五話 組長のお宅拝見!

 いかつい男たちが息を合わせて歓迎の声を上げ、深々と頭を下げている。

 普段からずいぶんとやり慣れているのか、頭の下げる角度まで揃っている。

 凄まじい迫力のある光景だった。

 パンチパーマに丸刈り、角刈り、スキンヘッドと、いかつい髪型が揃っていた。

 まあ、スキンヘッドが髪型と言っていいのかは分からないけど。


 思わず息をするのも忘れ、見入ってしまう。

 そして、男たちの奥に、組長の田口吾郎が控えていた。


「先生! ようこそお出でくださいました!」

「……組長さん」

「組長などと水くさい。気軽に田口とお呼びください先生! なんだったらおっさんでも構いませんぞ!」

「は、ははは……」


 言えるわけがねえ!

 心の中では散々おっさん呼ばわりしているとはいえ、実際に声を出すのとは大違いだ。


 しかしこのおっさんは、どこまでボクに気を許してくれているのだろうか。

 たとえどれだけ気安くとも、他人からおっさんなど呼ばれたくないはずだ。

 それだけファンというのは、どこまでも本当なのだろう。

 組長ということでめちゃくちゃ怖いのだろうけど、なんだか憎めない人だ。


「先生、今日は私の家族も紹介しておきたいと思います。こちら妻の八重です」

「お会いできて誠に光栄です。田口の妻、八重でございます。先生にはこのたび夫がずいぶんとご迷惑をおかけしたようで申し訳ありませんでした」


 組長の隣に立っていた、妙齢の女性。

 非常に高級そうな着物を着た、純和風のおっそろしいまでの美人が、頭を下げた。

 美男美女が揃う芸能人の中に入っても、異彩を放つであろう美人ぷりだった。

 ヤクザの人たちは美人な奥さんが多いって言うけど、組長の妻ともなるとここまで美しい人になるんだなあ。


「ご迷惑だなんてそんな! こちらこそご馳走になった上に、忘れ物までして申し訳なく……」

「いいえ、それでしたら郵送するなり、竜が家に送り届ければすむ話です。どうして先生がこうして我が家に来ることになったのか、先生はお知りですか?」

「いえ、そういえば……そうですね」


 本当だ。

 たしかにサインが欲しいとは言ったけど、それだって本を竜さんが届けてくれて、家で書いてしまっても良かったんだ。

 わざわざこうして家におじゃまする必要もない。


「この人が一度だけ会ってそのままなんて嫌だとゴネたのです。もう一度お会いしたい、そうだ忘れ物を取りに来てもらう口実でお呼びしたいと申しまして……」

「これこれ八重、そこまでにしておいてくれ」

「今更何を隠し立てすることがあるんですか。格好ばかりつけていると、後でイメージが壊れて苦労することになりますよ」

「し、しかし先生の前でみっともない姿を見せるわけにはいかんだろ」


 おっさんがいかつい顔を真っ赤にして、珍しく狼狽する。

 昨日からずっとどっしりと構えていたというのに、あたふたとする姿なんて初めてみた。

 何となくこの二人の関係性が、これだけで分かってしまった。

 とはいえ、とても夫婦仲は良好そうだ。


「美人な奥さんですね」

「ええ。昔から綺麗なことで有名でしてな。口説くのに苦労しましたわ」

「私、ずっと断っていたんですのよ? 家族の反対もあるし、世間の目もありますでしょ」

「今は仲が良さそうに見えますが」

「この人本当にしつこくて。絶対に苦労はかけない。浮気はしないし、家族を大事にするからって何度も何度もアタックしてきて、ずいぶんと長い間断っていたんですけど、とうとう根負けしてしまいました」


