新龍記

@shubenliehu

1:導入

 火の粉が爆ぜる。

 ディランは膝を抱えたまま、じっと巻き上がる煙と火を見つめていた。日が落ちてから何時間経つのだろう。傍らの弓を抱いたまま、ディランは微動だにしない。何時間も弓を構えて茂みに身を潜める事など、狩人の彼には慣れた作業だ。しかし、いつもは感じる森の息吹を、今は感じられなかった。


「…とうとう、一人ぼっちになっちゃったな」


 呟くと、がさりと背後で身じろぎする気配。振り返り、ディランは慌てて謝罪の言葉を舌に乗せる。


「あ…ごめん。一人ぼっちじゃないや。お前がいるのに」

『…いえ。しかし、今回の事でお疲れでしょう。我が主、我等が王よ、明日も行かねばなりません。此処は我がお守り致します故、もうお休みください』


 聞こえてきた声は深く低い。ディランの視界に白く長大な体が寄り添うように現れると、ふう、と温かな風が吹いた。風が流れた方を見ると、白い鱗に輝く、巨大な獣の顔がある。燃え盛る家からディランを救い出してくれた白竜は、腹を地面に伏せ、きらりと輝く片目でこちらを見つめていた。

 言われた事は確かにその通りだ。しかし、ディランは頭を振って俯いた。


「…ごめん。寝られないよ。目を閉じると…色々思い出しちゃって…」


 膝を抱えて、その間に顔を埋める。頭の中はぐちゃぐちゃでまとまりがなく、とても眠れるような状況ではなかった。


 目を閉じると、炎の中で敵に斬り付けられ倒れ伏す父の姿が蘇る。ディランがどんなに努力してもついに敵うことのなかった父が凶刃に倒れる様は、青年を打ちのめすに充分過ぎる衝撃だった。


『しかし、このままではお体に障ります』

「平気だよ。本当に眠くなったら寝る。それまではちょっと話そう」


 言われた竜は静かに目を閉じた。それを合意と取ったディランは、ふと己の頭を疑問がかすめていくのを感じ、軽く首をひねる。


「そういえば……お前、目の傷はもういいのか?」

『はい。元々古傷でございますゆえ』

「古傷って……あれ」


 ディランは傷ついて視力を失った竜の右目を見た。過失とはいえ、ディランは獲物と間違え、この竜の目を射てしまったのだ。出会ってすぐのこととはいえ、古傷と呼ぶにはあまりにも新しすぎる傷の筈である。何せ今日の朝つけられた傷なのだから。

 しかし、ディランの見た限り、竜の右目にあるその傷は、確かに古傷と呼ぶにふさわしい、完全に癒え、しかし蚯蚓腫れの痕になって残った、切り傷のようになっていた。


「僕は確か……お前の目を矢で」

『それ以前に、我の目は失われていたのでございます、我らが王、我が主よ』


 不思議なことだ。ディランはわけがわからなくなった。ディランがこの竜の手当てをした時には、こんな傷はなかった筈なのだ。だとしたら、あの時にディランが傷つけてしまった竜の右目は、一体何だったというのか。

 竜は首をひねっているディランに説明してきた。


『我の目は既に、数年前に失われております。しかし、あるお方がその傷を肩代わりしてくださり、我がお仕えすべきお方が現れた時、そのお方にお返しせよと命じられました。そして今、目は確かに、貴方様にお返ししたのです。我らが王、我が主よ』

「ちょ……っと、待ってくれないかな」


 ディランは返す言葉に困って頭を掻きむしった。つまり、白竜は失った目の代わりに別の竜から目をもらい、次に目を奪った相手こそが、この白竜の仕えるべき主だということだ。そしてそれは、弓で彼の目を射抜いてしまった、ディランだという事になる……。

 しばらく考えて、やっぱり違う、とディランは頭を振った。そもそも、「我らが王、我が主」って呼び方、どういうことなのかな。


「……僕は竜使いじゃないし」

『存じております、我らが王、我が主よ。そもそも竜使いは竜一体に付き生涯たった一人。我が竜使いは、既に天界の住人でございますゆえ』

「そう、それだよ。その呼び方」


 ディランは白竜の言葉を留めて首をかしげた。


「僕はこの世界のどんな王家とも所縁はないし、そもそも主とか、王って、突然言われても……」

『我の言う「王」とは、人の王ではございません』


 きっぱりと、白竜はそう言う。ますますわけがわからないと首をかしげるディランに、厳かな調子で続けた。


『我の言う「我らが王」とは、すなわちそのまま「我ら竜族の王」ということ。貴方様は正統なる我ら竜族の王、竜王なのでございます』

「……いや、僕、人間……だけど」


 ディランは控えめに抗弁してみる。しかし、返ってきたのは沈黙であった。居心地の悪い視線に射すくめられて、どうしようもない居た堪れなさに、続けようとした言葉を引っ込める。知っていた。竜は決して嘘をつかない。嘘をつくのは人間だけだ。それが父の口癖であったからだ。

