第5話 雨の記憶

 雨の多い土地だった。梅雨には毎日のように雨が降り、ただっぴろい田畑が白く細切れになる。雑木林から流れだした泥水が長い坂を下り落ち、近くの用水路へと消えていく。まるで細く長い蛇が這い続けているようで、車が茶色い背中を踏みつけていくのを、面白がって眺めていた。


 梅雨が明けるとつかの間の晴れ間が続き、そして積乱雲を見かけるようになる。あたり一帯に風が吹き始め、何かに吸い込まれているようだと振り向けば、決まって後ろの空が黒く染まっている。向かい風に抗って、必死に自転車を漕ぐけれど、じわじわと、しかし途方もないスピードで迫ってくる。やがてポツリと肌に雨が触れたなら、あっという間に空から降る嵐に飲み込まれ、視界が完全に消失する。そして稲光が天を占領し、私は祈りながら自転車を降りて歩く。夏だというのに歯が震えるほど冷たく、水浸しになった靴がぐっぷぐっぷと音を鳴らす。何もかもが嫌になって、家に着いた頃にはもうへとへとで、下着姿で茫然と外を眺めていた。


 雨は冷たく痛く重く、決して良いものではなかったが、時折窓を開き部屋に招きもした。水にぬれた空気は草地の匂いを凝集し、生命の匂いがとても濃い。夜に聴く雨音は耳に心地よく、読書を邪魔しない。

 思い起こせば私の記憶は湿気っていて、そこには雨の匂いが染みついている。


 今住む土地は雨が少ない。一年中空気は乾き、晴れの日が何週間も続く。たまに降る雨は傘をさすことすら迷うほどささやかで、私の記憶の雨とは違う。

 今日も私は天気予報を見ないまま、折りたたみ傘をカバンに入れて家を出る。


 この傘が、使い物にならなければいいと思う。 

 

 

 

 

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