第六話

平征29年5月11日


 「流石ですね、大島教官」

 「えっ?」


 昼休みに僕に特別に与えられた12畳ほど広さの準備室で午後の授業の用意をしていた時、山下先生が尋ねてきて開口一番そんなことを言ってきた。


 「今朝二人やってきましたよ」

 「ん?ああ、凛君と未彩君ですか?」

 「そうです。二人とも昨日の訓練見学したのでしょう?大鳥教官って見かけによらず若い子の扱い慣れてるんですね」

 「いえ、そんなことは」


 山下先生の悪戯っぽい物言いに僕は苦笑で返した。


 「まあ、転科届は受理されるだろうけど、すぐにとはいかないかもしれません。いろいろ学園長の方で融通は効かせてもらえると思うけれど…まあ、しばらくの間は放課後の活動だけ参加してもらうことになると思います」


 とにかく、凛君と未彩君は無事重装機兵部に入ってくれそうでよかった。昨日、すぐに親から許可を貰っていた凛君はともかく、未沙君は態度が曖昧なままだったし、体のこともあってご両親に反対されるだろうなと思っていたが…意外と彼女も昨日の体験でやりがいみたいなものを見出したのかもしれない。


 「でも…緑川さんはわかるけれど、白藤さんがねぇ…。あの子は…」

 「わかってます。無理をさせる気はありません。ただ―」

 「ただ?」

 「…感じたんです。多分、未沙君は強くなります」


 未沙君からは、上手くは言えないが何か感じるものがあった。その感覚はなんの根拠もないように思うかもしれないが、僕はこれまでの人生で二人、未沙君と同じような感覚を感じさせる人に会ったことがある。


 その二人はとても優秀な、そして人並み外れた重装機兵だった。


 だから、未沙君もまた尋常ならざる重装機兵となると、僕は勝手に確信している。彼女の体のことを思えば入部なんてさせるべきではないのだろうが、僕にはどうしてか入部を止める気など全く起きなかった。


 その理由を考えたが…明確な答えなど思いつかなかった。


 「あっ、それでですね、実は朗報があるんです」

 「朗報ですか?」

 「はい、以前話した転校生とは別に、もう一人転入が決まったんです」

 「本当ですか?それは良かった。どんな生徒なんです?」

 「えーっと、それが…」


 山下先生は笑顔を浮かべつつも少し困ったような表情を見せる。


 「どうかしたんですか?」

 「それが…どこでうちが部員募集しているのを聞きつけたのかわからないのですけど…知ってますか桜陽院って?」

 「ええ、お嬢様学校で有名な…まさかそこの生徒が?」

 「そうなんですよ。まだ、この話学園長にしかしてないんですけどね。私もいきなり生徒本人から電話を受けたものだからびっくりしてしまって。昨日はその対応で朝から大変だったんですよ」

 

 言われてみれば、昨日は山下先生とは全然顔を合わすことはなかった。昨日は僕も僕で勧誘とか見学の準備で忙しかったからあまり気にはしてなかったが。


 「こっちの事情もある程度知っているみたいで、来週の月曜日にはこっちに来るって話なんですよ」

 「そんな急で、手続きとかは大丈夫なんですか?」

 「それが何とかなりそうなの。これ今朝学校に届いた転入関係の書類」


 僕は山下先生から受け取った書類にざっと目を通す。転校したことがないわけではないが、その時はまだ小学生だったので転校に必要な書類が何なのか目を通したところでわかりはしなかった。


 が、


 「この子は…」


 彼女の履歴書を見て僕はまるで雷に打たれたかのような衝撃に襲われた。


 「そうなんですよ。びっくりですよね。私も名前を聞いただけの時は気付かなかったですけど、父親の名前を見てピンと来たんです」


 それは僕も同じだった。彼女の父親の名前は山下先生はともかく僕にとっては、忘れようがない名前であった。


 「でも、あの剣聖の妹さんが、うちに来るなんて」


 転校生の名は柴崎百合香。元陸軍大臣・柴崎時貞陸軍予備役大将の次女で、そして、天才的な重装機兵として2度の恩賜を賜ったこともある剣聖・柴崎瑠璃の妹。


 だが、その姉の名前は履歴書には書かれてはいない。


 僕はこんな偶然があっていいのかと愕然とした。


 「…あの、転校の理由って聞いてますか?」

 「うーんと、理由は機兵部に入りたいからって言ってましたよ。桜陽院には機兵部はありませんから。…でもそこがおかしいと思ったんですよね」


 そう、おかしいのだ。こんな偶然があっていいわけがない。きっと何か明確な意思が介在しているはずだ。


 「入学して一か月で転校するぐらいなら、最初から機兵部のある学校へ入ればよかったのにって。だから、もしかするとお姉さんのこともあって、機兵になることご両親から反対されているのだと思ったんですけど、こうして書類はちゃんと届きましたし、さっきお家の方に電話してみたらお母さんが出られて、親としても応援しているから、なるべく早く転校できるようにしたいって言ってましたよ」


