第35話 藤堂平助の旅立ち―3

 閻魔王の執務室に設置された水鏡で、次々と視点を切り替えて情報を集めている篁は、一人不安を募らせていた。一向に、雷微真君の姿が見えないのだ。

 慎重に、幾重にも妖気を纏ってその姿を眩ませているのならよい。

「また何処かで誰かに悪さでもしているんじゃないか……?」

 手伝ってくれている春明の顔も険しい。

「あれだけ大量の人形を操っているからには、すぐ近くにいると思うんだけど……」

 いかに強大な妖とは言え、大量の人形を遠隔地から長時間に渡り操り続けるのは不可能だ。

「春明……ふと思ったんだけど……。何だかんだ言ってあいつは復活してからずっと、戦い続きだから思いのほか弱っていて、案外、休息をとっているのかもしれない」

「ああ、なるほど。けどさ……雷微の力の源は町に渦巻く怨念や陰の気だろ。無尽蔵なのに休む必要があるんだろうか?」

 と首をかしげる春明に、篁は苦笑した。

「蓄えるそばから次々と使っていたから、さすがに補填が間に合わなかったと思うよ。まあ、総司や新八がかなり強くなったから当然と言えば当然か……」

 ふうん、と顎に指を当てて水鏡を眺めていた春明が、ふいに体を乗り出した。

「あっ、いた! 篁、戻って!」

「どこだ?」

 屯所のすぐ上空に、雷微が浮かんでいる。晴明の結界を破ろうとしているのか、立て続けに雷を落としている。だが、大陰陽師・晴明が全力で施した守護結界がそう簡単に綻びるはずがなく、しかも、十二神将が応戦に出てきた。

 あっというまに雷微の妖力が削られていく。ついには妖気が薄れて姿を曝した。

 悔しそうな雷微が後退するのを確認し、十二神将が屯所へ戻って行く。

「あ、雷信やめろ……!」

 篁が焦ったような声をあげた。

 逃げて行く雷微が無茶苦茶に放つ雷が民家を直撃し、悲鳴が上がった。小さな火の手だったものだが、それは風に煽られてたちまち燃え広がり、あっという間に周囲が炎に呑まれた。

「大変だ……」

 春明が閻魔王を呼びに走って行く。篁は水鏡を細かく切り替えながら状況を把握しようと努める。


 すでに都では火事が起こっている。

 最初は、逃走する長州兵が、長州藩邸に火を放った。その炎はあっという間に周囲を飲み込んで燃え広がっている。そしてもう一か所、長州兵が潜んでいる疑いのある場所を襲撃した際に放たれた火があった。こちらも、勢いを増している。

 火と煙の中を人々が逃げまわり、瞬く間に町は大混乱に陥っている。

 そこへ、雷微が雷撃を放ちながら移動している。妖気を帯びた雷撃が妖に当たることもあり、それが随分と厄介な事態を引き起こしている。

 たちまち狂暴化し、小さい妖や人を襲っているのだ。襲われた人は身体を乗っ取られてしまうらしい。

 慌てて執務室に戻って来た閻魔王が、ぎゅっと眉間の皺を深くして水鏡を覗き込む。同じく顔を強張らせた篁に命じた。

「……篁、行け。雷微を許すな」

「はい」

「急を要する、ここから行くといい」

 閻魔王が霊力で空間に穴を開け、人界と閻魔王宮を直接繋ぐ。

「この穴はしばらく繋いでおく。好きに使え」

 篁は躊躇うことなく穴へ飛び込み、墨染めの衣を翻してその先に続く回廊を疾風の如く駆け抜ける。

「待ってろよ、雷微! 絶対に封じてやる。これ以上、好きにさせてたまるか!」

 

