第九話

平征29年5月13日 花菱女学園教官準備室


 私はいつもの登校時間よりも一時間以上早く寮を出て学校に向かった。


 早く登校することは、同じ寮に住む唯里ちゃんや百合奈ちゃんには内緒にしていた。


 どうして内緒にしているかと言うと、みんなの中では私が一番操縦が下手なので、実機を使っての訓練は流石にできないが、シミュレーターの使用ならば当直先生に部室のカギを借りるだけなので、一人でもできるだろう。


 と言うのは建前で、本当は朝早く登校して大鳥教官となにかお話できればなぁ、なんていう下心があったというのが本当の理由である。


 私がこうしてなんだかズルいことをしようとしているのには訳がある。


 大鳥教官が来てまだ一週間もたっていないというのに、クールで媚びないキャラだったはずの瑠香ちゃんは傍目から見ても明らかに大鳥教官のことを意識していて、昨日もお昼を一緒に食べていた疑惑があるなど、要注意である。


 白藤さんは何と言うか、勝手なイメージだがまるでキャバクラのお姉さんみたいに感じで、大鳥教官に甘えるし、ボディタッチが多い。本人としてはからかっているだけなのかもしれないが、教官の方が白藤さんのことを好きになってしまうのではないかと言う可能性を排除することはできない。


 他の部員については、唯里ちゃんは相変わらず異性よりも重装機に恋しているようだったし、百合奈ちゃんも恋愛よりも今は一人前の機兵になるという思いの方が強そうだ。緑川さんは…まあ、大鳥教官のこと好意的に見ているようだけど、恋愛とはちょっと違う感じだし、黒沢先輩も恋と言うよりかは尊敬していると言った方が正確だろう。


 と言うわけなので、要注意人物としては第一に瑠香ちゃん、そして第二が白藤さんとなる。


 …そう言えばもう一人、山本先生がいるが、先生と大鳥教官とでは年が離れすぎているし、ね。山本先生は歳の割には若々しくて奇麗で、性格も明るくて素敵な女性だなっておもうけど、まあ、でもそこはやっぱり若さって一つの武器だし、なんてこれじゃ性格の悪い子みたいだ。


 とか考えつつ、校門前で掃除をしている用務員の山田さんに挨拶をして、朝まだほとんど誰もいない校舎に入る。


 私はそのまま教室に向かわず、職員室へと足を向けた。


 今日は午前中は訓練で、午後からは任官式となるため教室に行く必要がなく、職員室で部室のカギを借りて、そのまま部室でみんなを待つことになる。


 「失礼します」


 私は控えめに声を出しつつ、職員室の扉を開けた。


 「ん?ああ、赤森か、どうした?」


 職員室では白髪頭の細身の男性が椅子に座って新聞を読んでいた。


 「おはようございます。沖田先生。あのー部室のカギをお借りしたんですけど…」

 「なんだ朝練か?あ、そうかそうか、今日なんか式がどうのこうのって言ってたっけなー…。うん、持って行っていいぞ」


 沖田先生はそう言うと、再び新聞に目を落とした。沖田先生は数学の先生で、来年には定年を迎える。適当と言うほどではないが、数学と言う固い感じの授業に反して、適度に緩い感じの授業をするため、生徒からの人気は悪くない。


 私は職員室に入り、壁に取り付けられているキーボックスの中から部室のカギを探す。


 「…あれ?」


 重装機兵部部室と書かれたラベルを見つけたが、その下にカギは掛かっていなかった。


 「あのー、沖田先生、部室のカギってもう誰か持っていきました?」

 「ん?いや、そんなことはないはずだが…そう言えば、昨日誰も返しに来てないような…?」

 「そうですか。それでは失礼します」

 「あ、ああ」


 私は急いで職員室を出た。


 今日は運がいい。


 期待通り、カギがないということは、もう教官が登校しているということだろう。


 「あれ、開いてない…」


 私が喜び勇んで、部室に到着すると部室の扉は固く閉ざされていた。


 「大鳥教官どこにいるんだろ…」


 期待させるだけ期待させておいて、裏切るんなんて酷い。なんて勝手にショックを受けていたのだが、私はある可能性に気付いた。


 昨日からカギを返しに来ていないということは、もちろん返し忘れて家に帰ってしまっている可能性もあるが、そのまま学校に泊まっているという可能性も考えられる。


 第二校庭を見ると昨日私たちが帰るまではなかったテントや椅子がずらりと並べられていた。昨日これを私たちが帰った後、一人でやっていたとするのならば、かなり時間がかかっただろうし、疲れて帰る気力もなくなっていたかもしれない。


 仮にそうだとすると、おそらく大鳥教官は教官準備室で休んでる可能性が高い。


 私は急いで、校舎に戻り教官準備室を目指した。


 コンコンコン


 教官準備室の扉をノックしても何も返事は帰ってこない。


 「…失礼しまーす」


 私がゆっくり扉を押すと、カギは掛かってなく簡単に開いた。


 「あっ…」


 私の顔は自然にほころんでいた。


 大鳥教官はジャージ姿のままソファに横になって、安らかな寝顔を見せている。


 私は起こさなように音を立てないようにして、大鳥教官の傍まで行った。


 (どうしよう、起こすのも悪いかな…?)


 私はそう思いつつもそっと大鳥教官の頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でてみた。


 少しいけないことをしているみたいで、頬が熱くなるのが自分でもわかった。だけどこれは朝早く起きて学校に来たご褒美なのだ。早起きは3文の得とはよく言ったものだ。


 しかし、こうしていつまでも寝顔を見ているわけにもいかないだろう。きっと、この様子では大鳥教官も寝ようと思って寝たわけではないのだと思う。


 私はなるべく優しい声で大鳥教官に声を掛けた。


 「―大鳥教官、こんなところで寝たら風邪ひきますよ。起きてください」

 「…う…ううん…?」


 大鳥教官が身を捩らせながらゆっくりと瞼を開き、私と目が合った。


 「おはようございます。大鳥教官」

 「え、ああ、おはよう。でもどうして、星良君が?」


 大鳥教官は寝起きと言うこともあり、少しキョロキョロと周囲を見回していて、少し混乱しているようだった。それに少し疲れが残っているようにも見えた。


 「体調大丈夫ですか?」

 「ああ、うん。それは大丈夫だよ」

 「それにしても、式の準備一人でやられてたんですね。言ってくれればお手つだいしましたよ?」

 「昨日はみんな訓練で疲れてたからね。星良君はゆっくり休めた?」

 「はい」


 私がそう返事をすると大鳥教官は柔らかな笑みを浮かべてくれた。私は自分でも呆れてしまうぐらい、その笑顔に惹かれてしまっていた。


 しかし、すぐに大鳥教官は何か思い出したように何かを探すように、慌てた様子でジャージのポケットの中などをまさぐった。


 「えっと、星良君、今何時かな」

 「今、ちょうど7時になったところです」


 私は左手に巻いた薄いピンクの腕時計を大鳥教官に見せるようにしながら言った。


 「そっか、よかった」


 大鳥教官が安堵の表情を浮かべる。寝過ごしてしまったんじゃないかと不安になっていたようだ。


 「…それにしても式前の最後の訓練は9時からだよ、今日はゆっくり来ていいって言ったのに、ずいぶん早く来たね」

 「はい、その…私一番下手なので、自主練習でもしようかなって」

 「そんなことないと思うけど…そうだ、星良君さえ良ければ僕もその朝練付き合ってもいいかな?」

 「えっ、いいんですか?」

 「ああ、もちろん」


 大鳥教官は立ち上がって机の上にあった携帯と部室のカギをポケットにしまうと、私を促すようにして準備室から出た。


 (ああ、なんて素晴らしんだろう)


