十四話 作戦会議
ボクは石川さんに今の自分に起きている現状をしっかりと話した。
とにかく、話が書けなくなっていること。
その影響に、おそらくは田口さんたちの好意があって、任侠モノに対するボクの中のイメージが大きく変わってしまったこと。
それゆえに、ボクの中にあるキャラクターのイメージが壊れてしまったことを伝えた。
編集さんってのは、沢山の作家と触れ合う。
そうすると、類似した悩みの相談を持ちかけられることも多いらしく、結構的確なアドバイスをくれることが多い。
もちろん、人によって同じ悩みでも対処法が違うこともあるから、完全に解決するということばかりではない。
けれど、それでもこうして相談できる相手がいるということは、とても頼りになった。
自分と違う視点から意見をもらえるだけでも、一人で考えに煮詰まり続けるよりよっぽど良い。
石川さんはしばらく相槌を打ちながら、ボクの話をじっくりと聞いていた。
そして少しの間黙ったかと思うと、ゆっくりと持論を語りかけてきた。
ボクも集中して耳を傾ける。
「これは他の先生がやっている手法のひとつなのですが、先生に必要なのは、キャラクターとの対話ではないでしょうか?」
「対話ですか?」
「そうです。彼らの心を、設定ではなく一人の人間として腑に落とすには、心の中にいるキャラクターたちに、次々に問いかけていくしかないと思うのです」
「具体的な方法を教えてもらってもいいですか?」
もちろんですと言って、石川さんは紙にやり方を書いてくれた。
手順は簡単で、作品に登場させるキャラクターの一人ひとりの名前をまずは思い浮かべる。
紙に書いてもいい。
そして、君はいまどういう状況にあるのか?
これからどうするつもりで、それはなぜ、どうして、どのように、いつするのか?
そうした質問を投げかけていく。
そうすると、心の中のキャラクターは、それに回答していってくれる。
一つ回答が出て、まだ腑に落ちないようなら、回答から更に遡ったり、あるいは先の事態にたいする質問をしたりする。
そうしてどんどん、どんどんと深掘りしていくと、ある時分かるようになるらしい。
この方法は、一つの出来事に対して、様々な視点から見ることもできる。
それぞれに思惑があり、目的があり、何らかの手段を取る。
そうしたものが積み重なって、世の中が動いている。
「これってキャラクターだけじゃなくて、自分自身にも使えそうですね」
「メタ認知というらしいです。人って自分のことが案外分かっていませんからね。頭の中でモヤモヤとした考えが、パフォーマンスの低下につながることは多いです。メモ程度でも言葉にすると明確になるし、やってみる価値はあると思いますよ」
素晴らしい、金言だ。
なんて良いことを言う人だろうか。やっぱり頼りになる。
石川さんの目を見て、真剣に聞いていたら、なぜか急に言葉がどもり始め、頬が赤くなっていた。
一体どうしたんだろうか。先程まで淀みなくハキハキと答えていたというのに。
「なんだか顔が赤いですけど、大丈夫ですか?」
「え、ええ、お構いなく」
「はあ……。もしかして熱とかあります?」
「いえ、そういうのじゃないんで。本当にお構いなく」
「うーん、別に額も熱くなってないですね。本当に大丈夫そうです」
気になったので額に触れたのだが、むしろひんやりとしているぐらいだった。
サラサラでツヤツヤな髪の毛がパラパラと手にかかる。
まあ、大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
石川さんはしっかりとした大人の女性だから、体調管理もしっかりとしている。
一体なんだろうと思いながらも、そこから追求することはしなかった。
すると、何が問題だったのか、石川さんにジロっと睨まれてしまった。
なにかしでかしてしまったらしい。
石川さんと話していると、たまにこういうことがある。
いったい何がまずかったのか、まるで分からない。
「先生はもうちょっと、女性心理とかも深掘りして書けると良いんですけどねえ……」
「姉妹はいませんし、交際経験が殆ど無いので」
「あら、そうだったんですね.。そういえば先生に家族構成とかお話したことありませんでしたね」
「何分プライベートなことですから」
それもそうか。
そうかもしれない。
ボクも石川さんの家族構成とか全然知らないし、普段あえて話すようなことでもないだろう。
しかし、女性心理か。
これはとても難しい。
男からすると、何を考えているのかまるで分からないところがある。
