一話 その日、ボクは組長に出会った

 ボクが締め切りに間に合ったのかどうか……。

 その結末を伝えるには、その前にどうしてボクと組長が出会たのか。

 また、どうしてボクが組長のおっさんと契約を結ぶことになったのか。

 契約を結んでから今まで、何をしていたのかを伝えなければならないと思う。


 一つだけ、気をつけて欲しいと思うことがあるんだ。

 これから先の話は、すべて現実に起こったこととして読んで欲しい。

 もちろん、少しぐらい記憶が都合良く改竄されて、脚色している部分もあるかもしれない。

 けれど、すべてはボクの身に実際に起きたことだ。


 なかには、他人には愚かとしか思えないような選択を下してしまうこともあるかもしれない。

 信じられないような出来事に、嘘だ、作り話だと思うかもしれない。

 実際、ボクはこの話を作家仲間に披露したところ、ほとんど嘘だと否定されてしまった。

 けれど、それらの信じがたいことや、情けないところを含めて、なんだったら騙されて・・・・欲しい。


 ボクと組長のおっさん、田口吾郎との出会いは、今からわずか三ヶ月前のことだ。



 ●○●○●○●○



 自分の書いた小説が本屋に並ぶと、とても嬉しい。

 新刊の棚に並んだ自分の本を、誰かが手に取ると、ありがたくて自然と頭が下がる。

 なんだったら、「その本を買うんですか、ありがとうございます」と声をかけたいぐらいだ。


 だが、同時にこんな日々がいつまで続けられるのだろう、と不安を抱くようになったのはいつからだろうか?

 出版の世界は、出せるか出せないかオールオアナッシングだ。

 売れる作家はいつまでも、どこまでも書くことができる。

 あるいはもう書きたいものがなくても、書くことを要求される。


 だが、売れなければ作品は打ちきられ、新作のチャンスもどんどん減っていく。

 そして、やがてどこの出版社も拾ってくれなくなり、作家を続けたいと思っても、本を出せないようになる……。

 そうして作家になることを諦めて、サラリーマンの道に進んだ元同業者をボクは何人も知っていた。

 幸いにして、本はそれなりに売れている。

 だというのに、自分もいつかそうなるんじゃないだろうかという不安を拭えない生活を続けていた。


 ――なにかが変わる、変化が欲しかった。


 これまでの生活が一変するような、それこそ小説でしか見られないような、特別な転機。

 まあ、簡単にそんなイベントは起きない。

 あるいは起きてはならない。


 だからこそ人は、特別な非日常を求めて小説を読むのだ。

 小説家は誰よりもそのことを知っているはずなのに、それでも求めてしまうのは、ボク自身が特別でありたいからだろうか。


 夕暮れの繁華街、買い物途中の主婦やお年寄りでそれなりに賑わう商店会の中、ボクは家へ帰る途中だった。

 商店会の中ほどにある本屋は、個人店にしては珍しいほどに品ぞろえがよく、出版不況だ、大型店舗への集中だという世の流れに逆らって、客も多くよく売れていた。

 近隣の小店舗が失くなって、客が集中しているのかも知れない。


 自分の本が置かれているかチェックする意味もかねて、ボクはよくこの本屋を利用する。

 一般書店では置いてないような資料はネットで買い、そうでなければ本屋を利用する。


 今も左手に持ったビニール袋には、買ったばかりの本が三冊入っていた。

 さて、家に帰って読書といこうか。

 そんなことを考えていたときだった。


 ――ボクが組長、田口吾郎と出会ったのは。




「もしかして、川辺誠先生ではありませんか?」

「はい、そうですが……?」

「ああ、良かった! 突然お声かけしてスミマセン。私、先生のファンなんです」


 近寄ってきたのは一人のおっさんだった。

 おっ、ファン!

 こうして声をかけられるのは初めてだった。

 自分もちょっとは有名になってきたんだろうか。


 嬉しくなって笑顔でおっさんの顔を見て――凍り付いた。

 頬を走る刃物傷・・・

 生々しい傷跡に鋭い眼光。

 どこをどう見ても善良な一般人には見えない。


 ヤクザだ! 間違いなくヤクザだ!


 ヤクザのおっさんは、自分の名前を名乗った。

 田口吾郎というらしいおっさんは、ニコニコと笑顔を浮かべている。

 ……まさかファンの声かけ第一号が、ヤクザのおっさんだなんて。

 もっと普通の社会人とかが良かった。

 ぜいたくを言うなら、めちゃくちゃ可愛い女の子が良かった。

 まあ任侠ものの小説を好んで読む女の子がどれほどいるのか知らないけれど。


「ここで先生にお会いできたのも百年目。どうしてもいただきたいものがございます」


 そういって、おっさんがギラリと目を輝かせ、懐に手を突っ込んだ。

 そのとき気づいた。

 おっさんの胸元には不自然な膨らみがあった。


 まさか、襲撃か!? 拳銃が出てくるのか?

