第3話 本を読む
本を閉じると、熱に浮かされたかのように現実感がなかった。たった数時間の冒険から帰ってきた自分は、少し前の自分とはもう全くの別物で、見慣れた部屋すら自室とは思えない。
意識にまとわりつく薄膜の対処に困り、私はいてもたってもいられず外に出る。浮遊するように歩く。泳ぐように進む。もう一つの世界で見た美しい物語の数々が、断片的な映像で目の前をよぎっていく。
あいつがあの時ああいったのは、たぶんああいうことなのだろう。こいつがこの時こうしたのは、きっとこういうことに違いない。自分と似た思考を持った彼に共感する。自分では到底できっこないことをする彼女に焦がれる。再度全身に痺れが及び、涙がこみ上げる。自分の意識すら邪魔くさい。もっと深く、もっと近く、もっと痛烈に物語を感じたい。
勝手に前へと進んでいた足は、土手にかかる橋の上で止まる。辺りは薄暗く、向こうの橋が茶褐色の明かりに照らされている。橋の上は音がよく通る。川の流れる音や虫の鳴き声。法定速度を超えた自動車が橋を揺らす音。近くの民家から漏れ出る、テレビの笑い声。
ああ、邪魔だ。みんなみんな邪魔くさい。もっと浸っていたいのに、聞こえてくる。
そう思ってしまったらもう終わり。意識は地表に着地して視界も思考もクリアになる。体は急激に冷やされて、名残惜しい焚火の後が時折火の粉を散らすだけ。
風が吹く。夏の終わりの匂いがする。温く湿っぽい風が、肌に張り付いた熱の層を剥がしていく。
今日の感動を私は忘れ、数週間、数か月、数年後にまた味わう。
薄情な自分に嫌にもなるが、案外そんな流転が愛おしくもある。
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