 山下先生が詳しく事情を話してくれたが、その半分も耳に入らなかった。

 

 柴崎百合香、彼女自身には何の因縁もない。ただ、彼女の姉、柴崎瑠璃大尉…いや、今はもう二階級特進で、中佐か。


 とにかく僕には彼女とは決して消すことのできない因縁がある。


 彼女が死んだとき………


 いや、僕が彼女を殺した時の記憶が、まるで走馬燈のように脳裏によぎる。


 あれは、正しいことだったのか、正しいとあの時の自分は信じていたはずなのに、その正しさを今の僕が信じられずにいる。


 僕はあの日、仲間を撃った



 ~11カ月前~


 平征28年6月 樺太北部 オハ郊外


 『イチロー君、どうかな調子は』

 「大丈夫です。昨日はよく眠れましたし」

 『君のじゃなくて、機体の方だよ』

 「ああ、えっと、バッテリー、駆動系いずれも問題ありません」

 『それは結構、けどこっちはもう少し掛かりそうだ。ゆっくり仮眠でも取っといてよ』


 そう言って王班長が映像通信を切った。


 「ふぅ」


 思わずため息をつく。


 正直に言って僕は王主任が苦手だ。いつも飄々としていて、変人を演じつつも、時折こちらの心を見透かしたようなことを言ってくる。


 (…いや、変人ってところは別に演じているわけでもないか)


 『≪ツルギ1≫から各員、これより自走にて目標に向かう、各員警戒を厳とせよ』


 こんどは無線から凛々しい女性の声が響いた。


 僕はその声をしっかり聴いてはいたが、特に動こうとはしなかった。と言っても別に命令を無視しているわけではなく、そう言う命令なのだ。


 僕の機体は他の機体が乗っている大型の軍用トレーラーではなく、第七研究室所属の小型トレーラーで運ばれていて、いまだ最終調整が終わっておらず、すでに遅れて出発することが決まっている。


 『≪ツルギ1≫から≪オオカミ≫』

 「どうぞ」


 動けないでいる僕に隊長機からの通信が入る。


 『君は心配せずゆっくりしているといい』

 「了解、調整完了しだい全力で追いつきます」

 『ふふ、まあ期待せずに待っているよ』


 隊長はいつものように冗談とも、本気ともわからない口調でそう言うと十数機の重装機と、歩兵を乗せた装甲車を引き連れて出発した。


 近年凶悪化するテロ活動に対し、憲兵司令部に新設された重装機や装甲車を装備する対テロ特別部隊・第三機動憲兵隊。


 僕は昨年の10月の異動で、第五空挺師団からこの特殊部隊へと配属が移っていた。僕は渤島決戦で壊滅した第五重装機連隊が立て直しの最中ということもあり、異動の話を一度は断ったのだが、どうやら陸軍大臣の意向もあるらしく僕の意見が入る余地などなかった。


 第三機動憲兵隊は若くして数々の武勲を挙げ、2度の恩賜を受けた剣聖・柴崎瑠璃大尉が隊長を務めている。


 柴崎隊長は重装機戦技大会における3度の優勝と朝鮮半島における反攻作戦『ヤ号作戦』における討伐数72というその輝かしい戦歴と、本来女性に対して使う言葉ではないのだが、『眉目秀麗』と言う言葉がピッタリな中性的な容姿で、国民からの人気も高く、さらに父親は前内閣から引き続き陸軍大臣を務めている柴崎時貞大将の娘と言うこともあり、地位と名誉と実力を兼ね備えた、まさに完璧人間だった。


 重装機の操縦者として、僕も今まで強い人は何人か見てきたが柴崎隊長はまさに別格の風格見ないのを感じていた。この感覚を覚えたのはあの先輩以外では初めてだった。


 『大鳥君、今度はどうですか?』


 佐藤少尉からの映像通信が入る。


 「えっと、いや、表示されませんね」

 『そうですか…。やっぱり武装側の問題かな…。すみません、もう少し待っていてください』

 「了解」


 制圧作戦が開始されている中、僕は機体の不具合のせいで出撃出来ないままだ。


 オハの街がある樺太北部は、北海道よりさらに北にあるので当然と言えば当然のことではあるが、6月の日中だというのに気温は20度を下回っている。


 樺太の北半分はほんの10数年前まではソビエト第二政府が置かれていたが、時の書記長ゴルバチョフの決断によって、ついに日本国皇国に併合されることとなった。多くのソビエト国民はそれを歓迎するとまでいかなくとも、もはや単独では経済、国防ともに立ち行かなくなっていた現状を鑑み、概ね仕方がないこととして受け入れた。


 しかし、もちろん併合に強固に反対する勢力もあり、一部の軍人らを中心としてソビエト独立を掲げた活動するテロ組織がここ樺太を本拠地として、テロ行為を断続的に行っている。


