第7話 記憶の種火
陽が沈み、遠くに見える土手の空が群青に染まる頃。私はレンガ造りの焼却炉に紙束を放り込み、火をつけた。シンシンと冷え込む冬の夕暮れ、私は手袋もマフラーもせず外にいる。長らく使わなくなった焼却炉は瓦解し、ところどころ開いた穴が目立つ。泥だらけの崩れたレンガの汚れを払い、その上に腰かけた。
地面から立ち上る冷気が、だんだんと、揺らめく火に追いやられていく。不規則に揺れる火は獣の尻尾のようで、私の目はくぎ付けになる。
白から黒へ、黒から灰へ、紙に連なる文字列が、徐々に炭化していく様が楽しくて、追加でプリントを放り込む。紙束は踊りだす。命のないものが生き物のように揺れ動く。
体の前面が耐えきれなくなるほど熱くなると、ようやく顔を上げる。夕暮れの足は速く、顔を上げる度に空は明度を落としていった。
昔から身近に火があった。だだっ広い土地ばかりが残るこの場所では、年中、庭の枯れ葉や剪定した木々の枝葉を集めて、焚火が行われていた。秋にもなると、地区内は煙にいぶされて、外を歩くだけで匂いが染みついた。
モノを燃やすのは心地が良かった。揺らめく火を眺めれば、嫌なことは忘れられるし、考え事があれば、思考に耽れた。忘れたいものも、見たくないものも、何もかも、昔の自分は、それがものであれば簡単に手放せた。あの頃私は、容易に自由になることができた。
年を経て積み重なるものが重く、大きく、抽象的になっていく。燃やせるようなものは減っていき、抱えるものばかりが増えていく。
時折思いだす、自由に揺れ動く火の熱さと残骸の煙。それは懐かしいはずの記憶なのに、何か遠い世界での出来事のようにはっきりしない。
タバコに火をつける。それを吸いもせず、ベトナム土産の置き皿に転がして煙を嗅ぐ。知らない匂い、知らない火。心は一つも揺れ動かない。
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