4-16「二人の望?」

 月曜の放課後。俺は生徒会室で事務作業をしていた。

 今は全部で七人いる。一年は俺と恵里、久浦、朝来の四人、二年は藤宮・金枝両先輩、そして中等部の鳩寺だ。

 会長……佐祐里さんとラッタはそれぞれ別の用で後から来る。瑠梨と憐治のやつはそれぞれ仕事と部活でいない。


 新司も手伝いに来たがったが、病み上がりだから休めと無理やり押し留めた。金曜も無理して出席してたからな。実際、急ぎの仕事は終わってるから部外者を無理に呼ぶこともねぇ。

 今日がいつもの月曜より人が多いのは、週末の作戦とその事後処理で来週が忙しくなるんで、今のうちに先の仕事を前倒しでやっちまう為だ。

 SNSやらクラウドの共有フォルダでも作業は出来るから、無理に集まる必要もねぇんだが、やっぱり集まったほうが早ぇし、紙の資料は学校にしかねぇからな。


 とはいえ、そう難しい仕事でもねぇんで、俺は合間に藤宮先輩と俺が貸したゲームの話をしていた。


「へぇ。じゃあ最初のダンジョンは無事にクリアできたんすね」

「ああ、お陰様でな。今は次の町に着いたところだ」

「一応言っときますけど、今度は大人の言いつけを破っていいんすからね」

「ネタバレはよしてくれ」


 先輩は書類整理の手を止めて鋭い目で俺を見た。


「ええ~」


 理不尽な。最初の町で『洞窟に入るな』という大人の言いつけを律儀に守ったせいで、いつまでも話が進まなかったという負の実績があったから警告しただけなのに。

 つっても、先輩は本気で怒ってる訳じゃねぇ。口元が二ミリほど上がっている。

 これが笑っているうちに入る、と分かるのに俺は数ヶ月ほど掛かった。


「しかし装備品が一気に値上がりしたな」

「あの町だと、武器は一番良いの買えるまで金貯めたほうがいいっすよ」

「そうか。それと、やはり防具より武器を優先すべきか?おおよそのダメージ計算式は把握したつもりだが」

「まあ敵を倒せばダメージ喰らわねぇですからね……計算式?」


 聞いてみると、装備をつけ外したりしながらダメージ量の統計を取って式を割り出したそうだ。普段全くゲームしねぇ人が初見プレイでどうしてそんな発想に至るんだよ。ネットのねぇ昔ならともかく、今だとゲームの攻略サイトを書く連中くらいだろそこまでやるのは。


「あと道具屋のアイテムは早めに買っといたほうが良いっすよ」

「ああ、取り敢えず買えるだけ買うつもりだが」


 先輩は書類の束をプラケースに入れ、次の束に取り掛かった。俺ももう一息で一区切りだ。


「金は大丈夫っすか?」

「ああ、確か今は1000くらい残っている筈だ」

「なんで!?」


 思わず腰が浮いた。最初のダンジョンで何でそんな貯まるか!?普通はその三分の一も貯まらねぇ筈なんだが。


「うるさいぞ、片桐」


 久浦が文句を言う。俺の右側の机で朝来と連携して打ち込み作業をしている。


「悪ぃ。先輩、最初の洞窟どんだけ探索したんすか」

「宝の取り残しがあるといけないと思ってな…」


 前回、町の中でもマップチップ一枚づつを丹念に調べに調べた藤宮先輩は、ダンジョンの中も同じようにして調べたそうだ。宝箱とかの無い普通の地面には何もねぇってのに。その辺は注意したつもりだったが、ダンジョンはまた別と考えちまったそうだ。俺は先輩よりも、むしろ先輩がそう考えると想定し損ねた自分に呆れちまった。

 作業を再開しながらその辺を説明すると、先輩も少し落ち込んでいた。

 可哀想な気もするが、ただでさえ忙しい合間を縫ってのプレイなんだからこれ以上無駄足を踏ませるわけには行かねぇ。

 俺が貸したやつどころか他のゲームも全くやったことのない人なんだから「お約束」が分からなくて当たり前だ。俺が責任持ってちゃんと説明しとかねぇとな。


「て訳なんで、足元はもう調べねぇで良いですから。……っと」

「すみません!」



 俺の左肘が、横にいた鳩寺にぶつかった。鳩寺が勢いよく頭を下げて謝ってきた。風が起きて俺に当たる程の勢いだった。


「いや俺も悪いし、いいけどよ。謝るより先に気にすることがあるだろうが」


 ぶつかった理由は、俺が先輩と話してた上にちょうど作業にケリがついて集中が切れたせいもあるが、それだけじゃねぇ。


「はい……」


 鳩寺は俯くと懐からスッと財布を取り出し、中から紙の金を全部出した。それを俯いたまま両手で俺に差し出す。


「金じゃねぇよ!?」

 