 一時期よりは落ち着いた感はあるものの、未だ完全にテロの脅威が去ったわけではない。今回の作戦も攻撃される可能性は低いとは言っても、用心はしておいた方がいいだろう。


 「まったく、しっかりしてくれよな」


 僕はそう呟くように機体に文句を言った。


 『しっかりしてないのは武装の方だったよ』

 「わっ、えっと、なんですか?」


 王班長からの急な通信でびっくりしてしまった。


 『機体には問題ないって話』

 「はぁ」

 

 少し話の繋がりが見えてこない。


 その様子を見かねて横から佐藤少尉が説明に入った。


 『ああ、えっとですね、機体側にはやはり問題なく、武装側の制御基板が破損していたみたいで』

 「そうだったんですか」

 『…でも、戦闘にも耐えるように設計された基盤が破損しているなんて、しかも二つも同時に…』

 『これは、少し面白いことになるかもね』


 王班長が悪い顔になる。


 『ま、そう言うわけだから、予備の武装を装備して…え、何?予備もないんですか?』

 

 佐藤少尉が誰かから報告を受けていた。


 『すみません。機憲の方にも予備の武装は置いてないみたいで…』 

 「えっ?そんなはずは…」


 どんな作戦に就くにしても予備の武装はいつも持ってきているはずなのだが…。


 『ま、そう言うことだからさ、作戦本部においてある武装を持ってきてもらうからイチロー君はもうしばらくボクの天狼の中でおとなしくしててよ』

 「了解」


 結局もうしばらくはお留守番をしてなきゃならないみたいだ。


 この特別研究班のテストパイロットに選ばれたのは、ちょうど憲兵隊に異動したのと同じ時だった。


 兼務と言う形で機体の開発に協力させてもらっているが、こうして実戦テストを行うのは初めであった。


 僕がテストパイロットを務めている≪天狼≫とは、王技術中尉を中心とした特別研究班と非財閥系の新興企業・桜島製作所によって作成された重装機で、正式には『次世代戦術研究機(丙)』と言って陸軍内で複数進められている重装機強化計画を元に開発された機体だ。


 天狼と言う呼び名については王班長が決めたもので、名前の由来はこの地球から見える恒星の中で、太陽に次いで明るく見える1等星『シリウス』、その中国語での名前である『天狼(星)』を日本語読みしたものだ。一応、重装機には動物関係の愛称をつけるという慣習にのっとっている。


 天狼は計画内でも珍しく、現行の六六式の改造機ではなく完全新設計の機体となる。源流としては、六六式と次期主力機の座を争った大松製作所の試作機らしいが、そのあたりの事情は詳しくは知らない。


 機体の特徴としては、実験機と言うことで生産性度外視の高性能パーツや新技術を搭載している。新型炭素繊維製人工筋肉に電磁装甲、高精度超音波探知機などなど現在研究中の物を積極的に採用している。


 まあ、そのせいもあって多少の不具合はつきものなのだが、今日のところはどうも機体と武装の接続に問題が起きているらしく、今回使用予定だった二〇粍機関砲と七十五粍狙撃砲を装備してもそれを機体側が認識できない状態となっていた。


 この状態でも、武装側の引き金を引けば使用自体は可能だが、装備の状態や、残弾数、標準が表示されないため、著しく不便になり、この状態での使用は現実的ではない。


 また、今回の作戦は脅威度が低く、制圧とは銘打っているものの実際は反抗勢力に対する威圧が目的であり、不具合の出ている機体を無理に出す必要もないという隊長の判断もあって、問題解決までの間おとなしく待機せざるをえなかった。


 「何をしているんだ僕は…」


 こうして、一人時間を持て余していると余計なことを考えてしまう。


 死にぞこなった


 渤島決戦で生き残ってからずっとそんな思いにとらわれている。佐々木小隊長も相良軍曹も隊の多くの仲間があの島で死んでいった。なのに僕がこうして生きていることが、時に耐えがたい痛みとなって心を締め付けてくる。


 こんな僕のことを気遣ってくれる人もいたが、その優しささえ怖くなって結局自分から遠ざけてしまった。


 それでも、最近では少しずつではあるが、前を向いて生きていこうと思えるようになっている。


 柴崎隊長は僕の内面を見抜いているのかはわからないが、よく話しかけてくれた。と言っても優しい言葉ではなく、厳しくも正しい言葉だった。


 『軍人が死ぬのは、守るべき者たちのためだ。だが、生き残るのも守るべきものためだぞ。それを忘れるな』


 柴崎隊長はある日、僕にそう言った。


 確かにその通りで、それは正しい言葉だと思った。


 僕に生き残った意味があるとするならば、まだ僕には守るべき人達がいるのだと、自分にそう言い聞かせることで、今は何とか前向きに生きていくことができている。


 そう言った点では柴崎隊長は恩人ともいえるかもしれない。


 そんなことを隊長に言えば一笑されてしまうだろうが……。


 ~50分後~


 僕が思いを巡らせている間に1時間近くが過ぎた。


 どうも作戦本部と上手く連絡が取れていないようで、未だ替えの武装は届いていない。


 『大鳥君、ちなみに―』


 佐藤少尉がそう何か言いかけた時だった、


 バァッン!!


