第6話 素材産業と組立産業(その①)

 前話で述べた工場建設時の投資規模の違いは、経営のスピード感、マーケットの奇想天外さにも現れてくる、と私は思います。企業の発想方法が自ずと変わるからです。

 素材産業と組立産業に大別して考えてみましょう。


 まず、素材産業の製品単価は概して少額です。石油精製産業の代表的な商品、ガソリンは1リットル120円前後です。50円強のガソリン税と消費税を差し引くと、メーカーの販売価格は1リットル60円弱です。

 鉄鋼製品の価格は、経済新聞に拠ると、1トン7、8万円。1㎏70円から80円です。

 スーパーで1リットル入りペットボトルで飲料水やジュースが売られていますが、ガソリンや鉄鋼製品は、それよりも安いのです。

 一方で、工場建設には1兆円以上の設備投資を必要とします。得てして、素材産業は装置産業とも言われる所以ゆえんです。つまり、大量の製品を製造・販売しなければ、成立しない産業なのです。

 コスト構造としては、減価償却費を始めとした固定費の構成比が高くなります。また、特に工場新設時には、銀行借入や社債などの負債の構成比が高くなる傾向が有ります。

 変動費の殆どを原料コストが占める場合が多いはずです。

 ガソリンを事例に考えてみましょう。

 原油市況が1バレル50$。1バレルが約160リットル、1$が約110円だとして計算すると、1リットル34円です。

 先程、メーカー販価が60円と推測しましましたから、残りは26円。各社の決算情報から類推するに利益は1、2円でしょうから、メーカーのコストは25円。1リットル25円の大半は減価償却費を主体とした固定費だ、と私は想像しています。

 1兆円を法定耐用年数っぽい15年で割ると、年間700億円。

 1兆円で建設した工場の生産能力はサッパリ分かりませんが、日本国内では、年産500万バレルが石油精製設備の1つの目安だとのネット情報を得ましたので、その5倍だと仮置きすると、40億リットル。1リットル当たりの減価償却費は18円だと試算できます。

 鉄鋼業界も同様のコスト構造だと聞いた事が有るのですが、鉄鉱石と石炭の配合比率が素人には不明なので、私の力量では整理できません。

 ですから、この章では、石油精製業界を念頭に自説を記していきます。


 減価償却費は計算上のコストに過ぎません。毎年キャッシュアウトする類ではありません。だから、仮令たとえ、石油精製会社の損益が僅かだとしても、実際のキャッシュフローは潤沢です。

 万一、赤字決算に陥っても、借金返済が計画通りに果たせなくなるだけで、返済の繰り延べで銀行に頭を下げる羽目になっても、資金繰り倒産する事は考え難いと思います。

(私は専門家ではないので、信じ込まないで下さいよ。就職活動時、訪問会社に直接質問して下さい)

 反面、素材産業の工場操業は一般的にオン・オフが難しいです。原料から素材への転換は化学反応を伴うので、工場は高温環境下で操業されます。

 毎朝の始業時から原油精製設備の温度を上げ、夕方の終業と共に設備の温度を下げる――みたいに、頻繁に設備の稼働温度を上げたり下げたりする事はエネルギー・コスト的に無駄なのです。

 ですから、3交代勤務の現場作業員が何日も何週間も、場合によっては何ヶ月も連続操業し、設備保全のための点検休止は計画的に操業期間の合間に配置されます。

 従って、稼働率優先で、製品販価を少々下げても、販売数量を確保したいと言う誘惑に駆られます。現に、ガソリンと言う商品は他社製品との差別化が難しい。貴方もガソリンの銘柄には拘らないでしょう?

 その結果、価格の叩き合い、熾烈な販売合戦が繰り広げられます。この流れに巻き込まれ、全国のガソリンスタンドは閉店して行ったのだと思います。元売りの石油精製各社が系列のガソリンスタンドに販売支援金を注ぎ込み続ける事が困難になったのでしょう。

 この問題は業界全体の稼働率が底上げされる事でしか解決しません。ところが、需要は急増しないので、生産能力を減らすしか選択肢が有りません。そう、設備休止、工場休止です。

 石油精製各社の立場に立てば、自ら率先して工場休止を決断する事は出来ません。従業員の職を確保し、雇用を守る事は日本企業の美徳であります。労働組合に軽々しく提案できる事案ではありません。

 加えて、一口で石油精製設備と言っても、様々な種類の設備が有るはずです。個々の設備に関する老朽度合いは各社に依ってマチマチでしょう。一社単独では効率的な設備廃棄が難しいはずです。

