3-14「目標B」

 突風の衝撃から誰よりも先に立ち直ったのは片桐だった。というよりも立ち直らなければ墜落していただろう。


「今のが……姑獲蝶だってのかよ!?」


 その問いに答える者はない。通信が乱れている。地上は舞い上がった土煙で覆い隠されていて様子が見えない。

 にわかには信じがたいが、この暴風を巻き起こしたのは確かに蝶だった。上空にいたがゆえに誰よりも最初に確認できたのが片桐だ。

 

 蝶から距離があったとはいえ風の影響は少なくない。左手の剣の制御下の刃は、殆どが吹き飛ばされた。温存していた右剣は無事だが、残る刃は合わせて二十三枚のみ。

 未だ三人を掴んだままの姑獲蝶……目標Aはつがいが起こした暴風を利用して再び地上五十メートルまで上昇していたが、片桐も同じ要領で追い縋っていた。

 蝶は脚を一本半切り落とされたたが、動きには支障は出ていない。むしろ子供一人分の重量が減って機敏になったように見える。これを避ける為に全員を同時に助けたかったのだが、もう遅い。

 片桐の目には、Aはつがいが来るまで力を温存していたようにも見えた。


(早く気付いてれば……!)


 姑獲蝶との交戦経験の少なさが仇になった……と考えたところで脳内で首を横に振った。Aの手加減に気づけていても、Bの異様な高速突進など予見できるはずもない。

 考えを切り替える。



 今、何よりも厄介なのは突風で大量かつ不規則に撒き散らされた鱗粉だ。

 鱗粉の舞い方は一様ではなく、薄い部分も多いが、点在する濃い部分に巻かれれば刃は力を失ってしまう。目標Bそのものへの対処は地上に任せるとしても、常に全方位に注意を払わねば救助や足止め以前に自分が墜落してしまう。

 片桐は慎重に風の流れを読むと、両手に剣を持ち、最小の足場で蝶Aに接近を試みる。

 蝶は頭上にいる片桐を迂回して、更に上空へ向かおうとする。


「させるか……っ!」


 進路を阻もうと飛ばした刃が落ちた。月明かりにきらめく鱗粉の塊が見える。迂闊に踏み込めない片桐を他所に、何処かへ逃げようとする蝶の進路を地上からの狙撃が阻んだ。

 狙撃手のうち、いち早く体勢を立て直せた数名からの援護だった。


『……片……君!……狙撃手の人たちと通信を開……ます。貴方のタイミングで指示し……下さい!』


 鱗粉の影響か通信設備にダメージがあったのかは不明だが、ともかくノイズが酷いが、辛うじて意図は聞き取れた。


「……下は大丈夫かよ?突っ込んできたのはつがいで良いんだよな?」

『はい。間違……姑獲蝶です。飛行速度が時速六百キロ……ていましたが……。そちらには礼太くんと幸川さんが向かいました!』

「そうか…じゃあ任せた!」


 再び鱗粉の切れ間が見えると、片桐は宙を駆け蝶に接近した!


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「本部より戦闘域全隊員へ!死者・重傷者は出ていません。まずは落下物に注意を!盾や車両で頭を守って下さい!冷静に行動を!」