 轟音が空気を震わせた。


 僕は一瞬の迷いなく機体を起動させると、周囲の状況を確認する。


 すると、外部カメラの捉えた惨状が僕の網膜に投影された。


 ここまで重装機を乗せて来た大型トレーラーが激しく炎上し、黒煙を上げている。


 そして、その煙の向こうから殺気を感じる。


 これは疑う余地もなくこれは敵襲だった。


 『お、大鳥君、君は周囲の警戒を…そうだ、本部に連絡して―』


 無理もないが佐藤少尉が珍しく動転している。


 「佐藤さん、ここは僕に任せて後退してください」

 『えっ!?』

 「敵が来ます」


 僕はそう言うとともに、機体に繋がれていた外部電源ケーブルを解除すると、炎上しているトレーラーの前に出る。


 すると、今度は機体の画像センサーがしっかりと2機の敵の姿を捉えた。


 ≪LAS7A1 ワンダー≫


 人工知能が素早く敵の機体を判別する。


 オーストラリア先住民の神話に登場する精霊もしくは悪魔の名を関したこの機体は、豪州製の軽量重装機で、今となっては流石に見劣りするが、配備当時は安価且つ高水準の性能を持っていた。


 A1型は初期の機体で、現在では豪州が中古の機体を世界中の小国にばら撒いており、日本国内のテロリストの手にも渡っているという噂話はあったが、まさかここで本当に遭遇するとは思っていなかった。


 敵機はこちらの姿を認めると、流石に旧式の軽量重装機では分が悪いと判断したのか、牽制射撃を行いつつ、後退を始めた。


 「逃がすか…!」


 僕は機体の憑依操縦装置を起動させ、大地を蹴る。


 それは走ると言うよりも跳躍に近く、たった2歩で50メートル以上はあった距離を息を飲む間もなく詰める。


 『うわぁぁぁぁっ!』


 敵の重装機の外部スピーカーから驚愕と恐怖の叫びが聞こえる。


 僕は機体右腕の五本の指に装備された爪型の小型高周波刀を起動させると、浮足立った敵に躊躇なく貫手をくらわせる。


 真っ直ぐ突き出した右腕は敵の操縦席ごと敵機を貫通した。


 (まずは一機)


 倒した機体から腕を引き抜くと、そこにもう一機の敵がロケット砲を打ち込んできた。


 それを左腕内側に外付けされていた重機関銃で撃墜


 すると、よほど思いきりのいい操縦者なのか、それとも自暴自棄になったのか敵機は近接戦闘用の斧を振り上げ突撃してくる。


 『でりゃぁぁぁ!』


 雄たけびとともに振り下ろされた斧は悲しく空を切る。しかし、次の動きは素早く一歩下がった僕を捉えるため大きく踏み込みつつ、今度は振り上げるようにして切りつける。


 が、


 振り上げたその右腕は肘から下がもぎ取られていた。


 『あ、ぁぁ…!』


 敵機の強化ガラス越しに操縦者の恐怖に満ちた顔を見たが、テロリストに慈悲をかけるわけにはいかない。


 僕は両腕で挟み込むようにして敵機を切り裂いた。


 操縦者は断末魔をあげる間もなく骸となった。


 『――大鳥君聞こえますか?』

 「…はい」


 僕は周囲に残った敵がいないか警戒しつつ、佐藤少尉の通信に応える。


 『作戦本部から連絡がありました。本隊も複数の重装機と交戦中とのことです』

 「応援に行きます」

 『まだ、武装が到着してません。その機体じゃ満足に戦えませんよ!』

 「さっきはやれました。時間が惜しい、このまま向かいます」

 『待ちなさい!』


 佐藤少尉の言葉を無視して僕は先行した部隊と合流すべく、全速力で大地を駆ける。


 (そうだ、僕は戦うためにここにいる、戦いこそが僕の存在価値なのだ)


 僕は久々にどこか高揚したかのような気分になっていた。


 数分とかからず、部隊が向かったオハの街に入る。


 町はすでにいくつもの黒煙が上がっていた。


 オハはかつては石油の生産でにぎわっていたわしいが、今では油田も枯れており、一時は10万人達した人口も今では500人足らずとほとんどゴーストタウンと化していた。今こと街にいるのは旧ソ連支持者や、過激派左翼、犯罪者、不法移民など所謂反抗勢力と呼べる者たちの溜まり場となっている。


 今回の作戦も重装機部隊を投入することによって、そうした反抗勢力の威圧と過激派のあぶり出しを目的としていたわけではあるが、まさか敵も重装機を準備していたとは予想外のことだった。