 お命ちょうだいします、とか死んでもらおう、とか言われるのか!?


 いやだ、まだ死にたくない。

 せめてパソコンに保存してる妄想全開の小説を処分したい。

 あとはピクチャに保存してるちょっと人様には理解されないエッチな画像を消去するまでは死ねない!


「ひいっ!?」

「こちらに先生のサインをください」

「ひいぃ命だけは…………サイン?」

「はい。以前から先生の著書を愛読しております。一度お会いできたら、ぜひサインをいただきたいと思っておりました。今日も懐に著書を入れて出かけたところでしてね」

「そ、そうですか。分かりました」


 まぎらわしい、まぎらわしいよおっさん!

 絶対ドスとかチャカとか、そんなものだと思ったのに。


 だがまあ、サインを求められて喜ばない作家はいない。ボクも嬉しい。

 幸い商店会にはまだ文房具屋も残っていたので、そこでペンを買って、サインを書くことになった。


 ボクは作家のデビューが決まったとき、サインの練習をたくさんした。

 サインのアイデアを考えてくれるという一風変わった仕事の人に依頼して、自分オリジナルのデザインを考えてもらい、それを真似するのだ。

 達筆っぽいものや可愛らしいもの、何を書いているか分からないものまで、書く人のイメージなどによってデザインは様々だが、ボクは達筆っぽいものを依頼した。


 おっさんの本は、何度も何度も読み返したのか、クタクタになっていた。

 乱暴に扱ったものとはまた違うくたびれ方を見て、嬉しくなってしまう。

 さらさらと本に書いたサインは、書いた本人でさえよく分からないが、きっとそういうものなのだ。


「おおっ、これが先生のサインですか! これで念願が叶いました。この本は家宝にさせていただきますぞ!」

「そんなに喜んでもらえるなら、ボクも嬉しいです」


 サイン本を手に取ったおっさんの手が、感動にブルブルと震えていた。

 家宝だなんて大げさだな、なんて思ったものだけど、大喜びしてもらえるとやっぱり嬉しい。

 強面のおっさんが深々と頭を下げて、うやうやしく受け取った本を、再び胸元の裏ポケットに収納しなおした。

 あー、やっぱりそこに直すんですね。


「ふふん、先生。こんな町のど真ん中で銃や刃物を持ち出すわけがないじゃないですか。そんなことをしたら一発で捕まっちまう」

「あ、そりゃそうですよね」

「私らヤクザものといっても、色眼鏡で見すぎですぜ」


 おっさんの言うとおりだった。

 たしかに偏見が過ぎただろう、素直に反省する。

 そんなことを考えていたボクに、おっさんがぼそっと耳打ちした。


「……だからそういうのは人目のないところ・・・・・・・・でやるんですわ」


 ひいっ! やっぱりヤバすぎるおっさんだった!



 ●○●○●○●○



 その後、おっさんは上機嫌で、ボクにご飯をごちそうしたいと言い出した。

 ボクはそれを丁寧に謝絶していた。

 なんていってもヤクザだ。

 本は買って欲しいけど、できればお近付きになりたくない。

 そんなボクの感情をどこまで見通していただろうか。


「先生は『赤座』という焼き肉屋はご存じですか?」

「えっ、ええ。めちゃくちゃ美味しいことで有名なお店ですよね。ボクも一度行ってみたいとは思ってたんですよ」


 記憶にある店の名前を告げられて、つい反応してしまった。

 ヒットした作家がTwitterでつぶやくことの多い赤座という店は、僕たち中堅までの作家にとっては憧れのお店だ。

 いつもアップされているお肉の美味しそうなこと。

 そういえばボクもいつか行ってみたいと時々つぶやくんだよな。夢は言い続けてたら叶うらしいし。


 ちなみに出版不況で、編集部が経費を落とすことは滅多にない。

 ファミリーレストランに連れて行ったもらえたら、奮発してもらったんだな、人気作家の仲間入りだね、と思うような時代だ。

 ちなみにボクが担当編集の石川さんに奢ってもらったのは、過去に喫茶店のコーヒー一杯だけ。

 それも石川さんの財布から出たらしい。

 世知辛いね。

 ちなみに打ち合わせの飲食費は、作家の経費としてちゃんと下ります。


 おっさんは焼き肉屋の赤座について話し始めた。


「赤座の肉は、肉の等級では最高のA-5ランク。しかも、取り引きしている唐沢牧場のなかでも、生後三二ヶ月の雌牛のみを取り扱った本当に極上の肉ですな。噛みしめると最初は溶けるように柔らかく、しかし歯ごたえ自体はあります。口の中にじわっと肉の油の甘さや旨みがにじみ出て――」

「ごくり……」

「先生には、ぜひ赤座をごちそうしたいのですが、いかがですか?」


 ダメだ、ダメだぞ。

 こんな見え透いた罠に誰が引っかかってやるものか。

 よし、断るんだ。

 きっぱりと言ってやれ。

 お誘いはありがとうございます。でも、あなたと食事をとるつもりはありません。


「お誘いはありがとうございます。ごちそうになります」

「おおっ、ありがとうございます!」


 ……あれ?

