六話 条件が最高すぎて、裏を疑ってしまう!!

「先生、私の援助を受けて、最高の環境で小説を書いてみませんか?」

「援助、ですか」


 そうです、とおっさんが頷いた。

 おっさんはこれまでも、数多くの芸術家たちを支援してきたのだという。

 それは古くから彼らの組織には続く文化で、いわゆるタニマチと呼ばれる。

 ヨーロッパであれば、パトロンとも言われる仕組みだ。

 タニマチ文化で有名なのは相撲だが、実際にはそれ以外にも画家や演歌歌手など、さまざまな芸術家たちが支援されてきたらしい。


 生活の支援を受けることで、生活費の心配や、続刊の心配をなくすことで、芸事に完全に集中するができる。


「まずはお金の話をさせてもらいましょうか」

「いきなりお金の話ですか?」


 もちろんです、と田口のおっさんが頷いた。

 人はお金の話を最初からあまりしない。

 組長はそれは自分にとって不誠実なのだと言った。

 いろいろと条件を詰めて、最後にお金の話で折り合いがつかない契約のどれだけ多いことか、と。


「私から提供できるのは、まず住居と食事の提供です」

「ほほお……」


 家賃と食費が浮くのか。これはありがたい……。

 素晴らしい援助ではないだろうか。

 あまり乗り気ではなかったボクも、話を聞いてみたくなった。


「次に、生活費として月に五〇万円お渡ししましょう」

「ご、五〇万円!?」


 ちょっと待って欲しい。

 家賃と食費を抜いて五〇万円だって。


「おや、足りませんかな?」

「多すぎませんか!?」

「ははは、一流の作家さんの生活費としては少ないぐらいでは?」


 おっさんは笑うけどとんでもない話だ。

 昔のように部数の多い時代ならともかく、印税なんてそれほど入らない。

 一年間で六〇〇万円を稼ぐ作家はもう充分有名な作家の部類だろう。


「加えて」

「加えて!? まだあるんですか?」

「資料代や取材費は別途経費として請求していただいて結構です」

「資料代!? 取材費!?」

「執筆用にパソコンやポメラ、あるいはタブレットなどのデバイスが必要であればそれも揃えましょう。ソフトも好みを言っていただいて結構です。それとも手書きがよいと仰るなら、原稿用紙と万年筆なども揃えさせていただきますよ」


 おおお……なんて提案だ!

 なんて素晴らしい環境だろう!

 思わず手を取ってお願いします、と言いたくなる衝動を、必死に堪えなくてはならなかった。


「ああ、たしか作家先生がたは、腰を痛めることが多いそうですね」

「まあ、座り仕事ですから。ボクも整体にはよくお世話になりますよ」

「人体工学にもとづいた最高級のイスも用意させていただきますよ」


 頭がクラクラした。

 これはもしかして新手の詐欺じゃないだろうか。

 いや、そうだ。間違いない。

 ボクがこの提案に乗ると、大変な罠が待ってるに違いない。


 いったい誰がこんな環境を用意してくれるというのか。

 話がうますぎる!!

 条件を確認して、契約書のサインは後日だ。

 なんだったら弁護士に内容を確認してもらっても良いぐらいだ。


「最高の環境でこそ、先生の才能が輝くではないか……私はそう思っているんです」

「素敵な考えだと思います。なにか条件はあるんですか?」

「最高の作品を世に出すこと。これに尽きます。先生はたしか、刊行ペースは四ヶ月でしたかな」

「え、ええ。……よくご存じですね」

「まあ、伊達に全巻読んでおりませんよ」


 そういえばそうだった。

 おまけにこのおっさん、ボクのTwitterをフォローしてるぐらいのファンだった。

 つまり、それぐらい本気でボクを応援してくれるつもりなのだろうか。


 いやいや、騙されるなよボク!

