4-15「若鳥四羽②」

 ALIFEアライフ(ジャパン・ルーキー・アイドル・フェスティバル)は、デビューや結成から二年以内の全国のアイドルを集めたライブイベントで、新人のみのフェスとしては国内最大規模である。

 瑠梨たちのような新人にとって最大のアピールチャンスと言える。


「逆に言えば、ここで失敗すると巻き返しは厳しくなります」

「実際、ここで失敗してそのまま解散するグループも毎年何組もいるわ」


 香澄がいっそ無慈悲なまでに言い切り、貴子もそれに頷いた。

 単純にチャンスを逃すのは勿論、大舞台で失敗したという事実そのものがアイドルたちを追い詰めてしまうということらしい。アイドル四人は緊張した表情を見せる。大人たちは平然として見えるが、気持ちは同じだ。


「でも、こういうのって大手が有利だったりしないのかな?大勢出したりとか……」

「プロモーション費用とかの差を考えたら勿論有利だけど、他のフェスよりはマシよ。一社一グループまでの出場と定められてるもの。実際に私たちと同じ規模の事務所で優勝したグループだっているわ」


 留美の疑問に貴子が答えた。香澄が歴代上位チームのリストをタブレットに表示する。上位陣には確かに大手所属のグループが多いが、半分近くは中小事務所のグループの名前も見られた。

 留美が顎に指を当て眉根を寄せる。


「逆に作為を感じるような……」

「『ある程度、小さい事務所にも勝たせておこう』という意図があるのではないかと?」

「はい」

「それはないと思うよ」


 きっぱりと言った社長に全員の目線が集中する。


「フェスの企画の方は私も知っている人だが、ウチのような駆け出しを含めて幅広い層から新人を発掘するのが目的なんだ。投票権も審査員は確かに複数票を持っているが、全部合わせても総票数の一%にもならないんだ。実質一般の観客票で決まるんだよ。これは信頼して貰っていいよ」


 瑠梨と留美の目が貴子に向く。


「え……あ、うん。私もそう思うわ」


 貴子は香澄の表を指差す。


「皆、ちゃんと実力で勝ち取った順位だと思うわ。ただ……」

「ただ?」

「問題があるとすれば、素人の投票ってことね」

「え?」


 瑠梨たちは梯子を外された気分だった。一般人の投票だから信用できるという話だった筈なのにそれが何故問題になるのか?


「つまり先を見据えた投票ではない、ということですね」


 香澄がタブレットを横にスライドさせ、新たな表を出した。

 フェス上位陣のその後の数年間の活躍についてだった。曲やグッズの売上、雑誌などの人気投票を見る限りでは、四割のグループは順調に活躍していたが、残る六割は伸び悩んでいるようで、解散したものも少なくはない。


「結果に対して実力……いえ、成長の見込みが伴っていない、と言えば良いでしょうか」

「残念な気もしますけど、こういうものなんじゃないですか?」

「他のフェスのデータを出します」


 瑠梨の疑問に答える形で、香澄が他の新人フェスのデータを出した。

 ALIFEと同規模の新人フェスは他にないので、小さい新人フェスや、大きな一般フェスの新人枠のみのデータを抽出して平均化したものだと香澄が説明した。

 その為、正確な比較とは言えないが、こちらの上位陣は六割以上が順調な活躍を続けているようだった。


「開催年度や個々のフェスのシステムにもよりますが、プロ審査員の票の強いフェスでの上位陣のほうが、その後活躍出来る傾向にあります」

「みたい……ですね」

「はっきりとした定量化は『活躍』の定義にもよるので難しいですが、少なくとも二割以上の差が出ています。有名アイドルを含む新人以外とも戦い抜いたから、というのもあるでしょうが、やはりプロのほうが先を見通す目があるということでしょう」


 つまり素人ではフェスでの活躍はともかく、潜在能力や時勢とも合わせての今後も売れていくかの判断が出来ない、ということだ。

 そもそも一般の観客にそこまで見抜けと言うのが無理な話でもある。


「じゃあ、ALIFEで活躍しても無駄ってこと!?」

「いや留美くん……」

「いいえ。あくまで一般人向けのアピールが重要ってことよ」


 あんまりな留美の言葉を社長が否定しようとしたが、貴子のほうが早かった。


「あ、すみません。続きをどうぞ」

「何だかすまないね……」


 社長も業界の事情などの知識は当然あるのだが、貴子のほうが個々の現役アイドルには詳しい。加えて彼は控え目なのが災いしてよく先を越されてしまうことがある。

 気を取り直して、紅社長が総括する。

 

