはそこに紛れ込んでいる『人形』のほうだ。

(篁、どこにいっちゃったのさ……術で吹き飛ばしちゃってよ……)

きりが無い、というのが正直な感想だ。

 雷微の術で動く人形は、倒されたとしても近くに手ごろな遺体があればそれに乗り移ることも可能らしい。倒しても、倒しても、次から次へと湧いてくるのだ。

「しつこさは、親玉譲りかね」

「そうでしょうね。妖怪とは大概執念深いものだけど、あれは桁外れです」

 何せ、雷微は平安の昔からこの国を我が物にせんと悪さを繰り返したのみならず、己を封印した術者の一人である小野篁を執拗に狙い続けて、戦いを仕掛け続けているのだ。

 それはもう、並々ならぬ執着振りである。

 これが一般的な男女関係なら、洩れなくお上に「お恐れながら」と、突き出されているに違いない。

 しかしそんな「化け物」をこの世に解き放ってしまったのは紛れも無く、今を生きている新八たちである。そして、雷微に不幸にも標的にされてしまったのも、彼らだ。だからこそ、一生懸命――雷微を倒せないまでも、せめて封印しようと――になっている。

(一生懸命だから……ぼくも、篁も、閻魔王も、手伝うんだよね……)

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