 私は内心、こんな幸運に恵まれるなんて今日はなんていい日なんだろうと感激していた。


 すると、先を歩いていた大鳥教官が急に立ち止まる。


 「あのさ、ちょっといいかな?」

 「はい?」

 「僕って臭くない?」

 「えっ!?」


 大鳥教官はなぜか急に匂いを気にしだして、自分のジャージの袖に鼻をくっつけて匂いを確かめ始めた。


 私も訊かれた以上確かめないといけないと思って、大鳥教官までほんの数センチの傍まで近づいて鼻から大きく空気を吸い込んだ。


 「………」

 「…どうしたの、星良君?やっぱり臭いかな…いや、どうせ式の前にシャワー浴びるからいいかなって思ったんでけど、やっぱり女の子のいるところでそれってまずいよね…」


 私は黙ったままもう一度空気を吸い込んだ。


 仄かな衣類洗剤の匂いと、汗の匂い。そして何より、大鳥教官の匂いが私の鼻孔をくすぐり、脳から幸福ホルモンが分泌され全身を満たしていく。


 正直言ってたまらなかった。


 「…大鳥教官」

 「なに、かな?」

 「このまま、行きましょう」

 「いや、でも臭く―」

 「いいから行きましょう。時間もありませんから」


 私は戸惑う大鳥教官の背中を押して強引に部室へと向かった。


 これから狭いシュミレーター室で教官と二人っきりだと思うと、思わずよだれが出そうだった。


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同日 花菱女学園及び第七研究所第二特別区分所兼用格納庫


 午前の予行練習はできもよく、昼前にはいったん切り上げて、何人かの部員には部室で休息をとってもらっていた。


 僕はと言うと、今日届くことになっていた新しい訓練機の受領のため、唯里君やレイン君、百合奈君を連れて格納庫の方へ向かっている。


 彼女たちにも休むように言ってはみたが、どうしても見たいとのことだったので、仕方なく連れてきた。


 「あっ、大鳥君。いまちょうど届いたところですよ」


 リフトで格納庫の下に降りると、佐藤少尉がいて、その近くでは軍用の大型トレーラーから二機の訓練機を下ろしている途中だった。


 その二機は今訓練で使用している四八式重装機Ⅲ型の意匠は残しつつも、多くの点が違っていた。パッと見てわかる違いとしては、Ⅲ型までの防弾ガラスのキャノピーがなくなり、六六式と似た形状の頭部型の複合センサーが取り付けられ、また脚部も六六式同様に指行性に適した形状に変更されている。見た目的には四八式と六六式の合いの子と言った感じだ。


 「ああっ、これってⅣ型ですか!?」

 「そうだよ。よく知ってるね」

 「去年、雑誌でイメージ図だけ見たことあって。まさか本当に製造されているなんて…」


 唯里君は感動の余り少し涙ぐんでいた。流石にちょっとだけ引いた。


 しかし、僕もⅣ型の存在自体は聞いたことがあったが、こうしてみるのは初めてだった。


 「まあ、まだ試作段階ではあるんですけどね」

 「Ⅲ型とはどう違うんです?」  

 「見た目の違いは置いておくとして、性能的には運動性能とセンサー類が特に強化されてますね。脚部の強化によって、最高速度や瞬発力が上がって、一応は跳躍戦闘も可能っちゃ可能ってことになってますよ」

 「微妙な物言いですね」

 「あくまで開発側はそう言ってますけど、正直六六式のように跳ねまわったりって言うのは無理だと思いますよ。背部にモータージェットをつければまだましかもしれませんけど、それにしたって機体のフレームにはほとんど手を加えていないので、すぐに機体にガタが来ちゃいますよ」


 まあ、どんなに強化したところで、元の設計が古くては仕方ない部分もあるということだろう。


 「センサー類は見てわかるように頭部型センサーユニットを増設して、視界は網膜投影に、あと音波探信儀と自動迎撃装置、あと、操縦は完全憑依操縦が可能になってます」

 「それじゃほとんど、六六式と変わらないんですね」

 「いや、そうでもなくて、そうしたセンサー類はほとんど民生品を使ってて才能的にはワンランク下がりますけど、結構リーズナブルな改修になってるんですよ」

 「へー」

 「もともとは、六六式の開発が遅れてる頃に四八式の改修プランの一つとして挙がっていた仕様で、当時はよりリーズナブルな今のⅢ型の仕様が採用されたわけだけど、知っての通りⅢ型ははっきり言って中途半端なんですよね」


 確かに佐藤少尉の言う通り、Ⅲ型の改修は中途半端でしかも不十分だったと感じている者は多い。馬力は据え置きのまま、追加装甲や六六式同様の兵装架を前腕部内側と背部に増設したため、フル装備状態では運動性が著しく悪くなり、またバランスも崩しやすくなっており、さらに憑依操縦を腕と腰だけと言う中途半端な採用をしてしまったため、訓練機だというのに現行の六六式よりも操縦が難しくなってしまっていた。


 おそらくそうした不満がⅣ型の開発に繋がったのだろう。


 「あ、でもリーズナブルにしてるってことは、やっぱり月兎が高すぎるって言うのも影響してるんですか?」

 「まあね。六六式一機分の予算で、三個中隊分の四八式をⅣ型仕様に改修できますから。Ⅳ型は四八式の延命措置とか訓練機仕様と言うよりも、再戦力化と言った方がいいのかもしれません。今後の運用試験次第で、前線部隊に四八式を再配備することも検討しているみたいですし」

 「そうなんですね。でもその機体を私たちのような高校生に使わせちゃっていいんですか?」

 「うん。機兵部を含めて、各地の訓練部隊や教導隊にまずは使って貰って、いろいろと意見を挙げて欲しいそうです。かく言う私たちの研究室もこのⅣ型計画に参加していて、昨日皆さんに試していただいた射撃補助装置もこのⅣ型に搭載するべく開発しているものなんですよ」 

 「でもこれって大会には出せないですよね」


 まじまじと機体を見回していたレイン君がボソッと呟く。


 「まあ、今のところ全国大会では使えませんね」

 「今のところ?」

 「はい。実はⅣ型の試作機はこの学園も含めて関東圏の機兵部に優先して配備されることになって、夏以降の関東大会などでは使用が許可されることになってるみたいです」

 「どうしてまたそんな話に?」


 何にしたって話が急すぎるし、話を聞く限りではⅣ型の性能は学生には少々過ぎるものと言う印象がある。


 「上の考えはよくわからないですけど、うちの所長は機兵部人気を取り戻すためって言ってましたよ」

 「人気って…」

 「Ⅳ型で対抗戦なんてやったら今より確実に今より派手になりますけど、そもそも憑依操縦装置のせいで廃人になるとかって騒がわれたのに、それを完全採用したⅣ型で人気を取り戻そうとしてるのがおかしな気がしますけどね」

