第七話

~回想終了~


 「それでですね、大鳥教官…って、私の話聞いてます?」

 「えっ?ああ、はい…すみません」


 いけない、またあの時のことを思い出してしまった。最近ではあまり考えないようにしていたのだが、柴崎の名前をみて否応にもあの日のことを思い出さずにはいられなかった。


 「やっぱり、慣れない仕事で少し疲れているんじゃないですか?」


 山下先生が心配そうに言う。


 「いえ、そんなことは…。それで、えっと…」

 「柴崎さんの見学の件なんですけど、お願いしてもいいですか?実は私、今日の午後から別件で外に出ないといけなくて…」

 「…ええ、もちろん、大丈夫ですよ。任せてください」


 僕は一呼吸の間悩んだ後、そう答えた。


 「よかった。えっと百合香さんとお母さんは今日の2時に駅に着くみたいなので、迎えに行ってあげてください。あ、車は学校の使ってもらっていいですから、鍵は―」

 「職員室に、ですよね?」

 「そうです。…大鳥教官」

 「はい?」


 山下先生はまるで手の掛かる教え子に言い聞かせるように


 「…こんなこと言っても真面目な大鳥教官は頑張っちゃうかもしれませんけど、適度に休息をとってリラックスするのが良い仕事をするコツですよ。人生の先輩からのアドバイスです」


 と言った。


 「はい、ありがとうございます」


 僕は少しだけ笑顔を作った。


 「それじゃ、お願いしますね」


 山下先生がほのかな香水の香りと、転校生の資料を残して準備室を去っていった。


 「はぁ………」


 僕は深く息をついて天井を見上げた。


 柴崎隊長の家族がここに来る。


 本当にこれはただの偶然なのだろうか?


 僕はどんな顔をして隊長の妹と母親に会えばいいのだろう?


 いや、そもそも会うべきではないのかもしれない。


 真実を隠したままでは、まるで騙しているようではないだろうか?


 だが、もしかすると父親から、事件の真実を聞いているという可能性も十分に考えられる。王室長の言葉ではないが、人の口に戸はたてられない。増しては家族のことだ、規則を破って話していてもおかしくはない。


 だとすれば、今日はいったいどういう目的でこの学校に来るのだろうか?


 僕を糾弾するためか、それとも当事者である僕からあの日のことを直接問いただしたいのだろうか?


 だとするならば、やり方がだいぶ回りくどい気がする………。


 コンコン


 「あ、あの~、赤森です。教官、いらっしゃいますか?」


 控えめなノックとともに、遠慮がちな声が聞こえた。


 僕は慌てて姿勢を正し


 「ああ、どうぞ」


 となるべく明るい声で返事をした。


 「失礼します………」


 星良君は準備室の扉を開けたまま、立ち尽くて動こうとしない。


 「どうしたの?」


 僕は心配になって星良君に声をかける。


 「あっ、ああ、えっと、午後の授業の準備で、何かお手伝いすることはないのかなって思いまして」

 

 そう言う星良君はなぜか少し顔が紅潮しているように見えた。


 「星良君、ちょっと」

 「えっ?あ、あぁ……」


 僕は椅子から立ち上がって星良君の傍に行くと、自分の額に左手を、そして彼女の額に右手を当てた。


 「あ、あ、あの…」

 「大丈夫?熱は…ないみたいだね」

 「えっ、あ、はい。だ、大丈夫です」

 「そうか、体調悪かったらすぐに言ってね」

 「はい」


 星良君はますます顔が赤くなっているが、もしかすると緊張すると顔が赤らんでしまうのかもしれない。よくよく考えてみれば、いくら子供だとは言え、まだ知り合って間もないのにあんな風に近づくのは少しデリカシーに欠けた行動だったかもしれない。


 「えっと、ごめんね急に、驚かせちゃったよね」

 「い、いえ、そんなことは…私の方こそありがとうございます」

 「ん?」

 「私なんかのこと心配してくださって…」


 星良君が視線を落とす。


 「そういう言い方は良くないよ、君は素敵な女の子だ」

 「す、素敵?」

 「うん。だからもっと自分に自信を持った方がいい。自身なさげな言葉を使っていると本当に自分に自信が持てなくなっていくからね」

 「はい。ありがとうございます」


 そう言って星良君がぺこりと頭を下げる。


 「なんて、偉そうなこと言っといて、これ僕の学生時代の教官の受け売りなんだけどね」


 今の僕が他人に自信を持てとか、自分を信じろなんて良く言えたもんだと、心の中で自分を嘲った。


 「えっとそれで、授業の準備だっけ?」

 「は、はい!」

 「うーん、今日は特に準備することもないかな……あっ、そうだ。今日の5限なんだけど、ちょっと用事があって途中で抜けないといけなくなったんだ」

 「何かあったんですか?」

 

 新しい転校生のことを言ってもいいか少し迷ったが、別に隠すことでもないだろうという結論に至った。


 「実は新しい転校生が来ることになったんだ」

 「本当ですか!?」

 「うん。今日はその子が学校の見学に来るって話で、山下先生もなんだか用事があるみたいで、僕がその案内をしなくちゃいけないんだ」

 「そうなんですか…ん?でもそうすると、誰が代わりに授業をするんですか?」

 「あっ、そっか…」


 確かに星良君の言う通りで、僕も山下先生もいないとなると花組の授業を受け持つ人が居なくなる。


 どうしたものか………。


 「そうだ。その転校生の子と一緒に授業をするというのはどうでしょう?」

 「一緒に?」

 「はい。きっとこの時期にわざわざ転校してくるんですから、機兵部の活動に興味津々だと思いますし、それにその方が早く友達になれるんじゃないかなって」

 「うーん…」

 「なんて、ダメ、ですよね?」

 「いや、いいんじゃないかな。そうだね、その子がそれでいいってことならそうしてみようか」


 確かにいいアイディアだと思った。


 けれど、同時に罪悪感を感じた。


 それは僕が星良君の提案に便乗して、柴崎家の人と単独で会うのが怖いため、星良君たちを利用しようとしているということに他ならなかったからだ。


 「ありがとう。星良君がそう言ってくれて助かったよ」

 「い、いえ、そんな私、大したことは…」

 「それじゃ、そう言うことで二人にも伝えといてもらえるかな?」

 「はい!」


 星良君は明るい声を残して準備室を後にした。

 