「ALIFEのような一般の方向けのイベントでは、専門的な技術よりも分かりやすい魅力が重要ということになるね。つまり、少々のミスは気にせず勢いと元気をアピールしていこうということだ」

「流石です社長!だいぶ分かりやすくなりました!」

「ありがとう美衣子くん。そして、確かにALIFEで活躍しただけでは、その先も上手くいくとは限らないが、逆に最近の有名アイドルグループは殆ど皆ここで活躍している。今は先のことよりもまず、このイベントをしっかりと成功させよう」

「「はい!」」


 一同が声を合わせる。



 ミーティングは今後の予定の話に移る。ALIFEの決勝は夏だが、地区予選は三月後半であり、もう二ヶ月を切っている。

 練習はとっくに始めてはいるが、他にも予定がある。ラジオを始めとした定期的な仕事は勿論、フェスのプレイベントや宣伝で普段よりも忙しくなる。


「向こう一月半の予定表です」


 香澄が印刷した用紙を配る。アイドル四人に加えて社長と香澄のスケジュールも併記されている。


「これは……本当にこれで行くつもりですか!?」


 貴子が声を荒げて社長を見る。確かに普段より予定が詰まってはいるが、六人とも完全オフが月六回はある。


「ああ。すまないね。大きいイベントの前だから普段より忙しくて……」


 社長はすまなさそうに苦笑しながら額を擦る。


「何故この程度なんですか!?休息も大事でしょうが、流石に多過ぎます!」


 表を熟読していた瑠梨が貴子の声に思わず顔を上げると、美衣子がアイドル、いや少女にあるまじき形相で貴子を睨みつけているのが見えた。


「だ……駄目だよ美衣ちゃん……?」


 瑠梨が美衣子の前に手を延ばす。


「分かってるわ……相手は社長のアイドルだもんね……」

「美衣ちゃんもね」


 ひとまず貴子に危害を加える気が無いと分かって安心はしたが、伸ばした右腕を引くことは出来なかった。引いた途端に美衣子が飛び出していくイメージが消えてくれなず、失う覚悟で腕を伸ばし続ける。

 瑠梨の左隣にいる留美は彼女の殺気に当てられたのか、怯えて瑠梨の空いた左腕にしがみついている。さり気なく胸を右肘で持ち上げられつつ左手で触られている気がしないでもなかったが、それどころではないので引っ叩くのは後回しだ。


 奥崎美衣子という少女は、この事務所最初のアイドルなのだが、彼女が社長に寄せる思いは愛を通り越して忠誠心の域に達している。命令とあらば枕営業だろうが暗殺だろうが辞さないと豪語しては、社長に頭を抱えさせている。

 普段は大人しいのが救いだが、誰かが下手に社長に意見でもしようものなら、この始末だ。実際に誰かに危害を加えたことはないが、それは所属アイドルが事を起こせば、かえって社長に迷惑がかかると分かっているからに過ぎない。特に外面には気をつけているが、身内にはかえって容赦がないのはご覧の通りだった。


 美衣子の殺気に気付いているのかいないのか、社長と貴子の話は続く。


「いやしかしね、期末考査なんかもあるし、瑠梨くんたちには生徒会や神社の仕事もある。君だって卒業式の準備もあるんじゃないかな?」


 生徒会の瑠梨は勿論だが、一般生徒にとっても年度末は忙しいのは言うまでもない。貴子は頷きながらも反論する。


「北里さんは仕方ないかも知れませんが、出られる人はもっと増やすべきです。練習時間はどれだけあっても多いということはありません……!」

「でも皆は今の時点で私より多いんじゃないかな?」


 瑠梨が申し訳無さそうに言う。瑠梨には神社や生徒会の予定がある分、練習の予定が他の三人より四割ほど少ない。


「貴女は……これでもいけるでしょうね」


 貴子は重々しくそう言った。


 瑠梨の家は広い。歌でもダンスでも隙間時間に自主練が出来る。

 しかも要領も良い。自主練の時間ばかりが多いと、自分では気付けない妙な癖や弱点が出来るものだが、瑠梨の場合はこれが少ない。その僅かなズレさえも、たまに人に見てもらうだけですぐに修正できてしまう。