 因みに、篁のこの雄叫びは屋敷で篁の帰りを待っている常葉姫の元まで届いた。

「まあ、お元気そうでなにより。お声を聞くのも、久しぶりね」

 おっとりと微笑みながら呟いた姫の言葉に、女官たち――閻魔王が特別に女性の囚人の中から選んだ――が驚いたような顔をした。

 だが、優れた女官は慌てず騒がず、何も尋ねないもの、であるらしく……。

 彼女達も、何も聴かなかったことにして各々、行動を再開した。


 その頃、壬生の屯所には不安そうな壬生村の人々が集まっていた。

「山南はん……ここまで炎は来るかしら?」

「こないとは思うけど、念のため、病気の方や御老人、女の人や子供たちは非難させておいた方がいいかもしれないね」

「ほなそうします」

 最初のうちこそ「壬生狼」だの「人斬り集団」だのと呼ばれ、何かと蔑まれ嫌われていた新選組だが、最近、村の人たちとは友好的な関係が築けている。

 相撲の興行を行ったことがひとつの切欠ではあった。その上、日々の相談に乗ったり近辺の警備を引き受けたりもした。

 決して乱暴狼藉を働くことなく、ひたすら徳川のために真面目に暮らしている彼らを見て、村の人々も納得して受け入れてくれたらしく、こうやって頼りにしてくれるのだ。

「山南はん、あの、六角獄は大丈夫やろか……」

 思い出したように誰かが呟き、山南も平助も、はっとして顔を見合わせた。

 あそこには、先日、池田屋事件のときに捕縛した『志士たち』が投獄されていると聞いている。

 彼らはまだ取り調べが終わっていなかったはずだ。この混乱に乗じて逃げ出したり、脱獄に手を貸したりするものが現れないとも限らない。

「平助、もし火の手が迫ったらみんなでどこへ逃げたらいいか、八木家の皆さんと相談しておいてくれるかい?」

 きちんと袴をつけ大小まで腰に差す総長・山南敬介の姿は久しぶりだ。だが、平助が驚いたような顔をした。

「え、山南さん、どうしたの?」

「私はちょっと六角獄の様子を見に行ってくるよ」

 もっとも、自分ひとりが行ったからと言って、どうこうなるものではないのだが、それでも行かずにはおれないのだ。

「じゃあ……」

 おれも行く、と平助が言う前に、八木家の当主・源之丞がさりげなく口を挟んだ。

「あのー……お二人揃って村を留守にされたときに何ぞあったら……」

 どちらかには残ってほしいな……と縋るような視線を送られて、無碍に断れる平助ではない。平助の心が揺れた瞬間を逃さず山南が再び言葉を添える。

「腕の確かな平助が残って八木さんたちを護ってくれるのなら、私はとても安心できるんだけどね」

「わ、わかった! 任せてよ。山南さんも、気をつけてね」

 仕事を任されて得意げな平助に片手を挙げて答えながら源之丞と山南は目線で会話をしていた。

(助かりました、八木さん)

(藤堂さんは、お任せください)

(頼みます) 

 平助は、迂闊に屯所から出られる身体ではない。そのことは、周りはみな知っているのだ。

 もちろん、雷微の埋めた妖種子だの、守護結界だのといったことは知らされていない。だが、池田屋で大怪我を負ったことも伝わっているし、幾日も幾日も目を覚まさなかったことも、目を覚ましてからも体調が優れないことも、きちんと知っているのだ。

 そして、簡単に死んでほしくないと皆が思うほどに、平助は好かれている。


 実は、近隣の人々は彼らが長州勢を追い払ってくれることを願う半面、勇や歳三、総司たちが全員無事に帰って来ることを願っている。

 だが、そんなこととは露知らず、隊士たちは戦っている。

 彼らが、どこまでも武士であろうとしている以上、死なないで戻ってきて、などとは決して口には出来ない。

 せいぜい、武装して屯所を出ていく彼らに、御武運を、と言い、その背中を見送るくらいしか出来ない。それもまた、辛いものだと人々は思っている。

「戦なんぞ……するもんやないな……」

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