第15話 多忙過ぎる狩人たち―2

篁を見送って直ぐ、夕方の巡察のために屯所を出た総司はぎくりとした。

 篁の張った結界から出た途端、大小様々な妖たちが隊士に一気に群がる。それらは隊士たちが背負っている怨念や憎悪に惹かれて集まってくる。

 その大半が生きている人間に直接手出しはしない無力な妖なので心配はいらないが、中には質の悪いものがいる。無害な妖怪を殺し、その皮を被って人間に近づく。餌は人間の生気だ。生気を喰われた人間は衰弱し、最悪死に至る。

(これらを隊士に気付かれないように祓うのは少し大変だ……)

 屯所を出て幾らも歩かないうちに、最後尾を歩いていた隊士が倒れた。

「どうした?」

 仲間に助け起こされた隊士の背中には中くらいの鬼が乗り、首筋に牙を立て生気を吸出している。

「沖田先生、どうしたらいいでしょう」

「ちょっと見せて。何かの病か?」

 病状を窺う振りをして、鬼を隊士の背中から払い落とす。逃げようとする鬼の背中を踏みつけ、妖力を押さえて只人の目には見えないようにした炎を召喚し、凪ぎ払う。が、鬼は渾身の力で跳ね起き、そのまま姿を消してしまう。

「うーん、屯所に戻した方がいいかもしれない」

 隊士数名を付き添いとして選び、屯所に戻るよう指示をだす。

 彼らにくっついている大量の妖たちは、篁が張った結界に阻まれて屯所の中には入れない。多少結界が綻びるかもしれないが、そのときは篁を呼び出して修正させれば良い。

「さて、巡察再開……っと、その前に。体調が悪くなったら遠慮なく早めに知らせて下さいね」


 一人になるな。功を焦るな。落ち着けば必ず敵は倒せる。


 呪文のように隊士に言い聞かせる総司を上空から見つめる目がある。言うまでもなく、雷微真君だ。

「妖でありながら人間どもの手先となり妖を狩る。面白い奴よの……ぜひ我が配下にしたい。篁がさぞ悔しがると思うと……殊更愉快なり」

 雷微は喉の奥で低く笑った。その笑い声は極々微かな妖気を含み、大気を揺らす。そのわずかな揺らぎを、総司は察知した。

 がばっと音がしそうなほど勢い良く天を仰いだ。だがそこに、雷微の姿はない。気のせいかと首を振る。その時ちょうど、隊士の悲鳴が響いて間髪を入れずに呼子が鳴った。敵に遭遇したらしい。

 ただちに隊士の元へと駆け出す。一人が斬られたのか、地面に倒れているのが見える。

「わたしは新選組の一番隊を預かる沖田総司! 何用ですか!」

「沖田だ、殺せ! 真っ先にやれ!」

 敵は複数だが、総司は動じない。愛刀を抜きざまに一人を斬った時には雷微のことなど忘れ、完全に「天才剣士・沖田総司」の顔になっていた。

 

