八話 ヤクザの組長VS編集 最強の原稿回収人はどっち!?
組長のおっさんと話をすることになっても、石川さんは少しも動じているようには見えなかった。
サインを求められて震えていたボクとは大違いだ。
それがとても頼もしかった。
もしかしたら、内心では緊張しているのかもしれないけれど。
「やあやあ先生、今日はよくお会いしますな。お連れの美人な方は先生の恋人ですか。先生も隅に置けませんな!」
「ちっ、違います。編集さんですよ。ボクと編集さんは少しもみじんたりともそんな関係じゃありません。そんなこと言ったら石川さんに失礼ですよ」
「……はじめまして。川辺先生の担当編集をしています、石川真由です」
あれえ、なんでボク石川さんから睨まれてるの?
あれか、やっぱり勘違いされて、気分が悪いのかな。
なにを誤解させてるんだ、もっとちゃんと早くに紹介しろってことでしょうか。
とほほ、と嘆いているボクに、おっさんは面白そうに笑った。
「ほっほお……。私の勘違いですか。それは失礼しました」
「オホン、今日は田口さんが川辺先生の後援をなさると聞き、お邪魔しました」
「そうですか。こうして話し合いがもたれるという事は、ずいぶん前向きに考えてくれているようですね」
喜ぶ組長とは対照的に、石川さんはピリピリとした態度を崩さない。
腕を組んで警戒を露わにしているが、大きな胸が持ち上がって強調されていた。
こういう男慣れしてない所、ボクは大好きだけど、今はちょっと心配です。
「勘違いしないでください。あなた方の職業を考えると、完全に無視を決め込んでも危険だと判断したにすぎません。何か問題があった際は、当社の法務が飛んできますよ」
「……これはずいぶんと誤解されているようで」
「誤解ならそれに越したことはないんですが」
「なるほど。では私がけっして先生のご迷惑をおかけしたくて提案しているわけではないことを、ぜひともご理解していただかねばなりませんね」
これだけの敵愾心を前にしても、おっさんは平静としたものだ。
それだけ修羅場を経験しているということだろうか。
鉄火場だろうか。カチコミだろうか。
あまりにも受け流すものだから、石川さんとしても気勢がそがれたらしい。
やや憮然としながらも、おっさんの案内を受けて、館に上がることになった。
●○●○●○●○
今回のような話し合いのための部屋なのだろうか。
テーブルを挟んで柔らかなソファが並んでいる。
壁には美しい水墨画や壷などの芸術品が飾られ、一つ一つが調和と気品を保っている。
ボクも話し合いの一員としてソファに座ろうとしたが、それよりも先におっさんが手で制した。
「先生は隣の部屋で話が終わるまでお待ちいただくのはいかがでしょうか?」
「ボクは参加しなくていいんですか?」
「今回の件は編集さんにとっては商業的な、いわば利害的な話をする必要もあるわけでしょう。そういった会話を先生が耳に入れるのは、私としても心苦しいですし、編集さんとしても言いづらいでしょう」
「なるほど……」
非常に申し訳なさそうに、おっさんがボクに詫びた。
ボクは確認の意味もかねて石川さんを見たけれど、石川さんは肯定も否定もしなかった。
それはある意味、肯定しているようなものだ。
たしかに、石川さんの援護がボクのためではなく原稿のために、などと言われてはボクだって傷つくかもしれない。
「じゃあ、隣の部屋に行きます。石川さん、後はお願いします」
「お任せください。ぜったいに先生の身は私が守ります。このヤクザの組長の好きにはさせません!」
「やれやれ、まずは誤解を大いに解く必要がありそうですな」
おっさんが苦笑しながらボクを隣の部屋に誘った。
先ほどの会見のための部屋と違い、隣の部屋はずいぶんと狭かった。
必要最低限の調度品しかなく、ソファではなくイスが二脚置かれている。
イスに座ろうとしたボクの耳に、石川さんの声がはっきりと聞こえてきた。
「先生は絶対にオレが守らないと……。気迫で負けちゃダメだぞ、真理」
「これは……?」
「先生、この部屋は音の反響があって、隣の会話がようく響いてしまうんですわ」
「へっ、それって……」
「重要な話をするときの前には、相手さんたちを待たせて、私はここで控えておるんですけどね。皆さん部屋に私がいないと思うと、ピーチクパーチクとよく
何を思っておるのかよく分かります、と呟いたおっさんの目がギラリと輝いた。
おっさんの迫力もそうだが、言っている内容を想像して、腰を抜かしそうなほどの恐怖が迫ってくる。
このおっさん、やっぱり危険人物すぎる!