 相手がいくら旧式とは言っても、こちらも僕の機体は別として、新型の六六式は特別仕様の柴崎隊長機を含めて4機しかなく、他はすべて旧式の四八式だ。


 精鋭部隊と言っても、金属虫や豪州軍を相手にするわけではない憲兵隊では、これでも過剰戦力と言う意見があったが、テロリストが重装機を持つ時代となってはその意見も覆せざるをえないだろう。


 街に入りそれまでの全力疾走をやめ、警戒しつつ進んでいくと、そこら中に撃破されたと思われる重装機や、テクニカル、そして軽装のテロリストが横たわっていた。


 「戦闘はもう終わったのか…?」


 街は不気味な静寂で包まれている。


 「≪オオカミ≫から≪ツルギ1≫」

 

 …………


 応答がない。


 干渉波は感知されていないため、無線が届いていないということはないだろう。


 「≪オオカミ≫から≪ツルギ1≫」


 何度か隊長に呼びかけるが返事がない。それどころか、他の隊員も作戦本部も反応しない。


 (無線の故障か?)


 先ほどの戦闘や、これまで余り全力疾走なんてしてこなかったから、何かの衝撃で無線に何らかの不具合が出たのかもしれない。


 (オハの街はそこまで広くはない。目視で探せないこともないだろう)


 そう思って、戦闘の痕跡を追うようにして進んだ。


 そうして数分が経って、街の中心部に近い広場に差し掛かった時、ようやく部隊の姿を見つけた。


 (良かった、みんな無事そうだ…でも、あれはいったい…?)


 よく見ると、その広場には老若男女問わず大勢の人が集められており、それを囲むように部隊が展開している。あれでは市民を保護しているというよりはまるで、追い詰めているようにも見える。


 しかし、その状況を疑問に感じる思考とは別に次の瞬間、僕はほとんど反射的に動き大きく跳躍、市民と柴崎隊長の間に着地した。


 「やめてください。一体どうしたんですか!?」


 僕は機体のハッチを開けて直接柴崎隊長に問うた、無抵抗の市民に銃口を向けたそのわけを。

 

 数秒の間があった後、隊長もハッチを開けた。


 「どうもこうもない。これは作戦だ。聞いていなかったのか今日の作戦はテロリストの制圧だ」

 「待ってください。もう制圧は終わったんじゃないんですか!?」

 「いや、まだだ。そこにまだいるだろう?」

 「テロリストって、子供だっているんですよ!」

 「それがどうした。テロリストに子供も女も関係ない」

 「だいたい、この人たちがテロリストだという確証はあるんですか?それにたとえあったところで、無抵抗の人を撃つなんて…!」

 「必要なことだ」

 「必要なことって…そんな!」


 僕は混乱していた。


 状況がわからない。どうして今こんなことになっているのか、僕の背後にいる大勢の人がみんなテロリストだって言うのか?


 他の隊員も黙って銃口を市民に向けている。


 (僕が間違っているのか?)


 僕は自分の背後に目を向けた。


 怯えた顔、神に祈るように手を合わせる者、身を寄せ合い抱き合う者、そして泣き叫ぶ赤ん坊の声………。


 「大鳥曹長、もう一度言う。そこをどけ」

 「…いいえ、どきません」

 「お前はなにもわかっていない。今撃たなければ、次に撃たれるのは私たちの家族だ。そんな悲劇を許すわけにはいかない。お前も悲劇を起こさせないために軍人になったのではないのか」


 柴崎隊長が少し悲しそうな、それでも力強い眼差しで訴えかけてくる。


 「…でも、だからこそ、目の前で起ころうとしている悲劇を見逃すことなんて、自分にはできません」 

 「…やはりこうなったか…だから、ゆっくりしていろと言ったのだがな」

 「えっ…?」

 「これで最後だ、そこをどけ…いや、作戦を遂行しろ大鳥曹長。お前の敵は私ではない、敵はお前の背後にいる」

 「違います。隊長こそ目を覚ましてください。隊長がやろうとしていることは、人のしていいことじゃありませんよ!」

 「もはや是非もない…か」

 「隊長…!」


 柴崎隊長は機体のハッチを閉め、今度は僕に銃口を向ける。


 『機体に乗れ、お前の正義を押し通してみろ。さもないとお前もろとも撃つ』

 「くッ…!」


 僕は一瞬の躊躇の後、機体のハッチを閉じる。それが戦いの合図になることはわかっていたのに………。


 『渤島決戦の英雄の力、見せてもらおう!』

 

 機関砲の砲声とともに開戦の火ぶたが切って落とされた。


 至近距離からの機関砲を前に出て懐に入ることで何とかやり過ごしたが、柴崎隊長は僕の機体を蹴り押すようにして、大きく後ろに距離をとる。


 (まずい…!)