 これ多分、間に合わなかったらペナルティとかあるんじゃなかろうか。


「先生は、創作だけに100%集中できる環境でしたら、どれぐらいで一冊が書けますでしょう」

「……三ヶ月あればできると思いますよ」

「ほう、三ヶ月! 一ヶ月も短くなるわけですね!」

「まあ、普段別のことに時間を割いていることも多いものですから」

「それは素晴らしい! 一ヶ月も早く新刊を! 充分な対価ですぞ!」


 ゲームに実況動画にTwitterに。

 あるいは日常生活に欠かせない日々の営みに。

 そういった負担を大幅に減らすことができるなら、一ヶ月のペースアップは十分可能だろう。

 そういった要素を考えると、組長の提案はボクにとって渡りに船だ。


「一度、創作環境なども確認されますか? 住居の状態を見ていただき、必要そうな物があれば、言っていただけたら揃えますよ」

「良いんですか?」

「もちろんです。八重、頼む」

「分かりました。先生、では私がご案内させていただきます」


 それまでずっと隣に座りながら、身じろぎ一つせずに事の成り行きを守っていた八重さんが、ボクを案内してくれることになった。




 八重さんが案内してくれたのは、最初にお伝えしたような環境そのままだ。

 つまり、創作には完璧な条件が揃っていた。

 ベッドに部屋付きのシャワーとトイレと、部屋だけで生活が完結してしまいそうなぐらいだ。


 不安材料は、彼らと一緒に生活しないといけないこと、そして扉の鍵がなぜか内側からだけではなく、外側からもかかるようになっていることだろうか。


「この鍵はいったい?」

「ああ。ご心配なさらず」

「いえ、めっちゃくちゃ気になるんですけど。この部屋、窓も小さいし高いし、頑丈だしで、下手したら出れませんよね」

「先生、大丈夫ですよ。この鍵は飾りみたいなものです」


 こちらの質問にビクリともしない八重さんの返答を聞いて、ボクの背中に冷たい汗が伝った。

 これは、かなりヤバい・・・案件ではないだろうか。


「飾りだったら取ってしまった方が良いのでは?」

「飾りが役に立つときもあるのです」


 八重さんは極道の人妻らしい、それはもう婉然と微笑んでみせた。



 ●○●○●○●○



 部屋から戻ったボクは、組長を前に考えていた。


 おっさんの提案は、全体的にはとても助かる。

 一番良いのは、お金を気にせずに済むことだ。

 小説家って本当に売れてない作家には、蓄財なんてなかなかできないからね。

 この部分の悩みが解消されるのは嬉しい。


 おまけに一人暮らしだから、毎日の調理もいい加減になりがちだった。

 ほとんど空っぽの冷蔵庫を見てもらえば分かるが、家庭的な栄養バランスの良い料理はもう長らく食べていない。

 得意料理はチャーハンとラーメンにパスタ、それに冬の一人鍋だ。 



 ただ、ボクにはいくつか懸念があった。

 一つは、社会的な目だ。

 暴力団組織とつながりがあると分かると、世間の目は途端に厳しくなる。


 有名なお笑い芸人たちも、ヤクザとつながりがあるとわかると途端にバッシングを受け、謝罪会見をしたり、しばらく表舞台に出てこなくなる。

 ときにはそのまま引退に繋がるケースだってある。

 ご近所さんに知られたら、ボクは居所がなくなるんじゃないだろうか。



 次に身の危険だ。

 やっぱりヤクザと関わることは、とても怖い。

 その理由の一つに、暴力が大きく絡んでいるのは、誰だって分かることだと思う。

 それが組長からなのか、あるいは別の勢力なのかを置いて。


 最後に、締め切りや作品に対しての評価についてだ。

 締め切り自体は日数で計測できるから良いが、傑作かどうかは人によってその判断の物差しが違う。

 ボクがどれだけ良い物を書けたと思っても、それに満足してもらえるかどうかは別問題だ。


 これだけ多くの問題がある。

 それでもボクがこの提案にどこまでも心惹かれているのは、本当のところただひとつ。



 ――最高の作品が書けるかもしれないということ。


 ただ、それだけだ。

 それだけが、どうしようもなく魅力的だった。


 物を創る者からしたら、何にも代え難い欲求だ。

 これまでもある程度の結果を出してきた。

 だが、本当に全身全霊を打ち込めてきたか、と言われると、やはり自信がない。

 常に最高傑作であるとの自負はあるけれど、そこが本当に限界なのだろうか、と自問自答してきた。


 本当に心底総てをなげうってみた後には、どんな作品が待っているんだろうか。



 ボクは、そんな世界が見てみたい。



