4-2「小方磐司」
「兄さん!?いつの間に外に……げっ」
玄関に駆け寄っていた黒音の足が止まった。
「こんばんは~。『げっ』はひどいなぁ」
盤司の後ろから顔を覗かせたのは、黒音の同級生にして鳥姫神社の巫女でもある松島
「インターホン。気が付かなかったのか?」
円の訪問に一人気付いた盤司は、ゲームに熱中する二人を他所に彼女を下に迎えに出ていた。その手にある白と紫の大きな風呂敷包みは、片桐にもよく見覚えがある円の愛用品だった。
黒音が渋々といった様子を隠さずに部屋の外へ顔を出す。片桐もようやく玄関まで出て、円の顔を確認した。円は焦げ茶色のセーターの上に茶色のコートを着てベージュのマフラーをしていた。
「あら、ハル君も来てたのね」
「……どもっす」
片桐も円が時々兄妹の様子を見に来ていることは知っていたが、その現場に出くわすのは始めてだった。
半年以上前の磐司たちは夜型生活で、片桐が訪れるのも夕食時以降が多く、一方で円は神社の仕事を終えてから夕食前に訪ねるのが殆どで、時間が重なりにくかったのだ。そして兄妹の生活リズムが変わってからの半年は互いに忙しく、円はともかく片桐は久々の訪問だった。
「松島さん、上がっていって下さい」
磐司は年下にも基本は丁寧語で話す。流石に片桐のように十歳以上下の相手には普通に話せるが。
「大丈夫です。すぐ帰りますから」
「どうせ下で彼氏待たせてんのよ、察しなさい兄さん」
「そうか」
このマンションは町外れにあり、円の家や鳥姫神社からは二キロ以上離れている。
その上、冬の夜は早い。風科は(妖怪を抜きにすれば)治安は良いとは言え、女性が一人歩きするにはやはり心許ない。
そもそも、ただでさえ足元が見えづらい身体つきの円には夜道は物理的に危なくて仕方がない。夏なら自転車で来ることも多いが、冬場や雨の日はたいてい彼氏が車で送ってくれているのだ。この後は円か彼の家で共に夕食を取るのがいつもの流れだ。
……といったことは、普段円の応対をする黒音ならよく知っているので、上がれなどとはまず言わない。磐司も知らない訳ではないのだが、当然の礼儀として反射的に招いてしまったのだった。
「相変わらず過保護なのね、黒音」
「悪い?」
「過保護は認めるんだ……」
「むしろ不足よ」
「もう少し信頼してあげなよ、磐司さんを」
「それで何かあったら、アンタ責任取れるの?」
「黒音」
今にも掴みかからんばかりに詰め寄る黒音の前に磐司から風呂敷包が差し出された。
「松島さんは関係ないだろう」
黒音は両手で受け取る。
「また滅茶苦茶作ってきたわね」
手の中の重みに黒音は呆れ声を出した。包みは重箱五段ほどある。円の差し入れは神社での勤務中に神饌のついでに作ってしまうのだが、北里家だけでは消費しきれない神饌を分けてもらうせいか、つい気合も入って量が増えてしまうのだ。
とはいえ、普段なら二・三段といったところで、今日は平均の倍近くある。
「一段目は足が早いやつだから、明日中までには食べちゃってね」
「はいはい」
「いつもすみません」
盤司が深々と頭を下げる。黒音の態度の悪さを埋め合わるかのように……角度で言えば百度以上も頭を下げた。
「頭、上げて下さい。まとめて作ってるだけですから」
円は困ったように苦笑する。黒音は苛立たしげな表情を壁に向けている。
「下まで送って行きます」
一分ほど話した後、帰ろうとする円に盤司が言った。
「大丈夫ですよ」
「いえ、私が行くわ。人のこと気にしてないで、デートの一つも行けって文句つけてやらないと」
「いや、その前に礼言えよ」
片桐が釘を差した。
「あはは。私がお願いして連れてきて貰ってるんだけどね」
「アンタも……!彼氏の気持ちってのを考えなさいよ。彼女にドライブの誘いを受けて、連れて行かされる先が他の男の家って何なのよ」