 柴崎隊長が離れたことで、周りの機体が一斉にこちらに射撃を開始する。


 「くッ…!」


 隊長機以外は二〇粍機関砲装備のため、大きな損傷を負うことはないが、流石に十数機から一斉射撃を受けると、無傷と言うわけにはいかない。それに何より、いま僕の背後には市民がいる。


 (とにかく、場所を変えないと)


 僕は地面を砕く勢いで踏みしめると、最左翼に配置していた四八式に突撃、すれ違いざまに機関砲を持つ右腕を切り裂いた。


 天狼の性能ならばこのまま、この場を逃走することもできるが、それでは市民を見捨てることとなってしまう。


 道路の舗装を破壊しながら急制動を掛け、次の目標に飛び掛かる。


 とにかく、接近して戦わなければ、こちらには射撃武装が仮付けした両腕の重機関銃しかなく、当然それでは重装機にまともなダメージを与えることなど不可能だった。それに、相手に射撃の機会を与えなければ、流れ弾が市民を襲うこともなくなる。


 「歩兵は下がれッ!」


 僕は銃弾を回避しつつ、どうすればいいかわからず右往左往している歩兵隊に叫ぶ。


 重装機が機動戦をしている中、軽装の歩兵にまで気を使っている余裕はない。


 僕に言われたからかはわからないが、歩兵隊は装甲車で広場の外へ退却していく。


 2機、3機と戦闘力を削いでいく中で、相手もこちらの意図に気付いたのが、数機が積極的に接近戦距離を仕掛けている隙に、他の機体が距離をとり始めた。


 「無駄なことを…!」


 正面からきた四八式が突き出してきた高周波刀を左腕の手甲で滑らすように逸らすと、そのまま裏拳て弾き飛ばす。


 四八式とこの天狼では、子供と大人ほどの性能差がある。小手先の策を弄したところでねじ伏せることが可能だ。特に機動憲兵隊はその性格上、噴進砲などの重火器をほとんど装備しておらず、注意すべき武装は七十五粍狙撃砲と高周波刀そして、柴崎隊長機の左腕に装備されている試製荷電粒子砲だ。


 砲と言っても、その有効射程は精々15メートル以内と非常に短いが、その威力は絶大で、まともに食らえばこの天狼と言えども焼き尽くされてしまうだろう。


 僕は詰め寄って来る相手に対して正面突破を図る。


 2機の四八式が咄嗟に妨害に入ったが、天狼はそれをものともせず、その2機を弾き飛ばしながら押し通る。僕の狙いは狙撃砲を持つ2機だ。とにかくあれを潰さなければ、間合いを取ることさえ危険となる。


 『下がれ!』


 僕の狙いを察したのか、狙撃砲持ちの機体まであと30メートルと言ったところで、二人の小隊長機が立ちふさがる。

 

 『行くぞ!』

 『応!』


 2機の六六式が機関砲を投げ捨て大型高周波刀を抜き放ち、四八式とは比べ物にならない速度で切りかかる。


 僕はそれを天狼の爪で凌ぐ。


 一閃、二閃、三閃、四閃、五閃………


 凌げば凌ぐほど、少しずつ形勢が相手有利に傾いていく。


 (…覚悟を決めろ)


 僕は僕に言い聞かせた。


 迷いは隙を生む。隙が生まれれば死が待っている。


 それはいい


 だけど、今僕が死ねばさらに多くの市民が犠牲になる。それは看過できない。


 だから、殺さなければならない。守るためには……。


 十数の剣閃は10秒に満たない時間で繰り出されたものであったが、その剣戟の中、僕の心でなにかが変わった。


 いや、それは変わったのではなく、目を覚ましたと言った方が正しかったのかもしれない。


 小隊長機は、僕の動きが一瞬鈍ったのを見逃さず、何の躊躇いもなく操縦席めがけて高周波刀で素早い突きを繰り出す。


 『なッ…!』


 それが最後の言葉となった。


 小隊長が突き出した刀は虚しくも空を突き、逆に天狼の右腕手甲の中から突如として現れた白銀の刃が六六式の頭部型センサーユニットを貫通し、そのまま背後の操縦席をも貫いた。


 その瞬間が、まるで永遠に続くかのように感じた。


 きっとそれは、僕だけが感じたのではない。周りの隊員たちも一瞬何が起きたのか理解できず、ただ唖然としていた。


 これまで、殺さないように戦ってきたが、相手が命を取るつもりだというのなら、こちらもそれ相応の対応をとる必要があった。


 『き、貴様ぁぁぁ!!』


 もう一人の小隊長の叫びで、再び時が動き出した。


 大上段から降りおろされる刀を今度は左脚踵に装備された刃を展開し、蹴り上げるようにして両腕ごと切り落とす。


 『こ、この…!』


 しかし、それでも諦めることなく固定機関銃を発砲するが、容赦なく操縦席に刃を突き立てる。


 天狼は近接戦闘に特化して開発された機体だ。両手に装備されている爪型高周波刀もその切れ味、耐久性共に現行の六六式大型高周波刀に劣らない性能を持っているが、それがこの機体の切り札ではない。


