4-3「風間新司」

「……ふぁああ……」

「眠そうだね?」


 金曜の朝。いつものバスを待ちながら、俺は手を口で押さえた。

 瑠梨は交差させた腕で体を擦る。今は一月後半、まだまだ冬真っ只中だ。


「徹夜?」

「ん、いや?昨夜遅くまで黒音さんと一戦やってただけだぜ」

「…………ふぅん。それなら今日は無理に迎えに来てくれなくても良かったのに」

「いや、別にゲームしてただけだしな」


 バケグモと姑獲蝶の事件の煽りで、本部はまだ忙しいってのに呑気に遊んでた訳だからな。日課くらいはちゃんとしなきゃいけねぇ。

 いや、手伝おうとはしたんだぞ?ただ仮にも病み上がりだから、休んでろと追い返されちまって、訓練室すら使わせて貰えねぇ始末だった。


 そこを黒音さんに捕まっちまったのが昨日の学校帰りのことだ。

 療養の為の時間で夜更かししてちゃ本末転倒なんだが、断りきれなかった。


「それくらいは別に良いと思うよ。私のお迎えも休んで、寝ておけば良かったのに」

「そんなこと言ったって、これも俺のし……」


 俺は言葉を止めた。別に口を噤まねぇでも、これは瑠梨も知っていることだ。それでもあんまり表立って話したいことじゃねぇ。

 少し話題をずらすか。


「………」

「そもそも。お前、一人で起きれんのかよ?」

「起きれるもん」


 瑠梨は少しむくれてみせた。


「そんなこと言ってお前、水曜は会長に起こしてもらったんだろ?」

「うん!!」


 瑠梨はすっげぇいい笑顔で肯定しやがった。

 水曜の朝は俺はまだ入院中だったから、会長が替わってくれたんだ。

 ちなみに火曜は巫女業の後で二限目から学校だったから、どの道無理に起こしに行く必要はなかった。


 瑠梨は、昨日はこんなことを話しながら登校したんだと嬉しそうに話す。

 いっそ毎朝起こして貰ったらどうだ、と言いたくなったが止めておいた。肯定されちまったら何か立ち直れねぇ気がする。そもそも会長は俺より遥かに忙しい上に、家も遠いから毎日はとても無理だけどな。

 だから、


「よかったな」


 とだけ返しておいた。


「うん!……でもさゆちゃんも、平気だって言ってるのに無理して来てくれて、嬉しかったけど悪いことしたなぁ」

「別にお前のせいじゃねぇだろ」


 そこへバスが来たので、話を中断して乗った。


「……でも、はる君のせいでもないからね?」


 いつもの席に座ると、瑠梨はそう言って話を再開した。


「いや、俺のせいでいいだろ」

「えー。無理したのは良くなかったけど、頑張って戦った結果入院したんでしょ?何も悪くないよ」

「違ぇだろ。俺が弱かったせいだよ」

「そんなこと無いよ」

「俺がもっと強けりゃ、余裕でバケグモをぶっ倒して入院もしねぇで済んで、会長やお前に余計な世話掛けねぇで済んだんだよ……恵里やラッタたちにもか」

「でも」

「一昨日のもそうだ。もうちょい上手く立ち回れりゃ早めに乃愛たちを助けられた筈だ」

「それは後からだから言えることでしょ?」

「かもだけどよ……」


 俺は両手を握り合わせて、それを見つめた。


「ダメだよ。はる君」


 瑠梨がその両手を取ってゆっくりと解いた。


「そもそも皆で戦ってるんだから、そんな言い方は皆にも失礼になるよ」

「それは……」

「はる君はもうじゅうぶん強いんだから、ね。精一杯自分に出来ることをしたんだから、自分を責めちゃダメだよ。はる君にしか出来ないことが一杯あるのは自分で分かってるよね?」

「……まあ、そうだけどよ」


 口ではそう言ってみるが、瑠梨が認めてくれても、素直には頷けねぇ。

 並列思考や昆虫との会話は俺だけの力だし、有用性もある。でも必須って訳でもねぇ。代わりは効かねぇが穴埋めは出来る。具体的に言うと俺がいねぇ日はドローンを多めに持っていけば良いだけの話だ。そりゃ俺がいればコストの節約にはなるけどよ。そもそも俺じゃなくクワガタたちの力だ。