 手で鳩寺を遮る。


「こんなことで慰謝料取るかよ!逆に迷惑だぞ、ヤクザか俺は?……見ろよホラ」


 周りを見せると、皆が『そんな人だとは思わなかった』みてぇな顔で俺を見ている。


「違ったのか……!」

「黙ってろ久浦、内臓売り飛ばすぞ」


 真剣な声でおちょくって来た久浦にガンを飛ばす。野郎、すました顔と口調のままで俺をからかってくんだよな……。


「ヒィィィッ!ご、ごめんなさい!!」

「売らねぇよ!」


 鳩寺が何度もブンブンと頭を下げる。夏場だったら団扇代わりになりそうな風圧だ。俺を何だと思っていやがるんだこの後輩。俺は浮かしかけていた腰を椅子に降ろし、深く息を吐いた。


「あのな、話し込んでた俺も悪かったっちゃ悪かったけどよ。お前な……」

「はい」

「近いんだよ!!」


 俺たちの間の空間を指指す。

 生徒会で使っている長机はただ座る分には三人でも余裕だが、作業しながらだと卓上が狭いんで二人づつで広く使ってる。


 なのにコイツは異様に近い。俺が右半分を使ってんのに、コイツは左半分の右側……つまり四分の一しか使ってねぇ。寄り過ぎだ。実は肘が当たったのは今日三回目だ。


「すみません……」


 鳩寺は左へ移動した。五センチくらい。


「いや変わんねぇよ」


 その後も、鳩寺がちょっとずれては俺が足りねぇと言うやり取りを数度繰り返し、ようやく三十センチほどどかすことができた。教科書の長辺分くらいだ。正直他の机と比べるとまだ近いくらいだが、疲れたんでこれで妥協した。

 何なんだよ?俺は気を取り直して作業を再開した。





 十分ほど経った。


「涼ちゃん、昔の卒業式の資料ってまだデータ化してなかったっけ?」

「そうだな」


 金枝先輩の質問に、藤宮先輩がデータ化済みの資料目録を捲る。

 生徒会では、数年前から、毎年恒例の行事を中心に生徒会の活動記録なんかの資料のデータベース化が始まっている。主に後輩が参考に出来るようにする為だ。

 風見学園が開校から二十年にもならねぇ歴史の浅い学校だとはいえ、本気で取り組むと結構な作業量になる。今の進捗は目標の半分ってところだ。最優先は今年の記録をデータで残すことで、その時に参照した過去の紙の文書をついでにデータ化し、余裕がある時にそれ以外もやっていく感じだ。


 佐祐里さんは自分の在学中に完了させたいそうだが多分厳しい。任期はあと半年だし、五月の選挙の後は引き継ぎで精一杯の筈だ。

 佐祐里さんなら受験は推薦で平気かも知れねぇが、卒業準備もある。データベース化は、俺の卒業までに終わらせるつもりだ。  

 次の選挙で俺がどうなるかは分からねぇけどな。



「確か…ああアレだ。」


 藤宮先輩が指差したのは、俺の背後にある棚の最上段だ。そこの段ボールの一つに「未処理 卒業式関連」と書かれている。今ちょうど先輩たちは今年の卒業式の書類を作っているところだ。一通り終わったついでに古いやつのデータ化もやるつもりだろう。


 話を続ける前に俺たちの配置を説明しとく。

 まず廊下側に俺と鳩寺。向かって右に恵里、左に久浦たち、俺の向かいの窓側に先輩たちだ。


「俺、取りますよ」

「頼む」


 藤宮先輩の言葉を待たねぇうちに俺は立ち上がって、棚に近付く。


「あっ片桐さん僕が取りますよ!あっ!」


 俺の後ろで鳩寺が勢いよく立ち上がったようだ。デカい金属音がしたんで振り向くと、鳩寺が慌てて椅子を起こしている。


「いや、別にいいぜ」


 俺は棚に向き直ると少し背伸びをして箱に手を掛けた。鳩寺の背だと踏み台を使うかジャンプしなきゃならねぇんだがら俺に任せりゃいいのに。

 降ろした箱を俺の椅子に一旦下ろすと、椅子を直した鳩寺が手を伸ばしてきた。


「運びますよ!」

「いやいいって……」


 俺は少し呆れ顔だったと思う。この箱は大して重くねぇ。多分十キロもない。しかも数メートル先の先輩の所に持ってくだけだ。だいたいだ。仮に重くて遠かったとしても鳩寺より体格の良い俺が運ぶべきだろう。