 眩しい


 それが今の僕の星良君に対する印象だ。


 彼女は素直で正しい人間なんだと思う。だから彼女と接していると自分の闇がいっそう強調させるように感じる。


 …………。


 「とにかく、なるようになる…か」


 僕はもう一度深く息をついてから、覚悟を決めた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 同日 花菱女学園 花組教室


 「へー、そうなんだ。どんな子かなー」


 私は自分の教室に戻ると、唯里ちゃんと瑠香ちゃんにさっき教官と話した、転校生のことと一緒に授業をすることを説明した。


 「なんか変な感じ」

 

 瑠香ちゃんがボソッと呟く。


 「瑠香ちゃん、どうかしたんですか?」

 「んー?まあ、今まで三人だったのに、転科だとか転校だとか結構急っていうか」

 「うーん。でも仲間が増えるのはいいことだよ?」

 「別に増えるのが悪いって話じゃなくて、これまで、全然人集め真面目にやってなったくせに、今になって随分と頑張ってるって、ま、そんな話」

 

 確かに、これまで学園側は生徒を探すと言っても、具体的に動いている感じはなった。もちろん、学内掲示板で転科の募集などはしていたが、別にそれを大々的に宣伝したりはしていなかった。


 「でもでも、それは教官が来て頑張ってくれてるからじゃないかな?」


 と唯里ちゃんが言う。


 「それもそうですね、勧誘とか頑張ってましたし」


 教官が来てから私たちの周りが動き始めたというのは本当だと思う。


 「そういうことじゃなくてさ………まあ、いいんだけど」


 そう言って瑠香ちゃんは窓の外に目線を背けてしまった。 

 

 私たちが入学したての頃、当初は5人だった花組も病気の子と妊娠していた子が早々に退学してしまって、それからひと月は私と唯里ちゃん、瑠香ちゃんの三人だけの花組だった。


 それがここにきて、急激に変わろうとしている。


 瑠香ちゃんはそう言う雰囲気に心のどこかでちょっと不安に感じているのかもしれない。意外と、と言ったら失礼だろうけど、瑠香ちゃんは結構繊細な人なんだと思う。


 「あ、あの、瑠香ちゃん」

 「ん?」

 

 瑠香ちゃんは少し冷たい感じの反応をする。


 一瞬その反応で、気後れしそうになるがこれは別に瑠香ちゃんに悪意があるとかじゃなくて、瑠香ちゃんにとってはこれが自然体なんだと一応は理解していたため、ここは引き下がってしまいそうな自分をぐっと堪えた。


 「きっと、大丈夫です。教官なら何とかしてくれますよ。きっとなにがあっても」

 「……えらく、信頼してるんだ」

 「えっ?」

 「星良って、ああいうのタイプなんだ」

 「タ、タイプ?ち、違うくて、タイプ、タイプじゃないかと言えば、タイプかもしれないけど……今のはそう言うことじゃなくて、教官は一生懸命で優しくてかっこよくて、それでいい人で………」


 いい人


 私は自分でそう言いながら、疑問に思ってしまった。


 だってさっき私は感じてしまったのだ。


 教官の心の中で、黒い何かが蠢いているのを…あれはとても善なるものとは言えないと思った。


 「…どうしたの?急に黙り込んで」

 

 瑠香ちゃんが少し心配そうにして私の顔を覗き込んでいた。


 「あ、ううん。なんでもないよ。ああ、もうこんな時間。授業の準備しないとだね」

 「うん…」


 瑠香ちゃんは表情には出さないが、心の中で薄い靄が出ているのが見える。私の様子がそんなにおかしかったのか、結構不審がっているようだったが、私はわざと気付かないふりをして自分の席に着いた。


 (瑠璃ちゃんって結構鋭いところがあるよね)


 こんなことを言うと頭のおかしな子だと思われるので、秘密にしてきたことがある。


 私はに人の心が見える


 いつのころからはわからない。だけど時折見えてしまうときがある。怒っているときは赤く燃え盛る炎、哀しいときは凍えてしまうような雪原、楽しいときは燦々と輝く太陽が見た人の胸の中に見える。


 それに見えるのは、そういった抽象的な感情だけではない


 心の声が見える時もある、というとおかしな表現になるが、そう感じるのだから、そう言わざるをえないのだけれど、その人が考えていることが目で見てわかってしまうことがまれにある。


 教官と初めて駅で会った時も、教官が『大人として、軍人として、教官としてしっかりしないと』と心の中で思っているのが見えたから、すぐに新しく来る教官なんだって気付くことができた。


 人の心がいつも見える、と言うわけではないし自分で見たいと思った時に見えるわけではない。もしかしたら私の勝手な妄想だという可能性も十分あるが、直接確認したことは少ないけれど、それでもいままで間違っていたことは一度もなかった。


 幼い頃の私は心が見えるのが普通だと思っていた。周りの人にそのことを話しても、子供の言うことだとして本気にはして貰えなかったし、小学校の高学年になるころには自分でもそれはおかしなことなんだと気付いて、誰にも言わなくなった。


 さっき、教官準備室を訪ねた時、ほんの一種だけだが確かに教官の中に黒く恐ろしい魔物を見た。


 あの魔物は普段の優しくて、物腰の柔らかい教官には似つかわしくない、とても恐ろしくて、禍々しいものだった。


 だけど、いや、だからこそ私はもっと知りたくなってしまったのだ


 教官の心の中に眠る魔物が一体何なのか?