 四肢に装備された新型高周波刀・通称≪蟷螂刀≫それが天狼の切り札であり、そもそも天狼が開発された理由の一つでもある。近年猛威を振るっているカマキリ型金属虫の鎌を解析し強化された高周波刀で、耐久性を犠牲に驚異的なまでの切れ味を誇っており、試験では主力戦車に使用している複合装甲さえも切り裂いた。


 重装機程度の装甲であれば、豆腐を切るかのごとく造作もないことだった。


 2機の六六式を撃破し、次の目標を定めようと周囲を見る。


 瞬間、殺気を感じ、大きく跳躍した。


 100分の1秒後、2発の砲弾が着弾、炸裂し破片をまき散らす。


 少し振動を感じたが、機体にダメージは受けなかったようだ。


 モータージェットで10メートルの高度で機体を安定させると、各所から銃弾が飛んでくる。その弾幕の中、モータジェットで強引に機体を動かし、回避軌道を取りつつ標的を探す。


 「そこだっ!」


 空中で機体を捻らしつつ右腕、左腕と続けざまに全力で振るう。


 その瞬間、手に装備されていた10本の爪型高周波刀が投げ出され、鋭く空気を切り裂き、身を潜めようとしていた2機の狙撃砲持ちの四八式を建物ごと貫く


 鋭利な質量弾となった爪に機体中を貫かれた2機の重装機は、無残な姿となって力なく倒れ伏した。


 「…残りは」


 地上に降り立つと、最後の小隊長機が5機を引き連れて接近してきたが、頭に血が上っているのか、誰もがただ単純に突撃してくるだけで、最早とるに足らない存在だった。


 「それでも、来るというのなら…!」


 両腕の蟷螂刀を展開、一気に懐に飛び込み、踊るようしてバラバラに切り刻む。


 一陣の風のように駆け抜けた後には、もう誰も動くものはなかった。


 「あとは…あの人だけか」


 柴崎隊長機以外のすべての重装機を撃破し、中央の広場へ戻るとそこには血濡れた六六式が待っていた。


 『…流石だな。旧式が多いとは言え、射撃武装のないその機体で二個中隊を壊滅させるとは』

 「あなたと言う人は…!」


 柴崎隊長機の足元は血で真っ赤になっており、機関砲で打ち抜かれた遺体はどれも人としての原型をとどめていなかった。


 『お前のせいで、多くのテロリストが逃げてしまったよ…。責任はとってもらわなくてはな…』

 

 柴崎隊長はそう言って機関砲を捨てて背中の大型高周波刀を抜く。


 「もう終わりです。こんなこと…!投降してください。あなたは裁かれるべきだ!」

 『ふっ、ふふ、あははは…』

 「何が可笑しい!?」

 『無理をする必要はない。お前も殺したりないんだろう?』

 「何を言って…」


 その時、柴崎隊長が大地を蹴り、血と瓦礫を巻き上げながら突っ込んでくる。


 僕は反射的に蟷螂刀を突き出すが、柴崎隊長はそれを刀で凌ぎ肉薄する。


 『確信したよ。お前はやはり私の同類だ』

 「なにが…」

 『奇麗ごとを並べておきながら、本当はだた楽しみたいだけだ、戦を!殺しを!』

 「違う!」

 『違わないさ、お前も私も戦場に自分の存在価値を見出す、死に魅入られた人間だ!』

 「ぐッ…!」


 柴崎隊長の強烈な蹴りを腹部に受けて、大きく弾き飛ばされる。


 何とか受け身をとったが、その瞬間、強烈な閃光が柴崎隊長機の左腕から放たれるのが見えた。


 咄嗟にかわすが、少し遅かった。


 機体の左肩付近に荷電粒子砲を受け、左腕は焼け落ち、片方のモータージェットが破壊され、操縦席にもダメージが及び、いくつかの機能にエラーが出た。


 「まだだ…!」


 僕は傷ついた機体を強引に動かし、再び柴崎隊長に肉薄、右腕の蟷螂刀を振るうと見せかけて、体勢を崩し両脚の蟷螂刀で連撃をくわえる。


 『ちぃ…!』


 六撃まで凌いだ柴崎隊長だったが、七撃目がついに刀を持った右腕を捉え肘ごと切り飛ばした。


 そこに追撃を駆けようと右腕の蟷螂刀を突き出すが、柴崎隊長はそれを敢えて低く踏み込むことで躱し、そのままカウンターで膝蹴り放つ。


 今度はモータジェットを起動させて倒れこそしなかったが、僕が後ろに仰け反っている間に再び間合いを取られる。


 再び柴崎隊長が左腕の荷電粒子砲を構える。


 「させるかッ!」


 僕は残った右側のモータージェットを全力起動のまま強制排除する。すると切り離されたモータジェットはロケット弾のように飛んでいき柴崎隊長機に直撃、体勢が崩れまま放たれた荷電粒子砲は自身の左脚を焼き溶かす。