 「まあ、それはそうですね…」


 大抵上が主導してやる事っていうのは世間ズレしていることが多いと言う印象があるが、今回のこともそう言うことじゃないんだよって感じはする。


 「でも、二機だけなんですか?それとも今後順次入れ替えていくんですか?」


 百合奈君が佐藤少尉に尋ねる。


 「とりあえず、暫くの間は二機だけだろうね」

 「そうなんですか…」


 百合奈君が少し不安そうな顔をする。


 「どうしたの?何か気になることでもある?」

 「はい…。二機しかないということは、全員がⅣ型に乗れるわけじゃないってことですよね?」

 「まあ、そうなるかな…」

 「…私はやっぱり、いい機体に乗りたいですし、他の皆さんだってそうだと思います。だからなんだか奪い合いになっちゃうんじゃないかって…」


 百合奈君の不安も理解はできる。しかし、我が部は部員数がギリギリなため全員が試合に出れるが、他の学校ではそうもいかずレギュラー争いが常に起きているわけで、それと比べればうちの部は内部での競争がほとんどないわけで、そこにある程度の競争が生まれることはむしろ良いことだと僕は思う。


 「そうだね。乗ってもらうとしたら、中隊長とその直参の一人になるか、それとも小隊長の二人に乗ってもらうかになると思うけど、どちらにしろより操縦の上手い人を選ぶよ」

 「そうですか…」

 「ま、それはあくまで試合での話であって、訓練ではなるべくみんなに平等に乗ってもらうよ」

 「はい…」

 「みんなは同じ学校で同じ部の仲間ではあるけど、だからって仲良しってだけじゃ勿体ないよ。せっかく同じ部にいるんだからさ、時には競い合って互いを高めあえる関係になった方がいいんじゃないかって僕は思うよ」

 「…そうですね。教官の言う通りです。ただのお友達じゃなくて、互いを高めあうライバルになれたらそれは素敵なこと、なんですよね」


 百合奈君は僕の言葉に納得してくれたようで、いつもの上品な笑顔を向けてくれる。


 「教官が学生の頃にもそんな素敵なライバルがいらしたのですか?」

 「あっ、私もぜひそのお話をお伺いしたです!中央高校は部員も多くてレギュラー争い大変なんですよね」


 レイン君が食いついてくる。


 「あ、ああ。そうなんだけど…」


 僕は学生の頃のことを思い出す。


 陸軍中央高校重装機兵部は部員数が60名を超え、大会にも1軍2軍と二チームが参加する、全国屈指の大所帯だった。


 2チームが参加すると言っても、補欠を合わせ試合に参加できるのは22名。実に半数以上の部員は試合に出られず、実際に3年間一度も試合に出た経験のない人もいた。


しかし、当時の僕は機兵部にいる間レギュラーを外されるなんて思ったことはなかった。自分を負かすことができるのは、風間先輩ただ一人だと思っていたし、実際にそうだったと言うこともあった。先輩とは確かに互いに切磋琢磨したけれど、やっぱり先輩と言うだけあってライバルと言う感じではなかった。


 1年生のころから試合を経験することができていた僕ははっきり言って天狗になっていたのだと思う。今になって思えば当時の僕は、自信過剰で傲慢だったし、実際に機兵部にいた同期からそう言われたことがあった。言われたときはそれを否定したが、周りからはきっとそう見えていたということだろう。


 だが、そうして自分に力があると過信した僕の自信はボルネオ島で粉砕してしまった。結局僕の強さなんて言うものは、誰も守ることができない、自分一人が惨めに生き延びるだけの力でしかなかったことに気付かされてしまったのだ。


 「よう、大鳥!」

 「?」


 昔のことを思い出していると、急に懐かしい少し酒焼けしたようなしゃがれ声が格納庫の中に響いた。


 「清水教官?」


 声のした方向に目を向けると、そこにはでいかにも快活そうな女性がこっちに歩み寄ってきていた。


 「なんだ大鳥、元気そうじゃないか」

 「え、ええ、清水教官の方こそお変わりなく…今日はどうしてここへ…?」

 「どうしてって、任官式のためだよ。去年で学校から異動になって、今は教育隊隊長の秘書みたいな仕事してるのさ」

 「そうだったんですか…」

 「後ろの子らはお前の教え子かい?」


 清水教官が興味深そうに唯里君たち3人を見る。


 「はい。えっと、みんなにも紹介するね。この方は僕が学生のころの教官で、重装機兵部の副顧問もしていた清水香織少佐です」

 「今日はみんなよろしく。いろいろと大変だったみたいだけど、いい式になるように陰ながら応援させてもらうよ」

 「「「ありがとうございます!」」」


 3人が声をそろえて元気に返事をした。


 「うーんいいねぇ。大島の教え子と聞いて少し不安だったが、この分だと大丈夫そうだな」


 清水少佐は冗談ぽく笑って言ったのだが、真面目な百合奈君が真に受けてしまったらしく、清水少佐に詰め寄るように前に出た。


 「そんな、大鳥教官は素晴らしいお方です。とても丁寧にご指導してくださいますし、親身になって訓練をしてくださっています。大鳥教官は教官としてだけではなく、一人の人間として本当に尊敬できる人です」


 そこまで言われると恥ずかしいというよりも、なんだか申し訳なくなってくる。本当の僕は百合奈君が思っているような人間ではないのだから…。


 「はっはっはっ、そうかそうか。まあ、大鳥もいつまでも子供じゃないというわけか」


 清水少尉はそう言って豪快に笑う。この人は昔からそうだった。訓練の時は鬼のように厳しいが、それ以外の時はこうして、大抵のことを笑って済ましてしまう豪快なところがあった。


 そんな清水少佐に今度はレイン君が近づいていく。


 「あの、私、黒沢レインと申します。もしよろしければ、大鳥教官の学生時代のお話を伺ってもよろしいですか?」

 「大鳥の?」

 「はい。私、大鳥教官が優勝した大会を生で見てからずっとファンだったんです」


 レイン君がそう言うと、清水少佐はまたひとしきり笑った。


 「大鳥の学生時時代ねぇ。まあ、いろいろと問題のあるやつだったが、機兵としての腕だけは頭一つ抜きん出たもんがあったなぁ」

 「いやいや、僕は特に問題なんて―」

 「いや、何言ってんだよ。お前堂々と校則破ってたじゃないか」

 「えっ、僕がですか?そんなことは…」


 自分で言うのもあれだが、一応表面上は真面目に生徒をやっていたつもりだったのだが…。


 「お前、校内での交際禁止っていう校則破ってたどころか、デートしまくってただろ」


 清水少佐があっけからんと言った。レイン君たちも驚いた表情で僕を見る。


 「なんで知って、じゃなくて、そう言う話は生徒の前では―」

 「はっはっはっ、悪い悪い。お前にも教官としての威厳ってのがあるもんな」


 清水少佐はそう言ってまたしばらく笑っていた。


 僕はと言うと興味深そうにこちらの様子をちらちら伺う3人の視線にさらされて、居心地が悪かった。


 「ああ、そうだったそうだった。大鳥、今時間あるよな?ちょっと式について軽く打ち合わけしときたいんだが」


 清水少佐はひとしき笑った後、思い出したかのようにそう言った。恐らく僕に会いに来たのも思い出話をするためではなく、そっちが本題だったのだろう。


 「はい、大丈夫です。えっと実際に式の会場見ながらの方がいいですよね?」

 「そうだな」

 「じゃあ、僕が案内しますね。佐藤さんすみません後任しても大丈夫ですか?」

 「ああ、見学が終わったら部室に帰すよ」

 「ありがとうございます。みんなも早めに戻って午後に備えてね」

 「「「はい」」」


 そうして、僕は清水少佐を連れて格納庫を後にした。


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~30分後~


 僕は清水少佐に会場の設営状況の説明と式の段取りについて確認した。本来ならば当日になってやることではなく、もっと前もってやっておくべきことなのだろうが、こちらの準備不足があったということは置いておくとしても、そもそも教育隊側も式については各学校当てにマニュアルを配布していることもあって、特別な事情がない限り綿密な打ち合わせなどは行っていないらしい。