「じゃあ片側を持たせてください!」

「かえってやりにくいだろ!」


 両腕で抱えられるサイズの箱でそんな真似をされるとむしろ邪魔だ。


「はい……」


 鳩寺が今日一番の俯きを見せた。俯き過ぎて、あと一息で立位体前屈だ。


「ハル……」

「片桐……」


 恵里や久浦、挙句に先輩たちまで俺に非難がましい目を向けてくる。朝来だけはロッカーの横をぼうっと見ている。お前はそのままでいてくれ。


「片桐……良くないんじゃないか」


 先輩が俺を窘めてきた。やめてくれ。俺がイジメをしてるかのような気分になるだろ。俺は持ち上げたダンボールを鳩寺に持たせた。


「……頼む」

「はい!」


 満面の笑みがまぶしい。鳩寺は先輩たちのところまで恵里の後ろを通って走っていった。軽い筈の箱だが、小さめの体格で無駄に走ったせいで途中二度ふらついていた。コレこそイジメをしてる気分だ。どうすりゃ良かったんだよ。鳩寺は先輩たちに礼を言われ、恵里に褒められて帰ってきた。


「ただいま戻りました!」

「お……おう」


 鳩寺は上目遣いで俺を見上げてきた。一仕事終えたクワガタみてぇな……つっても伝わらねぇか。フリスビーを取ってきた犬を彷彿とさせる顔だった。

 俺は狼狽えながらも礼を言った。


「あ、ありがとうな……」

「はい!恐縮です!」


 恐縮すんなよ、箱一つで……。佐祐里さん以外だと俺に懐いてくるんだよなコイツ。でも、何でだ?思い切って本人に聞くことにした。


「鳩寺……何でお前、俺にくっついてくるんだ?会長ほどじゃねぇにしても……」


 鳩寺は瞬きをしてから意外そうに言った。


「片桐先輩は……先輩方の中でも早いうちに、僕を名前で呼んでくれたじゃないですか?」

「え?名前で?」


 後輩はだいたい苗字で呼んでる筈だがな……。現に今も鳩寺と呼んでる。コイツを望、と名前で呼んでたら覚えてる筈なんだが……ん?


「はい!覚えてませんか?望って呼んでくれたじゃないですか。またその呼び方にして頂けると嬉しいんですが……」

「のぞむ……」

「はい!」

「いや今のは違う……!」


 俺は床を見つめながら、片手を鳩寺の方に突き出して制す。同時に、気配を感じて右を向く。さっき朝来が見てた方だ。


 さっきの棚の隣、賞状や写真が並んだショーケースの側面の上方を俺の仲間のコクワガタ、ノゾム……こと赤井望が歩いていた。

 俺の頬を汗が伝った。    


 もう察してくれた奴もいるだろうが、多分間違いねぇ……。鳩寺の奴、俺がどっかでノゾムを呼んだのを自分のことだと勘違いしちまったんだ……!



―――――――――――――――――――――――


 あれは確か去年の秋近く、久々に暑い日だった筈だ。

 俺は猟友会の詰め所……に偽装した僚勇会基地の入口へ歩いていた。途中で、ポケットに連れ歩いてたノゾムが温かさのせいか勝手に飛び回っていって見失っちまったんだよな、確か。

 暫く探し歩いて自販機の裏辺りでノゾムを見つけた。


「ノゾム!何してんだ、行くぞ?それとも置いてったほうが良いか?」


 そんな風に声を掛けると、ノゾムが俺の方を向いて飛び立とうとして……。


「はい!お供します!!」


 自販機の表側から鳩寺が勢いよく飛び出した。


「うわぁっ!?」


 俺は腰を抜かしかけた。ノゾムも地面に落ちた。


―――――――――――――――――――――――



 ……確かこんな感じだったと思う。思い出してきた。

 あの時は鳩寺の下の名前をうろ覚えだったとはいえ、その場で妙な反応のことを問いただしておきゃあ良かった。

 どうすっかな、コレ。言わねぇほうが良いよな?