 突風から二十秒後には紹子が現場の状況を取りまとめて優先事項から順に伝達・警告する。時速六百キロの暴風は刃以外にも軽盾や車の窓ガラス片などを空中に巻き上げていた。

 重傷者はいないが、多くの者が軽傷を負っている。


『こちら救護班!郡田さんから女の子を預かりました。体温は低下していますが、命に別状はありません!』

「他の小学生ニ人はこの子より年上の男の子、後は乃愛さん……無事でいる可能性が高いですね。皆さんに伝えてください」

「はい!……『救助した少女は無事です!他の三人も無事な可能性が高いと思われます!』」


 身体的に一番弱いであろう少女が無事であるのなら、他も無事だろうと副司令は推測し、みちるにそれを伝えさせた。

 混乱する戦場に僅かな安堵が戻る一方、被害の続報も止まらない。


『高所作業車が横転しちまった!今、運転手を助ける所だ!多分大怪我はねぇけど、ニ・三人回してくれ!』

『トラックや他の車両はあちこちにぶっ飛んだけど、こっちも皆生きてる!一・ニ台は道が開いたら動かせるかも知れねぇ!』


「分かりました。狙撃手は自分の安全を確保しつつ上空の援護を。他の人は車両の救出と復旧に回って下さい。」


 副司令が指示を伝えていく。


「永友礼太、幸川拓斗両名は直ちに接近戦にてBの討伐を。 狙撃手はもう数名だけ片桐くんの援護に回し、残りはニ人の援護をお願いします!万一に備え、周囲の警戒も維持して下さい。各中隊長は詳細な編制を指示後、本部に報告を都度行うように。目標Bの突進に警戒し、人員・車両は可能な限り一度道路の両脇に寄せて下さい。Bの討伐後に再展開しクッション作戦を再開します」


 今、無防備に路上にいては今度は死傷者も有り得る。救助が中断することに一同は歯噛みする。一人目が無事だったとはいえ、長引けば他の三人が危険だ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――


 出撃指示を受け取る数秒前、幸川は護衛していた瑠梨と共に暴風を逃れ林に飛び退いていた。

 二人の眼前で、バランスを崩していた作業車が横転する。


「幸川さん!」


 瑠梨は救助に向かってくれるように幸川に促す。


「……分かった!……瑠梨ちゃんを頼みます!」

「おう!車は頼むぞ!」


 近くにいた先輩に瑠梨を預けると、幸川は作業車へと駆けていった。


「下がれ!」


 幸川が叫ぶと車の上に登ろうとしていた数名が慌てて飛び退く。

 左に倒れた車両の、屋根側から接近した幸川の剣の一閃は、右前方の扉とガラスを斜めに斬り裂く。

 幸川の着地と同時、背後で斬られた塊が静かに落ちる。

 幸川への出撃指示が入ったのはちょうどその時だった。他の隊員たちが敵への最短ルートを開く。


「ありがとう!」


 幸川は前傾姿勢で疾走する。


「幸川さん!」


 礼太が途中で合流する。彼も横転し掛けたトラックを助けてきたところだった。


「君と一緒か。頼もしいな。未知の能力を持っているから一人じゃ怖いところだった」

「こっちもだよ!」


 一瞬、不敵に笑い合う。


 目標Bが嘴を開き、威嚇音らしきものを出す。再び飛び立とうと羽を開いたところへ、魔力弾と実弾を織り交ぜた一斉攻撃が叩き込まれる。冷気や重力属性などの動きを鈍らせる攻撃を主軸に、聴覚や嗅覚に作用する特殊弾も撃ち込まれ、蝶は苦しんで飛び立ち損ねる。

 それは数秒の間だったが、二人のA級戦士が敵の元に辿り着くには十分な時間だった。


「さあ」


 幸川が剣を突き出す。


「行こうぜ!」


 礼太は拳を突き出す。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


―司令室。


「東部に展開していた部隊が、目標Bが潜伏していたと思われる場所を見つけたそうです!」


 駆が報告する。蝶が飛び立つ瞬間は確認されていなかったが、飛行中の姿を捉えた監視カメラからルートを逆算し、その周囲を捜索させたのだ。ここまでBの出現から三十秒弱のことである。


多胡たご隊からの映像、出します」


 駆は映像を司令室正面モニターに呼び出す。


「これは……えっ」


 みちるは意味が分からない様子で、映像と周囲の先輩たちを交互に見つめる。


「ここに潜んでいた、ということで間違いないのでしょうか?」


 衛守副司令が画面の向こうに尋ねる。


『はい。この残留霊波は、ここに最低でも二、三十分以上は潜んでいなければ出ない値です。実際はその倍以上はいたと思われます』


 画面の向こうの四十代の隊長、多胡は重々しい表情をしている。


「参考までに、そこから半径二十キロでオンライン状態のカメラや一般人のSNSを確認したが、ここから東にはそれらしい影は微塵も映っていないようだな。」


 愛衣が副司令の横で呟く。

 先程、怜人れいとが推測した通り、世の中に出回っているカメラの殆どには霊的なものを写さないように魔術師たちが製造時のパーツの時点で工作をしている。特に一般の携帯電話やスマホは100%介入済みだ。