 適当だな、とは思ったが、軍隊にも時にはこういった大らかなところがあってもいいのかなと思い直した。


 今はと言うと、打ち合わせもひと段落したので、教官準備室に戻り、備品として置いてあったインスタントコーヒーを淹れて、清水少佐と僕が学生時代の話など、昔話で盛り上がっていた。


 「にしても、昨日この学校の資料を見て驚いたよ。まさかお前が教官をやってるなんてな。今日会うまでは同姓同名の別人かもしれないと思っていたよ」

 「そうですね。僕自身、教官をやることになるなんて思ってもみませんでした」

 「まあ、でも、意外と真面目に教官やってるみたいで安心したよ」

 「意外でしたが?」

 「そうだな。私の知っている大鳥は学生時代の頃だから、その時からは到底想像できないな。あの頃のお前は猪突猛進と言うか、前しか見えてないというか、生き急いでるように見えたからな」

 「そんなんでしたっけ…」


 学生時代はとにかく強くなることに固執していた気はする。強くなること、それは目標とか夢なんかじゃなくて、僕にとって義務のようなものに感じていた。強くならなければ、誰も守れはしない。僕一人のために失われた命を取り返すためには、生半可な強さでは行けないと感じていた。


 「…だが、そのお前が故障で現役から引くことになるんてな。私はもっとお前は不貞腐れているものだと思っていたよ」

 「…僕も大人になりましたから、折り合いはつけれるようにはなったつもりです」

 「そうか…」


 僕はまだつけ慣れていな眼鏡をしきりに触ってしまう。


 お世話になった恩師に嘘をついているという罪悪感と、その嘘がばれてしまうんじゃないかと言う不安が僕の心を攻め立てていた。


 少し暗い雰囲気になってしまったのを断ち切ろうとしたのか、清水少佐がわざとらしく大きな咳ばらいをする。


 「ところで、風間とはどうなんだまだ上手くいってんのか?」

 「ゴホッ…い、いや、僕と先輩は別に…」

 「なんだ、学生じゃないんだもう隠すことないだろ。そもそも、お前と付き合ってるって私に言ったの風間だぞ」

 「えっ!?あの人、自分でバラしたんですか?」

 「ああ、まあ、私は学生同士の恋愛禁止なんて古臭い校則とっとと廃止にすりゃいいと思ってたから、風間の奴も私のそう言うところを知ってバラしたんだろう。賢しい奴だよ。なんかあったときのために私を味方に付けておこうとしたんだろうな」

 「えぇ…」


 自分では絶対に秘密だとか言いながら、自分はちゃっかり味方作ってるんだもんなぁあの人は。せめて僕には伝えてくれても良かったのに…。


 「それでどうなんだ、風間とは、まだ付き合ってんのか?」

 「…別れましたよ」

 「なんだ、勿体ない」

 「だからです。風間先輩は僕には勿体ない人です」

 「そうか?私はお似合いだと思ってたんだけどなぁ…」


 風間先輩は強くて、優しくて、賢くて、それでいて危険な人だ。あの人の傍にいると、自分が自分でいられなくなるような、まるで、心を侵食されていくような感覚になる。だから、僕は先輩と距離を置くようになった。僕にはやらなければならないことがあって、そのためには先輩の傍にいるわけにはいかなかった。


 「…良かった、別れたって」

 「…なんでこっち見て言うの?」

 「…だって、す、うごうご」


 「ん?」


 気づけば準備室のドアの外で何やらひそひそ話が聞こえてきた。


 清水教官は事情を察したようだが、怒るなんてことはなく笑顔を浮かべている。僕は黙って頭を下げると静かにドアの前まで移動して、一気にドアを開けた。


 「…こら、盗み聞きなんて失礼だよ」


 そこには瑠香君と美沙君という珍しいコンビがいた。


 「あ~あ、瑠香が騒ぐから」

 「あんたが余計なこと言うから」

 「…二人ともまず先に言うことがあるでしょ」


 二人は少し気まずそうに目を合わせた後、僕と清水少佐に向かって頭を下げた。


 「「すみませんでした」」

 「はっはっはっは、気にすんな。大した話はしてないから」

 「まあ、そいうわけだけど、一応礼儀としてね」

 「…はい」

 「それで、なにか用だった?」

 「ああ…うん、大したことじゃ、ないんだけど…」

 「ん?」


 瑠香君が珍しく目を泳がせている。


 「昨日はさ、来ないって言ったけど…さっき電話があって、兄貴がさ、絶対見に来るって聞かなくて…」

 「あっ、そうなんだ。優さん見にこられるんだね」

 「まあ、そうなんだけど、急になんてダメでしょ?」


 瑠香君が申し訳なさそうと言うか、バツの悪そうな感じで言う。それを見ている美沙君はニヤニヤしていて楽しそうだった。


 「大丈夫だよ。いま保護者席はかなり空きがあるからね。寧ろ大歓迎だよ」

 「そっか…それじゃ、これで」


 瑠香君がそう言って立ち去ろうとした時だった。それまで、笑顔を浮かべていた美沙君から当然表情が消え、力なく崩れ落ちそうになる。


 「美沙君っ!」


 僕は美沙君の体を素早く抱き留めた。


 「大丈夫か!?」

 「…大丈夫」


 美沙君は僕の手を払いのけるようにして離れた。


 「でも―」

 「大丈夫って言ったでしょ。昨日寝るのが遅かったから、それで眠くなっただけ…だから気にしないで」

 「そう言うわけには―」

 「しつこい」


 美沙君はそう言って廊下を走り去っていった。


 「美沙君…」

 「…注意して見とくよ」

 「うん。悪いけど頼むよ。僕が言っても反発しちゃうだろうし」


 僕は情けないが美沙君のことを瑠香君にお願いして、部屋へ戻った。


 「すみません。なんか騒がしくして」

 「いいさ。まあ、お前さんも大変だねぇ。この年頃の子供なんて相手にすんの面倒だろう?」


 あんまりな物言いだが、実際に長年教官をやってきた清水少佐の言葉にはそれ相応の重みがあった。


 「…僕たちも学生の頃は、教官に随分ご迷惑かけましたしね」

 「ホント、どうでもいいようなことでも、お前ら喧嘩したりしたもんなぁ。ああ、そう言えばこの間、土井にもあったぞ」

 「土井ですか?」


 土井正輝。中央陸軍高等学校時代の同級生で、僕と同じく数少ない男の重装機兵部員だった。部内で数少ない同性だというのに僕と土井の仲は初めからよくなかった。僕としては彼の理屈っぽいところとか、それでいて意外と熱くなりやすくて、そう言ったところも別に嫌いではなかった。しかし、彼からすると僕はどうも癇に障る存在でしかなかったようで、やる事なす事文句ばかり言われた気がする。