「う、う~ん……」
「そう言われるとヒデェ話だな」
片桐は苦い顔で唸る。二人はただでさえ会える時間が少ない筈だが、それを彼女の友人のために使わされている。どれだけお人好しの彼氏だと言う話だ。哀れむべきか尊敬すべきか悩みどころである。
「というか実質、女の家だ」
「どうせならラブホにでも誘ってやりなさいよ」
「巫女に何てこと言うの、黒音ちゃん……」
「黒音……」
円と盤司が呆れ、片桐が顔を顰めた。円はマンションの廊下にいるというのに何ということを言うのか。慎みはないのか。
「良いじゃないの。挿れなきゃセーフなんだから、ソイツで色々やってやんなさいよ」
黒音は円の胸を指差す。
「だから!ここ廊下!」
「ハル、お前も静かに」
黒音を止めようとして思わず声を荒げた片桐を盤司が制した。
「お、おうすまねぇ……けど俺悪くねぇだろ今の」
「もう、黒音ちゃんたら」
円は腕をクロスさせて胸を庇い、男たちは目を逸らす。円は小声で続けた。
「そういうのはそういう場所じゃなくても大丈夫だから……色々……やりようもあるし」
片桐と盤司は無言で見つめ合うと、円に会釈して、先に家の中に戻った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
円を送った黒音が戻ってから、夕食になった。いつもなら作り置きを解凍した米と味噌汁と、惣菜が一・二品といった質素な食事だが、今日は重箱五段が加わり、良い意味で盆か正月かといった様相を呈していた。
「埋め合わせとでも言うつもりかしらね……」
黒音は舌打ちしながら舌鼓を打つという器用な芸当をやってのけた。円は普段なら週に二・三回くるところだが、バケグモの騒動の前後から互いに都合が合わず、一週間以上全く来られていなかった。重箱五段はその反動らしい。
食事を終えると、片桐と磐司が後片付けを担当し黒音は先に風呂に入った。
「ハル……ありがとうな」
「え?」
片桐が洗った食器を棚に片付けてながら、磐司はおもむろに礼を言った。
「お前達には心配を掛けてすまない……龍一や万理……すまん」
片桐の表情が固まるのと磐司が言葉を止めるのとほとんど同時だった。
「龍一……たちにもよく世話を掛けたな」
龍一は磐司の同級生で、引き篭もっていた頃の磐司をよく見に行ってたらしい、と片桐は聞いていた。
「俺は別にそんなんじゃねぇよ。本当に遊びに来てるだけだし、今日は『俺の方の礼』もあったからな」
「それでも、すまない」
「いや、少なくとも謝ることではねぇよ」
片付けを終えてお茶を淹れたところで黒音が風呂から上がってきた。
「湯上り美人が戻ったわよ」
「自分で言うな」
「で、次はどっちが入るの?私のダシが出たお風呂に」
長い髪をタオルで撫で付けるように拭いながら、何故か挑戦的に微笑んだ。
「悍まじいことを言うなよ……入りにくくなるだろうが……」
「あら、ずいぶんね」
「ピンク……謎の粘液……うっ」
「だ、大丈夫……!?」
先日の愛衣の奇行を連想した片桐は思わず口元を抑えた。あの液は一体何だったのかと考えるのも怖気が走る。少年のただならぬ様子に黒音も思わず素で心配になった。
「お、おう……でもちょっと休ませてくれ」
「じゃあ俺が入ろう。良いか?」
「ああ、それで風呂貰ったら帰るぜ」
「そうなのか?」
「何よ……今日は泊まっていきなさい」
「え、いやでもよ……」
片桐に急ぎの用はない。遅くなった場合に備えて、クワガタの餌はゼリーを空けておいたので、泊まれなくはない。(とはいえ、適度に新鮮なフルーツを提供しないとクワガタたちが機嫌を損ねるのであまり望ましくはないが)
「遠慮はいらないぞ」
「そうよ、恋人でも新婚夫婦でも無いただの兄妹の家なんだから気にしないで泊まっていきなさいな」
「何だその長え名詞句は」