 対照的に、貴子は要領が良いとは言い難い。自分の動きは鏡や録画で確認してはいるが、人に見せて始めて気付くミスが多い。これが他人のこととなると、横で踊っている仲間の些細なミスですらその場で気が付くほど目敏いのだから、ままならない。

 あえて悪く言えば「自分は未熟な割に人の欠点は指摘出来る」タイプであり、ともすれば煙たがられる場合も少なくない。幸い彼女は事務所で頼りにされており、四人のリーダーも任されている。


「でも私には練習時間が足りな過ぎるのよ。言い訳になるけど、家ではあまり自主練が出来ないし……」

「社長」


 香澄がいつもの無表情で、しかしまっすぐ社長を見つめる。


「ああ……そうだね。よし、三階を使えるように鍵を君に預けよう。いや、この際だ。全員分合鍵を作ってしまおうか」


 不安げな表情だったのは貴子だけではない。留美と美衣子、それに瑠梨もだ。


「ありがとうございます……!」


 貴子は立ち上がり頭を深く下げる。三人もそれに続く。厳密に言えば美衣子だけは土下座していた。


「こちらこそ、かえって不安にさせてしまったようですまないね。でもね。いつも言っているが、やはりアイドル以外の日常も大切にして欲しいんだよ」


 社長は一人土下座を続ける美衣子を床から引き剥がしつつ、続けた。


「ただし、私たちやトレーナーさんが監督につける時間はあまり増やせそうになくてね。大人のいない時の練習は軽めにするんだよ」

「……はい」


 職場での練習で、万一怪我でもすれば色々と大人の対処が必要となる。これまで合鍵を預けることはあっても、渡してはいなかったのはそういう訳だった。


 それから三階での自主練について、時間の上限などのルールを決めていった。

 真っ先に決めたのは、家などでの自主練ができない者を優先とすることだったが、これは実質貴子の為の措置だった。瑠梨や留美にしてみれば一人で練習する分には自宅で充分過ぎた。続いて二人以上での合同練習の予定を大まかに決めると、シフト自体の微調整を行い、ミーティングは終わった。


「さて十一時過ぎか……昼は何時にするかね」


 土日に集まる場合は基本的に外食か出前を取ることになっているが、早めに予約をしておく必要がある。この辺りは土曜の昼でも飲食店が混む。出前なら渋滞も考慮に入れておかなければならない。四人は顔を見合わせる。


「今日は時間もありますし、早速動きを合わせたいですね」

「そうだね、仕事の話をしてたら動きたくなちゃった」

「一時間は大丈夫かな?……ご飯は十二時半でどうでしょうか?」

「私はお許しがあれば何時間でも練習させて頂きます!」

「奥崎さん、さっきの話聞いてたの……?」


 貴子が呆れ顔になる。無茶な練習は社長の本意に反するという話をしたばかりだ。

 話がまとまったところで四人は香澄の先導で三階の練習室へ上がっていくが、社長が貴子を呼び止めた。


「なんでしょうか?」

「貴子くん。色々と思うところもあるようだが、私は君にも十分トップアイドルの器があると思っているよ」

「ありがとうございます」


 貴子はすっと頭を下げた。その、気のない返事に悲しげに笑うと、紅道照くれない みちてるは神妙な表情で告げた。


「貴子くん、君はアイドルとは何だと思う?」

「『その活動を通して、人々に夢や笑顔を与えるもの』でしょうか」

「ではトップアイドルとは?」


 貴子はしばし悩む。

 トップと言うからには例えば『特定の期間内にもっとも人気やCDなどの売上でトップを取った者』と答えるのが正解だろうが、そんなことを聞かれているのではことは分かる。貴子が黙っているのを受けて社長が話しだした。


「私はね、多くの人に長く愛される人のことだと思う」

「それは……曖昧な定義ですね」


 貴子は少し皮肉げに言う。


「それを言ったらアイドルも曖昧なものさ。そのトップもね。変な話、一瞬だけアイドルのトップに立つのは難しくはないんだ。一定以上の人気があれば、金とプロモーションでどうにかなる。駆け出し事務所の社長が言うことではないがね」