逆もしかりだとは思うけれど。
むかし『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がベストセラーになったことがあったっけ。
ああいう本を読んでみるのも良いのかも知れない。
アマゾンで買うか、それともまた本屋さんに行くか。
実体験で学ぶよりも、先に本を読んでおきたい、と思う辺りが、小説家ならではだろうか。
実践するのはなかなか勇気がいる。
「先生は今もお相手はいないんですか?」
「はは、いたらもうちょっとマシな文章が書けましたかね」
「そうですか、そうですか」
石川さんは嬉しそうに笑う。
まったく、人がモテないっていうのに、それを楽しむなんてひどい話だ。
どうせだから、アドバイスを貰っておこう」
「どうやったら女性の心って分かりますかね? あと、モテる方法あります? 夜のお店とか行ったら良いんですかね?」
「……っ、知りません! そういうところがデリカシーが無いんです!!」
「すみません、すみません!」
「ちゃんとお伝えした方法、やっておいてくださいね」
一瞬にして機嫌を損ねてしまった。
石川さんが怒って、そのまま部屋を出てしまったのを、引き止めきれず、ボクは途方に暮れた。
まったく、だからボクは分からないんだってば……。
どうしようかなあ。
女性の心をつかむのが上手そうな人……。
ああ、よく考えてみたら、ヤクザって女性を落とすのはお手の物だよな。
竜さんに一度聞いてみようか。
時間を置いて石川さんに謝罪のメールをすることに決めて、ボクは溜息をついた。
女性の扱いも大切だが、今は小説だ。
締切があるから、ゆっくりもしていられない。
せっかく石川さんに手法を教えてもらったのだから、今はそれを信じてとにかく実践してみる。
こういうとき、自分が素直に信じて、とにかく試してみれるタイプでよかったと思う。
まあ、石川さんの教えだからってのもある。
誰彼構わずアドバイスを受け入れるほど、ボクは心が広いわけでもないし、チャレンジ精神旺盛というわけでもなかった。
そうして、主人公、主要キャラ、脇役、敵役、一人ひとりに声をかけていく。
それは自分の深いところに潜っていく行為だった。
心の奥深く、まるで深海の沈没船をマイニングしていくように、少しずつ少しずつ拾い上げていく。
そうして、これまで光の当たらなかった部分に、目を向けていく。光を当てていく。答えを見つけにいく。
そうすると、これまで思っても見なかったことが明らかになったり、知っていることがより深く分かるようになった。
そうしてじっくりと自分に向き合い、キャラに向かって二日。
結局、ボクの組み立てたプロットは大きな矛盾を孕んでしまったことに気づいた。
新しく知った彼らの行動原理では、どう考えても今のプロットのような動きを取らない。
分かりやすい例でいえば、彼らヤクザは、ボクのこれまでのイメージでは脅威に対して、武力で対処する。
ところが、新しいイメージでは、まずは対話し、取引する。
そして、然るべきところでは、躊躇なく武力を行使する。
これは、よく考えたら国が戦争を目的ではなく外交手段の一つと捉えるようなものだ。
彼らはヤクザは、つまるところ営利組織なのだ。
ドンパチを続けていたら、どんどん逮捕されて、組織が継続できなくなる。
このような新しいことが分かったが、喜んで良いことばかりではなかった。
これはつまり、時間を書けて作ったプロットが全部役に立たずに破棄することに繋がる。
一度作ったプロットをボツにするのには、結構な勇気がいった。
とはいえ、使えないのだ。
使えないんだけど、惜しいのだ。
ボクは自分が書いたプロットのファイルをじいっと見つめたまま、お蔵入りフォルダに入れた。
ボツになったからといって、削除したりはしない。
いつの日かふと見直した時に、それがアイデアの源泉になることがある。
こうして考えたボツになったプロットも、最終的に選ばれたプロットも、けっしてムダではないのだ。
さて、仕方がない。仕方がない。
「仕方ないんだ。だから諦めろ……」
自分に言い聞かせて、一からプロットを考え直す。
組長のおっさんが、ひょっこりと顔を見せたのは、そんな時だった。
「先生、進捗どうですか?」
「田口さん……」
「おっさんで構いませんよ」
ボクはその時、一体どんな表情をしていただろうか。
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