「じゃあ……そうね、久々にロープレのRTAをしましょう」
「嫌ってわけじゃねぇけどさ……明日金曜だぜ?」
黒音がテレビの下から引っ張り出したロールプレイングゲームは、四半世紀ほど前に発売された有名タイトルだが、普通にプレイするとクリアするのに半日は掛かる。
初見なら三十時間以上、二回目以降なら普通は二十時間でも早いほうだ。
古いゲームと言うこともあり、早解きの手段は研究され尽くしている。バグや裏技に頼らずにクリアを目指す
しかしこのゲームにはプレイ時間を記録する機能がない。不正のないよう公平を期して競うのなら互いを監視できる距離で同時に始めるのが望ましい。
要するに、五時間以上ぶっ通しでゲームに付き合えということになる。
せめて今が夕方か金曜日なら考えないでもなかったが、木曜日の九時半から始めるのは厳しい。そもそもRPGの早解きを競うのなら、数日前から体力とスケジュールの備えが必要だ。思いつきでとっさに始めるものではない。
「じゃあ北の大陸クリアまででいいから」
「それでも二時間くらい掛かんじゃねぇか」
「今日は宿題も餌やりも済ませたんでしょう」
「一応な……でも俺は朝早ぇの知ってんだろ?」
「勝ったら円の胸を揉ませてあげるわ」
「!?」
黒音は左手を腰に当て、右手で自分の胸を平手で叩くかの様にした。自分の発言内容とのギャップに気が付き、すぐに手を下げた。
「……いやいやアンタに何の権限があんだよ!そして早速恩を仇で返そうとすんな」
「じゃあハンデとして私のセコンドに兄さんをつけるわ」
「何でそれで譲歩したつもりになるんだよ?」
「俺はどっちに対してのハンデなんだ」
磐司の名誉のために言っておくと、彼は人のプレイは基本無言で観賞する。アドバイスを頼んでも必要最小限で、普通なら邪魔にはならない。ただ、黒音の場合は兄が真後ろにいると、なぜか凡ミスが増えるのだ。先程は片桐と彼女の中間の位置だったので問題がなかっただけだ。
「んじゃあ、勝てたら国産高級昆虫ゼリー百個入りを四パック!……奢ってやるわ」
「国産……!高級……!百個入り……!四パック……!」
具体的に言うとこれは三~四千円ほどにはなる。僚勇会からかなりの給料をもらっているし、餌にも補助金がでているが、それでも餌台は馬鹿にはならない。
勝てたらという条件付きだが時給千五百円強のバイトと考えれば、悪い話ではない。少なくとも片桐の思考はそちらに傾いた。
「……乗った」
「じゃあ泊まっていくんだな?」
「ああ、朝は四時前に出るから後で鍵貸しといてくれよ」
ここはオートロックマンションだがドアにも郵便受けはある。そこから鍵を入れれば良い。
「分かった」
「じゃあ兄さん、早く入ってきてちょうだい。十時過ぎに始めて十二時過ぎに寝るわよ」
磐司が風呂に入ると、黒音は借りてきた猫のように静かになった。椅子に座る片桐の周りをうろちょろと歩き回る。片桐は最初は目で追っていたが、疲れたの途中で止めた。それでもなおグルグル回っている。
「何だよ……」
「えっと……」
黒音はモジモジと両手を弄り、目線を逸らした。
「客の俺が言うのも何だけど、座ってくれよ」
「……うん」
黒音は片桐の隣に座った。
「先に俺からな。ありがとな」
「ええ」
黒音たちは昨日の姑獲蝶騒ぎの中で、蝶の巣で見つけた片桐のクワガタの死体を持ち帰っていた。行方不明だったクワガタは、蝶に捕食されたバケグモか、蝶自体を深追いしてしまったらしい。
「アナタも慰霊碑を手伝ってくれたからチャラよ」
一方の黒音は蝶の幼虫を、成虫を引きつけるために電撃でじわじわとなぶり殺しにしていたので、昨日は慰霊の儀式を念入りにやっておいた。片桐はクワガタの件の礼のつもりで即席の慰霊碑の建立を手伝っていた。
「……ありがと」
「おう。つっても、全然大したことしてねぇんだけどな」
