第15話 合併・派閥

 私が就職した会社は、概ね同規模の二つの企業が合併して出来た企業でした。以前と比べて2倍の経営規模になったからこその“大手”民間企業でした。

 対等合併でしたから主導権争いが起こり、出身会社を旗印とした派閥が生まれました。

 本話では以後、便宜上、朝廷派・幕府派と呼称します。

 一方が「しっかりと業務組織を整え、整然と仕事を進めるべきだ!」と形式要件から入る官僚主義っぽい社風だった反面、他方は「民間企業なんだから、儲けるのが先だろう!」と野武士的な社風をかもしていました。


 朝廷派・幕府派の双方が複数の工場を擁していました。

 製造業に属する会社でしたから、新商品を製造するには設備改造を必要とします。ところが、闇雲に設備改造すると投資金額がかさみますから、設備改造の対象工場は1箇所に限定されます。

 どの工場も自分の業績を上げたいので、「是非、我が工場で設備改造して欲しい」と蠢動しゅんどうし始めます。

 朝廷派、或いは幕府派の身内同士の間では、どの工場を候補に選定するか?――の議論が割とスンナリ決着します。

「今回は譲るので、次回こそは・・・・・・」と言う遣り取りもあったでしょうし、互いに製造現場の内情を知悉ちしつしているので、「お前の工場では苦手とする製法だろう?」「ウムム・・・・・・、確かにお前の工場の方が得意とする分野だなあ」みたいな遣り取りもあったはずです。

 重要なプロセスは、朝廷派代表と幕府派代表の工場同士が競り合う局面です。

 民間企業ですから、経済合理性の無い結論に帰着する事は有り得ません。

 但し、これから新商品の製造体制を整え、御客様に売り始めるのですから、その時点で確たる証拠は何も示せないのです。双方ともに。あくまで、この様に事態は推移するはずだ――と推論する予測モデルで社内論争を勝ち抜くしかないのです。

 正解と言うゴールが無く、論述プロセスを重視する弁論大会に似ています。

 考えてみるに、現実世界では思惑と違った展開を見せる局面が多々あり、どの企業も所詮は自らの先見性や洞察力を信じて経営判断するしかないのです。

 さて、くだんの会社に話を戻します。

 本番の社内論争に備えた予行演習として、それぞれの派閥に属する本社・工場勤務者が、別々のビジネスホテルの会議室で一堂にかいし、作戦計画を練っていました。本社ビルの会議室に集まったら相手方に自陣の動きが筒抜けとなるので、社外で打合せするのがミソです。

 同じ会社に属する同僚のはずなのに、スパイ大作戦みたいですね。

 滑稽こっけいな現象ですが、この様な行動を通じて、裏会議の参加者達は深く考え抜く習慣を身に着けて行きます。世代間で松明たいまつは引き継がれ、経営判断の練習みたいなノウハウが伝授されて行ったのです。

 

 サラリーマン社会での権力闘争とは、端的に言えば、ポスト争いです。

 くだんの会社でも、勢力図の均衡を図るために、“タスキ掛け人事”が横行していました。影響力の大きな決定権を有する課長ポストについては、機能的に似通ったポストを2つ設置し、派閥間で牽制し合える体制を採っていました。

 尚、“タスキ掛け人事”は本社人事に限定されました。工場人事は対象外です。設備投資論争は各工場の将来を大きく左右するので、相手方に内情を知られたくなかったのでしょう。


 こう言う風に書き連ねると、「風通しが悪く、無用な緊張感が漂い、ギスギスした社風だったのだろう」と貴方あなたに同情されそうですね。

 でも、実態は違いました。

 朝廷派・幕府派ともに人材育成には熱心でした。エース級を育て、枢要ポストに推していかねば、派閥全体が地盤沈下するからです。

 それに、本音と建前ではないですが、同じ会社の同僚と言う意識が強かったので、経営環境の変化や社外との取引に際しては一致団結します。

 貴方には理解し難いでしょうが、本音が合併会社の一員としての自意識、建前が派閥の一員としての自意識――と、重きを置く立場が健全にも逆転していました。

 実際、第3話『同族企業と非同族企業』で登場し、私に講釈してくれた役員。彼は朝廷派の重鎮でした。一方の私は、幕府派の末端に連なる若輩者でした。派閥を超えて、良き師弟関係が成立していたのです。


 また、くだんの会社に学閥は存在しませんでした。

 二つの基軸で派閥が併存すると、人間の知能がいて行けないのでしょう。複雑過ぎますから。

 私が思うに、学閥とは、企業活動に連動しないので、害悪でしかない気がします。

 例えば、東大閥が京大閥を口撃するとして、口撃の題材を出身大学にしか求められないわけです。企業活動とは関係無く、いたずらに太鼓持ちを量産するだけだと思います。


 それでも、派閥闘争ゆえの非効率さは否定できません。

 私が就職した段階で既に、会社統合後に入社した世代が課長クラスまで占めていました。派閥の弊害を苦々しく思う者は確実に増え、派閥の存在感も確実に薄れて行きました。

 結局、日本史と同様、両派閥の争いは幕府派の勝利で幕を閉じます。

 ところが、今度は幕府派の中で小規模な主導権争いが生じました。本社の枢要ポストをA工場の勤務経験者が占めるようになりました。

 一時は“平家にあらずんば人にあらず”みたいな状況となったのですが、“おごれるもの久しからず”。一つの工場で輩出できる人材の数には限りがあり、本社に多勢を送り込んだ結果として、肝心の工場側の人材が手薄となりました。

 落ち着く処に落ち着くと言う事ですね。


 そうこうする内に、くだんの会社は次なる合併を経験します。

 前回が同等規模の対等合併だったのに対して、今回は企業規模が倍半分と違いました。対等合併の統合精神で臨みましたが、両社の従業員数が明らかに違います。

――新生統合会社で何が起こったのか?