 その頃新八は、なんとなく落ち着かない気分になっていた。寝間着のまま、素足に下駄をつっかけただけで庭に出る。いつもと変わらない夕暮れの時の空だが、妙に気味が悪い。

 暫く空を眺め、気が弱くなったか、と自嘲したところで屯所の門前で慌ただしい気配がした。何事かと出てみれば、巡察に出たばかりの一番隊の連中だ。

「総司おかえり、早かったな……」

「永倉さん、ちょっと手を貸してください。彼、急に倒れたまま一度も気を取り戻してないんです」

「おいおい、また病人かよ? 今部屋空いてねぇな……よし、俺がまとめて面倒看るから、ここへ寝かせろ」

 仲間に担がれて屯所に帰った一番隊の隊士は、池田屋以降ずっと臥せったままの平助のとなりに寝かされることになった。

「一部屋に大の男三人はちときついが……」

 世話係の平隊士に薬湯や手拭いを持たされた新八は、難しい顔で隊士の側に胡座をかいた。新八の目には、隊士を緩やかに取り巻く妖気が見えている。

 だが、どんなに目を凝らし、神経を研ぎ澄ませても、隊士の身体に異形・妖の類いが憑いた形跡は見当たらない。

「うーん、身体の奥に入り込んだかな。だとしたら篁さんに診てもらうしかねぇか」

 顎髭をぞろりと撫でる。髭を剃れと、いつもうるさく言って小刀を振りかざして追いかける平助が寝ているので、新八の髭は伸び放題だ。

「お、そろそろ平助の包帯を変える刻限か」

 くるりと向きを変え、平助の額に巻かれた包帯を取る。蒸し暑い日が続いているが幸い傷は膿むこともなく、快方に向かっているようだ。

「少し風に当てような、平助。新しい薬を持ってくるから、良い子で寝てろよ」

 平助が聞いたら激怒しそうな事を口にし、新八は部屋を後にした。


 平助の傷が外気にさらされ、強敵である新八がいない。

 この隙に、平助の体に埋め込まれた『妖の種』――先日雷微が密かに埋めたものだ――が動き始めた。

 額の傷からゆらりと煙のような物が這い出し、隣に寝ている隊士の首筋に飛び付く。よくよく見れば、小さく針で刺されたような傷がある。

 ずるずると何かを啜る音がし、次第に煙の色が濃くなる。だが、慌てたように平助の傷から彼の体内へと戻った。その瞬間、新八の声が響いた。

「おーい平助、新しい薬だぜ。早く元気になれよ」

 新しい薬を手にした新八が戻り、じっと平助の傷を検める。

はやく良くなれと、心をこめて手当てをする。この新八の思いが、平助の中に潜む『妖の種』の成長を封じている。新八が近くにいる限り、包帯が巻かれている限り、妖は満足に成長することができない。

 これは雷微の誤算だったが、そこで諦めるような男ではない。

 今、屯所に運び込まれた隊士は、生気を抜かれた代わりに妖気を埋められている。平助に埋め込まれた妖種子のために、ライが送り込んだ餌である。

 しかし、この数日後から新八も新しい刀を手に昼夜問わず京の都を駆け回り始めた。とにかく新選組は忙しく、いつまでも新八も寝ていられない。

 幹部や平隊士が平助の手当てに訪れる。誰も彼もが平助を気遣っていくが、新八が無意識のうちに平助に施した一種の『守護結界』は薄れていく。

 隙をついて餌を啜り確実に成長していく妖種子だが、忙しく駆け回る篁も総司も、大人しく眠り続ける平助の変化を見落としていた。

「種子が育つにはもう少し時が必要であるな……」

 闇に溶け込んだ雷微は、平助に埋め込んだ妖種子の成長を待つ間も忙しく活動している。

 目眩ましと暇潰しのために、冥途の至るところに穴を開けて鬼や異形を人界に放した。

 このおかげで総司も篁も大忙しで、今にも倒れそうである。そして、妖たちが増えれば増えるほど、己の妖力を補填するのに役立つ。

「篁も総司も新八も、まだまだ弱いの。我にはかすり傷一つ、つけられまい。どれ、少し鍛えてやるかの」

 ゆるやかに背を流れる艶やかな髪を一房掴み、小刀で一寸ほど切り取る。土塊にそれを埋め込み、小さく呪を唱える。たちまち土塊は小さな人形となり、動きだす。

「倒幕を目論む奴等に寄生し、新選組とやらを襲撃せよ」

 良く通る声が命じると、人形たちは四方へと散っていく。それを眺め、雷微は口端を妖艶に吊り上げ、笑った。

「まだ動きがぎこちないかのう……? それなりに楽しめれば、良い」

 人形に寄生された人間はある程度ライの手先と成り得るのだ。

「さ、存分に奴等を襲撃いたせ」

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