 しばし沈黙した後、ディランはおずおずと問いかけた。


「……僕が、竜?」

『はい』

「しかも……竜王」

『相違ございません、我らが王、我が主よ』

「勘違い……とかって可能性は」

『ございません。貴方様とお会いしたその時、我は貴方様が竜王でいらっしゃることを確信いたしました』


 きっぱりとした白竜の口調に、疑う余地などないという事を悟る。しかし、あまりにも、そして何もかもが突然の出来事だった。ディランは己の掌を見つめた。肌色の手は、明らかに人間のそれだ。竜という生物とは似ても似つかない。けれど、嘘をつかない竜が、紛れもなくディランを竜だと言っている。人間の姿をしたディランを。人間の父に育てられたディランを。


「僕は……僕は人として育てられたんだ。人間の父さんに、お前は俺の子だって言われて。でも……」

『亡き父君、グラン様を、本当の御父君ではないのでは、とお疑いなのかもしれませんが』


 最も恐れていた事をはっきりと口に出されて、ディランは顔を歪めた。この竜によれば、ディランは正統な竜の一族の一人だという。順当にいけば、人の腹から竜が生まれるわけがない。

 父グランとディランは、容姿からして似ても似つかない。これは昔からディランのコンプレックスだった。茶色の髪、黒い瞳を持ち、筋骨逞しいという言葉が最もふさわしかった、元竜使いの父、剣士グランに比べ、ディランは細面で金髪碧眼。お前の細腕では剣など振れるかと、麓の若者たちに散々馬鹿にされていたのだ。こんなに似ても似つかない親子があるだろうか。

 以前から、ディランにはもしやという疑いがあった。それでも母親に似たのだという小さな可能性が捨てきれなかった。もちろんグランが彼を慈しんで育てたことに変わりはなく、またディランもグランを父として敬っていた。年を重ねれば、血のつながりなど大した問題ではないとわかる。しかし。


「……小さな頃、さんざん虐められたんだ。ほら、父さんと僕はあまり似てないから……」


 まあ、似てる似てない以前の問題だけどさ、と笑うと、白竜はまたも否定の言葉を告げてきた。


『いえ、亡き父君グラン様は、間違いなく貴方様の父君でございます』

「……っごめん、わけがわからない」


 竜が嘘を言わないと知っていても、ふとした瞬間に「いい加減なことを言うな」と叫んでしまいそうになる。それを必死に押し殺し、ディランは静かにそう問いかけた。


「僕は……本当に何も知らないんだ。どうして僕には、種族の違う人間の父親がいるの? どうして、その父親とは似ていないの? ……そもそも、どうして僕は、竜のはずなのに人間の姿をしているの……?」


 しばらく沈黙がつづいた。ぱち、と火の粉が爆ぜる小さな音に促されるように、白竜は閉じていた目を開いて言葉を継ぐ。


『……貴方様が何もご存じでないのは、時が来るまで竜としての出自を隠し、人として育てよという亡き母君、すなわち前竜王陛下の御遺言の為にございます。貴方様が疑問に思われるのは無理もございません。竜の事を詳しく知る人間は、ただ竜使いのみでございますゆえ』

「……僕の母さんが……竜王?」


 当然と言えば当然だが、母が竜、しかも竜王だったという言葉を聞き、ディランは問い返した。御意、と竜は頷く。そして続けた。


『貴方様が人の形を取っているのは、母君の御遺言に沿っての事。その為に、母君御自ら、貴方様にまじないを施し、人の器へ魂を封じたのでございます』


 ディランは告げられた言葉の意味を何とか反芻し、飲みこんでみた。母さんの遺言で、僕は人間の姿に封じ込められ、父さんは、そんな僕に、僕が竜である事を隠して、育ててきた?


『そして、父君グラン様は、亡き前竜王陛下と心を分かち合い、前竜王陛下の鱗を……竜騎士の証である、輝く槍を賜った、竜騎士にございました』


 ディランは言われて思い出した。父のベッドの傍に、大切そうに立てかけられていた長大な槍。どんなに力を込めても持ち上がらない、重い槍。それを父は、斃れる直前、軽々と振り回していた。今まで決して、それを使って狩りをしたり、ディランに稽古をつけたりしなかった父の、最期の姿を思い出し、ディランは納得した。あれが、白竜の言う「鱗」なのだ。


『竜と竜使い、竜王と竜騎士は、互いに心を分かち合った契約関係にあると同時に、深い情によって繋がっております。そして、竜は本来、交接を致しません』

「こうせつ……えっとつまり、」


 ディランは難しい言葉の意味をかみ砕き、ぽんと浮かんだもっとも下世話な表現方法に頬を赤くしながら、小さな声で呟いてみた。


「……つまりその……子供を作るって事を……しない?」

『致しません。そもそも竜には、男女の別がございません。性格上、人間でいう「男らしい」「女らしい」の違いはあっても、それが性別の差として肉体に現れる事はございません』