 結論は、小規模会社の存在感が急速に希薄化しました。

 まず、仕事の遣り方です。

 第2話『牛後と鶏口』でも語りましたが、両社の組織管理や業務管理の文化は異なっていました。

 一つのホールディング会社の下に両社を別法人としてブラ下げるのでなければ、管理業務は統合しなければなりません。

――どちらの遣り方に合わせるのが合理的でしょうか?

 当然ながら、大規模会社の方に収斂させます。これは自明の理なのですよ。

 何故なら、小規模会社の遣り方を採用すると、大規模会社の従業員に新たな遣り方を習熟させる事になりますね。それは2倍の労力を必要とします。

 別に、大規模会社が小規模会社をいじめているのではなく、単純な多数決の論理なのです。

 次に、交流人事です。

 くだんの会社(大規模会社)は過去の“タスキ掛け人事”を深く反省していまし、その滑稽さは業界でも有名でしたから、両社の経営陣は交流人事に賛同しました。表面上は誰もが疑わない善行です。

 ところが、従業員比が2:1なので、大規模会社の出身者が小規模会社のポストに就任する機会が2倍となりますよね? しかも、小規模会社の出身者が砦とする牙城は、もう存在しません。

 極端な話にたとえると、中国政府から文化的な漢民族化を迫られる少数民族みたいな境遇に追い込まれました。

 だから、先述の朝廷派・幕府派みたいな派閥は、今回の合併で生まれませんでした。


 私は部外者ですが、鴻海ホンハイ精密工業の傘下に入ったシャープの事情を想像してみましょう。

 シャープとしての法人はままですね。だから、日本人従業員の牙城は守られています。

 勿論、経営陣の一部は鴻海ホンハイ精密工業から送り込まれた人材で占められています。シャープのホームページを見ると、社長以下の取締役について9人中4人が台湾人っぽい名前です。取締役を兼務していない執行役員については、8人全員が日本人の名前です。

 一般従業員の立場で考えるに、鴻海ホンハイ精密工業に業務報告する手間が増えたりはしているでしょうが、経営層の資質が大きく改善されて意思決定も早くなり、閉塞感が打破されたのではないでしょうか。

 だからこそ、買収されて以降、シャープの業績が持ち直し始めたのだと思います。


 古い話ですが、ルノー社と資本提携した日産自動車もシャープと同じたぐいだったのでしょうね。

 当時のゴーン社長に、日産系列だと思い込んでいた部品メーカーはバサバサと取引関係を見直されたみたいですが、日産自動車の従業員が情け容赦無く解雇されたと言うニュースは耳にしませんでした。

 ルノー社と日産自動車が経営統合せず、別法人として存在し続けたので、日本人従業員の砦が守られたのでしょう。

 社内公用語が英語になったとかで、それなりに従業員は苦労したみたいですが、経営層の刷新が劇的な効果を生み、今や世界でも冠たる自動車メーカーとして見事に復活しています。


 この様に見ていくと、潜在的成長力を持ちながらも、経営層が不甲斐無いばかりに業績が振るわない企業。そんな企業が外国企業の傘下に入るパターンは、従業員にとって寧ろ好ましい構図なのかもしれません。

 逆に、日本企業同士の合併の方が、悲哀を感じる従業員を多く生み出すと言えなくもありません。


 最後に再び派閥について語っておきます。

 私は、人材の育成・組織の質の維持と言う観点から、派閥は必要悪だ――と思います。

 人間の集団とは、哀しいかな、仮想敵を定めないと緊張を保てないのでしょう。勿論、民間企業にとっての真の敵とは、マーケットで対峙する同業他社です。

 でも、同業他社の動きは把握しづらいものです。一つの御客様に、貴方の就職する企業と同業他社の2社が納品している場合でも、競合他社の販売攻勢の動きは中々把握できません。御客様は両社から天秤買いしたいので、競合相手の動きを針小棒大に表現し、貴方にブラフを掛けてきます。

 まして、同業他社の内部管理の事情なんぞ、知り得るすべが有りません。一部の従業員しか作戦の立案に関与しない経営戦略なんて、重要な社内情報として秘匿しますから、絶対に漏れ出て来ません。

 見えない敵を相手に神経を研ぎ澄ませる事は至難のわざです。

 ところが、社内の敵対派閥とは目に見える仮想敵ですから、緊張感を保つツールとしては最適なのです。緊張が優秀な社員を育てます。

 人事部が用意する研修制度を否定するつもりは有りませんが、兵士を育てる場は戦場なのです。

 話は変わりますが、小選挙区制になって派閥が形骸化した自民党内では人材が育たなくなった――と言う論調の記事を新聞等で読んだ事が有りませんか? 自民党でも派閥は人材育成機能を担っていたようです。

 だから、繰り返しになりますが、派閥は必要悪だ――と、私は思うのです。

 貴方が就職する会社に派閥が存在したら、どちらの派閥に属するべきか?――は時の運次第ですが、是非、派閥に身を投じてください。研鑽けんさんの場となる事、請け合いです。

 但し、学閥の存在する企業の行く末は危ういものだ、と思います。

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