「まあ、これで編集の別嬪さんの本音がよく聞こえることでしょう」
「石川さんは信頼できる人ですよ。こんな隠し聞きなんてしなくたって……」
「たしかに良い人だとは、私も思います。でも彼女の本音、知りたくはありませんか?」
「…………それは」
知りたい。
人には立場がある。
だから、誰かを本音で評価して話すことなんて普通はできない。
その人が自分をどう思っているのか、そんな本音が知りたくてたまらない。
もしかしたら知ることで傷つくかもしれないけど。もし、石川さんがボクを心から認めてくれていたら――それはとても嬉しいことだ。
ボクの内心の悩みを見透かしているかのように、おっさんが助け船を出した。
「まあ、聞く聞かないは先生の自由です。なんだったらスマホで音楽を流すなり、耳を塞ぐなり、聞かない方法はいくらでもありますからな。私はけっして強制しませんから」
「…………」
「では、ちょっと編集の別嬪さんと相談してきますわ」
なんてずるい男なのだろうか。
ボクは本当にこのおっさんを信じて良いのだろうか。
おっさんは間違いなくボクのファンだろう。
そして、もしかしたら本当に法律は破っていないのかもしれない。
だけど、法の網をかいくぐり、グレーなラインを飄々と飛び越えるぐらいは、充分にやっていそうに思えた。
このおっさんは、怪しい。
いったいボクは何を信じたらいいんだろう。
ご丁寧に、のぞき窓まであった。
田口のおっさんと石川さんの部屋には調度品が数多く置かれている。
その陰になる部分に、ほんのわずかな穴があったのだ。
つまり、音だけではなく視覚的にもこれで確認しろと言うことなのだろう。
石川さんは組長のおっさんがソファに座ると、早速交渉の口火を切った。
「川辺先生を後援……いえ、囲い込もうとする目的はなんですか?」
「だって私はファンですからな! これでも川辺誠非公式ファンクラブ会員ナンバー02ですぞ!」
「ひ、非公式ファンクラブって……アイドルじゃないんだから」
えええ……。
そんな先生になってたの、ボク。
ドン引きですわ。
おっさんが喜色満面といった表情で続ける。
「ファンクラブ会員として、素晴らしい作品を書く先生を応援したいという気持ちにほかなりませんな」
「それだけでお金を湯水のように使うと?」
「甘いですなあ。後援家というものは、そもそもそういうものです。ありがたいことに私はお金に困っていない。そして、自分の好きな作品を書いてくれる作家がいる。だからお金を払う。どこもおかしくないでしょう」
「ではほかに目的がないとでも? 普通に待っていても、先生は専業作家なのだから、本は出るはずですよ」
「出るか出ないかは売り上げ次第ではないですか」
おっさんは売り上げに左右されずに本が読みたいのだと言い始めた。
そして、その一言が意外にもボクの心を打った。
「自分がどれだけ面白いと思っていても、売れ行きが伸びずに売りきりになった作品の悲しさ。作者の無念の声を知らないとでも?」
「そ、それは……」
「もちろん、先生には本業を専念してもらいますがね、たとえ出版するところがなくとも、私は作品が読みたい。なんだったら、連載が終わってしまって続刊の見込みがなくなった作品も、続きが知りたい。これこそファンの一番の望みでは? それとも、編集であるあなたにはそのような経験がないとでも?」
「いや……ある……あります」
そうだよなあ。
完結してしまった作品のその後の世界。
あるいは打ち切られてしまった作品の続刊。
どれだけ望んでも、そこには売り上げという大きな壁がそびえている。
出版は遊びではない。だから利益が出ないと判断した以上、それ以上続けられることはない。
不本意ながらも切り捨てられた省略された数々のイベント。
伏線をいくつも残しながら迎えるエンディング。
心苦しいのは、読者だけではない。
自分の作品を不完全な形で終えなくてはならない作者もだ。
だが、個人の支援で生活が賄えるなら……?