 片足を失った柴崎隊長は尻尾を使って何とか姿勢を保ち、再度荷電粒子砲を構えるが、荷電粒子砲はそうそう連射できるものではなく、閃光が放たれる前に接近するのは容易だった。


 僕は右腕の蟷螂刀で柴崎隊長機の左腕を切り落とし、そのまま残った右脚も切り落とす。


 「ここまです」


 蟷螂刀を操縦席に突き付けてそう宣言する。


 すると、ゆっくりとハッチが開き、柴崎隊長がいつもと変わらない不敵な笑みを浮かべ拳銃を向てきた。


 「最後の楽しみだ。殺せばいい」

 『…投降して下さい』


 僕は声を絞り出すようにしてそう言った。


 「あくまで自身の湧き出る衝動を否定するか…ま、それもいいが、どのみちいずれは私のように壊れる日がくるさ」

 「あなたは自分がおかしいってわかっていて、何で…!」

 「ふっ、さあな」


 柴崎隊長はどこか清々しい表情をしていた。まるで心の中に狂気を宿しているとは思えない顔だった。


 「お前は私に似ている」

 「………」

 「大切な人が死んで、自分だけが生き残って、もう誰も死なせたくなかったはずなのに、いつの間にか自分が死に魅せられて、気づけばこのありさまだ」

 「………」

 「もういい。私はねこんな私が………大っ嫌いだったんだ」


 その言葉は彼女らしくない子供っぽい言い方で、それでいて心の底からにじみ出たような重く生の感情の言葉だった。


 「最期を看取るのがお前で良かったよ」

 「よせ、やめろ!」

 「精々、足掻くといいさ…さようなら」


 柴崎隊長は僕に向けていた拳銃を自身のこめかみに向け、笑顔まま引き金を引いた。

  

 「何で…あ、あぁ、あああああああ!」


 今、この街は死で溢れかえっていた、誰がこんな地獄を作ったんだ?


 わからない


 これが結果なのか


 こんなこと誰が望んだんだ


 柴崎隊長か、それとも僕自身が


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う


 僕は助けたかったんだ、ただそれだけだったはずだ


 なのにどうして


 誰にもこんな死に方なんてして欲しくなかった


 僕が招いたのか、この結果を


 僕がここに来なければ…でも、それでは市民が…いや、結局僕は結局市民を守れなかったじゃないか


 わからない、もう何が正しくて、何が間違っていたのか、僕にはもうなにもわからなかった。



 そこから、一か月ほどの間の記憶は曖昧だ。


 あの後、僕は現場で重要参考人として軍に拘束され、自体が自体なため極秘の軍事裁判に被告人として出廷することになった。


 当初は錯乱した僕が仲間を攻撃し、市民を虐殺したとされ、生き残った機憲の隊員も柴崎隊長の名誉のためか事実を語らなかったため、銃殺刑が主張されたが、荷電粒子砲を受けた時に破損していた天狼の映像・音声記録が解析され最後の柴崎隊長との会話以外が明らかとなったため自体は一変した。


 事実の判明後も僕の行動は行き過ぎだとして、何らかの罰を与えることが主に尊皇派から強く主張されたが、この尊皇派が多数を占める憲兵隊の一大不祥事を勢力巻き返しのチャンスと見たのか、統督派の幹部が僕の行為の正当性を主張、寧ろこれは憲兵司令部の責任問題だとして、裁判は事件その物よりも派閥同士の権力闘争の意味合いが強くなった。


 その結果として過去の虐殺疑惑も多数浮上し、尊皇派のトップであった柴崎隊長の父、柴崎時貞大将が陸軍大臣を辞任に追い込まれ予備役となり、その他の主要なポストからも悉く尊皇派が排除され、これにより陸軍は統督派が牛耳ることとなった。


 一度法廷で柴崎元陸軍大臣と顔を合わせたが、その時は人目憚らず延々と怨念のこもった言葉の数々をぶつけられた。娘を殺されたようなものなので、その時の僕にはただ黙ってそれを聞くしかなかった。


 僕は結果として無罪放免となったが、そもそもオハの街での被害は、公式には金属虫による急襲を受けてのものとされたため、僕には最初から何の罪にも問われていないというかたちになっていた。


 陸軍甲十三号事件、と秘匿名称がつけられたあの事件は第一級秘匿事項として陛下にはもちろんのこと、政府にも事実の公表はされていない。


 事件の関係者には緘口令が言明され、その他の目撃者も厳しい監視下に置かれることとなている。


 だがそんなことは僕にとってはどうでもよかった。


 僕はあの日から自分の心に住む狂気に怯えている。


 柴崎隊長が言った言葉頭の中で反芻して、自分で自分のことを信じられなくなる。


 何が正しくて、何が正しくないのか


 そもそも、僕が信じていた正しさとは何だったのか


 何もかもあの日、僕はなくしてしまった………

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