2月17日 ボルネオオランウータン

ダイナミックな鉄器構造である駅と空高くそびえるショッピングビル、人々の喧騒と雑踏からゆっくりと、ゆっくりしかし確実に、遠ざかっていく。ガラス一枚隔てた現実は、やがて物凄い速さで離れる。

揺れる。揺れている。

昼下がる都会の隅をつっきる特別快速。いつも乗る路線でかつての国営企業よろしく代金はそこそこ。他に特記することない普通の電車。

ただボックス席、そう時々しかないボックス席に座れると、20を超えても僅かに旨は高鳴る。しかも、し・か・も、後ろ向き。早々ない。早々ないよ、新幹線でも座れないよ、うひゃーきゃー、どうしよう。東京観光の電車みたい。アイアームふぉれーいぐんピーポー。うけるね。うけねーよ。

そんな心ときめく純潔無垢なハイジを心秘める私の向かいには、5歳くらいの男の子と30前後と思われる女の人。肩に届く黒髪は、念入りには手入れされていないけどある程度は手入れされている。多分彼女はドラッグストアに売っている袋に金の螺旋が入ったシャンプーとリンスを使っているんだろうな。私もそうなの。気が合うね。けれど現実、二人は私の方を見向きもせず、小さい声でぽそぽそにこにこ何か話している。今日は幼稚園・・・もしくは保育園お休みなのかなああそうか今日土曜日か。彼らの存在に異質なものはないな。よーし。

普通だ。普通の親子だ。

そう思ってしまたーしまたしまたので、多分私は駅から降りたら彼らのことは忘れてしまうんだろーな。グッバイレディー、グッバイたかし君(仮名)。

再び窓へ目を向ける。右腕に僅かなガラスの冷たさと、すべすべを感じる。大気に溶け込む太陽光がかすかに目に刺さる。が瞑るほどじゃない。

大学病院、アパート、学校(小中高・・・まではわからない)と校舎、家の群れ、マンション、再び学校、遠くのビルはどこかの大企業か、再び家、ショーウィンドウきらめく大手自動車販売店が、薄い青い空の下いっぱいに広がっている。ああ日本。ああ現代。ああ幸福。意味わからん言葉の羅列を口内に転がす。

全くここでどれだけの人間が働いているんだか。

全くここにどれだけの人間が住んでいるんだか。

全くここにどれだけの人間が生きているんだか。

ぼんやりと親子に目を戻す。

ほうほう、2人とも会話は終わったようだ。だんまりタイムですか。私も参加していいですか。してましたか、さーせん。

タカシきゅん(仮名)は何やら手いじりをしている。ああそれ私も見たことあるよ、多分保育園が幼稚園で習ったんだろうな、ほんわかぱっぱな優しい園(その)で。曲がりなりにも社会に出た今ならわかる。保育園・幼稚園の「園」は楽園の「園」だってこと。えーんえんえん、そりゃみんな泣いちゃうよー、幸せだもの。

幸せ。幸せねぇ。

ちなみに小学校中学校高校のこうは幸福の「こう」。今ならすべて一笑に付すほどの小さな出来事でいっぱいいっぱい脳みそをフルに働かせていた無知な馬鹿な幸福な時代。無知は幸福だ。

いいなー、タカシキュンは楽園出たら幸福に行けるのか。いいないいなぁ。

私なんてね、先月仕事やめちゃったのよ。

いやいやキツかったね人間関係。おかしいね。幸福な時期にあれほど学んできたことなのに大人になった途端わかんなくなっちゃって、さ。やめたら幸せかなーって思ったけど案外実はそうでもないのよ。

でもタカシきゅん、君は今聞いたら多分答えるでしょう。「幸せですか?」と聞いたら、「はい」って。多少心に迷いはあるかもしれないが、そんなの振り切っちゃうっでしょ。私は自信ないもん。はい、って答えられる自信ないよ。ないない。ナッシーング、ばっちぐー、あぐーっぐぐぐぐぐ・・・君は知らないか。知らないね。

さて、幸せいっぱいのタカシきゅんはどんなお召し物、着ているのかしら。ミスプチプラアッポーの私より高いブランド着てたら、どうしちゃおうかしら。どうもしないけど。辛口ファッションチェーック。これも知らんか。

あら、Tシャツ。Tシャツだわわ。

しかもちょっと色あせたオレンジの半そでのTシャツ。中に黒いボーダーの長袖重ねて着てるけど。おしゃん。なんだー、タカシきゅん、案外安そうなものお召しになりやがっているじゃないのー、どれ、デザインもみちゃろうみちゃろう。

真ん中には安っぽい黄土色のサルのイラスト。そして上には赤と青と緑を交互に組み合わせた「✖✖✖✖✖✖✖ ZOO」。それは私の地元の動物園。お土産、土産かな。いやでも其処はそれほど遠くはないし、お土産を買うほど有名でもない。買ってもらったのかもしれない。隣のママに。いいなー、私なんてここ5年はTシャツなんて全部自力で買ってるよ。当たり前か。もう生後23歳と8カ月だし。だからなんだっつー話。べ・・・別にTシャツくらい自分で買えるんだからねッ!!