 当時は僕もそれに軽く反発もしていたものだが、今となてはそれも懐かしい思い出ではあった。


 「元気そうだったよ。相変わらず気難しそうな感じだったがな。お前、連絡とか取りあってないのか」

 「まさか、僕はあいつに嫌われてましたし…」

 「そうだったっけか?なんかよく二人で話しているのを見た気がするけど」

 「それは…まあ、いろいろと意見の相違があって…今思うとあいつの言ってることの方が正しかったと、そう思うことがあります。…今、土井は…幹部学校ですか?」

 「ああ、卒業後は風間と同じ近衛への配属を希望しているそうだ」

 「あいつも変わりませんね」

 「ま、お前たちがどこで何をしていようと、私としては元気でやっているならそれでいいさ」


 清水少佐は少しだけ寂しそうにそう言うと、立ち上がった。


 「そろそろ仕事に戻るとするかな」

 「はい、改めて今日はよろしくお願いします」

 「ああ。…それと先輩教官として一つアドバイスしておく」

 「はい?」

 「私も長く教官をやっていたがな、可愛い教え子がもう何人も先に逝ってしまった。死んだ本人や残された家族が一番つらいのはわかっているが、私にとっても自分の子供のような存在だったんだ。どうしても辛いものがあるんだ」

 「はい」

 「だから、あまり気負い過ぎるな。お前にできることには限界がある。誰もかれもの命に責任なんて持てっこないさ…なんて、無責任な話だけどな」

 「いえ、覚えておきます」

 「…ああ。それじゃ、またあとで」


 僕は一人残された部屋でぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。


 「まず…」


 インスタントだからと言うわけではなく、僕はコーヒーが未だ苦手だった。大人になればおいしく感じるだろうかとも思っていたが、一向にそんな気配はない。


 「…まだまだ子供ってことか」


 僕はそう呟くと、口直しのジュースを買いに部屋を出た。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同時刻 花菱女学園 重装機兵部部室


 「あっ、帰ってきた」


 唯里ちゃんの声に反応して玄関の方へ眼をやると、ちょうど瑠香ちゃんと白藤さんが入ってくるところだった。


 「美沙ちゃん、どこ行ってたの?」

 「んー?ちょっと教官さんのところ」

 「大丈夫?少し顔色悪いよ」


 緑川さんがその大きな体をかがめて白藤さんの顔を覗き込む。確かに白藤さんは少し目が虚ろで、青ざめて見えた。


 「もう、凛まで。大丈夫だって。ちょっと寝不足なだけだから」

 「…それならいいんだけど」

 「だからちょっと上で寝てくるから、時間になったら起こして」


 白藤さんはそう言い残すと足早に二階へ上がって行ってしまった。


 「…白藤ってよくあんな感じになるの?」

 「…よくって言うか、たまにね。美沙ちゃんとは中学校から一緒なんだけど、今は随分よくなった方だよ」

 「ふーん。ま、教官も心配してたから、何か気付いたことあった言って」

 「うん…」


 緑川さんは少しの間難しい顔をしていたが、やがてソファーに腰を下ろした。


 「それで、教官は何か言ってた?」

 「なにかって?」

 「いや、午後の予定とか」

 「ん、それは別に…。どちらにしろ式は一時からだから、30分前に格納庫に集合しておけばいいでしょ」

 「ま、そっか」


 唯里ちゃんとの話がひと段落した後、瑠香ちゃんは開いていた私の隣の椅子に座る。その心はもやもやと薄い霧がかかっていた。


 「…瑠香ちゃん、教官と何かありましたか?」

 「えっ?…いや、別に何かあったってわけでもないけど…なんか軍の人と昔話してたぐらいかな」

 「えっ、どんな話されてたんですか!?」


 黒沢先輩が勢いよく食いついてきた。  


 「いや、その……」


 瑠香ちゃんは言っていい事かどうか迷っているようだったが、少ししてぽつぽつとしゃべり始めた。


 「…学生時代の話で、教官に彼女がいたとかいなかったとか」

 「その話詳しく!!」


 私も勢いよく食いついた。


 「え、えぇっと、別に、学生の頃、先輩と隠れて付き合ってたけど、もう別れたって」

 「…よかった」

 「よかったんだ…」


 唯里ちゃんの呟きをあえて無視しつつ、私はほっと胸を撫でおろす。


 「…先輩ってことは風間さんかなぁ」

 「ああ、確かに風間だとかって言ってたかも」

 「黒沢先輩、知ってる人なんですか?」

 「うん。ちょっとまってねー」


 黒沢先輩はそう言うと、自分の携帯を操作してある画像を見せてくれた。


 「これって、大鳥教官ですか?」


 携帯の画面に映し出されていたのは、訓練機の前で優勝旗を持つ数名の男女の姿だった。


 「これ平征二十二年大会の時の写真で、試合の後にお父さんが撮った写真なんですけど。右から二番目にいるのが大鳥教官で、真ん中にいる女の人が風間祭子さん」

 「…きれいな人」


 それが正直な感想だった。写真の中で柔和な笑みを浮かべているその女性は、お世辞抜きで美人で、自分たちと同じ高校生とは思えない色気を醸し出していた。


 「この二十二年大会はもうほとんど、この風間さんと大鳥教官の二人の独壇場で、特に対抗戦なんて、中隊長の風間さんと直参の大鳥教官の二人で、準決勝と決勝戦の撃破判定の九割もっていったんですよ」

 「……ふーん、そうなんだ」


 瑠香ちゃんが感情を感じさせない声でそう呟くが、心の中は大きく波打っていうた。かく言う私も、言い知れぬ不安と言うか、ショックを受けてしまっている。


 「でも、それならどうして今高校の教官に?それほどの腕前なら空挺部隊や教導隊に居てもおかしくないのでは?」

 「それは、そうだね。どうしてなんだろう?」


 いつの間にかに一緒に画像を見ていた百合奈ちゃんが疑問に黒沢先輩も同調する。そう言えば、百合奈ちゃんや黒沢先輩は大鳥教官の自己紹介を聞いていないので、今教官をしている理由を知らないのだ。


 「それは、ほら、大鳥教官って眼鏡かてるでしょ。病気で視力が落ちて、機兵を引退するしかなかったんだって」

 「そうでしたか…せっかくすばらしい才能がありましたのに、大鳥教官もお辛いでしょうね」

 「…でも、風間さんとお付き合いしていたなんて、とってもお似合いの二人だと思うよね?」


 黒沢先輩は私に同意を求めてきた。私の心情的にどうしても首を縦に振りたくなかったので、どう答えたものかと迷っていると―


 「…もう別れてるけどね」


 瑠香ちゃんがぶっきら棒にそう言った。


 「とにかくそんな優秀な機兵の大鳥先生に指導してもらえるわたくし達は、とても幸運だということですね」

 「…そうだね」


 何とか百合奈ちゃんが上手く話をまとめてくれた。


 (それにしても、大鳥教官の元カノか…)


 大鳥教官は魅力的な人だから付き合った人がことがあるって言うのは納得できる。問題はこれからだ、あんなきれいな人と比べられたら流石に分が悪い。今はその人と別れているというのは朗報だけど…。


 私は一人これからの恋路の険しさを感じていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同日 教官準備室


 午後


 残り一時間弱、いよいよ任官式が始まる。式の進行については正直に言って今のところ不安はない。彼女たちは限られた時間で本当によくやってくれた。新米機兵としてどの学校にも劣らぬものだと確信をもって言える。


 しかし、どこか違和感を感じてしまうのはがあるのは着なれない制服のせいだろうか?