あなたの続きを読むためならば、いくらでも資金を用意するという読者がいたら?
続きを書きたいと思っている作者がどれだけいるだろう。
おっさんの理論には一定の説得力があった。
ボクの心を打ったおっさんの発言は、石川さんにも届いたはずだ。
だからこそ、石川さんも別の面から切り口を用意する。
「自分の家に部屋を用意するというのも問題があるように思えます」
「そうでしょうか? たとえば雇用主が従業員に職場を提供することに問題があるでしょうか? その上、編集の方に私のやり方を避難される権利があるのでしょうか?」
「なんですって!?」
「締め切りが近くなると、出版社は自分のビルの会議室などで作家を缶詰状態にするらしいですな。たしかに鍵はついていないかもしれませんが、これも事実上の軟禁状態でしょう」
「そ、それは……」
狼狽える石川さん。
負けるな石川さん! 頑張れ石川さん!
ボクが軟禁されるかもしれない事態を避けてくれ!
「おまけに編集での缶詰は、ろくな環境ではなく、おいしい食事やお茶を用意できるわけでもないようですね」
「ぐっ、なぜそれを……」
「それに比べたら、当方は充分なもてなしを準備できるのです。これ以上何か言えますか?」
「ぐう……」
「おや、まだぐうの音ぐらいは出るようですね」
「バカにして! あなた方の社会的な背景を考えると、先生を預けるのは非常に心配です!」
おお、そこをついに切り込むのか。
そうだ! そうなのだ!
結局ボクが提案に魅力を感じながらも、最後に尻込みするのも、おっさんがヤクザだからなのだ。
これが著名な財界の会長だったり、あるいは好事家だというのなら、ここまで警戒はしない。
結局どこまでも行っても、おっさんがヤクザだから、ボクは信じ切ることができないのだ。
その点を突いた石川さんの質問に、田口のおっさんはポリポリと頬をかいた。
そして、衝撃の事実を述べた。
「私らの会社は、少なくともあなたの会社よりはよほど経営状況も、勤務環境もよろしいと思うのですがね」
「なんですって……?」
「かわいい部下ですからな。一日八時間の労働時間に残業なし。週休二日制、有給消化率は九九%、報償は年二回……」
「あ、ああああ……」
ホワイトヤクザ!
まさか田口組がホワイトヤクザだったなんて!?
田口のおっさんから話される会社状況を聞いて、石川さんが震えだした。
マズイ!
編集は、勤務状況で言えば超絶ブラック間違いなしだから……。
職場に泊まり込みも当たり前だと聞いたことがある。
石川さんは有能だから給料も多少は良いかもしれないけど、出版に夢を持ってなかったら、とっくに転職していてもおかしくない。
「まさかヤクザものがそんな良い勤めをしてるなんて……」
ガクリ、と石川さんがうなだれた。
誰がどう見ても、ヤクザと編集の対決は、ヤクザに軍配が上がったらしい。
●○●○●○●○
衝撃を受けている石川さんに、組長はなぜか声を潜めだした。
いくら音が伝わりやすいとは言っても、その元々の声自体を絞られては聞こえようがない。
その後、いっこうに声が聞こえなくなってしまった。
「(さて、もう一度聞きますが、あなたと先生はどういう関係ですか?)」
「なっ!? 私は……」
「(静かに。私が見たところ、あなたは明らかに先生に好意を抱いているように見えます」
「(そ、そんなことは……)」
「(ないと言い切れますかな?)」
石川さんが真っ赤な顔で首を横に振る。
くそ、何を話しているんだ!?
おっさんはなぜ急に声を潜めたんだ。気になるじゃないか!