 知りたい


 触れてみたい


 「……ふふ」


 私はこの行き詰った世界でまた一つ楽しみを見つけてしまった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 同日 第二特別区駅 駅前ロータリー


 「そろそろか」


 僕は腕時計を見て時間を確認すると、学園所有のセダンタイプの高級車から降り駅の正面口の前まで移動した。


 すると定刻通り、本土とこの鎌倉出島をつなぐ連絡橋を渡って電車が駅へ入ってきた。


 「ふぅ」


 これからのことを考えると胃がキリキリする。


 覚悟は決めてきたつもりだが、どうしてもいやな想像ばかりをしてしまって気が重くなる。


 そうして冷や汗を流していると、駅の正面口から他の乗客とは明らかに異質な雰囲気の二人が見えた。


 一人は若草色のブレザーにチェック柄のスカートを履いたいかにも清楚そうな女の子。そしてその隣に立つのは菫色の着物を着た美しい妙齢の女性だ。


 僕は静かに深呼吸をすると、その二人近づいていった。


 「こんにちは、あの、失礼ですが柴崎さん、ですか?」

 「はい」

 

 妙齢の女性が応える。


 「あの、自分は花菱女学園で軍務教官を務めさせてもらっている大鳥一郎です。今日は山下先生から頼まれて、お二人のご案内をさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」 

 「はい、伺っております。こちらこそ宜しくお願い致しますね。あっ、自己紹介がまだでしたね、私はこの子の母親の柴崎牡丹です。ほら、あなたもご挨拶して」


 妙齢の女性がそう言うと隣にいた女の子が、一度ゆっくりと上品なお辞儀をする。


 「わたくし、柴崎百合香と申します。今日はお忙しいところ、わたくしのためにお時間をいただき誠にありがとうございます。わたくしずっと重装機兵になるのが憧れでして、今日見学させていただけると聞いてとっても楽しみにしておりました。ご迷惑をお掛けしますが、どうか宜しくお願い致します」

 「はい。えっと、それではさっそく学園に向かいましょうか、車はこちらです」


 僕はそう言って足早に二人を車に案内して、学園に向かう。


 最初の反応としては悪いものではなかった。僕の顔を見ても、名前を言っても特に反応がないということはあの事件の真相を知らいないということなのかもしれない。


 時貞予備役大将もいくら家族のことだと言っても、軍の最重要機密は言えなかったのかもしれない。


 でも、それならせれで、僕がこの二人の前で善人ぶっているっていうのはまるで、だましているみたいで心苦しいものがある。


 だからと言って、僕から真実を話すわけにもいかない、と思う。


 機密の漏洩とかそう言うのを別にしても、僕があなた達の家族を殺しましたと言ったところで、誰が得をするというのか。それはただ自分がこの心苦しさから逃げたいだけじゃないのか…。


 だけど、いつか百合香君が真実を知ったとき、今日のことを、これから教官として接していくことを、どう思うのだろう、と考えるだけで背筋に冷たいものが流れる。


 「あの、大鳥教官?」

 

 百合香君が後部座席から話しかけてくる。


 「はい、なんでしょう?」

 「今日の見学では、部の活動も見せていただけるんですか?」

 「ええ、もちろん」


 僕はそう答えたところで、星良君との会話を思い出した。


 「ああ、そうだ、一つ考えてることがありまして、もしよかったらちょっとだけ部の活動に参加してみませんか?」

 「えっ、よろしいんですか?」

 「ええ、きっとその方が今の部員とも早く打ち解けられるじゃないかなって。放課後にには重装機の操縦訓練もやる予定なので、時間があればぜひどうかなと」

 「本当ですか!?ねぇ、お母さま、宜しいですよね?」

 「ええ」


 ふとバックミラーを見ると百合香君は心の底から嬉しそうだった。


 僕は静かに胸を撫でおろした。


 ~十数分後~

 

 学園に到着し、校舎やその他の施設を説明を案内板の前で簡単に済ませると、さっそく花組の教室へ向かった。


 「緊張しなくていいよ。みんないい子たちだから」


 僕は教室の前で少し肩に力が入っていた百合香君にそう言った。


 「はい」


 思えばほんの2日前に山下先生から同じセリフを言われたばかりだというのに、この二日いろいろとあって、もうずっと前ののことのようにも感じた。


 「それじゃ、僕が先に入るから呼んだら入ってきて」

 「はい」


 僕が百合香君を待たせたまま教室に入ると、教室には部員の3人と、山下先生それともう一人、見慣れない白いセーラー服を着た三つ編み二つおさげの子がいた。


 「あ、大鳥教官お待ちしておりました。こちら以前話していた転校生の黒沢レインさんです」


 山下先生に促されるようにして、白いセーラー服の女の子が僕の前まで歩み出る。近くで見ると、瞳は宝石のようなきれいな緑色をしていて、目鼻立ちもどこか日本人とは違って見えた。


 「私、黒沢レインと言います。本日をもって代々木大学付属高等学校からここ花菱女学園へ転校となりました。重装機兵部として一年間、代々木で訓練は受けてきましたが、こちらでは先輩ぶることなく新兵のような気持で頑張っていきたいと思いますのでどうかよろしくお願いしたします」

 「あ、ああ、えっと、僕は教官をさせてもらってる大鳥一郎です。こちらこそよろしくね」

 「はい、よろしくお願いいたします」


 いきなりのことで面食らってしまったが、そう言えば今日あたり転校生が来るという話を聞いていたような気がする。


 「大鳥教官ごめんなさい。本当は今日の朝から来てもらう予定だったんですけど、私の不手際で連絡が上手くいってなくて、こんな時間になっちゃいました」

 「ああ、そうだったんですね」


 転校生が来ることなどすっかり忘れていたとは言えない。


 「それじゃ、えっと」

 「あ、あの、大鳥教官」

 