 鳩寺を望と呼ぶのは抵抗がある。紛らわしいからな。ノゾムの名前は鳩寺にちなんだ訳じゃねぇ。アイツとの付き合いは鳩寺とより古い。

 当然ノゾムの呼び名を変えるのは無い。鳩寺に別のアダ名を付ける手もあるが理由を聞かれたら困るし、そのアダ名も思いつかねぇ。


 俺が迷っている間に、恵里のアホが核爆弾を握って振りかぶっていた。


「あっそれって鳩寺くんじゃなくてクワガ」


 そして投げた。


「あっ!うわあああ!!」


 俺は咄嗟に大声を上げた。全員の目線が突き刺さる。いや全員じゃねぇ、朝来は我関せずと作業中だわ。本当、そのマイペースがありがてえ。

 冷静になると今のは奇声だった。皆から変人を見る目で見られている。いや恵里、少なくともお前にそんな目で俺を見る資格はねぇ。考えて発言しろ。

『鳩寺くん、貴方ハルにクワガタ以下の親密度と思われてるわよ』つってる様なもんだぞお前。実際そうなんだが……。


 出会ってすぐ留学したせいもあって鳩寺の性格は掴み切れてねぇ。どう対応したもんか悩むところだ。SNSやメールではよく相談を受けてたが、実際に会うのとは違ぇ。

 あっ!今思えばそういうやり取りをするようになったのもこの誤解が原因か!

ますます言い出しづれぇじゃねぇかよ。


 ともかくだ。そんな短い付き合いでも分かることがある。鳩寺は相当にネガティブな奴だ。この事実がバレたらどんだけ落ち込むか分からねぇ……。あと俺も佐祐里さんに殺される。この場をどう切り抜ける……?

 ……ダメだ、何も思いつかねぇ…!


 一人だけ心配そうな眼差しを送ってくる鳩寺を騙すようで心苦しいが、今はとにかく時間を稼いでその間になんか考えるしかねぇ!


「どうしたのハル」

「あっ!あー!喉が渇いた!死ぬ!」


 とっさに出たのは昨日と似たような雑な誤魔化しだった。


「お茶貰う?あ!私が淹れようか?」


 恵里は心配そうに見つめてくる。いや、騙されんなよお前。


「いい!いい!」


 両手を振って恵里を止めた。いや、恵里の茶が飲みたくねぇ訳じゃねぇ。恵里の淹れる日本茶は旨いし久々に飲みてぇが、残念ながら今はコイツを一度外に追い出すのが先決だ。

 放っておくとまた何を言い出すか分からねぇからな……。


「えぇと……ああ!そうだ!」


 俺はポンと手を打った。

 ……いや、実はまだ何も閃いてねぇ。早まった。間が持たねぇからと勢い余っちまった。だが、何故か恵里がおもむろに立ち上がった。


「分かった!買って来るわねソーダ!」

「へ?」


 恵里は勢い良く駆け出すと、窓から飛び降りた。

 待て。頭が追いつかねぇ。

 あっ『そうだ』を聞き違えたのか。アホか!

 いやそれよりも大丈夫なのか?ここは三階だぞ。勿論、あいつは怪我一つなく着地するだろうが目立つのが問題だ。

 ……恵里なら目撃されても『恵里だから』で済まされそうだがな。


 突然の奇行の理由は、多分自販機との最短距離を選んだ結果だ。俺は校内の自販機の位置なんて細かく把握してねぇが、剣道部の恵里は俺よりはよく使う筈だから、把握してても不思議はねぇ。躊躇なく飛び降りを選択すんのは不思議だが。

 ともかく結果的にだがお陰で助かった。


 いや何がお陰だ!元はと言えばあいつのせいだ!だいたいまだ助かってもねぇ。

 脳内一人ツッコミに疲れて、俺は座ったまた窓の外を見ていたが、その視界を人影が駆け抜けた。

 朝来だった。窓枠を掴んで叫ぶ。


「私オレンジジューース!!」

 

 遠くから「分かったー!」と恵里の返事が帰ってくる。


「お前ら、うるせぇからメールでも使えよ」

「見落とされたら困る」


 朝来は窓枠から手を離して振り向く。


「そうかよ」


 数分の間じゃメールなんていちいち気にしねぇだろうから、一理ある……のか?