「分かったよ。ありがとな」

「うん。分かればよろしい」


 瑠梨は手を離すと、何故か自慢げに胸を張ってみせた。俺が納得いってねぇのは分かってんだろうけども、この辺で手打ちにしてくれるみてぇだ。


「ところで瑠梨」

「なに?」

「さっきの言い方だけどよ」

「うん」

「『じゅうぶん強い』とか言われると、ゲームの成長上限みたいだからやめてくれ」

「ええ?……そんなこと言われても困るよ。あっ」

「ん?」

「言い方といえばはる君」

「なんだよ」

「……さっきの言い方だと、黒音さんといかがわしいことをしたようにも聞こえるから気をつけたほうがいいよ?」

「……何の話だ?」



―――――――――――――――――――――――――――


 生徒会の朝会議は会長がいなかった他には変わったこともなく、少し早めに終わった。週の前半、俺がいねぇ間にヘルプの新司が頑張り過ぎたのかも知れねぇな。

 俺がいないおかげで捗った、とか抜かした久浦を小突いたら朝来あさごに蹴りを入れられた。座ったまま足先で蹴る……とか可愛げのある蹴り方じゃねぇ。

 テーブルの下をくぐり抜けて放たれたアレは、サッカーのスライディングみてぇなえげつない蹴りだった。二十分くらい経ってもまだ足が痛ぇ。

 もし浮気なんかしたら久浦の奴、首の骨でも折られるんじゃねぇか?……要らねぇ心配だけどな。


 会長が休んだのは、予定より一ヶ月遅れで戻ってくる『アイツ』を迎えてやるための準備らしい。今日は午前の授業だけ受けて、午後は早引きするそうだ。

 アイツも先輩に迎えられたら喜ぶな。


 ……いや、それはねぇか。


 絶対ない。

 喜ぶより先に早引きさせた罪悪感で自殺しかねねぇのがアイツだ。

 ……なんだか不安になってきたが、俺が今更気にしても仕方ねぇか。会長と付き添いの二人を信じよう。




 痛む足を時折撫でながら教室に着くと、生徒はまだ半分くらいだった。まだ始業まで十分あるからな。

 近くの奴と挨拶を交わして荷物を置いてから窓側の乃愛の席へ向かう。乃愛は自分の席で、友達と話していた。乃愛は事件の翌日、つまり昨日の夕方には退院できた。

 衰弱はしていたが、怪我自体は軽傷だけだったのが不幸中の幸いだった。ガキ共も乃愛と同じくらいかもっと軽症だった。全員、麻痺毒の解毒と栄養の補給に休息だけで、後遺症もなく完治した。

 それもこれも姑獲蝶に抵抗してくれた新司のお陰だ。


「乃愛ちゃん、もう大丈夫なの?」

「うん、平気。心配掛けてごめんね」


 乃愛は気丈に微笑んでいる。妖怪に食われかけた恐怖は窺えねぇが、疲れた様子は見て取れる。


「本当、悪かったな……」

「あはは、気にしないの。ていうか全然片桐くんのせいじゃないでしょ」


 乃愛は手をパタパタ振りながら笑う。


「でもよ」


 妖怪に結界を抜けられて、一般人を巻き込んだのは俺たち僚勇会の不手際で、とっとと助けられなかったのは俺の責任が大きい。

 一歩間違えば、乃愛の代わりに花瓶と花がここにいたところだ。


「……っ!」

「はる君」


 例え無事にしても一生後遺症が残る様な大怪我を負った可能性だってあった。ガキ共も同じだ。新司が妖怪の邪魔をしなきゃどうなってたか。その新司だってそうだ。この教室とガキ共の小学校に何本もの花瓶が、


「はる君!」

「片桐くん」


 瑠梨と乃愛。

 眼の前にいる。

 俺は二人の声で我に返った。


「お!?……おう」

「怖い顔してたよ?」

「あ、ああ!悪ぃ!」


 乃愛に軽く頭を下げてから周りを見る。


「乃愛……?どうしたの?昨日は風邪で休んだんだよね?」


 乃愛の側の女子が尋ねた。他の連中もこっちに注目してる。

 やべぇ、騒ぎ過ぎた。

 どう取り繕うかと考えていると、教室の戸が開いた。

 俺は反射的にそっちを見た。。


「ふぅ、間に合った間に合った」

「新司!?」


 戸を閉めてこっちに歩いてくる新司は、一昨日あちこちの骨にヒビが入ったとは思えねぇほど平然としていた。


「お前!……大丈夫なのか!?」


 治療術式付きのベッドで寝ていたとは言え、回復が早すぎる。退院予定は明日だった筈だ。


「まあ、お陰さんでな」


 自信満々に胸を張る新司を、訝しげに睨みつけてやった。この急回復には心当たりがある。単純な話でベッドの治療魔法の出力を上げたに違いねぇ。

 出力を上げれば回復速度は強まる。最初から上げておかねぇのは、治療魔法ってのは重傷であるほど、そして回復を急ごうとするほど激痛が伴うからだ。


 かく言う俺も高出力の治療を受けたことがある。

 あの時は骨折部分どころか、無事な部分を含めた全身の骨を同時に金属でコンコン小突かれ続けるような痛みが数時間続いた。それだけでも気が狂いそうだったが、それ以上に骨がミシミシ音を立てて治っていく感覚が不気味で辛かった。