 レイン君が目を輝かせながら一歩前に出る。


 「な、なにかな?」

 「大鳥教官って、あの大鳥選手ですよね」

 「せ、選手って」

 「平征二十二年大会の時、富士山麓での中陸対代々木大付属との決勝戦、私見に行ったんです!」

 「ああ、高校戦技大会の時の」

 

 全国高校戦技大会は、その名の通り全国の高校生が普段の部活動で磨き上げた心・技・体を競いあうもので、銃剣道や射撃といったものから、数学、登山、陣地構築等々多岐にわたり、重装機兵戦技大会もそう言ったものの一つだ。


 重装機兵戦技大会はその見た目の派手さからも特に人気のある競技で、人気度では高校野球にも引けを取らない、と言いたいところだが去年からの廃人化報道のせいで、その人気に陰りが出たことは否めない。


 実際こうして、部員集めに苦労していることからもそのことが伺い知れる。


 「私、感動したんです。あのコンビネーション、圧倒的でしたよね。それで重装機兵に憧れて…、陸軍学校には落ちちゃいましたけど…けどこうして機兵部に入れて、憧れだった大鳥選手が教官を務める学校に入れるなんて…私、運命感じちゃいました」

 「う、運命…?」

 「はい!あ、あの、握手してもらってもいいですか!?」

 「ああ、まあ」


 僕はそう言って右手を差し出すと、レイン君は両手でギュッと僕の手を握った。


 「本当に感激です。私これだけで、この学校に来た甲斐がありました」

 「お、大げさだな」


 なんだか周りの視線が少し痛い。


 それに何か重要なことを忘れている気がする…。


 「あの~、教官?そろそろ宜しいでしょうか?」

 「えっ?」


 声のした方を振り返ると、少しだけ開いた扉から百合奈君が顔を覗かせていた。


 「ああ、そうだった。えっと、今日はもう一人転校生を紹介します。百合奈君入ってきて」


 僕が慌てて紹介すると、百合奈君は凛とした立ち振る舞いで、優雅且つ上品な足取りで教卓の横に立った。


 「みなさま初めまして。わたくし、桜陽院からここ花菱女学園に転校となります柴崎百合奈と申します。なにぶん初めてのことも多く、皆様のご指導ご鞭撻を賜ることも多くなると思いますが、そこは同じ屋根の下、ともに精進する者として共に手を取り合っていけたらと思っております。どうかこれから宜しくお願い致しますね」


 ……パチパチパチ


 みんな余りに自分たちとは異質な雰囲気を放つ百合奈君に呆気に取られているようだった。


 「えっと…じゃあ」

 「いつまで手つないでんの」

 「あっ、ごめんね」


 瑠香君からの指摘で、僕はようやくレイン君から手を離した。


 「それじゃ、先生今日はさっそく、重装機の操縦訓練と行きましょうか」

 「え、ええ、いいですけど…」

 「実はもう準備してもらっているんです。黒沢さんと柴崎さんもやっていくでしょ」

 「「はい」」

 「よし、それじゃ、この子たちについて行ってね。あと今日から本格的に行くから体操服じゃなくて、操縦服着てね、部室に一杯あるから自分に合うの探してね。黒沢さん、みんなの着替え手伝ってあげて」

 「はい」


 山下先生はそう言って生徒たちを部室へと向かわせる。僕もそれに続い更衣室に行ってスーツからジャージにでも着替えようと思っていると、山下先生に引き留められた。


 「すみませんね。いろいろと急な話ばかりで」

 「ああ、いえ、それは別に」

 「実はさっき学園長から聞いたんですけど」


 なんとなく嫌な予感がする。


 「一応、機兵部ってひと月で行進できるようになって、それを軍のお偉いさんに見てもらって正式に軍籍に入るわけじゃないですか」

 「え、ああ、そうですね…」


 僕も機兵部員だったが、軍学校と言う特殊な環境にいたため、高校入学とともに二等兵としての軍籍が与えられたし、一か月どころか最初の一週間で重装機による行進ができるよう、散々叩き込まれたので、他の一般校がどうしているのか今ひとつわかっていない。


 「私も、軍に入ってから機兵になったので、知らなかったんですけど学園長が言うにはこの教育隊隊長の視察がその任官式を兼ねるみたいなんです」

 「えっ!本当ですか?」

 「はい、だからその行進と整列、あと敬礼の三つはできるようになっとかないと…それに柴崎さんも一応転校手続的には明日からうちの生徒となるので…」

 「そんな、百合奈君はもちろんですけど、他の子だって昨日が初めて乗った子ばかりですよ」

 「すみません。私もそのあたりのことよく確認していなくて」

 「ああ、いえ、山下先生が謝ることじゃ…」


 この件に関しては僕も悪い。


 任官式と言うものがあることはわかっていたが、勝手な思い込みで、こちらの訓練の進捗状況次第で、教育隊に申し出るものだと勝手に思い込んでいた。


 「今更延期なんてできませんよね」

 「難しいでしょうね」

 「僕が怒られるのはいいですけど…あの子たちに恥をかかせたくはないですね」

 「そうですね」

 

 責任は誰にあると言えば、教官である僕にある。だけど、実際に行進も整列も敬礼もできなくて恥をかくのは僕だけじゃなくて、彼女たちも同じ思いをすることだろう。そんな惨めな思いだけはさせたくはなかった。


 「わかりました。僕の方から生徒たちには説明します。山下先生は学園長に言って、明日丸一日訓練の時間に当ててもらえるようにするのと、凛君と未沙君が花組の訓練に参加できるようにして下さい」

