一〇話 竜さんに連れられた田口組の職場案内ツアー

 昼食は田口家でいただくこともあれば、外食することもある。

 閑静な住宅街なので、食事をしようと思うと少しだけ自転車を走らせる必要があるが、クロスバイクはこういうとき移動に便利だ。

 駅前にまで出れば牛丼屋をはじめとしたチェーン店もあれば、個人経営の店も建ち並ぶ。

 お昼はしっかりと食べて、あとはレシートを提出すれば経費で落としてくれるという契約だ。


 自宅で食べるときは、八重さんが作ってくれたり、他の組員さんが作ってくれるときもある。

 こんな楽な生活を続けていて良いんだろうか、と不安になることもあるが、今は便利さに甘えておこう。

 いや、ほんと一人暮らしが長引くと、食事を任せられるだけでぜんぜん負担が違うんだなって実感する。


 午後からは竜さんの案内に従って、取材を行う。

 これはおっさんからの提案だった。

 ボクの小説に出てくるような鉄火場を見せることはできない。

 というか、ボクだって見たくない。

 怖すぎるし、万が一を考えるとリスクが高い。


 せめて自分たちのクリーンでホワイトな職場を見て、少しでも創作に役立てて欲しい、ということだった。

 クリーンでホワイトなヤクザの職場なんて想像もできない、たちの悪い冗談だ。


 ボクはこちらの提案も恐縮していたのだが、若頭の竜さんもぜひにと強く薦めてくるので、一度は見てみることを了承してしまった。




 軽快なポップミュージックにあわせて、金属玉がジャラジャラと大きな音を立てている。

 室内はコンビニのように明るく、イスが何十何百席と並んでいる。

 空調は完璧な温度を保っているが、かすかにタバコの臭いが漂っていた。


 イスに座った大人の男女たちは、一心不乱に前方を見つめている。

 タバコをくゆらせ、歓喜と呪詛の表情を浮かべていた。


 そこは田口組が経営するパチンコ屋の一つだった。

 乗客数の多い都市部の駅のすぐ近く、非常に交通の便の良いところに構えた『RED SPOT』はいつも多くの客で賑わっている。

 人気の秘訣は換金率の高さだそうだ。

 実はお店によって一玉の交換比率が変わってくる。

 この店は周辺では一番比率が高く、つまり勝ったときの儲けがとても大きくなるんだそうだ。

 その分、同じ千円でも交換できる玉の数は少ない。

 ハイリスク・ハイリターンな設定だ。


 ボクは、正直なところ博打が苦手だ。

 嫌いではない。むしろ熱中するタイプだ。

 一度ハマりだすと、頭に血が昇って全財産を失うか、大勝ちするまで止められない。


 過去の経験から、それを強く自覚していた。

 家族からも止めたほうが良いと薦められたことがある。

 だから、賭博行為は固く禁じて生きてきた。


 竜さんは店内を通り、客の顔をさっと眺めた後、関係者用の入り口から堂々と中に入っていく。

 ボクもその後ろをついて行った。

 関係者用のとある一室は、無数のモニターが並んでいて、店内の様子をチェックしていた。

 何の数字だか分からないけれど、おそらくは台の確率だとか、出た玉の数とかをチェックしているのだろう。


「先生もやってみませんか?」

「いえ、せっかくですが」

「遊ぶパチンコ玉でしたらこちらが提供しますし、設定と釘の甘い台を使ってもらいますよ」

「ああ、やっぱりそういうのがあるんですね」

「もちろんです。とはいえサクラはやっていませんがね」


 バイトを雇って、当たりやすい席を関係者だけで埋めてしまうようなサクラという行為を行う店舗も多い。

 ときにそのサクラが暴露されて、大問題になることもある。

 そして、うまく隠せていたとしても、一時的には店の利益が増えるが、勝った経験をした人間が減ると、結果として店に訪れる客も減るから逆効果になるという。


「目先の金に目がくらむのは商売下手がすることです」


 竜さんは吐き捨てるようにして言った。

 よほど思うところがあるらしい。

 店内の監視カメラには大勝ちして喜んでいる客の姿が映っていた。


「あのとき勝てた、という経験が博打にのめり込ませるんですね。しかも勝った人間はだいたいが気分良く宣伝してくれます。あの店は出るらしいと聞いたら、自然とお客さんが増えるという寸法ですよ」

「長期的な目線で経営を行っているわけですね」

「最終的には換金率の問題があるのですから、客が来れば来るほど、胴元は儲かるんです。一日の売り上げを考えるより、来客数をのばす工夫をした方が賢い」


 たしかに博打は胴元が勝てるようにできている。

 じゃあ、パチプロは実在しなかったのだろうか?