 それでも痕跡は完全には消えずに、独特の光や影が残るのだが、それすらも無いということだ。


「つまり、『ここ』から里見が丘まで直進コースだった可能性が高いな」

「……ありがとうございます」


 今の調査の過程でも、各方面への不法ハッキングが行われている筈だ。色々と思うことはあるが、副司令は頭を下げた。


「私が勝手にやったことだ。下手に感謝して共犯扱いされても知らんぞ。まあ会話は帰りに改竄していくがな」

「こ、この人ウチのシステムへの介入を予告してません!?」

「諦めよう。今更だ」


 駆は、みちるを溜息混じりに諭す。愛衣はそれを気にした様子もなく続ける。


「まあもっとも、あの速度だ。お前たちの監視カメラ以外ではまともに捉えられてはいないようだし、無駄足だったがな」

「ともかく」


 副指令が仕切り直す。


「目標Bが『そこ』に潜んでいたのは間違いないようですな。多胡隊はそのままその場で解析を続行して下さい、近くの隊は周辺の捜索をお願いします。多胡隊及び里見が丘への増援は現状では不要です」


『はい!』

「了解しました!」


 目標Bの出現に備えて各地で警戒していた部隊だが、Bが出現してもなお彼らを援軍に出す訳にはいかない。敵は飛行妖怪、それも異常な速度だ。今はBはAを守るように動いているが、他の場所へに逃げないとも限らない。迂闊に戦力を一極集中することは出来なかった。


「現場の隊員は非戦闘域でも引き続き最大限の注意を……里見が丘の様子はどうでしょうか」

「苦戦しています……」


 麻衣が正面モニターの片桐の戦闘状況を拡大する。鱗粉に注意しながら蝶を逃さず殺さず食い止めるのは、並列思考があっても容易なことではない。


「現在、ブレードの予備が届いたので弓や大砲で撃ち出したり、ドローンに持たせて上空へ送っていますが、やはり風と鱗粉が邪魔で十分に届いていません。片桐くんの刃の数は一進一退ですね」

「風が収まっていないようですね?」

「ええ、幸川くんたちも思いのほか手こずっていますね」


 紹子は苦い表情で、今度は礼太と幸川の戦闘を大写しにする。礼太がビームで援護しながら、幸川が切りつけ、余力があれば礼太も殴りにいく。狙撃手たちも二人への誤射にだけ注意し、遠慮なく攻撃を浴びせていく。

 しかし頭を含む二十ヶ所以上へ直撃させても死ぬ様子がない。本来なら急所に当てずとも数発で倒せる敵だ。


「通常の倍の速度を出せる時点で頑丈なのは分かっていましたが、そこまでとは……!」


 体制を立て直した者から順に攻撃に参加している。狙撃手の支援を受けて中衛の銃手も接近して攻撃し始めたが、事態が好転しない。今は羽根に攻撃を集中させて大きく羽ばたかせないことに徹している。

 それでも僅かな羽ばたきだけで上空の気流が大きく乱れ、片桐を苦しめている。最早、その戦闘力はB級妖怪の域を超えている。鱗粉が邪魔でデータ分析は困難だが、S級並でもおかしくはない。


「変種にしても強過ぎませんか?」


 みちるの感想は司令部と現場の総意でもあった。

 妖怪の変種は強くても一ランク上がせいぜいの筈なのだ。


『紹子さん、副司令。聞こえますか』

「幸川くん?」

「どうしました?」


 幸川からの連絡はニ人への直通・秘匿通信だった。ニ人は訝しむ。礼太・幸川の通信は現地の通信手が取りまとめて本部に中継している。それを通さずに連絡してきたのだ。


『コイツ、素の力は普通です。俺は普通の姑獲蝶とは殆どやりあったことはないけど……固さも動きもB級妖怪相応のレベルですよ。本来なら』

「どういえことかしら?」


 紹子は幸川に合わせて声を潜める。鱗粉が邪魔でセンサーは効かない。敵の強さを計るには交戦している者、特に近くで戦うニ人に任せるしかない。


『俺もレコードアームズや、村井の真白ちゃんの術で強化して貰ったことがあるから分かりますけど……コレはあの感覚に近いです。コイツ、多分変種じゃなくて、何かで……いや何かに強化されてる!』