真ん中に印刷されたサルは簡略化されたシンプルスマイルを顔にニコニコ浮かべている。●のお目目に緩やかに描くUの字の口。顔の周りも一面黄土色で、よく見ると頬から顎下にかけて長い長い毛が伸びている。

あれ、これサルじゃないな。

なんだっけ。

サルでもないチンパンジーでもない、ほら高校の時英語の教材で読んだあの動物。「森の人」と呼ばれています。is called is calledなんだっけ・・・ああそうだ。

オランウータン。オランウータンだな!!貴様!!わかったぞ!!

内心ほくそ笑み、表情に出ていないかふと心配になり再び右の窓へと顔を向ける。

オランウータン。

いたな、そういえば其の動物園にも。名前・・・名前はなんだっけ。ジョンだっけ、ジュンだっけ。ジュンだったな、そうだジュン。だってメスだったもの。だからジュン。ジュンコじゃなかった、ジュンアンドコーとかでもなかった。確かシンプルにジュン。ジュンジュンジューン。

ヤツは年老いていた。若くはなかった。オランウータン歴浅い当時の小学生の私でもわかった。長く伸びる赤焦げ茶色の毛に交じる白髪が混じっていたから。後、なんか動かなかったし。

奴はオリの隅で、じっと時を過ごしていた。傍にある草は目に入ってんのか入ってないのかわからない。掴もうともせず口にもしない。

オリは極端に狭いわけではなかった。コンクリートで出来た小屋のようなものに覆われていてそこが全てオリでジュンの世界。ジュンワールド。ジュンランド。

だけど人が通る面だけは一面黒い金網だったな。その手前には、手入れが行き届いていない大人の腰ほどまである植垣があって、アルミホイルのような銀色の丸っぽい手すりが地面にぶっさっささって、更に私とジュンを隔てた。ジュンは、遠かった。遠かったけど、ヤツの哀愁はその距離をものともせず漫然と大気中に漂っていた。

今もヤツはいるのだろうか。

狭い檻の中、1人で。

寂しいジュンワールドのなか、ぽつんと。

ああそれはかわいそう。

「かわいそうだわ」

気づくと口にしていた。

うん。だってさ、私が朝起きて職場行ってパソコンの前座ってカタカタしていて上司に怒られ怒鳴られ叫ばれへこみ一人もそもそコンビニ弁当を食べてその後またデスクに座ってあーしてこーして家帰ってパスタゆでレトルトのミートソース(ちょっと高いあなたとコンビにのやつ。コンビプライスじゃねーよざけんな)をかけてずるずるバラエティみてシャワー浴びて髪の毛乾かさないままスマホいじって明日への不安を誤魔化しつつも就寝してる間ずっとこいつは、

というか電車乗ってる間もずっとこいつは、

今も檻のなかで、ひとり。

座ってんだろ。

ジュンワールドで。

それって。

それってさー。

やっぱかわいそうだよね。

でもさよくかんがえたらわたしもかわいい間違えたかわいそうだよね。

気づいた、気づいちゃったよ、ねえねえタカシ、おねえきゅんねきづいちゃった。

みんなみんな「東京」っていう檻にいるんだね。家があって職場があって適度に娯楽があって、てさーそれさー、ジュンの檻の中と何も変わらなくない?変わらない、ウケる。

「ツギハジユウガオカジユウガオカ―」

おいおいきゅんきゅん、タカシきゅんきゅん、おりてしまうのかおりてしまうのか?そんな駅で?え?おい?そんなお洒落なパーリーピーポー、間違えたパリピーポーみたいな恰好をしておしゃれな街をねりねりねり歩くのか?裏山。

おいおいタカシきゅん下りないでよお姉さんも独活れってってよ、自由へ連れてってよねぇ、タカシきゅんさぁ・・・取り残されたら孫ん私は絶望ボルネオオランウーマンだよ、いやまじで、へへ。

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17日の動物園 まぐろどん @haruyagi

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