 「わかりました」


 そして僕と山下先生が教室を出ると、牡丹さんが待っていた。


 「すみません。お待たせしてしまって、訓練を行う第二校庭まで案内いたします」

 「はい」


 そうして、僕は着替える間もなく牡丹さんと二人、玄関を出て第二校庭まで歩いて向かった。


 「大鳥教官は以前はどこの部隊にいらしたんですか?」

 

 ゆっくりと歩いていうるうちに牡丹さんが急にそんなことを訪ねてきた。


 僕の鼓動が少し速まる。


 「ここに来る前は、高校を出てから横浜の第五空挺師団にいたのですが、怪我で機兵を続けられなくなって、それから今年の4月までは陸軍省の軍需課にいました」

 「そう」


 額から嫌な汗が噴き出る。


 「まあ、そういうことになってるっていうのはわかります。あんな事件、とても公表できませんものねぇ」


 僕は完全に足を止めた。


 「…どこまで、知っているんですか?」 

 「うーん、実際現場にいた人よりは詳しくないけれど、大抵のことはわかっていますよ。金属虫なんて本当は出てこなかったことも、憲兵隊が市民に銃を向けたことも、そして瑠璃さんがどうして死んだのかも…」


 僕は怖くて牡丹さんの顔が見れなった。


 「そこまで知っていてどうして」

 「ふふ、勘違いしないでください。娘はともかく私は瑠璃さんに対して、特別な感情はありませんから」

 「それは、どういう…」

 「私は後妻なんです。百合奈は私の子ですが、瑠璃さんは亡くなった前妻の子なんです」


 牡丹さんは立ち止まる僕の前に出る。


 「結婚当初は私も母親と思って貰えるよういろいろと努力してましたが、百合奈を生んでからはそう言うこともしなくなって、瑠璃さんもほとんど家には寄り付かなくなりましたから、ほとんど他人みたいなものです。百合奈は自慢の姉だと言って憧れていましたが」

 「柴崎隊長は僕が…」

 「自殺ですよ」

 「でも」

 「こういうことを言うとひどい人間だと思うかもしれませんが、瑠璃さんは死んで当然の人間でした」


 牡丹さんはそうはっきりと告げる。


 「テレビでは剣聖だとか貴公子だとかもてはやされていましたけど、あの人の正体は殺人鬼です。テロリストと称して殺害した市民の数は100や200程度ではありません。時貞がその事実を自身の立場を利用し握りつぶしていたのも知っています」

 「それは…」


 確かにそれは牡丹さんの言う通りで、公表されていないだけで、憲兵隊が樺太だけではなくフィリピンでも大規模な虐殺を行った形跡があり、それを指揮したと思われる人物の一人として柴崎隊長の名前が挙がっていた。


 「瑠璃さんがどうしてああなってしまったのかと言うこともわかってはいるのです。幼い頃、親同伴の遠足で乗っていたバスをテロリストに占拠されて、友達も親も殺されていき、それで結局最後に生き残ったのは瑠璃さんだけ。その事件でテロリストに対して並々ならぬ憎しみを持っていたようです。もちろんそのこと自体は可哀そうだと思いますが、だからと言って彼女のやったことは外道と言わざるをえません」

 「…親が死んで…そうか」

 「どうしました?」

 「いえ、少し納得がいっただけです。それより、あなたは他人と思っていたとしても、百合奈君は姉のことを尊敬していたのでしょう?そんな子をどうして僕のいる学校に…?」

 

 牡丹さんは思わず見とれてしまいそうな微笑みを浮かべる。


 「当然じゃありませんか。私は百合奈のことは命より大切ですが、同時に私がそうできなかった分、あの子には生きたいように生きて欲しいとも思っています。時貞の反対で、なかなか上手くはいきませんでしたが、あの人と離れてやっと百合奈も自由に自分の人生を選ぶことができるようになりました。瑠璃さんのことは好きではありませんでしたが、その実力は本物だと思っています。そして、それを倒したあなたこそきっと最も強い重装機兵なのでしょう。戦場で生き残る強さを身に着けるためには、あなたのような強い者の教えを受けるのが一番ではありませんか?」


 そう語る牡丹さんの顔は紛れもない娘を思う母親の顔だった。


 「…わかりました。百合奈君は自分が責任をもって訓練をさせていただきます」


 僕はそう言って頭を下げた。


 「ふふ、でも今日あなたに会えてよかった」

 「ん?」

 「あなたのような人なら安心して、娘を任せられます」

 「…そう言っていただけると…嬉しいです」

 

 そう言って、再び僕は歩き出した。


 牡丹さん事実をどこで知ったかは知らない。けれど、恨まれているわけではなかった。それは、良かったと言えば良かったことなのかもしれないが、どうしても素直に喜べないし、喜ぶべきことでもないと思う。


 結局百合奈君は事実を知らないままだし、知れば僕を恨むだろうということは変わらない。だから、これから彼女を騙して真実を隠さなければならないと言うことは、心苦しい。しかし、その苦しさを受け入れることも一つ、僕の責任なのかもしれない。


 そして、もう一つ心の中で引かかっているというか、寧ろ引っ掛かりが解けたことがあった。


 柴崎隊長の生い立ちを聞いた時思ったのだ


 『お前は私に似ている』


 最期の時、柴崎隊長にそう言われた。


 柴崎隊長も幼いころに大切な人を亡くしていた。


 僕もそうだった、シンガポールが堕ちた時、一人逃げ遅れた僕のために父親が、多くの大人が、軍人が命を落とした。だからそんな悲劇を繰り返したくない。助けてもらった分、今度は僕が誰かを助けなければならないと思っていた。


