二話 最高の接待を受けて、ボクはぶっ壊れてしまった
日本でもっとも美味しいと有名な焼き肉屋、『赤座』。
地上五階、地下二階建てのビルのすべてが焼き肉屋でできているという、世にも珍しい焼き肉ビルだった。
一階や二階は庶民でも入れる値段設定だが、階が高くなるにつれて、味も内装も、そしてお値段もどんどんと高くなっていく。
田口のおっさん組長が連れていってくれるのは、その最上階だった。
以前ボクが取材のために編集長に赤座の上階に連れて行ってくださいよってお願いしたら、このお店の映ってるテレビ番組の録画を見せられたんだよね。
恨んでないけど一生忘れないわ。少しも恨んでないけど。
「さあさあ、先生。なんでも好きなものを頼んでくださいよ。飲み物はどうします?」
「じゃあビールを」
「竜」
「へい。ビールを。肉はとりあえずこちらを」
若頭の竜さんが手際よく注文を伝えてくれる。
それからすぐに、店員さんがお肉とビールを持ってきてくれた。
美しいピンク色をしたお肉は、脂の霜が降っていて、つやつやと輝いて見えた。
これが、赤座のお肉……!
そんなことを考えて感動に震えるボクに、おっさんが瓶ビールを掲げた。
「ささ、どうぞ先生。まずは一杯」
「そんな! ご馳走になるばかりか、注いでいただくなんて申し訳ないですよ!」
「何を仰いますやら。どうか私に注がせてください」
「まあまあ、先生。親分は先生をもてなしたくて仕方がないんですよ。どうかここは親分の心を汲むと思って、受けてください」
ニコニコと笑う組長と、温かい目で見守る若頭に挟まれては、これ以上拒むこともできない。
結局押し切られるようにして、ボクはビールを注いでもらった。
ボクからも組長にビールを注ぎ返す。
「こうして先生にお会いできたすばらしい出会いに、乾杯!」
「「乾杯!」」
「竜さんは飲まないんですか?」
「俺は車の運転がありますので」
そういってウーロン茶を傾ける若頭の竜さん。
なるほど。若頭の言うとおり、飲酒運転は法律違反だ。
僕は免許を持っていないけど、飲酒運転が非常に厳しく取り締まられてることぐらいは知っている。
だが、ボクの勝手な印象では、ヤクザはそんな法律なんて無視しそうなものだと思っていた。
意外にこのおっさんも若頭も、遵法精神に富むようだった。
法律を大事にするヤクザなんて、なんだか不思議な話だ。
「こんなことを言うとすっごく失礼ですが、みなさんとてもしっかりされてますよね。信号も必ず早めに止まるし、速度も出さない。安全運転なのが分かります」
「ははは。私らは世間では日陰者ですからね。ちょっとでも悪さをすると、世間は許してはくれません。表だってバカをするのは、小物ばっかりですよ」
「なるほど。恥ずかしながらボクも思い込んでました」
「少しでも立場がある人間は法律をしっかり守っております。政治家よりもよっぽどね」
「親分、そんなことを言うと捕まってしまいますよ」
「名誉毀損罪でか?」
「まさか。事実ですから情報漏洩罪では?」
「たしかに、違いない」
おっさんたちが盛大なブラックジョークを交わしている。
内容が怖くて相槌を打つのも控えるしかなかった。
ビールを少しずつ飲みながら、じゅうじゅうと音を立てて焼けていく肉を食べる。
赤座のお肉は、美味しかった。ヤバかった。
こんな焼き肉食べたことない。
最初に組長のおっさんが言ってたとおり、口の中で溶けるほどに柔らかく、かといって歯が肉に当たると繊維をプツン、プツンと切る歯ごたえが残っている。
一度でも噛めばじゅわわっと肉の脂が染み出てきて、口の中にお肉の甘くまろやかな旨みが広がる。
その上、焼き肉のタレがその脂に負けないぐらいしっかりとしているのだ。
醤油や酒、みりん、ニンニクと言った、おそらくはどこの店でも使っている調味料が中心なのは間違いないが、大量生産の焼き肉のタレに比べると、味自体は甘みも控えめで、むしろさっぱりしている。
その分お肉自体の旨みが引き立てられる寸法だ。
そして、焼き肉にビールの合うこと!
口の中の脂がサッとぬぐい去られるキレのある味。
わずかに苦く、甘さと酸味があって……。
気づいたらゴクゴクとのどを鳴らして飲んでしまう。
そうして口がさわやかになったら、もう一度肉をいただく。
完璧だ……! 完璧なサイクルだ!
プチプチのじゅわっ、ゴクゴクぷはーの黄金律だ!
「美味しい……! ほんっとーに美味しい……!」
「いやはや、喜んでもらえて良かったですわ」
「やっぱり親分、肉は少し時間が経つと柔らかくなって良いですね」
「うむ、屠殺した直後は肉が堅くて熟成も行き届いておらんからな」
「不思議ですね。本当に死んだ直後ってのはぐにゃんぐにゃんに柔らかいのに、どうして一度硬くなるんでしょう。何度見ても理解できません」
「いわゆる熟成と腐敗は表裏一体よ。微生物が肉の繊維や脂を柔らかく分解し、もっとも吸収しやすい状態になっていく。赤座は肉の温度管理が行き届いておるからな。いわゆる熟成肉というやつだ。これが真夏に放置されるとたまったもんじゃあないぞ」
思わず肉を食べる手が止まってしまった。
死後硬直ですか?