「それは……そうですね」

「その一瞬で、そのままトップアイドルの印象を残すこともあるだろうが、逆に何年売上や人気でトップを維持しても、はっきり言えば、そのアイドルが好みではない人や、そもそもアイドルに興味のない人にはどうでも良いことになる」


 興味のない、と聞いて貴子はスポーツ選手のことを想像した。芸能活動上の教養として必要になる場面もあるので有名所の名前は覚えているが、本来は貴子にはあまり興味のない分野である。どれほど人気のある選手でも、その選手に関心のないスポーツファンもいる。アイドルも同じことだ。


「だからね。私は瞬間的な頂点よりも印象や影響の大きさのほうが大事だと思っているんだ。そういう人たちが何十年先にも思い出されるようなトップアイドルなんだと思う。君は誰よりもストイックに真摯にアイドルと向き合っている。君なら長く深く愛されるアイドルになれると信じているよ」


 貴子は数秒無言で社長を見つめた。おそらく気休めではなく、本気で言ってくれているのだろうことは分かる。納得できる部分もあるが、それでも完全に同意は出来なかった。確かに頂点を極めずとも長く愛されるアイドルは多いが、それは頂点を取らなくて良いということにはならない筈だ。

 もっとも頂点を目指すこと自体を……貴子の信念を社長は否定してはいない。

 当たり前だ。それは売上を伸ばすことにも繋がる。そこを否定したらもう会社ではない。

 だから素直に労いとして受け取ることにした。


「ご期待に添えるように努力します……待たせたわね」


 室外に目をやる。階段を登りかけていた瑠梨たちだったが、話が長引いたことで引き返して様子を伺っていた。美衣子は社長と話す貴子に警戒の眼差しを送り、留美は瑠梨の両胸を掬い上げるように持ち上げ、瑠梨はそれを後ろ手で捻り上げながら、美衣子の様子も警戒しつつ貴子たちも案じる羽目になっていた。


「おっと長くなってしまったね。すまない」

「社長、何がとは言いませんがそういうお話は手短にお願いします」


 香澄はそれだけ言うと、改めて先に登っていき五人もそれに続く。貴子は一度瑠梨の顔を見てから先に行き、瑠梨が一番最後になった。

 貴子の三段後ろを進む。二人の会話を聞いていた瑠梨の胸に再び先ほどの疑問が湧き上がる。


(貴子ちゃんは私の実力を認めてくれてるけど、私は貴子ちゃんほどアイドルに熱心じゃない。少なくとも生活の半分も捧げられてはいない。それは仕方ないことだけど……もしも巫女の使命が無かったら私はあそこまで熱心になれるのかな……?)


 瑠梨が我に返ったのは、着替えを終えてからの二回目のダンス練習の後だった。

 床に座って休憩中の瑠梨の胸に飛び込もうとしてきた留美の頭部を両側から拳で押さえつけるまで、完全に心あらずだった。しかし誰からもそれを指摘されることはなかった。

 むしろ香澄にはいつもより動きが良いとさえ言われた。慣れた動きとはいえ、無意識に完璧にこなしていたのだ。


「瑠梨ちゃん、どうしたの?心ここにあらずって感じだけど?」

「そう……かな?」


 瑠梨は苦笑する。唯一瑠梨の変化に気付いたのはひたすら彼女を見ていた留美だけだったようだが、それも休憩中に入ってからのことだったようだ。流石の留美もダンス中に瑠梨ばかりを見ることは、最近は大分減っていた。


「大丈夫?おっぱい揉む?」

「それ揉む側が言うセリフじゃないよね?」

「私に出来ることがあったら婚前交渉でも何でもするからねっ?」

「大丈夫、何でも無いよ」

「うぐっ!なら良いけど」


 瑠梨の胸に再三腕を伸ばした留美を膝を使って背後に投げ飛ばすと、瑠梨は軽い溜息を吐いた。同僚からのセクハラのせいではない。

 本来なら心あらずだったことは反省点として皆に謝るべきことだ。しかしその状態で周囲と遜色ない動きが出来た、などとはとても言えはしない。

 それとも、そう思うことすらも傲慢なのだろうか?


 迷いを抱えながら練習を続ける瑠梨だったが、残りの練習時間や昼食、午後の仕事を終えてもなお、誰にも迷いを指摘されることはなかった。

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