 それなのに僕は…


 柴崎隊長の言った通り、楽しんでいたのか僕は、


 柴崎隊長と同じような経験をした僕は、柴崎隊長と同じくどこかで狂ってしまっていて、牡丹さんが言う『死んで当然の人間』、僕もまたそういう人間になっているのかもしれないと思うと、暗澹たる気持ちになる。


 「やあ、大鳥君、もう準備は出来ていますよ」


 第二校庭に到着するとそこにはすでに4機の訓練機が並べられていた。


 「ありがとうございます。佐藤さん」

 「どういたしまして。こうしてお手伝いできるのも今日までかもしれませんから」

 「何かあったんですか?」

 「いや、研究機材が明日の朝に到着する予定でして、しばらくは機材の調整とかそう言ったので時間がとられそうなんです」

 「そうなんですか…」


 明日の訓練も佐藤さんに手伝ってもらおうと思っていたのだが、そうそううまく話は進まないらしい。


 僕は牡丹さんを部室に階の見学室に案内してから、訓練機の前で待つ生徒たちの元へ向かった。


 「みんな準備はいいかな」

 「「「「「はい!」」」」」


 経験者のレイン君は流石に操縦服姿が様になっていたが、初めて操縦服を着たであろう4人は体のラインがもろに出てしまう操縦服のデザインに少し恥ずかしがっているようだった。


 「実はみんなに話さないといけないことがあるんだ」


 僕はそう切り出すと、明後日の視察の時に任官式が行われることを説明した。


 「本当にすまない。もっと早くこのことは把握しておくべきだった。僕のミスだ」


 そう言って頭を下げる。


 「そ、そんな頭を上げてください」


 星良君がそう言ってくれるが、僕としては申し訳ない気持ちでいっぱいで、とてもみんなの顔を見れなかった。


 「本当にごめん」

 「はぁ……もいいよ。わかったから、そんな風に教官が生徒に頭下げたらかっこ付かないでしょ」 

 「でも」

 「しつこい。そんなことしてる暇あったら、さっさと訓練した方がいいでしょ。明後日までに間に合わせないといけないんだし」


 僕は瑠香君に肩を優しく押されて、頭を上げた。


 「ほら、早く始めてよ。時間、ないんでしょ」

 「瑠香君…」

 「そうでありますよ、教官殿。私も早く操縦したです」

 「はい、みんなで頑張りましょう」

 「ぜひ、わたくしもしっかりとできるように頑張りますわ」 


 みんな不平不満を言うことなく、やる気に満ちていた。


 「みんな…ありがとう」


 そう言うわけで、今日来たばかりの転校生も交えて重装機の基礎訓練が始まった。


 僕は全くの初心者である百合奈君に付きっきりで、他の3人は佐藤さんとレイン君に面倒を見てもらうことになった。


 「そうそう。飲み込みが早いね」

 「本当ですか?」

 「ああ、初心者でここまでできれば満点だよ。軍学校の生徒でもここまでできるようになるのに、一週間はかかるよ」


 これはお世辞ではなく素直な感想だった。 


 百合奈君は最初こそ初心者と言った感じで緊張していたが、こちらの説明をよく聞き、すぐに理解してくれて、訓練開始から1時間が経過する頃には、基本的な歩行や方向転換等は問題なくこなせるようになっただけでなく、腕の操作の方もすぐに慣れて、敬礼だけなら部員の誰より上手くできていた。


 しかし、これだけならば少なからずできてしまう人はいる。


 重装機を動かすだけならばそう難しいことではない、確かに憑依操縦装置の感覚を掴むまで時間が掛かることはあるが、歩くのはペダルを踏むだけで、バランスをとったりするのは人工知能の方で勝手にやってくれる。


 本当に難しいのはここからだ。


 「今日のところはここまでできれば十分だよ」

 「はい…でも良かったです」

 

 百合奈君が少し悲しい目をする。


 「わたくし、ずっとお姉さまに憧れていて、いつか強い重装機兵になってお姉さまと肩を並べて戦うことがわたくしの夢だったのです。…お姉さまはもう遠くへ行ってしまいましたけれど、こうして重装機兵としての第一歩を踏み出すことができて…って、あれ、すみません」


 百合奈君は不意に溢れた涙に自分でも驚いているみたいだった。僕は黙ってハンカチを手渡した。ここで気の利いた言葉なんて言えなかった。いや、そもそも僕が言うべきことじゃないと思った。


 「ありがとうございます。もう、散々涙は流した後なんですけど、今でも油断すると、どうしてもだめで…」


 そう無理に笑顔を作って言う姿は痛々しく見えて、僕の心を抉った。


 「百合奈君、僕は―」


 「おっつかれさまでーすっ」


 僕が何かを言いかけた時、下の方から大きな声が聞こえた。


 「凛君、美沙君来てくれたんだね」

 「はい、これからバリバリ頑張りますよ」


 凛君は元気いっぱい、美沙君は逆にあくびをしていていま一つやる気がなさそうだった。


 「じゃ、百合奈君、ここで一旦休憩にしようか。二人のこと紹介するよ」

 「はい」


 僕らは一度訓練を中断して部室に集まった。さっき僕が百合奈君に何を言おうとしたのか、自分でもわからない。


 深くは考えないことにした。


 凛君と美沙君にもみんなと同じく操縦服に着替えてもらったが。よく凛君に着れるサイズがあったなと、ひそかに驚いた。


 「それで、誰さんなの?」

 

 美沙君が尋ねる。


 「この二人は転校生で、」

 「代々木大付属から転校してきました黒沢レインです」

 「桜陽院から転校してまいりました柴崎百合奈と申します」

 「「よろしくお願い致します」」


 美沙君は二人の顔をまるで品定めでもするかのように見た後、急に笑顔になって―


 「私は白藤美沙、これからよろしくね」

 