 その結果、石油精製業界は、企業間で合従連衡を繰り広げ、相互に製造委託する事で、業界全体としての供給能力削減に取り組んできました。

 この合従連衡のプロセスにおいて、当然ながら、当事会社の間で思惑が渦巻きます。少しでも自社に好都合な連携体制に着地させたい。但し、双方が我儘わがままを言い張れば物別れになります。囚人のジレンマと言う奴ですね。

 大概の場合、シェアの大きい方の企業がイニシアティブを発揮します。『牛後と鶏口』の章で書いた通りです。中立よりも若干は相手寄りの着地点で妥結させる懐の深さを示す事が合意への早道ですから、どうしても相対的に大きな企業の方がイニシアティブを発揮する展開になります。

 仮に同じ規模の企業同士が連携構想を話し合うとしたら、構想が実現した後に主導権の奪い合いが生じるでしょう。出身会社毎の派閥が発生し、非効率さがまとうでしょう。

 そんな後ろ向きの事態を避けるため、いきなり企業統合へと踏み込むのではなく、相互にOEM生産を頼む等の部分的な連携関係から樹立していくのが定石の様です。いわゆる“お見合い”ですね。

 現在の石油精製業界で最大メーカーであるJXTGホールディングは、当時の業界1位の新日本石油と同6位の新日鉱ホールディングの組合せでした。

 企業規模の大小がハッキリしている場合でも、特に小さい方の企業は相手を警戒しますから、生産面での連携から始める場合が多いです。企業統合において“玉の輿”はありませんから、“お見合い”を通じて相手の社風を慎重に見定めていくのです。

 ところが、ここまで経済のグローバル化が進展すると、押し寄せる企業統合の波は日本企業同士の範疇に止まらないでしょう。

 寧ろ、海外メーカーが相手となる事例が増えていくと思います。“お見合い”等と悠長な事を言っておられなくなり、買収と言う資本の論理で相手を組み伏せるスタイルが多くなるのでしょう。

 それでも、いたずらに心配する必要は無いと思います。

 働く個人としては、解雇されることなく、新会社で生き延びれば良いのですから、外国人との交際術を磨きさえすれば問題無いと思います。社長が外国人になっても、外人社長の目的は“会社を儲けさせる”事なので、優秀な人材を「日本人だから」と言って無碍むげに解雇する真似はしません。


 一方の組立産業ですが、巨額の設備投資を必要とする自動車業界や半導体の様な一部の家電業界を除けば、企業統合の解を求める事例は滅多に生じないと思います。

 製造コストに占める固定費の比率が小さければ、無理をして工場稼働率を上げよう等と悩む必要がありません。ここで言う“無理をして”とは“不毛な価格競争を挑んでまで“と言う意味です。

 勿論、民間企業ならば、血眼になって販売シェア増大を目指します。その目標達成に向けては、知恵を出して商品価値を向上させると言う、真っ当なアプローチを選択するはずです。

 唐突ですが、私の尊敬する田中芳樹先生の作品に「銀河英雄伝説」と言うスペース・オペラ小説が有ります。主人公の1人、ヤン・ウェンリーが作中で、

「戦略と戦術は明らかに違う。戦略とは、誰と組んで誰を攻めるか。戦術とは、戦場で対峙した敵を如何にして倒すか。意思決定者が戦略と戦術を混同すると、歴史の悲劇が生じる」

 と、呟きます。何分、脳味噌が耄碌もうろくしているので、原文のままではありません。その類の事を呟いていると理解して下さい。

 私は、産業界の競争に当て嵌めると、「この言葉は言い得て妙だなあ」と感嘆します。

 素材産業を始めとする巨額の設備投資を必要とする産業。設備投資に限りませんね、研究開発投資も同じです。電気自動車への対応を迫られている大小様々な企業規模の自動車メーカー。或いは、液晶から有機ELへの転換を迫られた家電メーカーも同様でしょう。

 つまり、調達資金の使途は扨置さておき、巨額資金を必要とする産業における競争では、「戦略」レベルの経営判断を必要とする気がします。反面、そうでない産業では「戦術」レベルの経営判断が重要なのだと思います。

 どちらのレベルに貴方の思考パターンが相応しいか?――も、就職先を選ぶ際の1つの指標になるでしょう。

 但し、「戦略」レベルの思考を求められる業界に就職したとしても、入社早々から、そんな醍醐味の有る仕事をするなんて、期待しないで下さいね。少なくとも日本企業においては、雑巾掛けから始まりますから。

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