 どうしても急いで全快する必要があったんで仕方なかったが、出来れば二度とやりたくねぇ。

 怪我の具合としちゃ、そん時の俺のほうが重症だったろうが、素の頑丈さは魔術師ウィザードの俺のほうが上だし、治療に対する予備知識の差もある。そこを考慮すると、きっと新司のほうが辛かった筈だ。

 ……大した野郎だぜ、全く。呆れるやら感心するやらだ。そこまでして治療を急いだ理由には察しがつく。乃愛に心配させない為だろうぜ。代わりに俺を心配させやがってコイツ……。


「おい、片桐?」


 新司が訝しむ様な声で話しかけてきた。


「おう。大丈夫……なんだよな、お前」

「だから大丈夫だって……ん?」


 新司が周りを見渡すのに合わせて俺も周りを見る。まずい。さっき以上に注目を集めてる。教室のほぼ全員が見てる。しかも徐々に生徒が増えて来てるし、面倒だな。


「いよう!おはよう!いやぁ、大変だったなお二人さん」


 その時、必要以上にデカい声で挨拶しながらやってきたのは本田たかし。頭を丸めているのにどうにも雰囲気がチャラい奴だが、これでも高月の三星寺さんじょうじの住職の息子だ。


「小耳に挟んだけど、子供会に行く途中で、木から降りられなくなった子供を助けたんだって?」

「あ、ああそんな感じだ」


 新司が狼狽え気味に返事をする。


「で、助けた直後に川に落ちちまって、そこをお前が遅いからって心配して見に来た不知火と子供らに助けられたって聞いたけど本当か?」

「あ、ああ」


 本田の声はデカく、説明口調だ。コイツは普段から声はデカいほうだから、ギリギリ不自然じゃねえ……のかな。


「本当、大変だったな。新司」


 俺もフォローを手伝う。元はと言や俺が注意を引いちまったせいだしな。あと無理しやがった新司のせい……か?


「何だよ、そんな格好いいことしてたのかよ?」


 他のクラスメイトも話に入ってきた。


「ハハ……。でも、そのせいで乃愛たちにまで風邪引かせちまったし、情けねぇよな」

「そんなこと無いわよ…でも、気をつけてよね」


 俺たち関係者の間では予め口裏を合わせてある。内容は大体今、本田が言った通りだ。新司が子供を助けようとして怪我したっていう真実をベースに脚色したものだ。


「なんで、こんな真冬にその子、木に登っちゃったの?」

「猫がいる、と思ったら光の加減で見間違えてたみたい」

「猫好きの子だったの?」

「そうそう」

 

 他の連中が会話に加わるに連れて、クラスからの注目は薄れてきたようだ。本田のフォローに感謝して目配せする。


「ちょっと新司借りるぞ」

「うんいいよ。利子つけて返してね」

「おう、つけるつける」


 この隙に、俺は乃愛に断って新司を連れ出した。


「何だよ利子って?」

「コイツだよ」


 教室真ん中後ろの俺の席に戻り、十枚ほどの紙を渡した。昨日のノートのコピーだ。


「まさか今日登校してきやがるとは思ってなかったけど、早めにコピー取っといて良かったぜ」

「悪ぃ、助かる」


 新司は大げさな動きで頭を下げて、恭しくコピーを受け取った。


「いつもは俺が世話になってるだろうがよ。今日は俺の番だ」

「それもそうか」

「この野郎」


 俺は苦笑した。


「……お前、無理すんなよな。本当」


 今度は注目を集めねぇように小声で、しかしはっきりと言っておいた。


「平気だって」


 新司はコピーを両手で持って内容を確認する。俺の目を見て言ってくれ。一通り見終えると、新司は顔を上げた。


「なあ、片桐」

「なんだ?」

「俺も………いや、何でもない」

「そうか」


 新司は何かを言い掛けて止めた。


「なあ、俺、お前の……お前たちの役に立ててるか?」

「何言ってんだよ、めっちゃ助かってるぜ」


 今更何を、と言いかけたが、止めておいた。あんなことがあってコイツも改めて思うところがあんだろう。


「そうか……」


 新司が考えてることは察せられねぇでもねぇが、俺の方から触れるのは止めとく。一度済んだ話でもあるんだ。



 予鈴が鳴った。

 新司は気持ちを切り替えるようにコピーを見ながら自分の席に戻っていく。だが途中で足を止めた。俺の方に引き返すと、神妙な面持ちで口を開いた。


「片桐……」

「今度は何だ?」

「普段は俺が貸すばっかりだから気が付かなかったけどさ……」

「なんか分かりにくかったか?」

「じゃなくて………お前……字、めっちゃ綺麗だな!?」

「綺麗で悪ぃかよ!?」


 たまに女みたいな字だとか言われるけど、汚ねぇよりは良いだろうがよ……!


 俺の怒声でまた注目が集まりかけたが、そこへ教師が入ってきて、新司は小走りで席に戻った。

 いつも通りの、健康体そのものの動きだった。

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