 ボクの質問を竜さんは面白そうに笑った。


「長期的にパチンコとかスロットで勝てる人っているんですか?」

「それがいるんですよ、先生」


 設定を厳しくしていても、大当たりフィーバーが出ていなければ、次の当たりがくる確率は高くなる。

 現時点でのフィーバー数と出玉数などを計算し、確率の高い席で常に勝負すると、トータルで勝てるようになる。

 台の上にはそれらの数字がちゃんと記録されているため、賢い人間は計算するのだそうだ。

 だから、勝てる人は数学の得意なものが多いのだという。


「カードゲームでも数学の強い奴は勝率が高いそうです」


 ただし、労働環境は博打打ちとは思えないほどに厳しい。

 毎日のように出店し、台の傾向を確認する。

 そして数時間にわたって座り続けることが最低条件になる。


 しかも、それだけしてても負けるときには負けてしまう。

 精神的にもツラい作業だ。

 楽に稼ぎたい人間がなるのが博打打ちだというのに、稼げる博打打ちは勤勉でないといけない。

 なんという皮肉だろうか。

 どうせなら小説家で大当てして、高等遊民になりたいものだ。


「俺はそれだけ計算ができるんだったら、パチンコで稼がずにもっと頭の使い方があると思いますがね」


 最後に竜さんが身も蓋もないことを言って締めた。



 それから、竜さんは新台導入の計画を打ち合わせたり、経営状況の確認をしたり、人員募集を考えたりと、非常に経営者らしい仕事に励んでいた。

 ボクは隣で働いている姿を見ていたけれど、とても真面目で勤勉、しかも頭を使っていて、ヤクザの偏見が吹き飛んでしまいそうだった。




 パチンコ屋の視察が終わって、次の取材に行くことになった。


「次はどこに行くんですか?」

「すぐに分かります。先生もきっと気に入りますよ」


 それから竜さんが連れて行ってくれたところは、テナントビルの一室だった。

 さして何の変哲もないビルにいったいどのような仕事をしているのか。

 不安と期待がない交ぜになった気持ちで一室の玄関を潜る。


 さして広くない事務所だった。

 数多くの段ボールが積まれていて、社員数はあまり多くないように思える。

 目に付いたのは、大きなパソコンのモニターだった。

 モニター一杯に女性の性器がアップに映っていて、男がその画像を凝視していた。


 何でこの人職場で堂々とエロ画像見てるの!?