 と明るく言った。


 どうも美沙君は捉えどころがないというか、何を考えているのかよくわからないところがある。


 「えっと、私は緑川凛っていいまーす。よろしくッ」


 それに比べて、凛君はいかにも裏表のない子って言う感じで、この正反対の二人が仲いいというのも、それはアンバランスなようで、それはそれでむしろバランスが取れているのかもしれない。


 「それじゃ、みんな揃ったところで―」

 「って言うかこの服エロくない?」


 突然美沙君がそんなことを言い出した。


 「これは、狭い操縦席で邪魔にならないように―」

 「だって、体のラインもろに出ちゃってるし、凛と唯里さんの胸ともうパンパンでえらいことに…いや、エロいことになってるし」

 

 確かに美沙君の言う通り、操縦服の見た目は、言ってしまえば少々厚めの全身タイツをみたいなもので、もちろんこれは簡易的な強化スーツであり、炭素繊維人工筋肉によるパワーアシスト機能のある、大変高価な代物で、決してエロいとか、そういう下心をもった目で見てはいけないのだ。


 …………。


 そう言えば、僕が高校生の頃、先輩の操縦服姿見たさに多くの男子生徒が用もないのに重装機訓練場に来てたなぁ。まだ若かった僕は、遠くから眺めるしかない男子たちに対して、ちょっとだけ優越感を覚えていた…。


 …今となってはどれもこれも懐かしい思い出だ。


 「ちょっと、なに遠い目してんの?」

 「ああ、ごめんごめん。ちょっと、昔のことをね」

 「嘘、どうせ私たちのエロい姿見て、エロい妄想してたんでしょ?やらしーいんだ」

 「ち、違います」

 「えー、ちょっと赤くなってる。じゃあ、凛のこの大きく実ったおっぱいみてもちっともエッチな気分にならないんだぁ」

 「もー美沙ちゃんはずかしいよぉ」


 そう言って身をよじる凛君の胸を美沙君がこれ見よがしに揉みしだく。


 「エッチな気分になんてなりません」

 「ほんとかなぁ~」

 「そ、そうですよ。教官がエッチな気分になるわけないじゃないですか。ね、教官?」


 レイン君が押され気味の僕を庇ってくれた。が、少しその信頼が重い。


 「そうだね」


 とりあえず無理に作った笑顔でそう返した。


 「と、とにかく、えっと…」


 美沙君が余計なことを言い出したせいで、何を言おうとしたか忘れてしまった。


 「明後日の任官式まで、みんなで力を合わせて頑張ろう、ってことですよね」

 「ああ、そうそう」


 星良君が僕が言おうとしていことを的確に言ってくれた。この子はおどおどしているようで、なかなかの切れ者だと僕は感じている。


 「任官式って?」

 

 凛君が首を傾げる。


 「そう言えば、二人にはまだ説明してなかったね」


 僕は改めて、凛君と美沙君に明後日の視察の時に合わせて任官式が行われるということを説明した。


 「それは無理でしょ、時間的に」


 美沙君がそう切り捨てる。


 「でも、やらなきゃダメだし、やるしかないよ」


 凛君は変わらず前向きだった。


 「そうは言ってもさ、そもそも重装機に乗ったのだって、代々木でやってたレイン先輩を除けばみんなほとんど初心者みたいなもんでしょ」

 「じゃ、白藤は休んでれば」

 

 瑠香君が静かにそう言い放つ。


 「へー。そういうこと言うんだ」


 美沙君が瑠香君の方へ歩み寄る。


 「自信もやる気もないなら、おとなしく休んでればいいんじゃない?」

 「なにいってんの?正直言って、私より上手く操縦できる人なんて、この部にいないでしょ。休んでた方がいいのはあんたらの方なんじゃない?どうせ恥かいちゃうだけだろうし」


 美沙君が挑発するようにそう言い放つ。


 「勝手に動かして、迷惑かけて、それで調子乗るなんておかしいんじゃないのあんた」

 「なに、やるき?」


 僕は少しの間、二人のあまりの剣幕にどうしていいかわからなかったが、ようやく僕が教官としてやるべきことを思い出した。


 「ちょっと、二人ともそこまで、喧嘩するようなことじゃないだろ」


 僕は今にも掴み合いになりそうだった二人の間に割って入る。


 「別に喧嘩なんてする気ないし、あっちから突っかかってきたんですけど」


 美沙君がそっぽを向きながらそう言う。


 「それはあんたが、うじうじ文句ばっかり言ってるからでしょ」


 瑠香君もそれに負けじと言い放つ。


 「とにかく二人とも一旦落ち着こう」

 「そうですわ。今は同じ仲間で言い争っている場合ではありません。皆で協力することが任官式の成功につながるのです」


 百合奈君がよく通る声で二人に力強く訴えかける。


 「………今日は帰る」

 「ちょっと待って」


 引き留めようとする僕の手をすり抜けて、美沙君は更衣室に入っていった。


 「…呼んできましょうか?」


 少しの沈黙の後、レイン君が僕の方を心配そうに見つめながらそう言う。


 「………」

 「大丈夫ですよ。このまま訓練しましょう」


 僕が何も答えられずにいると、凛君がそう元気な声で言った。


 「美沙ちゃんなら大丈夫です。きっと、明日の訓練には参加してくれるから」

 「でも…」

 「美沙ちゃんああ見えて、負けず嫌いで熱いところもあるんです。今日私たちが一生懸命訓練して上達したら、未沙ちゃんも黙ってられなくなりますって」


 そう言う凛君の笑顔は、美沙君に対する信頼と深い友情が感じられた。


 「そうか。よしっ、それじゃ、みんな訓練再開だ。今日中に敬礼と歩行は完璧にするぞ」

 「「「「「はい」」」」」


 僕は教官としての力不足を痛感しつつも、凛君の言葉を信じて、今はできることをやらねばと、そう思った。


 ~3時間後~


 太陽が海に沈み、あたりはもうすっかり真っ暗になってしまっていた。


 僕は待たせてしまっていた牡丹さんに謝罪しつつ、駅まで車で送った。


 百合奈君は今日から星良君たちと同じ寮に入るらしく、帰りは牡丹さん一人だった。


 「本日はせっかく見学に来ていただいたのに、碌に案内もせずに本当に申し訳ございませんでした」

 「いえ、百合奈があんなに活き活きとしているのを見たのは初めてかもしれません、こちらこそお礼申し上げますわ」

 

