七話 編集の石川さんは原稿が大好き
その日の帰り、早速ボクは編集さんに相談することにした。
担当編集の石川さんは、ボクがデビューした頃からの付き合いだ。
もうかれこれ五年になるだろうか。
何度も連絡や相談を繰り返しているうちに、それなりに気心の知れた関係にはなったと思う。
基本的にはずっとボクが迷惑をかけっぱなしなんだけど。
ところで、作家の仕事も一般には知られていないけれど、それ以上に知られていないのが編集の仕事じゃないだろうか。
編集の仕事は、めちゃくちゃ忙しい。
作家は一人の編集さんと相手をするわけだけれど、編集さんの方は何人もの作家を抱えているのだから、対応することが多くなるのだ。
作家と打ち合わせして、プロットや企画書を読んで、編集会議に出て、イラストレーターや装丁、校正さんと打ち合わせして――やるべき仕事は山のようにある。
そのため、石川さんは忙しいと電話にすぐには出てくれない。
今日は繋がるだろうか、と思いながら携帯から電話すると、運の良いことに一発で繋がった。
ちょっとハスキーな女性の声。
とっても色っぽくて、耳がゾクゾクしてしまう。
『なるほど。先生の後援をしてくださる方が出てきたと……』
「そうなんですよ。ありがたい話ではあるんですが、私一人では決められないことだと思いまして」
『分かりました、任せてください。小説家を守るのも編集の仕事ですからね』
「石川さん……」
『ひとまず、直接会って相談しましょう』
とても幸運なことに、直接会えることになった。
この機会を逃すと、次に会えるのが何時になるか分からない。
出版社からほど近いファミリーレストランに、ボクは出向いた。
●○●○●○●○
通い慣れたファミリーレストランで、禁煙席のほうを眺める。
昼下がりの会話に花を咲かせる主婦たちの中で、探していた姿をすぐに見つけることができた。
石川真由、二十八歳。
ピッシリとしたスーツ姿を崩さず、いつも凛々しい姿を保つやり手の編集さんだ。
茶色に染めたショートカットに、本当に控えめなピアスをつけている。
最低限のオシャレはしているが、宝塚に所属していてもおかしくないような佇まいをしている。
身長も一七〇後半と女性にしては高いし、自分のことをオレと呼ぶ。
スーツを圧倒的に盛り上げる膨らみがなければ、中性的な男と間違えられてもおかしくなかったかもしれない。
石川さんはボクの姿に気づくと、かるく手を振って、自分の場所を示してくれた。
テーブルの上にはホットカフェオレが一つ。
ボクの分のドリンクバーも注文してくれていたようだ。
話が長くなることを考えて、先に自分の分も淹れさせてもらう。
「石川さん、突然すみません、お忙しくしているのに」
「いいえ、本当はもっとお会いしたいんですけどね、そうも行かない状況で。まずは先生、刊行お疲れ様でした」
「あ、ありがとうございます」
石川さんが深々と、テーブルにぶつかるのではないかと言うぐらい、頭を下げてくれた。
ボクも慌てて同じように頭を下げる。
きっと、他人からは不思議な光景に見えていることだろう。
「それで、面白いことになっているじゃないですか」
「ははは……面白いと言っていいのかどうか」
いや、本当に。
ボクとしてはありがたいけど、同時に面白いとも思っていられないのだ。
ごまかし半分に、淹れてきたジンジャエールを飲む。
「どうです、将来私小説か、あるいは自叙伝でも出してみては。オレは売れると思いますよ」
「勘弁してくださいよ。自分の人生を切り売りするつもりはありません」
「そうですか。売れそうな匂いがしたのですが」
残念そうに肩を落とされてしまった。
石川さんは売れる作品に対してすごく嗅覚が働く。
一度売れる匂いを嗅いだときは、結構グイグイと動いて企画を実現に迫り、売り上げを立ててしまう有能な人だ。
ヒット作を連発してしまうから、出版業界でもインタビューとかをよく受けて、けっこう注目を浴びているすごい人だった。
たしかに遠くから眺める分には、小説家とヤクザの組み合わせは題材として楽しいのかもしれない。
けれど、当事者としてみたらたまったものではない。
「電話ではおおまかに話を聞かせてもらいましたが、詳しい内容も話していただけますか?」
「もちろんです」
組長のおっさんがボクのファンであることや、偶然本屋さんで出会ったことなど、経緯を話していくと、徐々に石川さんの表情が曇った。
「いくつか気になったのですが」
「なんでしょう?」
「その田口という組長、本当に偶・然・先生と出会ったんでしょうか?」
「え、たまたまでは……?」
「そうでしょうか。オレはそうは思いません。家から先生の利用している本屋までは車で移動したんですよね。わざわざその近くを利用する必要が本当にあったのでしょうか?」
「それは……」
なんてことだろう。
石川さんに指摘されるまで、その可能性をいっさい考慮していなかった。
そうだ。
本屋の数が減っているとはいえ、わざわざ車を出すなら、他にも選択肢はいくらでもある。
どうせならば品揃えの良い大型書店に行けばいいのだ。
「先生に出会うことが目的で、たとえばTwitterで外出を呟いているのを確認しているとか。失礼……ビンゴですよ。ほら、先生自分でその日は本屋で自分の本をチェックするって呟いてます」
そうだった。
ボクは新刊が出た後は、いつも決まった本屋さんで購入者がいないか、本が並んでいるかチェックしている。
あのおっさんがボクの毎回の呟きを見ていたなら、予測することも、偶然を装うことも不可能ではない。
愕然としている僕の手を、石川さんが握りしめた。
とても暖かな感触。
男っぽいのに、手の柔らかさはどこまでも女性的で、訳も分からず胸がドキドキした。
石川さんがまっすぐにボクの目を見つめる。
なんだかその目が潤んでいるようにボクには見えた。
「先生。もう少し警戒心を持ってください。先生はきっと将来ヒットを連発するような大物作家になれる才能があると、オレは信じてます。だから、自分を大事にしましょうよ」
「す、すみません」
「先生の身に万が一何かがあったらと思うと……私原稿…………(よりせんせい)が心配です」
そうですか。
やっぱり原稿第一ですよね。
そりゃそうだ。編集なんだもの。
くそっ、急に手を握って見つめてくるからなんだか勘違いした。
恥ずかしい……!
だいたい、頬を赤く染めるんじゃないっての、まぎらわしい!
「心配していただいてありがとうございます。原稿がしっかり間に合うよう、気をつけます」
「相手が充分怪しいことが分かった以上、提案を鵜呑みにするのは危険ですね。私もその組長とお話しさせていただきましょう。その上で判断されるといいと思います」
「忙しいのに良いんですか?」
「先生のためだったら、これぐらいなんてことありませんよ。それに、純粋に応援するつもりだけだったら、それはそれで良いことですしね」
「……本当にありがとうございます」
ボクは深々と頭を下げた。感謝の気持ちで一杯だった。
原稿のためかもしれないけれど、石川さんは本当にめちゃくちゃ忙しい人なのだ。
そんな人がボクに時間を割いてくれるのはありがたいことだし、何よりも有能なこの人が助けてくれるなら、とても安心だ。
ボクはドリンクバーでもう一杯ジンジャエールを、石川さんはコーヒーを飲むと、ボクたちはもう一度組長の元に向かうことにした。
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