死んだ直後とかなぜ知ってるのさ。
どうして真夏に放置される肉の話してるの?
どうしてそんなことにそこまで詳しいの?
ボクのまなざしに気付いた若頭が、慌てて弁明した。
「ああ、親分は狩猟が趣味でして、よく猟銃を持って狩りに行くんですよ」
「シカとかイノシシとか、食べたことがないって人も多いですが、かなり美味しいんですよ、先生は食べたことがおありですか?」
「ああ、なんだ狩猟の話ですか」
「親分は逃げる獲物を追うのが上手でしてね。必死に逃げる獲物も一発です」
「はは、それは竜たちが上手く追い込んでくれるからや」
いけない。これ以上は考えちゃいけないことだ。
せっかく最高級のお肉を前にしているのだ。
もっと楽しいことを考えなくては。
「あっ、せっかくだから写真撮っても良いですか?」
「ああ、どうぞどうぞ」
せっかくだからTwitterにあげて自慢しよう。
赤座の焼き肉なう。めちゃウマ。ホントーに最高のお肉です。ファンに奢ってもらえました。
一瞬にして作家仲間から恨み言めいた返事リプライが飛んできた。
死ね。奢ってください。さす川辺。肉川辺。畜生一人だけ先に美味いもの食いやがって。ひもじい。パンの耳は食べ飽きた。
ウハハハ、めちゃくちゃメシウマだった。二重の意味で。
ちょっとだけ心配になる声もあったけど、気にしない。
極貧作家はたまに文化的な最低限度の水準を遙かに下回る人がふつうにいるからな。
「先生、ワシ等も撮らせていただいて良いですか?」
「ああ、どうぞ。こちらこそありがとうございます」
「では、お言葉に甘えて。竜」
「へい。先生、隣失礼します」
気づいたら、なぜか組長と若頭に左右を挟まれる。
なになに、一体何するつもりなの?
若頭に呼ばれた店員さんが、異様な光景にびっくりしながらスマホのカメラを構える。
「…‥記念撮影ですか? 当店でこのような依頼は初めてです」
「先生、笑顔でお願いしますよ」
「は、はい」
「はい、撮りますよ。チーズ」
記念撮影になった。
意味が分からない。
なんで? 焼き肉アップするんじゃないの?
「いやあ、まさかこうして一緒の写真を撮れるとは。これは印刷して額縁に飾っておきますわ」
「親分、一生ものの記録ができましたね」
「あとでクラウドサービスに保存して、万が一スマホがクラッシュしても良いようにしておかんとな」
「親分、もう私の分は”ヤって”おきましたよ」
このおっさんめちゃくちゃ機械詳しいな!
ていうか、若頭のやるって響きがなんか怖い!
ファンとの記念撮影第一号が、まさかヤクザとなんて……。
まあそんなこんなで、焼き肉自体は一生記憶に残るぐらい美味しかった。
今度はいつか、恋人と来てみたいものだ。
焼き肉屋でお腹が一杯になった。
もう食べれませんってぐらい食べた。
ベルトの穴を二つもゆるめて、妊娠中かってくらいお腹が膨らんでいる。
美味しいビールもしこたま飲んだので、結構アルコールには強いボクも、さすがに少し酔っぱらってしまった。
ふわふわとした気持ちの良い酩酊感に包まれる。
アルコールに弱いという人には、ほろ酔い気分の心地よさを表現するのは難しい。
けれど、体はぽかぽかと暖かく、まるでうたた寝しているときのような気持ちよさといったら、その快適さが少しは理解してもらえるのではないだろうか。
さすがに食べ過ぎたし、飲み過ぎた。
どうやって家まで帰ろうかとか、そんあことを考えだしたボクに、おっさんは二件目の店に行くことを提案してきた。
「先生、ここで帰るのはもったいないですよ。私の行きつけのお店があるんですけどね、店にいてる娘たち、本当に可愛らしいですわ。先生絶対に気に入りますよ」
「ほう、可愛い」
「ここで帰したら私らの名折れやで。竜も言ってやり」
「親分の言うことは本当ですぜ。このあたりでも一番別嬪が多い店なのは間違いないです。接客もしっかりしているし、きっと気に入られますよ」
ボクはこのとき、酔っぱらっていたとはいえ、まだまだ冷静だった。
頭のどこかでは、これ以上飲み食いさせてもらったら、あとでなにか頼みごとをされたら断りきれなくなる。
そんな損得勘定、計算ができていた。
これ以上お酒を飲むような席は避けるべきだ。
ボクは間違いなく冷静だった……はずだ。
「よーし! じゃあ梯子しちゃいましょうか」
「おおっ、行きましょう行きましょう」
だというのに、口から出たのはまるで別の答え。
冷静な判断とやらは、アルコールにぶっ壊されていたのだ……。
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