 なんというか、盛大なのろけ話だよな。

 ボクは残念ながら恋愛には縁がない。

 というか、小説家の八割ぐらいはたぶんコミュ障だと思う。


 八重さんのような美人な女性と付き合えたらいいな、とは思うけれど、同時に心のどこかで、自分にはそんな縁は巡ってこないだろう、という諦めもあった。

 だから、それほどのろけ話を聞いても、本気では腹が立たない。

 おっさんは次に、八重さんの隣の少女を紹介した。


「先生、私と八重の娘のサクラです」

「センセっ、はじめまして! ふーん、小説家のセンセって、ひょろひょろしたイメージだったけど、案外ふつうなのね」

「これサクラ!」


 母親の八重さんの血を色濃く継いだのだろう。

 やはりこちらも、芸能人で通用する可愛らしい少女だった。

 天真爛漫と言っていいのか、にぱっと八重歯を覗かせて、綺麗な笑顔をみせてくれる。

 小説家という職業が珍しいのか、ボクに向ける目はとても興味にあふれ、好意的だ。


「可愛らしい娘さんですね」

「いや、本当にお恥ずかしい。ありがたいことに私ではなく妻に似たようで」

「センセ、今度一度お仕事してる姿見せてくれない?」

「機会があったらね」

「やった! 私小説家の仕事って興味あったのよね」


 喜ぶサクラちゃんは可愛らしい。

 とはいえ、確約はしなかった。

 その後ろで目を光らせているヤクザが怖いからね。


「これサクラ、厚かましいぞ!」

「えー、それをパパが言うの? パパだってサインねだってるくせに」

「うぐっ、痛いところを突いてくる」

「パソコンの前にずっと座っているだけで、見ていてあまり面白いものじゃないだろうけどね」


 ボクは苦笑するしかできなかった。

 職人が物を作っている姿は見ていて飽きないが、小説家が文章を書いている姿を見ても、何一つ面白いことはないだろう。

 書いている文章が実際に読めるというなら別かもしれないけれど、それだって時間がかかる。

 最初は物珍しいかもしれないけれど、すぐに飽きてしまう姿が目に浮かぶようだった。

 それに、自室に年頃の女の子に入ってもらうというのも、親としては心配だろうし。


「ひとまず挨拶も終わりましたし、玄関口で長話もなんです。奥にどうぞ」

「お預かりしていた手帳を先にお返ししましょう」

「センセ、いらっしゃい」

「お邪魔します」


 そうしてボクは、数多くの部下たちに見送られながら、組長の家にお邪魔することになった。

 正直、強面の部下の人たちに囲まれてめちゃくちゃ気が引けていたのだけれど、逃げ出せそうになかったのだ。


 ――いや、それだけじゃあないかな。

 ボクは、これから何かが起こるような、不思議な期待をしていたのだ。

 ほんの少しだけ。



 ●○●○●○●○



 一室に案内されて、ボクの手帳はあっさりと手元に戻った。

 お願いされていた本のサインも書いてしまうと、ここに来た当初の目的自体はあっさりと解決してしまった。


 とはいえ、終わりましたからすぐ帰ります、と言い出せるような状況でもない。

 ボクはおっさんと極道妻の八重さんに応対を受けながら、美味しいお茶を飲んでいた。


 このお茶本当に美味しいな……。

 これまでにも百貨店とかでそこそこ良いお茶を買ったこともあるんだけれど、比較にならないぐらいに美味しいのだ。

 上品な甘さと苦み、ほどよい温度に、お茶独特の豊穣な香り。

 最高級のお茶を出されてる気がする。


 おっさんはわざわざ本棚から、ボクの本を見せてくれた。

 デビュー作から最新刊まで、すべてが勢揃いしている。

 しかも、しっかりと読み込んでいるのか、本はどれもクタクタになっていたのだ。

 作者としてこれほど嬉しいことはない。


 おまけにこのおっさん、『読書用』と『保管用』に本を分けていた。

 ライトノベルの信者にそういった本の買い方をする人がいると聞いていたが、まさか自分の任侠小説が保管用に買っている人がいるとは思わなかった。

 黙ったままボクが感動していると、おっさんが話しかけてきた。


「実は先生に、提案したいことがあるんですわ」

「提案ですか。……なんでしょうか?」


 わざわざ改めて、神妙に言うようなことだろうか。

 おっさんがボクにいろいろと気を使ってくれているのはわかる。

 けれど、こんな態度に出られると、いったいどんな内容なのか警戒してしまう。


 一瞬だけ目線をはずし、八重さんの様子を伺うが、彼女は落ち着いたものだった。

 どうやら、今回の提案は八重さんも承知しているらしい。

 夫婦が揃っての提案なら、とんでもないことにはならないかもしれない。

 組長が言った。



「先生、私の援助を受けて、最高の環境で小説を書いてみませんか?」

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