ボクは壁にできる限り耳を近づけるが、やっぱり音を拾うことはできない。
「(ヤクザが何よりも約束を大切にするのはご存じでしょう。私たちは日陰者で信用が得られにくいからこそ、一度交わした約束は破りません。その上であなたに約束しましょう。先生に危害は加えませんよ)」
「(信じて良いんでしょうね?)」
「(もちろんです。疑わしかったら、あなたが先生のところに足を運べばよいのです。上司に話を通し、お邪魔する良い理由になるでしょう。ふふふ……)」
ワタワタと手を振り、赤い顔で慌てる石川さん。
これはもしかして口説かれてるのか?
契約の話じゃなかったのか!?
八重さんに言いつけてやるぞ、チクショウ!
……結局、二人の話が終わるまで、それ以上を知ることは叶わなかった。
●○●○●○●○
おっさんがボクのいる控え室に寄ってきたので、ボクは何事もなかったようにソファに座ってスマホを操作した。
扉をノックして入ってきたおっさんは、ボクがなんでもないように座っている姿を見て、なにやら納得がいったような表情で頷く。
もしかして全部見透かされているのだろうか。
こんなイヤラシイのぞき部屋を作っているぐらいだ。
他の人間には気づかれないような形で、この部屋すら監視されていてもおかしくない。
結論をおっさんは言わなかった。
代わりにすぐ後ろに石川さんが立っていた。
直接編集さんとの声を聞け、ということだろう。
石川さんは、なんだか目が潤んでいた。
ボクを熱いまなざしでしばらく見つめている。
こんな表情を見るのは初めてで、いったいどんな内容を話し合ったのか、とても気になった。
やがて夢から覚めたかのように、ハッと気づいた石川さんが、ボクに言った。
「川辺先生」
「はい、話し合いは終わりましたか」
「ガンバってくださいね、オレ、先生がここで最高の傑作を作ってくれるって信じてますので!」
「ちょ、ちょっと石川さん?」
「田口さんはとても良い人ですよ。心配いりません」
「ちょっと、丸め込まれてませんか!? めちゃくちゃ心配なんですけどっ」
心配するボクに、石川さんはとてもいい笑顔を浮かべて、ボクの肩をたたいた。
「大丈夫、全部オレに任せておいてください。有事の際はちゃんと動きます。それにできる限り、ちょくちょく応援にきますからね」
「ちょっと、田口さん、どういうことですかこれ!?」
「どういうって、私の説得に耳を傾け同意いただいただけですが……」
くそ、いったいどんな手段を使ったら、石川さんがこんなに乗り気になるんだ?
まさか石川さんが説得されるとは思っていなかった。
いや、安全性を確保された上で、了承したというのなら分かるのだけれど。
なんだかこれは、おっさんの良いように言いくるめられているような気がしてならない。
石川さんの顔から、ムフー、と欲望の鼻息が聞こえてきそうだ。
と、ボクが疑念の目つきで見ていたところ、石川さんは急に耳元に顔を寄せてきた。
声量の抑えられたハスキーボイスが鼓膜を優しく揺らす。
「先生がもし何かあって助けを呼びたいとき、直接言いにくい場合もあるでしょうから、暗号を決めておきましょう」
「暗号ですか?」
「先生のツイートは全部チェックされてますからね。ファミレスで先生が飲んだドリンクを覚えてますか?」
なんだかずいぶん前の話に思えるが、ほんの数時間前でしかない。
ボクはジンジャエールを飲んだ。
「覚えてますよ」
「それについて呟くときは、救難信号だと思ってください。オレの方でもチェックしておきます」
「分かりました」
「そのときは何があってもオレが先生の元に駆けつけます。だから安心して、創作に励んでくださいね。新刊楽しみにしてます」
そう言って顔を離すと、石川さんはにっこりと笑った。
とても可愛らしい笑顔だった。
そうして、ボクの危機感とは裏腹に、編集のお墨付きもいただいて、ヤクザの組長に支援を受けるという形が整ってしまったのだった。
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