 そう言って牡丹さんは上品にお辞儀をする。


 「それでは大鳥教官、明日から娘をよろしくお願いいたしますね」

 「はい。責任をもって一人前の重装機兵にしてみせます」

 「うふふ。それでは」


 牡丹さんは奇麗な笑みを浮かべつつ、駅の改札に向かって行った。が、何か思い出したのか途中で立ち止まり、振り返った。


 「貴方なら娘に手を出しても構いませんが…責任はとってくださいね。さもないと、容赦しませんよ」

 

 最後に怖いことを言い残して牡丹さんは帰っていった。


 「…いやいや、手を出してもいいって、母親の言うことじゃ…って言うかそもそも、手出さないし」


 そう、僕は学生を女性としてなんて見ない。


 にしても、美沙君の言う通り流石に唯里君と凛君は目のやり場に困るので、明日からは全員重装機に乗ってない時でも、安全ベストを着用するように言ってみよう、と思った。


 学校へ戻ると、校門のところになぜか瑠香君がいた。


 「どうしたの?」


 僕は車を止めて窓を開けると、声を掛けた。


 「待ってた」

 「えっ?」

 

 瑠香君はゆっくりと僕の乗る車の方へ近づき、そして頭を下げた。


 「ごめん。今日はちょっと頭に血が上った」

 

 一瞬なんのことかわからなかったが、どうやら美沙君との言い争いのことを言っているようだった。

 

 「いいよ。むしろ僕の方こそ悪かった。キミが言う前に僕がもっと上手く美沙君に説明できていれば良かったよね。だから、瑠香君が謝ることなんて何にもないよ」

 「…うん」


 瑠香君は少しばつの悪そうな感じで頷いた。


 「そうだ、せっかくだし駅まで送ってくよ」

 「いいよ、歩いてすぐだし」

 「いいって、もう暗いしさ」

 「そう、ならお願いしようかな」


 瑠香君は遠慮がちに助手席に座った。


 「ねぇ、さっきの話だけどさ」


 瑠香君が駅までの道の最後の交差点で、赤信号待ちをしているときに口を開いた。

 

 「私、悪いことしなって思ってるけど…それはあんたとかみんな対してで、白藤にはまだ怒ってるから」

 「どうして?」

 「わかんない。いつもなら嫌な奴がいたって、こんなに気になることなんてないのに、白藤はホントにダメだ」

 「そっか」


 僕にはそう言う心の機微はわからないが、世の中どうしても相性の悪い人間はいる。僕にも学生時代にそう言う奴がいて、僕の方はそうでもなかったのだが相手からしたら僕のやる事なす事全て気に食わなかったようだった。


 「無理に仲良くしろなんて言わないけどさ、友達になれなくたって仲間にはなれるし、そうならないといけないだ。特に軍にいればいろんな人がいて、どんな嫌な奴がいたって、戦場ではそいつに背中を任して、こっちはそいつの背中を守らないといけない」

 「そうだよね。じゃ、これも訓練ってことか」

 「そう、前向きに考えられればいいんじゃないかな。ま、仲良くなれるのが一番だけど。まだ、同じ部員になってほんの少ししか経ってないしね、これからお互いを知る機会がもっと増えるだろうから、本当に嫌いになるのはそれからでもいいんじゃないかな」

 「うん」


 僕の拙い言葉に素直にうなずいてくれる。やっぱり瑠香君は優しい子だなと感じた。ああは言っていたけれど、きっと本気で美沙君のことを嫌いになったりなんてしないだろう。

 

 「瑠香君」

 「ん?」


 僕は駅に到着し、車から降りて改札に向かおうとする瑠香君に声を掛けた。


 「僕は今の瑠香君がとっても素敵だと思う」

 「はっ、何言って―」

 「だから、今のまま優しいキミでいてよ。そうすればきっと美沙君とも上手くやっていけるさ」

 「もう、恥ずかしいこと言わないでよ」


 瑠香君は顔を真っ赤にして、僕の目の前まで詰め寄る。


 「わかった。あんたがそう言うならそうするけど…」

 「けど?」

 「…仲良くできたら、ちゃんと褒めてよね」

 「…ああ。ちゃんと褒めるし、ご褒美だって出すよ」

 「約束したからね」

 「うん。約束だ」


 僕は軽く瑠香君の頭を撫でる。


 「…子供扱いしすぎ」

 「まだ子供だろ?」

 

 瑠香君は可愛らしく僕を睨んだ後、僕の手を払ってそのまま駅へと走っていった。


 「また明日」

 

 僕が走り去る背中に向かってそう言うと。瑠香君は振り向かずに手だけ振って改札の向こう側へ行ってしまった。


 「僕も帰るか」


 今日はいろいろとあって、昔のことを思い出して暗くなったり、二人も転校生が来たり、訓練で忙しかったり、瑠香君と美沙君が喧嘩したりしたけど、とにかく今はこれからのために頑張ろう。


 過去は消せないけど、少しの間忘れることはできる。それが逃げだというのはわかっているが、弱くて愚かな僕には、そうすることでしか彼女たちの未来を担う教官と言う役目を全うできないと悟った。

 

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