「……やはり、そういうことですか」


 衛守副司令の中で全てが一つに繋がった。


『その様だね』


 風科へ急ぐ車中で、秘匿通信を含めた全てを聞いていた篠森司令も同意する。

 姑獲蝶の結界の通過、潜伏場所、そして先日のバケグモ事件……その全てが、ある一つの事実を示していた。


「とにかく、今は奴を倒すことです」


 衛守は一旦、この事実を頭の隅に退けた。

 ちょうどその時だった。


『遅くなりましたっ!!』


 司令室に少女の声が響く。

 佐祐里だ。学校近くの地下通路からブルームで駆けつけたのだ。

 先程、片桐と瑠梨が来たのと同じトンネルから飛び降りる。後部座席には恵里を乗せていた。

 道路へ衝突する前に風の盾で衝撃を殺し、そのまま目標Bを目指して疾走する。これでA級四人が揃った。S級だろうと勝てない敵ではない!


「……皆、道を開けて!彼等も来たわ!」


 紹子は警告と共に、『ソレ』の進路を現場の隊員のグラスなどに表示させる。

 佐祐里たちではない。トンネルから見て北西から、ソレは亜音速で突っ込んできた。事前に報告を受けていた隊員たちは準備していたクッション材を、ソレの進路上へと運び、急いで距離を取る。


『「ズッ……ドォォオオオン!……すみません……ピッタァァァァッンと止めて下さああああああ……ギュム』


 土煙を巻き上げ、林を裂いて高台からソレは現れた。吹き飛んだ木々が次々に両脇の地面に突き刺さっていく。

 ソレは三十メートルの高さからクッション材に激突すると、諸共に丘の下の道路に転げ落ちた。

 轟音が響く。

 下の隊員たちは退避済みだが、落ちた「彼女」が心配になる音だったが、落下寸前に飛び降りた三人……藤宮涼平と、朝来想良、久浦祥汰は無傷だった。

 



 数分前、今落下した彼女……ガイア・クレーバーンは合体したユニットを分離出来ないまま、乗機を台として涼平に運ばれていた。

 その途中で帰還を急ぐ部隊と出くわした二人は、事情を聞くとすぐに想良と祥汰を拾って乗せてきたのだ。

 重装備と癒着してしまったガイアだったが、装備のブースター自体は生きていた。それを乗機の上で無理に吹かしたのだ。

 当然、本来の用法ではない。自動車に飛行機用ジェットエンジンを付ける様なもので、普通なら上に乗れば粉微塵の血風と化すところだが、この三人も普通ではなかった。

 想良の重力球で体を固定し、祥汰と涼平が障害物を排除しつつ、ガイアの姿勢を制御する。無茶なやり方でなんとかこの局面に間に合ったのだ。

 当然、目標Bの奇襲はともかく異様な強さは想定外のものであり、本来ならもう決着は付いていたのかも知れないが、ともかく強行軍が功を奏した。


 更に遅れて数秒、岩橋の丈が駆るブルームで、叶音も到着した。


『おらよ!『恐怖!大砲女!』ただいまお届け!』

『誰が大砲女よ!……それより何よ今の音!?……え?あれ、ガイアちゃん?……涼ちゃんも!?今頃帰ってきたの?!バカ!!』


 森と学校から駆けつけた援軍で地上班が慌ただしくなるが、すぐに落ち着くと手短に情報交換を済ませ、持ち場に付いた。元からいた隊員たちも既に態勢を立て直していた。目標Bの突撃から三分ほどのことだった。



「若手の主力が集結してくれましたか……では、作戦を再編します。皆さん!あと一息です。子供たちを必ず助けましょう!」

「『了解!!』」


 副司令の宣言に隊員たちが応じる。


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