 准尉に昇任してほとんど初めて袖を通すこととなった士官用の制服だが、少し派手になった階級章も、新品の制帽も、よく磨かれたブーツもどこか違和感があって、おかしいなところがないか何度も姿見でチェックしてしまう。


 が、流石にこんなことにいつまでも時間をかけるわけにもいかないので、結局その違和感はぬぐえないまま、ロッカーの奥に雑にしまい込んでいた安物の軍刀を手に部室へと向かった。


 ……………


 「教官、かっこいい」


 部室に入ると凛君が開口一番そう言ってれた。


 「そ、そうかな?そう言ってくれると嬉しいけど…ホント、おかしいところとかないかな?」

 「わ、私も素敵だと思いますっ!」


 星良君もそう言ってくれたので、着こなしとしては問題ないということだろう、と安心した矢先、鋭い目つきで僕を見ていた瑠香君が声を上げた。


 「あっ、ちょっと待って」

 「えっ?」


 瑠香君が僕の上着の裾に手を伸ばし、何かをつかみ取りそれを僕に見せる。


 「これ」


 彼女の手には小さな糸くずがあった。


 「ありがとう」

 「ほら、背中も見せて」

 「う、うん」


 僕は言われるがまま回れ右をして瑠香君に背中を見せる。すると瑠香君は上着の背中を2、3回何かを払うように軽くはたき、最後に裾を引っ張る。


 「はい、これでよし」


 「ありがとう。なんか、悪いね」

 「別に…せっかくの式なのに教官がしっかりしてくれないと、カッコがつかないでしょ…?」

 「そうだね」

 「瑠香ってお母さんみたい」

 「は、はぁ?」


 唯里君がポロっと漏らした言葉に、瑠香君が珍しい反応を見せる。


 「ホントだね!お母さんも弟の中学校入学式のとき似たようなことしてたなぁ」

 「べ、別に…っていうかお母さんって、もっと他に言いようが…あると言うか…」


 瑠香君の言葉は尻すぼみで、最後の方はほとんど聞き取れなかった。


 瑠香君の表情は照れているのか顔が少し赤らんでいる。流石にまだ高校生である彼女に母親見たいというのは誉め言葉ではないと思うが、彼女の普段見せるクール振る舞いとは違い、母性的なところが強いというのは理解はできる。


 彼女の母親らしさ、みたいなものは家庭の事情もあって、兄と二人で生活しているうちに自然と身について行ったものだろう。こういう言い方は良くないが、優さんはどこか抜けているところあるので、余計瑠香君がしっかりしなければならなかったのだろう。


 その背景を考えれば気軽に触れていいようなことではないのかもしれないが、半面気を使い過ぎても逆によそよそしくなってしまうのだろうかと、教官として距離感をどうとるべきなのか難しいところではあるが、その疑問は今後ゆっくり考えるとして、そろそろ式の段取りの最終確認をして置くべきだろう。


 「まあまあ、この話はこの辺にしておくとして、そろそろ最終確認しておかないとね…えっと、美沙君は?」


 ふとあたりを見回すと、式には参加しないレイン君は制服姿で、それ以外の部員は操縦服に安全ベスト姿なのだが、その操縦服姿の部員の中に美沙君の姿だけが見当たらなかった。


 「そう言えば、美沙ちゃん更衣室に入って長いね…」

 「見てくる」


 瑠香君が素早く更衣室に向かう。


 すると、すぐに切羽詰まったような声が響く。


 「教官!」


 僕はその声を聴いた瞬間、駆けだして更衣室に入った。


 「美沙君…!」


 更衣室の中で見たのは、操縦服の下半身部分だけを着て、ベンチに仰向けに横たわる美沙君の姿だった。


 「美沙君!しっかりしてくれ!」


 僕は彼女のあらわになっている肩に触れて揺さぶりつつ声を掛ける。



 「美沙ちゃん!」


 凛君を先頭に皆も駆け寄ってくる。


 「とにかく救急車を―」


 僕が制服のポケットから携帯を取り出し、タッチパネルを操作しようとしたとき、誰かの手が僕の携帯を取り上げた。


 「…もう、大げさすぎ」

 「美沙君…大丈夫なのか?」


 そう言った美沙君は気怠そうにして起き上がる。


 「どうしたの?どこか悪いところが―」

 「だから大丈夫だって、ちょっと疲れて眠くなっただけだから…」


 そう言った美沙君の声は苛立ちを感じさせつつもか細く、とても大丈夫そうには聞こえなかった。それに明らかに顔が青ざめてしまっている。


 「美沙君、無理することなんてないんだ。今日の式なんて、形式的なもので出なかったら機兵になれないわけでもないんだ。だから―」

 「だから、今日は大人しく休んでろって?言っとくけど、そんなこと言ったマジで怒るから」


 美沙君は強い口調と視線で僕に訴えかけてくる。


 「でも、どうして…そんなに必死になるんだ。僕は君に無理をして欲しいわけでは―」

 「そんなの!」


 美沙君は急に立ち上がる。


 「そんなこと、言ってほしくない!そもそも、私をこの部に誘ったのはあんたでしょ!最後まで責任持ってよ!」


 そう叫んだ彼女の目じりには涙が浮かんでいた。


 間違っていたのかもしれない…。


 彼女の健康状態に問題があることは最初からわかっていたことだ。だからこそ、彼女を勧誘などすべきではなかった。そんあんこと誰がどう考えたって明白なことだった。

 間違いは認め正さなくてはならない。子供みたいに意地を張って物事を押し通すような真似はするべきではないだろう…。僕はもう大人で、教官だ。子供の模範になるためには、大人として正しい姿勢を見せる必要がある。


 僕は一度静かに深呼吸をしてから美沙君を真っ直ぐ見つめた。


 「…美沙君、僕は―」

 「ねぇ、いいんじゃない」

 「いいって…」


 突然発せられた瑠香君の言葉に僕は少し呆気に取られてしまった。


 「本人が大丈夫って言ってるんだし、それにさ、皆で練習してきたのに、最後だけはダメなんて、カッコ悪いこと誰だってしたくないし、教官だってさせたくないでしょ?」

 「それは…そうだけど…」

 「それとも、なんかあったときの責任取るのがイヤ?」


 瑠香君は挑発的なことを言いつつ、その口元には微かな笑みを浮かべていた。


 (責任か…)


 「…美沙君」

 「何…?」


 僕は彼女を座るように促しつつ、自分は床に膝をついて、少し彼女を見上げる様な体勢をとった。


 「…約束して欲しいことがあるんだ」

 「約束?」


 僕は美沙君の細くて柔らかい手に自分の手を重ねた。


 「式の途中だって構わない、もう駄目だと感じたら迷わずに知らせて欲しい」

 「知らせたら?」

 「僕が助けに行く」

 「…それじゃ、式が台無しになるかもしれないよ」

 「その責任は僕がとる」


 僕は一度美沙君から目を離し、心配そうに見つめているみんなを見る。


 「みんなにもお願いだ。美沙君を式に参加させることを許して欲しい。教官として、大人として、本来なら止めるべきなのかもしれない。だからこれは僕の我儘だ。もしもの時は僕が腹を切る」