「そう、かもね」
慰霊は殆ど当事者と神社がやることで、片桐は物を運ぶなどごく簡単に手伝っただけだった。大したことをしていない、というのは謙遜でもない。黒音の礼には何か別のことへの謝意が含まれていると感じた。
「本当、何も気にするこたぁねぇよ……世話になってんのは俺の方がもっとだぜ」
「夜のオカズ的な意味で?」
「それはねぇ!!」
片桐が悍ましげに首をブンブン横に振っていると、風呂から出てきた磐司がそれを怪訝そうに見た。
「ハル吉、お湯が減ってるだろうから足して入りなさい」
「……俺が飲んだみたいに言うな」
「中に入っちゃったの?」
「沸いているんだから、入る」
「飲まないんならハルリンに残しておきなさいよ、兄さん」
「俺だって飲まねぇよ!あと変な呼び方すんな!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
残り湯を飲むことなく風呂を出て、ゲームをプレイして眠る頃には十二時半を回っていた。
ゲームは僅差で片桐が勝利した。黒音の敗因は最後のボス戦で、運悪く混乱のバッドステータスを受けて一度全滅したせいだった。混乱使いに攻撃を避けられて仕留め損ねたところに混乱を食らってしまった。どちらも確率で言えば中程度。不運が二つ重なった形だ。その隙に片桐は危なげなくボスを仕留め逆転勝利を収めた。
直前まで差をつけていただけに黒音はかなり悔しがっていた。意図的に出来る負け方ではなく、いわゆる接待プレイではないのは明らかだった。
片桐たちは布団を三つ敷いた。片桐を挟んで両隣に二人が寝る形となった。
「いや、おかしいだろコレ」
「他意は無いのだけれど、いわゆる川の字みたいね、他意は無いのだけれど」
「あってたまるかよ……じゃなくて、普通、俺と黒音さんの間に盤兄だろ。良いのかよ?」
「まずいか?」
「まずいだろ。俺を信頼してくれてんのは良いけどよ……その……偶然事故って手が変な所に……とかも有り得るんだぞ?」
「そうか」
磐司はそう言うと布団を深く被って寝る体制に入った。仕方なしに、片桐も磐司の方を向いて布団を被った。その背後から布団に潜り込む者がいた。
……当然黒音だった。
「……!?」
黒音は片桐の首に手を回して、顔を寄せてくる。
(なんだ!?混乱魔法が画面の外の黒音さんにも効いちまったのか!?)
などと馬鹿なことを考える間にも、黒音は上半身まで寄せてきた。胸が当たりそうで当たらない。届かない。片桐は声を出そうとしたが、何というべきか思いつかず困惑する。
「……ありがとね」
黒音が口を開き、片桐のうなじに息がかかる。
「え……?」
「泊まってくれて、よ。たまには外の風を入れないと……やっちゃいそうだし」
「何をだよ」
「……」
「誰とだよ」
「……」
「おい」
三十秒ほど無言が続き、っやがて再び黒音から口を開いた。
「助かったわ本当。今日、危ない日なのよ……」
「……頭が?」
「言ってくれるわね」
黒音が下半身までも片桐の布団に潜り込ませてくる。
「おい!ちょっと!」
「どう危ないか思い知らせてや」
「黒音。青少年健全育成条例」
磐司の言葉で黒音はピタリと動きを止め、逆回しじみた動きで自分の布団へするりと舞い戻った。
「流石に条例は怖ぇのかよ……」
片桐は呆れて黒音の方を見た。
(やっぱ無理よね……)
その声は片桐の位置でギリギリ聞こえた程度の小さな呟きだった。
何が、どう、誰にとって無理なのかは分からなかったし、考えないほうが良いように思えた。
「おやすみ。二人共」
片桐の言葉に返事はなかった。磐司は既に寝ているだけかも知れないが、少なくとも黒音が狸寝入りなのは片桐には分かっていた。
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