 ボクは一体何を口走ったのか。

 それを理解するまで、しばし時間が要った。

 困惑するボクの背中に手が回り、おっさんが道を案内してくれる。

 どうやら車を停めているらしい。


 ぶわっと汗が吹き出た。

 断るはずだったというのに、どうしてOKを出してしまったんだボクは! バカか!?

 ……いや、本当は分かってるのだ。

 ボクの理性は欲望に負けた。一瞬だった。

 だって一生に一度のチャンスだったんだもん。

 だって日本で一番有名な赤座の焼き肉だよ。

 ボクだって焼き肉食べたい!

 できたら今お金だけくれて、さよならってしてくれないかな。


「そういえば、田口さんはどうして赤座をボクに?」

「それはですね……」

「はい、それは」


 一体どんな爆弾発言が飛び出てくるのか。

 おっさんはにこやかに笑ったままだ。


「そりゃ、先生がSNSで呟いているのを拝見したからですよ。どうせなら、先生の行きたいお店に連れて行ってあげたいじゃないですか」

「そ、そうですか」


 めちゃくちゃマークされてるう!?

 知らない間にフォロワーになっていたのだろうか。

 一体いつ、どんなアカウントだ。

 というか、普段の発言で気に障ったりしてないのか。

 なにか致命的なことを呟いていないだろうか。

 何せボクは任侠ものの作家だ。

 好きな登場キャラを殺したとか、怪我をさせたとか言って怒られたりしないんだろうか。


 過去のフォロワーアカウントを思い出したり、発言を考えていたが、どちらもまるで思い当たることはなかった。

 大丈夫。きっと大丈夫なはずだ。


「先生、お待たせしました。こちらが私の車です」

「あ、ああ。立派な車ですね」

「いやあ、ゴツいばかりで華のない車ですわ。先生をお乗せするのに心苦しいぐらいです」


 ニコニコと笑っておっさんが車を示す。

 黒塗りのベンツだった。ボクはあまり車種に詳しくはないのだが、たぶん最高級のクラスじゃないだろうか。

 おっさんには異様なぐらいよく似合っていた。

 車の運転席に座っていた男が、おっさんとボクの姿を見つけると素早く社外に出て、深々と頭を下げる。


「親分、お待ちしておりました。……こちらは?」


 おっさんと同じく、どことなく抜き身の刃を思わせる鋭い雰囲気。

 男の年は三十歳ぐらいだろうか。ボクよりも上なのは間違いないが、驚くほどの男前だった。

 スーツを見事に着こなしていて、まさに雰囲気はインテリヤクザ。あるいは若頭だろうか。

 たぶん、危険な雰囲気が好きな女の人なら、誰もがクラリと転んでしまうだろう。


 って、親分……?

 やっぱりマジモンのヤクザじゃねーか!

 しかも親分とか、思ってたよりも大物過ぎる!

 衝撃の事実にあわあわと震え上がるボクを横に、おっさん組長は実に嬉しそうな笑顔を見せていた。


「おう、竜。こちらは驚け、川辺誠先生だ」

「なんと、あの・・川辺誠先生ですか!?」

「そうとも。見よ!」

「ま、まさかこれは直筆サイン本……!?」

「ふふふ、良いだろう」

「羨ましい……!」

「お前は可愛い息子のように思ってはいるが、こればかりは譲らんぞ。ワシの家宝だからな。ふっふっふっ」

「ぐうう……先生!」


 竜と呼ばれた男がギロリとボクを見た。

 あ、これはもう何人かヤってる目ですわ。

 ボクはこれまで小説で殺気がどういうってのは信じてないタイプだったんだけど、これは分かる。

 白目をむきそうなボクに若頭の竜は車の後部座席へと向かい、扉を開いた。


「どうぞお車に。案内させていただきます」

「よ、よろしくお願いします」

「竜はうちの子飼いの幹部でしてね。よく気の利く奴なんで、好きなように使ってヤってください」


 ヤクザの親分と、その子分に挟まれて、一体誰が誘いを断れるだろうか。

 ボクは誘われるまま、車に入った。

 トン、と意外にも優しい音とともに扉が閉まる。

 そして、運転席に後ろに親分が座ると、扉のロックがガチャリとかかった。

 車のスモークガラスに、真っ青になったボクの顔が映っていた。

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