 みんなは一瞬だけ互いに目を合わせる。


 「…私は構わないよ。むしろ参加してもらわないと締まらないし」


 最初に瑠香君が今までにない優しい笑みを浮かべて言った。


 「私もです」

 「わたくしも」

 「だよね、やっぱりみんなでやりたいし」

 「そうだよ。美沙ちゃんと一緒に式に出たい」

 「みんな…」


 不覚にも目頭が熱くなる。


 「と言うわけで、教官、部員を代表して部長の私からもお願いです。白藤さんを式に参加させてください」


 そう言ってレイン君が頭を下げると、それにつられてみんなも頭を下げた。


 「うん。ありがとうみんな」


 僕は再び美沙君に視線を戻す。美沙君の目はもうすっかり赤くなってしまっていた。


 「美沙君、僕は君に無理をしろとお願いすることになるけど、受けてくれるかな?」

 「…うん、いいよ。教官さんとみんなのお願い、聞いてあげる」


 美沙君は一滴の涙を流しながらも、最後には笑顔で答えてくれた。


 ……………。


 責任をとる。


 言葉では簡単に言えるが、実際にどうすればいいかと言うとすぐには想像できないところがある。式の最中に問題が発生した場合、とりあえずは教育隊長や学園長、理事会や保護者にも謝罪して、それから…。それ以降は、部員の体調不調を知りながら無理に参加させたことによる、教官としての監督不行き届きで何らかの処分が下ることになるかもしれない。


 軍からの処分として、厳重注意だけならまだしも、減給や停職処分となると、実質的には辞任せざるを得ないだろう。そうでなくても、学校側から解任される可能性だってある。


 (…まぁ、それも構わないか)


 僕は覚悟を決めた。


 「…ところでさ」

 「ん?」


 美沙君が今度は顔を赤くしていた。


 「そろそろ、出て行ってくんない?私、下着丸見えだし」


 美沙君は恥ずかしそうに僕と手を重ねている方とは別の手で、薄いピンクのブラジャーに包まれたほど良い大きさの胸を隠すようにして抑えた。


 「あっ、えっと、わ、悪い。もう出るから」


 僕は慌てて更衣室を出た。部室の玄関ホールに戻ると、ちょうど山下先生が部室に来たところだった。山下先生も助教官として、助教官章や校章を付けた真新しい国民服を着ていた。国民服は20年前の改正で基本的には男女共通のデザインとなり、数種類あるが基本形としては国防色のシングルブレスト5ボタンの上衣と袴又はスカート、中衣は日本襟の物となっている。


 「あっ、大鳥教官。制服似合ってますね」

 「あ、ああ、ありがとうございます。山下先生もお似合いですよ」

 「あら、そう?まだ私もいけるってことかしら」


 そう言って少しはしゃいだように自分の姿を玄関に置かれた姿見で、ポーズを決める山下先生は…まあ、微笑ましくはあった。


 「ああ、こんなことをしている場合ではないですね。ごめんなさい、みんなは着替え中ですか?」

 「…ええ、まあ、そんなところです」

 「そうですか。あっ、それで、教育隊長は式の15分前に来るようです。それは学園長が対応してくださるのでいいとして、私の方で保護者の案内をしますね。もうそろそろ来られる頃でしょうし」

 「ありがとうございます。僕は―」

 「大鳥教官は彼女たちの傍にいてあげてください、みんな緊張しているでしょうから」

 「わかりました。よろしくお願いします」

 「はい。それじゃ、私、駅まで送迎バス出しますんで、13時40分ぐらいには戻ってきますね」


 そう言って山下先生は軽やかな足取りで部室を後にした。山下先生には僕が訓練に取り組んでいる間にも、関係各所への連絡や備品の調達などいろいろとやってもらっていた。僕が不慣れなこともあって、なかなか手伝うことができなかったので、山下先生には本当に頭が上がらない。


 (式が無事に成功したら、何かお礼でもした方がいいかな…)


 僕は部員たちが更衣室から出てくるまでの間、お礼の品を何にするか一人、ぼーっと考えていた。


 ~40分後~


 五月にしては少し日差しが強く、軽く汗ばむような陽気の中、僕は大きく深呼吸して朝礼台の横に置かれたマイクの前に立つ。腕時計を見ると、13時になるまで30秒を切っていた。僕が準備をお願いしようと関係者席の教育隊長の方を向くと、教育隊長は僕が頭を下げようとするのを軽く手で制してから、席を立ち、制帽をかぶりつつ朝礼台に上った。里田教育隊長は寡黙な人だが威張ったところがなくて謙虚な人と言う印象だ。清水少佐が言うにはもう退役まじからしく、頭髪は真っ白で顔には深い皺が刻まれているが、その眼光にはどこか鋭さを感じさせるものがあった。


 隣の朝礼台より一段低いお立ち台の上にいる山下先生もこちらにアイコンタクトを送ってくる。


 (準備はよしか…)


 僕は一度軽く咳払いした。


 「…ただいまより、花菱女学園重装機兵部新入部員任官式を執り行います…新入隊員入場」


 僕の宣言の後、うちの学園の吹奏楽部の演奏が始まった。軽快なテンポの行進曲は僕も学生時代からよく耳にした曲で、思わずこちらまで足踏みをしてしまいそうになる。今回の式を開催するにあたって急遽演奏を吹奏楽部にお願いすることになったのだが、吹奏楽部の辻先生が軍隊嫌いというせいというわけではないとは思うが、頼んだ当初はかなり難色を示していた。しかし、最終的には学園長が頭を下げたことで、辻先生も折れるしかなかったようだ。…辻先生にも後でお礼の品を準備しておこうと思う。


 演奏が始まり10秒ほどたった後、山下先生が首からかけた笛を鳴らし、甲高い音が校庭に鳴り響いた。


 すると、格納庫の中から、ズシン、ズシンときちんと足音を揃えて橙色の6機の訓練機が歩み出てきた。


 重装機兵部の任官式は特殊で、一般的な任官式とは違いこの重装機入場がメインだと言われている。実際にこのばで教育隊長をはじめ、学校関係者や保護者に入部してから約一か月の間に訓練した基本教練の成果を見てもらうという側面が大きいと言える。その他にも、見栄えを意識してと言うのもあるらしいが、僕としては操縦服で任官証を受けるより、制服で受けた方が見栄えがいいのではないかとも思うので、そこには意見の相違があるが、まあ、それはどうでもいいことだろう。


 6機が訓練機は足並みを奇麗に揃えたまま、来賓席の前までくると―


 「教育隊長にぃーー、敬礼ッ!」


 山下先生の号令とともに、行進しながら上半身だけを正面に向けてビシッと挙手の敬礼を決めた。


 保護者席の方から感嘆の声が漏れ出る。優さんに至っては何故か号泣していた。


 まあ、それは置いておくとして、6機の訓練機は山下先生の直れ、の号令で敬礼の姿勢から直ると、そのまま校庭を半周する。そして僕らのいるところからちょうど反対側に来たところで、今度は左向け左、の号令で隊列を縦隊から横隊へ、そのまま前進し、朝礼台の15メートル手前の位置まで進むと―


 ピィーッ!ピッ!ピッピッピッ!