 組長の提案は、ボクのそんな心理を見事に突いていた。

 それでも――


「私一人では決断できません。即答はしかねます」

「……そうですか。いや、それも当然の話ですな」

「申し訳ない。担当編集の方とも話し合う必要がありますので」

「それでは仕方ありませんな。私も先生を困らせたいわけではありませんので」


 本心では、すぐにでも頷いてみたい。

 これほどのチャンスはなかなか巡ってこないだろう。

 ただ、小説を書くことは一人でできても、それを世に出すには多くの人間が関わっている。


 出版社の担当編集さんはもちろん、編集長や営業の人、全国の取次店に書店員さん。

 彼らに迷惑をかけるわけには行かないのだ。

 だから、ボク一人でこういった重大ごとを決めるわけには行かなかった。


「先生、もし何か疑問があれば、編集さんともいくらでも話しますので、考えておいてくださいな」


 ボクの返答を、おっさんは不満を見せることなく受け入れてくれた。

 大きな度量だと思う。



 ●○●○●○●○



 さすがに組長ともなると忙しいのか、見送りは若頭の竜さんがしてくれた。

 ところが玄関口を出るところで、サクラちゃんが待っていたのに気づく。


「お嬢……」

「ちょっと竜さん、お嬢はやめてって言ってるでしょ。センセ、ちょっとお話ししませんか?」

「サクラちゃん、用事かな?」

「ちょっと聞きたいことがあって。ね、いいでしょ?」


 最初の印象とは違って、なんだかおとなしい雰囲気だな。

 いったいどんな用件なんだろうか。


「いいよ。ちょっとだけ話そうか」

「先生!?」

「ありがと、センセ。竜はジャマだから離れてて! 話聞いたら怒るからね」

「お嬢! でもそれじゃあ親分が……」

「お嬢禁止! パパに余計なこと言ったら、口きいてあげないから」


 おどろく竜さんを後に、サクラちゃんが移動を始める。

 ボクが後ろをつきながら振り返ると、打ちひしがれる竜さんの姿があった。


 大きな館の庭の一角に来た。

 美しく手入れされた、見事な盆栽の数々に囲まれながら、サクラちゃんがボクを見る。


「センセはさ、アタシに遠慮しないよね」

「遠慮するもしないも、あまり知らないから」

「ううん、そういうことじゃないよ。アタシってほら、ヤクザの娘じゃん。みんなそれだけで、一歩引いちゃうから」

「ああ……。それはお父さんの影響が大きいよ。あの人、ボクにすごく気を使ってくれてるしね」

「そっか」


 納得がいったのかどうか。

 サクラちゃんはちょっとだけ不満の残ったような表情をして頷く。


「家のことで嫌な思いをしたことが?」

「学校のみんなが怖がっちゃうからさ」

「そうだよね。友達は?」

「いるよ、もちろん。私ってほら、顔が良いでしょ? 得よね」


 そう言いながらも、サクラちゃんの表情は晴れない。

 たぶん、友達はいても親友はできなかったのだろう。


 悲しみの数だけ人を成長させるのだろうか。

 サクラちゃんは、年齢よりも大人びて見えた。

 こんなとき、つくづく思うことがある。


 ――ボクは無力だ。


 どれだけの言葉を知っていても、語彙や表現を知っていても、相手が本当に求める言葉を上手く口にすることができない。

 とっさには出てこないのだ。

 相手が男であるか女であるかは関係がない。


 時間をかけて手紙を書くならば、あるいは伝えられるかもしれない。

 でも、それは求められている今すぐってわけじゃない。


「あ、もちろんパパとママは大好きだよ? でも、どうしてヤクザの家に生まれたんだろって思うときはあるかな?」

「そっか。ツラい思いをしたんだね。でもいいかな?」

「うん、何?」

「少なくともボクは気にしないから。これから先も遠慮せずに話してくれて良いからね」

「アハハ、センセってやっさしー。じゃあ遠慮なく相談させてもらおうかな?」

「うん、そうしなよ。ただ、気の利いた答えは求めないこと。ボクはコミュ障なんだ」


 自虐を込めてボクが言うと、サクラちゃんは目を見開いて驚いた。

 どこにそんなに驚くようなことがあったのだろうか。


「そんな風には見えないけど」

「必死で隠してるのさ」

「ふーん。ま、よろしくね、センセ!」


 そう言って、サクラちゃんは笑った。

 今日浮かべた、本当の笑みだったかもしれない。


 この子が心を開いてくれるなら良い。

 ボクはサクラちゃんと連絡先を交換した。

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