四話 そうして、迎えの車が来ることになった
そうして、迎えの車が来ることになった。
やっぱりというべきだろうか。
迎えに来てくれたのは、若頭の竜さんだった。
ボクは竜さんにすすめられるまま、後部座席に座った。
この人、ボクが助手席に座ろうとすると、絶対に譲らないのだ。
「後部座席の運転席の後ろにぜひお座りください。……そこが一番安全ですから」
「わ、分かりました」
「大丈夫です。安全運転を心がけますし、先生の身には万一のことがないよう徹底しますから」
そんなに念押ししないで欲しい。
ねえ、万一ってどういう事態を想定してるの。
襲撃カチコミ!? 襲撃カチコミですか!?
「ははは、そんなものはありませんよ。ただのおやじ狩りを少し警戒しているだけです」
若頭は笑って否定したけど、こんな大きな黒塗りのベンツを襲うようなおやじ狩りなんて想像できないから。
ボクの心配をよそに、若頭は車を走らせた。
心配の必要はないってことでしょうか。
車は綺麗に塗装されていて、傷一つなかったから、きっと安全なのだろう。
「先生、これから組長の家で、サインを書かれるんですよね?」
「そうですよ」
「親父の前じゃ言えませんが、どうか私にも一筆いただけませんか」
「ええ、かまいませんよ」
「ありがとうございます。では若頭のたっちゃんへ、と」
たっちゃん!?
こんな怖そうな雰囲気をしていて、たっちゃんて……!
とても申し訳なさそうに、恥ずかしそうに若頭が言うものだから、普段の雰囲気と違いすぎて、思わず安心してしまった。
この人、こんな表情もできるんだなあ。
若頭はキリッとしていて、エリートっぽいというか、できるインテリヤクザってイメージを勝手に持っていた。
今の若頭の姿とは似てもにつかない。
表情こそすましたままだけど、耳だけが赤くなっているのだ。
ポーカーフェイスが隠しきれていない。
ところで、ボクは任侠小説を書いている。
組の抗争のドンパチ、義兄弟の契り、兄弟の杯、サイコロや麻雀の賭博、裏カジノや企業に対する恫喝、地上げとか、そんな話だ。
こうして考えると、自分で書いておきながらもろくな話じゃないな。
かなりマイナーなこのジャンル小説の主な購入者を知っているだろうか。
小説に限らず、映画などでも、任侠ものを扱う作品の一番の顧客は、その筋の人たちだ。
彼らは不思議と、その世界を詳しく知っているのに、創られた世界を誰よりも求めている。
「どうしてボクの小説がそこまで評価してもらえてるんですか?」
「先生はご存じないかもしれませんが、機関誌の『月刊ヤクザ』で『全国の若頭が選んだ今年一番読むべき本・第一位』に選ばれてるんですよ」
そんなの知らないよ!
機関誌出してるの!?
月刊ヤクザってそんな本出して大丈夫なの……。
ていうかなにそのランキング。
ちょっと他の順位も見てみたいんだけど。
「ちなみに二位とかはどんな本なんですか?」
「マネジメント概論、三位が行動経済学から考えるギャンブル依存の利用法ですね。そこから先は法律関係の本が並びます。特に税法と刑法に関してはみんな勉強してますよ」
全然ジャンル違うじゃないか。
ていうかすごくインテリっぽい。頭良さそう。
なんでボクの小説だけランキングはいってるんだよ。
「一位が小説なのに、二位以下がずいぶんとジャンルが変わりますね」
「私たちの商売は賢く立ち回らないと、たちいかなくなりますからね。そのためには勉強勉強ですよ」
「私の本が一位で本当に良かったんでしょうか……」
なんだかとても場違いな気がする。
それこそ、彼らが法に則って様々な仕事をしているというのならば、ボクが書いている任侠小説なんて場違いにほど遠いはずなのだ。
だが、そのボクの回答に、若頭は強く否定した。
「だからこそですよ、先生!」
「なにがですか?」
「私たちの仕事は、入る前と後では見える景色が全然違います。義兄弟の契りとか、そういう熱い世界はどこにもありません。あるのは冷徹で、どこまでも利益主義な冷たい社会です」
組同士では抗争けんかしない。
法律は破らない。
鉄砲は撃たないし、刃物は抜かない、薬は売らない。
若いころ手に負えなかったような荒くれ者が集まるのに、一度組織に入ると、誰よりも正しく生きなければいかない。
そのくせ上下関係は恐ろしいほどに厳しい社会。
「今時、昔のように抗争で誰かを殺した下っ端がどうなるか知っていますか? 昔なら大手を振って組に戻ってこれたし幹部として迎えられた。でもね、今じゃ体を張っても、シャバに戻ったときには組がなくなってることだって珍しくないんですよ」
時代の変化にともなって、暴力団組織は立ちいかなくなった。
法律を守り、法の編み目をかいくぐり、組織的に賢く立ち回る組だけが生き残る社会。
だからこそ。
だからこそボクが書くような、任侠が何よりも尊ばれるのだという。
それは彼らに残ったたった一つの聖域なのだ。
それは現代社会の歯車のなかで窮屈に生きる学生やサラリーマンが、異世界で大活躍するファンタジー小説のように。
彼らも、かつてあった、今は失われた幻想の世界へと、小説の中で生きていけるのだ。
少しだけ、彼らがボクの小説に何を求めているのかが分かった気がした。
「まあ、いわば聖典バイブルですね」
「宗教書っぽい扱いっ!?」
そんなのは嫌だ!
●○●○●○●○
車はほとんど振動も音もなく、滑るように進んでいく。
ボクが住んでいる下町感のあふれた繁華街から、やがて静かな高級住宅街に。
ビルやアパートの数は減り、代わりに一軒家の比率が増えていく。
古くから高級住宅街として知られる地区のなかでも、非常に立派なお屋敷の前に、車が止まった。
「先生、長らくお待たせしました」
「ここですか。立派な家ですね……」
「組長の家族だけじゃなく、私たちもよく泊まらせていただいているので、これでも手狭に感じるときもありますよ」
若頭が運転席から素早くおり、扉を開いてくれる。
車から降りて、ボクは家を改めて確認した。
まず、何よりも敷地が非常に広い。
歩いて端から端まで歩いたら、どこまで続くんだと思ったことだろう。
そして外から家の屋根が見えないのだ。どれだけ家まで距離があるんだろうか。
外壁が高く分厚い上に、上面には鉄条網が張り巡らされている。
極めつけはゴツい監視カメラまで数台設置されていた。
そんなに何を警戒しているというのか。
泥棒では、ないよね。
泥棒だって、いくら中に財宝があったと知っていも、絶対に入りたくないだろう。
昔ながらの屋敷にありがちな扉は両開きになっていて、その横には使用人たちが使う勝手口がある。
ボクもこっちの勝手口から入ったらダメかな。
「先生、一同お待ちしております。どうぞ」
「わ、わわ……!」
ゴゴゴゴ、と大きな音とともに扉が開かれ――
「「「「先生、お待ちしておりました!!」」」」
二列に立ち並ぶ黒服を着た男たちの出迎えがあった。
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