 山下先生の笛の合図に全員がピタッと止まり、吹奏楽部による演奏もやんだ。


 「全員、降機!」


 その号令で、6機の訓練機が膝をつき、続いて操縦席のハッチが開くと、6人とも危なげなく大地に降り立ち、それどれの搭乗機の前に並び立った。


 パチパチパチ―


 最初はまばらだった拍手もすぐに大きな音に代わり、保護者席や来賓席から惜しみない拍手が6人に送られた。


 僕はほっと胸をなでおろした。彼女たちは教練を完璧にこなして見せた。後はプログラム的には特に変わったことはなく、国歌斉唱、辞令交付、宣誓、教育隊長訓示、来賓祝辞、校歌斉唱と続く。


 僕は自然と美沙君の方に目が行くが、遠目で見ても体調がいい用には見えない。しかし、彼女との約束だ。彼女が匙を投げない限り、僕は見守ることしかできない。だが彼女にとってはここから本当の戦いかもしれない。こういった式と言うものは往々にして長いもので、訓示や祝辞だけでも教育隊長にはじまり、学園長、理事長、神奈川在郷軍人会会長と続く。僕としては失礼ながら、手短に済ませてくれることを祈るばかりだ。


 「私は、重装機兵部員としての名誉と責任を自覚し、大日本皇国憲法、法令及び校則を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、全力を尽くして訓練と学業の両立に励むことを誓います!」


 国家斉唱と辞令証の交付が終わり、百合奈君がかっこよく服務の宣誓を決めてくれた。山下先生との練習の成果をきちんと出せたようだ。


 「続きまして、教育隊長訓示」


 僕は式の司会進行をしつつも、美沙君の様子ばかりを気にしていた。訓示、祝辞と続く中、だんだんと『休め、気を付け』の小さな動作にも切れがなくなっていくのかわかる。とくに学園長は一人で、10分近く話すものだから僕は内心イライラと言うか、いつ美沙君が倒れるんじゃないかとハラハラしていた。


 そんな式も、今はわが校の吹奏楽部の華麗な伴奏による校歌を歌い終わり、ついにその終わりまで僕の言葉を待つのみとなった。


 「…以上を持ちまして、花菱女学園重装機兵部任官式を終了いたします。………生徒は、休め。少し力を抜いて気を楽にしてください」


 僕がマイク越しにそう宣言したことで、校庭に漂っていた緊張感が一気に霧散していく。

一瞬、美沙君の方に目線をやるが、いきなり倒れるということはなかったが、腰に手を当てて少し俯きがちだ。


 「では、皆さんこちらへどうぞ」


 学園長がいつもの柔和な笑みを浮かべ、来賓の方々を移動用のバスへ誘導する。どうやらこれから少しお茶をするということらしい。僕はすぐにでも美沙君のところへ行きたい衝動を抑えつつ、教官として教育隊長をはじめとする来賓の方々にお礼を言っていると、隙を見てレイン君が僕に近づいてきた。


 「私、美沙ちゃん部室まで連れて行きますね」

 「ごめん、助かる」


 レイン君はそのまま、美沙君のところへ駆けて行った。彼女にも短い訓練の間、みんなにつきっきりで訓練を見てもらった。まだ二年生になったばかりだというのに、教え方がすごく上手くて、彼女がいなければ今日の成功はなかったのではないかとさえ思う。


 僕はレイン君が美沙君のところへ行ってくれたことで少し落ち着くことができ、来賓の方々を見送ると次に保護者席に向かった。


 「皆さん、本日はありがとうございました。これより、少しの間ではありますが自由時間と言うことで、生徒さんとの写真撮影の時間にしたいと思います。写真撮影につきましては、訓練も撮影していただいて構いませんが、危ないのでどうかお手を触れないように宜しくお願い致します」


 僕がそう言うと、式に参列していた牡丹さんや凛君のご両親、唯里君の母親が娘のところへ向かった。式の間、ずっとそわそわして、泣いていた優さんはまだ涙があふれているようだった。


 「兄貴、ホント、ありがとうっス。オレ、もう感動で涙、止まんねぇっス」

 「あ、ああ、そ、そうですか…。って兄貴って、まあいいけど。とにかく涙を拭いてください、あっ、せっかくなんで、瑠香君と優さんで写真撮りましょうよ。僕が撮りますから」

 「いいんっスか?」

 「もちろん」


 僕は優さんが首にかけていたカメラを受け取ると、一緒に少し疲れた表情の瑠香君のところまできた。


 「瑠香~よかったぞ~」

 「もう、何なのみっともない」

 「はは、瑠香君ほら、優さんと並んで、写真撮るから」

 「…いいよ、写真なんて」


 瑠香君はそう言いつつも、優さんが隣に並ぶと。僕の構えるカメラに自然と視線を向けてくれた。


 「それじゃ、いきますよー、はい、チーズ」


 少し電子的なシャッター音がなると、カメラの裏の画面にさっき撮った写真が映し出される。優さんのくしゃくしゃな笑みと、瑠香君の少しはにかんだ笑み。我ながらいい写真が撮れたと思う。


 「それじゃ、兄貴、今度は兄貴が瑠香と写って下さい」

 「えっ、僕が?いいんですか?」

 「もちろんっスよ」


 優さんは僕からカメラを受け取ると、背中を押すようにして、瑠香君の隣に並べた。


 「もう、ホント、はしゃいじゃって馬鹿みたい…」

 「ふっ、いいじゃないか。ちょっと羨ましくもあるかな」

 「…どこがよ」


 そう言う瑠香君は少し照れているようで、可愛かった。


 「あっ、大鳥教官、次はうちの子とお願いします」


 瑠香君との撮影が終わると、今度は牡丹さんに声を掛けられた。


 「いま、黄地さんにカメラ頼んでますから、三人でお願いします」

 「あ、はい」


 黄地さんと言うのは唯里君じゃなくて、唯里君のお母さんのことで、百合奈君との撮影が終わると、今度は唯里君と、またその次は凛君と、と言った流れで写真撮影が続いた。


 そうした時、ふと星良君を見ると笑顔を浮かべてはいるものの少し寂しそうとも感じた。


 「星良君、良かったらだけど、僕と写真撮らない?」

 「えっ、いいんですか?」

 「いいに決まってるじゃないか。えっと、カメラ…はないから僕の携帯でいいかな」

 「はい…でも」

 「よかったら後で、メールで送るけど」

 「メールで…?」

 「あっ、そうだよね。アドレス交換とか―」

 「いえ!ぜひそうしましょう。後でアドレス交換しましょう!」

 「う、うん」


 なぜだかわからないが、少し星良君が元気を出してくれたみたいでよかった。僕は近くにいた優さんに携帯を預けて撮影してもらった。


 そうしてしばらく保護者と方々と話していると、清水少佐が戻ってきた。


 「大鳥、いやー、良かったぞ。正直ここまでやれるとは思ってなかった。隊長も褒めてたぞ」

 「彼女たちが頑張ってくれたおかげです」

 「そうだ、あの子は大丈夫なのか、えっと4番機の?」

 「ええ、その、朝からあまり体調が良くなかったみたいで、今は部室の方で休んでもらってます」

 「そうか、ま、お前に学生時代散々無理させてきた私が言うのもあれだが、あまり生徒に厳しくし過ぎるなよ。最近はすぐ問題になるからな」

 「…はい。何かあったときの責任はちゃんととるつもりではいます…」

 「はは、まあ、そこまで深刻に考えることでも―」


 ピピピピ、ピピピピ


 突然無機質な電子音が鳴る。


 「…悪い」


 清水少佐は携帯の画面を見て、少し怪訝な顔をしてから電話に出る。


 「…なんだと!わかったすぐ戻る!」


 突然清水少佐のが驚きの声を上げ、険しい表情になる。


 「大鳥、まずいことになったぞ」


  昨日までとなにも変わらない平和だった世界が脆くも崩れ去ろうとしていた。

 

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