 呆れながらふと横を向くと、キラキラした眼差しの鳩寺と目が合った。


「ひっ!……さ、さぁ仕事に戻るか…」

「あのぅ……」


 制服の裾を掴まれた。よせ。男にそんな真似をされても困る。女でも別の意味で困るが。


「やっぱり……名前で呼んでもらうのはおこがましかったでしょうか……」

「いや、おこがましいだとかじゃねぇんだけどな…」


 俺は上目遣いの視線から逃れるように背を後ろに傾けた。横を向くと久浦と目線が合った。

 こいつは、というか皆さっきから俺の事情を察してくれてはいたが、突然の事態に戸惑って助け舟を出せねぇでいた感じだった。まあ恵里みてぇな勇み足よりはマシだけどな。久浦が口を開く。何か打開策を閃いてくれたのか?


「片桐、可愛い後輩の頼みだ。素直に呼んでやればいいだろ」


 久浦テメェーッ!!!

 澄まし顔だが目が笑ってやがる。


 一見、最適解な気もするが、考えてもみろ。自分の親兄弟や友達と同じ名前の奴が他にいたとして、ソイツに同じ呼び方を出来るか?俺は嫌だ。鳩寺をノゾムとは呼べねぇ。

 やっぱり結論としては、鳩寺にノゾムのことを隠したままで呼び方を現状維持するかアダ名を考えてやるしかねぇ訳だ。

 

「な、なぁ鳩寺……他の呼び方じゃあ駄目か?」

「すみません」


 鳩寺の笑顔が消えた。


「ご迷惑ですよね…」

「うっ」

「ただでさえメールを一日に何通も送ったり……多いときは二十通も……」

「自覚あんならちょっとは減らせ」


 コイツがイギリスにいる間はしょっちゅう報告や相談が送られてきたもんだ。大半は佐祐里さんと俺の両方宛だが、中には俺だけに宛てたのもあった。そういうのは主に弱音や愚痴だったな。SNSもそれなりに多かったが、長文が多くてSNSだと読みづらいからメールにしろ、と言ったらメール主体になった。


 佐祐里さんには弱みを見せたくねぇってのは分からねぇでもねぇし、俺も頼られて悪い気はしなかったか。それに佐祐里さんの為にもなるだろうしと出来るだけ付き合ってはやっていたが、いかんせん数が多過ぎた。


 だからって無視すると落ち込みやがるしなぁ。戻ってきてからのここ数日は落ち着いてるが、今後はどうなることやらな。


「すみません……本当に……!」

「いや自重してくれりゃいいから……な?」


 鳩寺の手に肩を置いて宥める。


「それより、呼び捨てじゃ馴れ馴れし過ぎるよな?」

「いえ!そんなこ」

「そ、そうだなぁ……お前は人間だから……」


 俺は言葉を止めた。鳩寺は怪訝そうに見ている。

 しまった、ついクワガタ気分で考えちまった。なんだ『人間だから』って!

 クワガタ相手だと種類や色、性格を見て人間風の名前をつけてから、下の名前で呼ぶのがいつもだ。アダ名では……呼ばねぇな。

 待てよ、よく考えたら人間もラッタ以外はアダ名で呼ばねぇな俺。

 ラッタってアダ名を付けたのも俺じゃねぇし…。アダ名ってどうつけりゃ良いんだ!?


「先輩?」

「おっおう。そうだな……鳩寺だから……『トデラ』ってどうだ?」

「それじゃあ別の苗字みたいだろ」


 久浦が呆れ声で言いやがった。言い返せねぇ……!


「じゃあ、望だから……『ゾミー』!」

「……」

「「……」」


 空気が凍った。

 書類やキーボードの音も止まった。


「片桐くん……頭大丈夫?」


 金枝先輩が可哀想なものを見る目で俺を見てくる。他の皆もだ。

 朝来は……朝来もだ!


「ゾ……ミー……」


 鳩寺に至ってはこの世の終わりのような顔をしていやがる。そりゃそうだ。俺だってそんなアダ名を付けられたらそうなる。

 誰だ付けたのは。俺だ。

 ダメだ。俺にアダ名を付けるセンスはねぇ!救いを求めて周りを見るが、皆もこれと言ったアイデアは思い浮かんでいねぇようだ。どうする……?


「あれ?」


鳩寺が何かに気付いたようだ。俺の目線を追うように周りを見ていた鳩寺はショーケースに視線を注いでいる。


「げっ」


ケース正面の一番上の金属部をノゾムが歩いている。


「あっもしかして片桐先輩のクワガタですか?」

「お……お……おぅ……」 


 まずいまずいまずい!