 必死に直接表現を避けたが、そんな事はどうでもいい。ディランがそう思うほど、白竜の返答は非常に不可解だった。


『竜は竜同士で子を作る事をいたしません。心を分かち合った竜使いとの間に、子を成すのです。竜使いが男であれば卵から、竜使いが女であれば人の器を持って、竜の子は生まれてまいります。我も元は人の子として生まれました』


 もう、何百年も昔の話ではございますが、と、白竜は付け加えた。ディランは黙って、視線で続きを促した。


『貴方様の父君、すなわち竜騎士グラン様は、男でございます。故に貴方様は、母君が産み落とされた卵から孵り、竜として生まれました。しかし、』

「……しかし、何かの事情で、僕は竜としての素生を隠さなきゃいけなくなった。だから母さんが封印をして、父さんがその封印を守ってきた。そう言う事なんだね」


 ディランは白竜の言葉を受け取って、続きを小さな声で呟いた。白竜は静かに目で頷いて見せる。御意、という短い肯定の言葉が、温かな風と共にディランの耳に届いてきた。

 ディランは消えかかっているたき火を見て、足元にあった木の葉をくべる。少しだけ大きくなったのを確認して、傍に積んでおいた細い薪を一本折り、その中に放り込んだ。


『貴方様の姿が人の形をしているのも、竜の事を殆ど何も知らないのも、亡き母君と父君……すなわち、前竜王陛下と、その竜騎士様の施された封印の為。そしてそれは、私が貴方様に目をお返しした事、そして……父君のご崩御により、二つ、解かれました』


「……二つ?」

 ディランは火から視線を移して白竜を見つめた。「二つってことは、もっとあるの?」


『御意』

 白竜はきっぱりと断言する。『封印がどれだけ施されているかは、我にも分かりかねますが』


「そっか……」

『しかし、間違いなく最後の開封の鍵となるのは、貴方様に神が用意なされた、竜騎士の存在でしょう』


 言われたディランはようやく思い当たる。そうだ、僕は竜だった。だったら竜使いがいるんだ。世界のどこかに。どこかは分からないけど。


「僕に……竜騎士」


 ふと、父の顔を思い出した。母の事を聞くたび、懐かしそうな、嬉しそうな、誇らしそうな……そして、何とも言えない喪失感を抱えているような、そんな顔をしていた、父の顔を。幼いころ、そんな、いつもとは違う、そしていつもより強く見える父の顔が、本当に頼もしく見えたものだった。


 ディランにも、そんな顔をしてくれる人が、どこかにいるかもしれない。


「どこにいるんだろう、僕の竜騎士」

『探しに行かれますか、我らが王、我が主よ』


 ディランは少し考えて、やがて小さく肯いた。「そうだね、……会ってみたいな」


 でも、その前に、とディランは白竜を見直し、苦く笑ってみせる。


「その、『我らが王、我が主』って呼び方……止めない?」

『申し訳ございません。しかし本来、竜には名がございませんし、名を付けるという習性もございません』


 すまなそうにそう言われると、ディランも思い当たる節がある。ディランも致命的なまでにネーミングセンスがないのだ。自覚はしている。


「……僕は本当に竜なんだなぁ」


 さりげなく己のネーミングセンスを種族のせいにしてから、ディランは白竜に向き直った。


「父さんは僕の事をディランって呼んでた。だからそう呼んでくれると嬉しいかな。……あとは、お前の名前だけど」

『……いえ、その……ディラン様』


 おずおずと――今まで泰然としていた竜にしては、非常に珍しい気配だが――白竜はディランに呼びかける。様なんていらないのに、と思いながら、ディランは聞き返した。


「何?」

『我には元来、名がございませんが』

「だから、つけるんだよ。何て呼んだらいいか分からないし」


 白竜には悪いが、人として生活してきたディランには名前がないというのは非常に不便だ。この際ネーミングセンスのひどさには目をつぶってもらって、呼び名だけでも決めてしまおう。ディランはそう決めると、顎に手を当てて思案した。白い竜の名前。


「……そういえば、父さんの先祖が住んでた大陸では、白竜の事を『バイロン』って呼ぶって聞いた事あるな……」


 ぶつぶつ言いながら考え込むディランを、神妙な面持ちで白竜が見つめている。ややあって、ディランは顔を上げた。


「バロン、でどう?」


 父グランの先祖が住んでいたという大陸では、竜をランとか、ロンとか呼ぶのだ。ディランも多分、そうやってつけられたのだろう。バロンと呼ばれた白竜は、開いている片目を大きく瞠り、次いで恭しく角を下げた。


『ありがたき幸せにございます、我らが王、我が主よ。その名、我が命尽きるまで我が心に刻み、名に恥じぬ働きにて貴方様をお守り申し上げます』

「う……うん、よろしくね……バロン?」


 最上級の礼なのだろう、その仕草に恥ずかしくなりながら、ディランは小さな声で、「そんなに気張らなくてもいいのに……」と呟いた。

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