 あまりにど迫力な光景に、思わず顔がひきつってしまう。

 男は平静そのものと言った状態で集中しているし、竜さんがそれをたしなめる様子もない。


「た、竜さんこれは?」

「アダルトビデオのモザイク編集ですよ。そのまま世に出すと大変なことになるんで、こうして一つ一つ修正しているんですね」


 そういえば、AVもやってそうだって思ってたんだった。

 アダルトビデオは動画だから、一枚の画像を修正すれば良いというものではない。

 次から次に場面が移り変わり、それに対してモザイク処理をかけていく。

 地味でツラそうな仕事だった。


「あ、竜さんこんにちはっす」

「おう、やってるな」

「いやー、きついっすわ。早くこのモザイク処理も全自動になりませんかね」

「グーグルが投稿動画に自動モザイクをかけるアルゴリズムを作っているから、将来的にはできるんじゃないか?」

「お、マジっすか」

「ああ。だが抜けがあるかもしれないから、結局チェックが必要になるけどな」

「それじゃほとんど労力変わらないっすね……」


 男がしょんぼりと肩を落とした。

 よっぽどツラい仕事らしい。

 男が仕事の手を止めて、こちらに挨拶をしてきた。

 優しそうなまなざしの男だった。


「先生、竜さんから話は聞いてるっす」

「よろしくお願いします。これってどういう仕事なんですか?」

「ひたすらパソコンでモザイクかけるだけっすよ」

「どうしてこの仕事を?」

「いやあ、本来は修正されてるエロ動画を生で見放題で、しかも金までもらえるって言うから来たんすよ」

「その割にはしんどそうですね」

「いや、これが単純作業すぎてかなりツラいんすよね。おまけに仕事で一日中エロい画像見てると、どんどん興奮しなくなってくるんす……」


 男の見たくない股も見ないといけないし、俺、将来インポになるかも……と男が深刻に言うから、ボクは笑うこともできなかった。 


 撮影は別のスタジオで行って、撮られた動画をこの一室で修正。

 パッケージのデザインなどもこの一室で行われるらしい。

 ボクもあまりアダルトビデオは詳しくないが、現在ではストリーミング配信などが主流で、パッケージングは昔に比べると年々減っているのだとか。


「しかし美人な女優さんが多いんですね」

「うちは女優の質にこだわってますからね」

「素人さんでも美人は多いっすよ。スカウトマンの腕が良いと、そういう女優さんが一杯集まるっす」

「アダルトビデオもメーカーによってコンセプトがありますからね。うちはイメージビデオなんかに出てるアイドル落ちなんかのケースも積極的に採用してて、それが話題になることが多いですね」


 ほら、こんな女優がといって差し出されたのは、見本画像だった。

 非常に顔立ちの整った少女が、笑顔を浮かべながら交わっている。

 肌色成分一杯の画像を前に、二人は平然としている。

 興奮したり、あるいは平静を失うということがない。


「アイドルしてるのに、アダルトビデオ出るんですね」

「お金に困ってたり、元々興味があったり、理由はいろいろですけどね。一番多いのは承認欲求でしょうか」

「承認欲求ですか?」


 認められたいためにAVに出るという感覚がボクには分からない。

 あるいはそれは、ボクが前時代的なせいの感覚の持ち主であるからかもしれない。


「芸能人になって有名になりたい、チヤホヤされたい。そう思って芸能界に入る人間は多いものです。アイドルでは花が開かなかった。けど、元アイドルがAVに出ると話題になるし、男たちには優しくされますからね。お金も入る」


 ボクが小説を書いて認められると嬉しいという感情とよく似ているのかもしれない。

 分かるのは、AVに出る女優さんは、昨今非常に増えているということだけだ。


「ああ、もちろん法に触れるような方法は使ってませんよ。最近ではスカウトのやり方が問題になっていますけどね」

「ニュースで観たことがあります。最初は別の仕事のスカウトのつもりで勧誘して、実際にはって手口ですよね」

「ああいうのは、うちらの仕事を汚すから、同業からも大いに嫌われるんですわ」


 どんな仕事でも、取り組み方次第と言うことだろう。

 仕事に貴賤があるわけではなく、それに取り組む人に優劣がある。

 なんだか真理が掴めた気がした。


 一人で納得しているボクに、竜さんが段ボールからポスターを取り出した。

 ジャケット写真が何十と並べられたそれは、作品の一覧だった。


「先生のタイプはどんな娘なんですか?」

「ぼ、ボクですか……?」


 ボクはおっぱいの大きな娘がいいのだけど、ここで正直に言うのは少し恥ずかしかった。


「一本持って帰ります? 修正前の奴だから、表に出しちゃダメですよ」

「いりません!」


 魅力的なお誘いに、断るのに精神力がいった。

 でも、人様の家にお邪魔していて堂々とアダルトビデオを観る勇気はないです。



 こんな感じで、ボクは竜さんに次々と取材をさせてもらった。

 夜には飲み屋やキャバクラなどの田口組が経営しているお店を視察したりもした。

 竜さんは夜の女性からは大人気で、顔面偏差値の威力の違いと世の儚さについてとてもよく学べた。


 取材をして分かったことは、田口組の人たちは事前に言ってたように、本当にまっとうなやり方を非常に上手にやりくりしているということだ。

 あるいは裏の汚いところが見えないようにする技術が優れているのかもしれない。

 ただ、少なくともボクのヤクザ者に対する印象がずいぶんと変わったことだけは確かだった。


 ――これらの取材がボクの創作活動に大きな影響を与えてしまうことを、今のボクには知りようもなかった。

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