 ……いや待てよ。考えてみれば、鳩寺はノゾムたちの名前は知らねぇ筈だ。話題に出した覚えもねぇ。それにクワガタの個体の見分けがつく奴は意外なほど少ねえ。種類すら分からねぇってんだから驚く。だから大丈夫だ。


「この子はなんて名前なんですか?」


 ダメだった。

 適当な別の名前を言うことは俺には出来ねぇ……。大げさに言えばキリシタン刈りの踏み絵みてぇなもんだ。そもそも適当な名前を呼ぼうにも俺のセンスじゃそれこそ思いつかねえ……!

 詰んだ。



「鳩寺」


 呼びかけたのは藤宮先輩だ。


「そういえば戻ってきてからすぐ作戦が始動したから、まだ聞いていなかったな」

「な、何でしょうか?」

「……イギリスでの生活のことだ」

「えっと…何をお話すれば……」

「その……生活の……」


 いつも通りに落ち着いて見える藤宮先輩だが、割りと焦っている。話を逸らそうと咄嗟に動いてくれたようだが、お互い日常会話が苦手同士だったのが災いしちまった。


「向こうの学校は毎日どんな感じだったの?」


 金枝先輩がフォローを入れてくれた。


「はい!ええと……まず寮生活だったので、その時点でこっちにいたときとは違うかも知れませんけど……」


 鳩寺が元気に喋りだした。これは多分タイミングがあえば自分から話したいと思ってたパターンだ。メールでもよくそういう時があった。助かった……。俺たちは話を聞きながら作業を再開し始めた。


「ただいまー!」

「うげっ!?」


 勢いよく扉を開けて恵里が戻ってきた。


「そっちか」


 ずっと窓の方を見ていた朝来が扉の方を向いた。いや、窓から戻ってこられてたまるかよ!


「ごめんねー。窓から戻ったほうが早いとは思ったけど、陸上部が来ちゃって…」

「思うな!」

「窓から降りるのは誰でも出来るから平気だけど、登るのはちょっとまずいかなぁって思ったから、普通に戻ってきたわ」

「お前の判断基準はおかしいんだよ」

「それより……はい!」


 恵里は自分の席側を通って俺のところに来ると、買ってきた飲み物を渡してくれた。黒豆ソーダとかいう奴だった。


「ありがとうな……」

「うん!」


 恵里は良い笑顔を見せると、そのまま左回りで朝来の方へ向かった。


「ものすごく感謝する」

「良いから良いから」


 俺が異形の炭酸に気を取られている間に恵里は朝来にジュースを渡し、そのまま自分の席に戻ろうとしていた。


「あっそうだった」


 恵里は立ち止まった。ショーケースの前だ。あっ。


「鳩寺くん。ほら、これよノゾムって」


 恵里がケースの上のノゾムを指差しやがった。


「え?」

「だから、この子がノゾム」


 恵里はノゾムを手に乗せて俺たちの方に戻ってきた。


「……」


 ポカンとする鳩寺に、恵里はノゾムを差し出してみせた。


「さっきの話、ハルが呼んでたのは鳩寺くんじゃなくってこの子よ」


 ノゾムはジャキンジャキンと自慢げに鋏を鳴らす。


「恵里……お前……お前……!」


 言葉にならねぇ俺に対して、鳩寺はゆっくりと首を回して見つめてきた。


―――――――――――――――――――――――


「すまねぇ!本当!気が付かなくて!」

「いえ、こちらこそ!僕如きが簡単に名前で呼んで頂ける訳がなかったんです!」

「そうじゃねぇ!……でもそういう訳だからお前の呼び方は、鳩寺で勘弁してくれ!」

「それは……!」

「………俺のアダ名のセンスは思い知ったろ?」

「………鳩寺でお願いします」


 俺たちが互いに土下座し合っている所で、再び扉が開いた。


「片桐くん……?望くん……?」


 顔をそっと上げてみると、佐祐里さんが俺たちを呆然と見下ろしていた。


「その姿勢……まさか!」

「まさか?」

「……とうとう心までクワガタになっちゃったんですか!?望くんまで!?」

「とうとうって何すか!?」


 佐祐里さんが俺のことを『コイツ、そのうちクワガタになりそうだな』と認識していたことにショックを受けている間、ノゾムは鳩寺の頭上で鋏をゆっくりカチカチと鳴らしていた。

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